珈琲つれづれ
数日前から、台風の進路を見ると、なんと、こちらを直撃の様子。昨日から、カミサンにおご
られつつ、あちらこちらと、家の補強。台風が来てみれば、鹿児島方面へ。こちらは、スカシ
ッ屁みたいな風ばかり。朝から後始末で、疲れました。という事で、ホッとして、珈琲を飲ん
で、今日は疲れたのでダラダラと書きます。
台風というと、昔は長崎直撃が多かったのですが、最近は、直撃かと見せながら、鹿児島、
熊本、宮崎方面へ曲がって行くことが多く、はやり、これも気象の変化に伴うものでしょう
か。
さて、珈琲というと、通の方が多く、昔から、焙煎がどうだ、豆のひき方がどうだ、入れ方が
なんだ、とうるさく、私は、何でも良い方なので、以下の事は、思い出話で、気楽に読んで
も、読まなくても・・・・・どちらでも。
私の母方の実家は、お店屋さんをやっていて、従業員を連れて、夏は網場の別荘で海水
浴、冬は唐八景で雪見酒と意外と、爺様(残念ながら原爆で亡くなり、顔は知りません
が・・・)が風流でハイカラな所があったらしく、その家風があって、昭和30年代(私のカミサ
ンが、ワラジを履いて小学校へ通っていた頃)、遊びに行くと、朝食はパンと珈琲。一般の
家庭ではまだまだ珍しい頃でしたが、珈琲は、それからのお付き合いです。昭和30年は、
石原慎太郎が「太陽の季節」で芥川賞を取っています。
一時、自分で豆をひいて、入れていたのですが、どうも、日本酒とコーヒーの味は良く分か
りません。○の味ならよく分かるのですが・・・・・・
数十年前、彼女と喫茶店で珈琲を飲んでいると、なんか味が変。店の人を呼んで、「味が変
だよ」というと、一口飲んでみて、「また、やったな!」「どうしたの?」「高校生がね、いたず
らで砂糖ポットに、塩を入れていくんですよ!」。今は、塩キャンディーとか、塩チョコレートも
ありますから、時代を先取りしたものでしょう。塩コーヒー。
数ヶ月前から、コンビニに行くと、おや?コーヒーの香りが、それも入れたての香りが。みる
と、なんと、カウンターの所に、コーヒーを入れる機械。これ本当、と思って見ていたら、機
械が一杯ずつ豆をひいて、入れていくんですね。驚きました。
皆さん当然の如く、買っていましたが、店によって、味と値段は違いがありました。
考えると、缶コーヒーにもいろいろあります、
特に目立つのが、ブラックコーヒー。
昔、千々石の高齢者の方の家に遊びに行くと、砂糖を匙に山盛りに5,6杯入れて、ドロド
ロ。あれじゃ砂糖を飲むのか、コーヒーを飲んでいるのか。甘いものに飢えていた、戦中の
世代の方です。
缶コーヒーの前に、インスタントコーヒーがありました。受験勉強の時は、よく飲みました
が・・・・
Jazzにも「ブラックコーヒー」という唄があって、「ひどい孤独に襲われて、一睡もできゃしな
い、部屋を歩き回っては、ドアを見て、そしてその間に飲むのは、ブラックコーヒー、愛なん
て、安い飲みものさ・・・・・・」。こういうときは、缶コーヒーではなく、ちゃんとした器で、ホット
のコーヒーでしょう。
「コーヒー」の歌と「恋」とは、よく結びつきます。
「一杯の コーヒーから 夢の花咲く こともある 町のテラスの 夕暮れに 二人の胸の と
もしびが ちらりほらりと つきました・・・・・」。「一杯のコーヒーから」。作詞、藤浦洸、作曲、
服部良一、歌、霧島昇とミス・コロンビアです。昭和14年の歌で、当時のコーヒーは15銭だ
ったそうです。ほとんどの方、知りませんね。私も良く知りませんが・・・
「昔アラブの偉い お坊さんが 恋を忘れた あわれな男に しびれるような 香りいっぱい
の こはく色した 飲みものを教えてあげました・・・・・・・それは素敵な飲み物 コーヒーモカ
マタリ みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒー・ルンバ」。「コーヒールンバ」。西田佐知
