水権現の力石~島原市
歴史的には、寛政4年(1792)島原大変で、島原は壊滅的な打撃を受けます。ここ、中木
場地区でも、水源は全て枯渇し、毎日の生活に苦しみます。
当時の庄屋、下田吉兵衛は、神のお告げで、山麓に水源を見つけ、約5キロの水道(清水
川)を開設しますが、生活用水、灌漑用水も豊かになったそうです。
それから、地区民は水権現を守り神として、毎年、2月4日に祭礼をおこなっているそうで
す。222年の間守り続けてきたということです。見逃せば、何でもない神社ですが、地区民
の皆さんの思いが詰まった所です。
現在、私たちの身近な、小さな史跡等の記憶が、薄れ、又、破壊されていることを思えば、
この神社の歴史が残っているこは、大切な事だと思います。
観光地の寺院、史跡等も大事なものでしょうが、自分たちの身の回りのものに、もう一度、
目をむけることも必要な時代ではないでしょうか。
さて、力石です。力石については前にも3,4回取り上げましたが、昔は若者の遊びが少な
く、力自慢比べが楽しみだったらしく、神社等に奉納してあるのもありますが、家の庭などに
転がしてあるものもあり、今の70代以上の方しか、その事を知らないということがありま
す。
ここ、水権現の力石は、江戸時代から、大正初期まで、祭礼を盛り上げるため、力石の持
ち上げを若者が競い合ったそうです。
力石は3個あり、大石が130キロ、中石が96キロ、小石が81.7キロあるそうです。力石と
して、保存してあるのは珍しいことで、これを昔の若者が持ち上げたという事を考えると、昔
の人の力が、如何に強かったのか、分かると思います。
私も挑戦しましたが、いつも書くように「色男、金と力はなかりけり」で、ビクともしませんでし
た。貴方も挑戦しませんか、場所は島原の第五小学校の近くです。
(資料・参考:「島原市の文化財~島原市教育委員会刊」・説明版より」)
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