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2014年7月12日 (土)

「からゆきさん」と天如塔」★「コレジヨ市民文化講座」~南島原市有家町

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今日は昼から、有家町の「コレジヨ市民文化講座」に参加。内容は、「『からゆきさん』と天如

塔」。講師は、島原文化連盟委員長、天如塔改復委員会の委員長をされていた、宮崎金助

先生。参加者が少ないかと思ったら、満員でした。


私のブログでも、三回ほど取り上げたのですが→こちらをクリック、「」。「」。「」。


宮崎先生の話は以前にも聞いていたのですが、新しい資料も交えながら、分かりやすく説

明。


世界情勢から、なぜ、シンガポールという狭い地区に、からゆきさんが多かったのか。ま

た、からゆきさんが「賤業婦」「醜業婦」「密航婦」「娘子軍」などと呼ばれ、現代になっても、

卑しまれた存在であったこと。福澤諭吉でさえ、その存在を認め、薦めていること等を話さ

れました。

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なお、からゆきさんは

Img_20140712_0001

       (当日の資料より)

多分、大きい子で、中学生くらいでしょう。この少ない荷物を持って、海外に売られていきま

す。


からゆきさんを、外国に売るのを「女衒」と言います。かなり前、緒形拳主演で、実際の「女

衒」、村岡井平治を取り扱った映画もありましたが、村岡井平治は島原半島の某町の出身

で、その町の郷土誌にも載っており、その記事の中で、次のような事が書いてあります。


「昭和十年代には、故郷に家を建てて老後を過ごしていた『からゆきさん』(故人)が、多くは

語らなかったが話はしてくれた。

働き口がなく、海外にあるというので、十九歳の時に口之津港を出た。船に乗ると船員服に

着せ替えられて少々水の溜まっている船底に入れられた。食事はにぎりめしやカビくさいビ

スケットであり、船底から一歩も出ることができなかった。船中で病死した娘がいた。・・・・・

出発の時は想像もしなかった仕事をし、密航者で市民権はなく、帰国する事など絶望に近

かった。・・・・・やけになった者は、次々と転売されたり、借金が多くなったりして、行方不明

になった人もいた。・・・・」


外国から送られたお金が、当時30万、現在のお金にすると、12億9千万になるそうで、外

貨獲得ににもなったのでしょう。こうして外国に送られた、からゆきさんの平均寿命は、21,

6歳であったそうです。


島原の子守歌に「山ん家はかん火事げなばい」と言う一節がありますが、「かん」は「火が

かんかんにおこる」という「かん」です。口之津町史に次のように書いてあります。


なお、「『からゆきさん』の出る時は、かならず山手に火事があった。それは警備の目を火事

に注視させ、そのすきを見て船に乗せ込んだ。町では『今日も日光行きがあったとばい』

と、うわさしあった。『日光』は密航の掛言葉であった。~『故野中武夫氏談』」とあります。


なお、村岡伊平治は「村岡伊平治自伝」を出版していますが、宮崎先生が内容を検証した

ところ、父親の出生等、でたらめが多かったそうです。


前にも書きましたが、明治二六年二月三日付島原村先魁五番戸で発行した「有明海」第二

号の巻頭言に


「密航婦おおく島原地方に出で 重犯の徒多く島原に出ず 島原には一の産物として名を

えたるものなし しからずんばすなわち 島原の産物は密航婦と重罪犯の徒の二つあるか

ああ恐るべきかな 島原の空気 腐敗せるかな島原の空気 いな空気は腐敗せるにあらず

人心の腐敗せるなり ああ島原の人いつまでもかくのごとくならんか 島原人はこの明媚な

る山水に対してなにをもってつぐなわん」とあるそうです。いかに、密航(からゆきさん)が多

かったのか伺えます。


現代の島原の方は、城下町でおっとりした人が多く、薪能を始め文化が豊かで、良い所で

す。


【お知らせ】

「コレジヨ市民文化講座」は毎月開催されていて、次回は、元龍谷大学教授 根井浄先生

の「有馬氏時代の食文化と茶室」です。


キリシタン大名有馬晴信の時代、伊勢信仰を説いて廻国する宮後三頭太夫(みやしりさん

とうだゆう)という伊勢御師がいたそうですが、新発見史料「伊勢御師食膳日記」から、有馬

氏当時の食文化の話になるようです。


日時 8月18日(月) 14:00~16:00

場所 ありえコレジョホール 

主催 有家史談会

共催 南島原市教育委員会

問合わせ ☎ 050-3381ー5047(南島原市教育委員会有家事務局)

資料準備の関係上、できれば事前申し込みを、という事でした。

(参考・文引用:「みなみくしやま~南串山町郷土誌」「口之津町史 郷土の歩み」。なお、宮

 崎先生の講演を元に書きました。)







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コメント

久しぶりにsugikan様のブロブ、拝見しました。近くに住んでいたら私も参加、聴講したい講座です。「満席だった」と書かれてありますが、地元の方々は「からゆきさん」のことに関心が深いのでしょうか。からゆきさん研究がかなり進んでいるということですか?

『からゆきさん物語』もシンガポールが舞台でした。シンガポールが多かったのは何故ですか?
来航する船の関係ですか?

読みが足りなかったでしょうか。教えてください。

山崎朋子さんはボルネオ・サンダカンでした。

こちらほうも、関心を持つ人はありますが、研究をしている方は、ほとんどいないでしょう。
一つには、当事者がほとんど亡くなっていること。また、周囲との関係もあり、内容が内容なので、話したがらないこと、密航が多かったために、文書等が残っていないことが考えられます。
本来なら、宮崎先生、原田館長さんの話をじっくり聞くのが良いのでしょうが・・・・

なお、シンガポールはポルトガルの侵略、イギリスによる植民地支配を受けています。
また、18世紀半ばからおこった産業革命のため、マレー半島等で産出されたされた、工業に必要な、錫、ゴム(車のタイヤに必要)などの積み出し港として発展をしますが(台風が避けやすいため)、この事は、若い、力のある労働力が必要だということであり、多くの移民が渡来しており、結果として、その欲望のはけ口として、女性が必要だったという事だったのでしょう。

なお、からゆきさんは、東南アジアに限らず、世界各地に散らばっております。

人身売買(男女に限らず)は昔からあっており、秀吉の伴天連追放令は、数通ありますが、その一つに、「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(犯罪のこと)。付、日本におゐて人之売買停止之事。右之条々、堅く停止せられおわんぬ、若違犯之族之のあらば、忽厳科に処せられるべき者也」という箇条があるそうです。

なお、まだ読んでおりませんが、フロイスの「日本史 4 中央文書版」に「商用のために当地(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人が、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。・・・・」ともあるそうです。

考えればアメリカのアフリカ人に対する、奴隷制度もありました。悲しむべき事です。

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