子さんの歌。これなら多分ご存じですね。
一時、アメリカンコーヒーが流行って、前に紹介した、「考証要集」には、「米軍制度に詳しい
ミリタリー・ライターの菊月俊之氏によると、これは第二次大戦中、米国内でもさすがに物資
が不足したために、コーヒー豆の節約方として考案された飲み物という(『月間コンバットマ
ガジン』2011年)。戦前ドラマの喫茶店でハイカラ紳士に『僕、アメリカン!』等と注文させ
ない方が無難。・・・・・・」とありますが、他にもいろいろ説があるようで、トルコライスの語源
と一緒で、よく分かりません。
そういえば、「ただの珈琲、お湯で薄めればアメリカン!」とか、頭の毛が薄い方を「アメリカ
ン」というのが流行りましたが、エスプレッソ・コーヒーにお湯を注いで作るのを、「アメリカー
ノ」と言うそうです。
さて、コンビニでコーヒーを飲んだ感じ。やはりコーヒーは、雰囲気で飲むもんですね。喫茶
店でゆったりと・・・雰囲気が大事です。特に、かわゆいウェイトレスさんがいれば最高。
我が師、伊奈かっぺいさんも、次のような、詩を書いています
■鰺ケ沢の喫茶店
見た目も、作りも、椅子の並びも
テーブルも、壁のランプも
店の名前も、確かに喫茶店だんだ。
とにかぐ珈琲が飲みたくて
その喫茶店サ入った。
・・・珈琲、のんでらきゃ
隣のボックスでラーメン啜る音(おど)
そして、魚ダシのカマリ
ラーメンは嫌いでねぇ
嫌いでねぇばて、今は珈琲をばー
ラーメン屋で珈琲、出すのは許す。
したばて、
珈琲屋でラーメン、出すのは許さねッ
こりゃ、同じようで違るッ
絶体、違るど思るッ
全くその通りで、カレーとか、ピラフとか、チャンポンとか出す所がありますが、これは、本当
に、「違るッ」。
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コメント
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子供のころですから昭和30年代には実家でもサイホンで淹れた珈琲を飲んだ記憶があります・・・ちょっとした事情により当時としては珍しく食堂と居間は「洋室」でしたのでそれに合わせたのでしょうか^^;
アメリカンコーヒー・・・高校時代くらいにカッパブックスの世界史の年号を覚える本で「1773年ボストン茶箱事件が起こり紅茶が入手できなくなったアメリカ人たちが珈琲を飲み易くした」と書いていた記憶がありますね
珈琲の歌・・・私にとって「コーヒールンバ」と並ぶ珈琲の歌は高田渡さんの「珈琲不演唱(コーヒーブルース)」です
♪三条に行かなくっちゃ 三条堺町のイノダっていう珈琲屋へね~♪
東京で過ごした学生時代は金も無いのに毎日珈琲を飲んでいましたっけ(^^)
投稿: 心づくし | 2014年7月11日 (金) 21時50分
アメリカンコーヒーは浅煎りを使い、コーヒーは目方で売るので、焙煎が強いと水気が少なくなり、目方が少なくなるので、水分が多い、浅煎りのアメリカンを流行らせた、というのもありました。いろんな事が絡まっているのでしょう。
コーヒーといえば、日劇があった頃の、裏側の珈琲屋さんが最高でした。今はありませが・・・・
帝国ホテルの最上階の喫茶ルーム。眼下には、都会のビル、天気の良い日は富士山が見えて、仕事をさぼって、時々行ってました。客層が客層なので、落ち着いて、静かで、良い所でした。
日本放送だったかな?2階の喫茶ルーム。当時、売れっ子の、ドリフターズがぐったりしていたり、金田投手がいたりで、面白い所でした。もちろん、部外者は立入禁止でしたが、そこは、まあ・・・・・(^-^;
私の行きつけは新宿の有名ジャズ喫茶「Pit In」。多分、学校にいた時間より多かったかな。とにかく、コーヒー一杯で、一日いられましたが。
投稿: sugikan | 2014年7月12日 (土) 23時59分