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2014年6月28日 (土)

長崎の石橋★桃溪橋(ももたにばし)・高麗橋~長崎市 ④

Img_20140628_0002

        (「長崎事典・歴史編~長崎文献社刊」より)

忘れていました、上の写真は、昨夜紹介した、大手橋の昔の写真。明治時代の風景だそう

ですが、昨日の現代の写真と比べてみて下さい。昔の面影は全くありません。


さて、下の写真が、本日紹介する桃溪橋。大手橋、鎮西橋の下流にあります。

Photo_3

横から見たところ。

Photo 2

この橋については「九州の石橋をたずねて」に、「この橋は狂僧『卜意』が架けたもので、

別名『卜意橋』とも云う。人は狂僧と云うが、それ程彼を突き詰め必死にさせたものはなに

だろう。僧侶としての何か大きな誤ちがなかったろうか。ここに卜意の妄念と云おうか強い

執念を感ずるのである。」という事で、附近の人は川に挟まれ、不便であるので橋を架け

ることを決心し、浄財を求め回ったそうです。


宮本安氏「中島川遠眼鏡」では、「狂僧」に関し、橋の左手の撞巻石の中に


長崎僧卜意募    長崎僧と彫る 狂僧ではない

十万之諸檀越

建造石橋済津

功徳無量矣

   旹         旹は時

延宝柒歳次己未   柒は七

  仲冬吉旦書    仲冬は十一月


とあるそうで、長崎僧であって、狂僧ではない。と書かれてあります。

「これを長崎図志が橋銘に狂僧卜意うんぬんと書いてあるとしたのに続いて、港草も橋銘

に狂僧と書くとし、名勝図絵も橋銘に狂僧としてある。この三者ともに狂僧うんぬんと彫って

あると書いているので、現地調査をしないで本の転写をかさねていったとみるほかはな

い。」とあり、ここらあたり、ネットの情報を調べないで、転記しているのと一緒ですね。私も

よくやりますが・・・・


続いて、「若し假りに狂僧と彫ってあったとしても、本当の気ちがいにしなくてもいい。狂者

には風雅の意味もあるように辞書は書くし、むかし花月(注:長崎の有名料亭)の名物であ

った頼山陽の屏風はその末尾に『山陽狂客』と山陽自身が書いていた。」とあります。


さて、この橋は「長崎図志がすでに桃溪橋または卜意橋の名をあげ、港草も同様、古今集

覧は卜意橋と名勝図絵は桃溪橋(もものきかわはし)または卜意橋とする。西道仙は桃溪

橋と名付けたと書く。」とあります。


この橋は二つの川が合流する附近ありますが、川へ下って見ると、左の川に見えるのが桃

溪橋。この上流に、鎮西橋、大手橋があります。右手の川に、次に紹介する高麗橋、阿弥

陀橋があります。回れ右をすると、眼鏡橋方向の石橋群。


右と左、手入れが違いますね。一の瀬橋、古橋(中川橋)、大手橋も歴史的に重要な橋な

のですから、少しは目をむけて欲しいものです。

 2_4 Photo_4

明治後期の写真です。この川沿いの橋は、何回か洪水に見舞われ、壊れますが、この橋

は壊れたことがないそうですが、寛政七年の大洪水で少し破損したことが港草の記事に見

えるそうです。


なお、山口氏によれば、下流側の勾欄は昔のままで、上流側の勾欄は何回も修理した跡

があるそうです(昭和五十年現在)。延宝七年(1679)に完成。


写真は明治後期の桃溪橋。

Img_20140628_0002_7

          (「長崎事典・歴史編~長崎事典」より

 


高麗橋

Dsc_0203

横から見たところと、川沿の手すり、コンクリー製みたいですから、新しいものでしょうが、な

かなか風情があります。

Photo_5 Dsc_0214

承応元年(1652)に架設。宮田氏によれば、図志、志稿、名勝図絵に明人平江府等建と、

記事がなっているそうで、平江府が架けたように感じますが、「平江府」は中国の蘇州であ

るらしく、興福寺の檀徒である蘇州府の人達の寄附で造られたものとも考えられるそうで

す。


宮本氏によれば、「異説としては、市中明細帳の伊勢の神主が惣町勧化(長崎の全部の町

の寄附)もって架けたとか、長崎市史の陸手(くがて)二十八町の乙名(世襲の町内会長)

の寄附で架けたとかの説がある。」また、古賀十二郞の長崎名勝古蹟誌には、石欄に「承

応元年十一月二十一日、嶋千太夫、嶋讃岐 が寄進奉る」と書いてあったそうですが、現

在では残っていないそうです。


慶応二年四月(1866)麹屋町の池島正助が私費で架け替え、大正四年に(1915)斜め

にコンクリーで橋面を増設したそうです。


なお、昭和五十七年の長崎大水害で被害は免れたそうですが、河川改修工事に伴い、平

成五年に西山ダム下に移築復元されているそうです。


長崎くんちの時、傘鉾が高麗橋を渡っているところ。撮影は上野彦馬だそうです。この近く

に、上野彦馬の撮影局と居住地跡があります。


青の矢印が笠鉾。赤の矢印が、橋の擬宝珠ですが、擬宝珠は、大事な橋にしか使わなか

ったと言うことで、眼鏡橋、袋町橋、大手橋、高麗橋だけにしかなかったそうです。


写真手前に写っている造作物は、何なのか、よく分かりません。木橋のような感じもするの

ですが・・・・


阿弥陀橋にも擬宝珠はありますが、これは後で付けたものみたいな感じがします。高麗橋

の方も、作り替えていますから、こちらの方も・・・・・

Img_20140628_0005_2

      (「ふるさとの思い出 写真集 長崎」より)


参考・文引用:「中島川遠眼鏡」「九州の石橋を訪ねて」「長崎事典」「長崎古今集覧名勝

図絵」「ふるさとの思い出 写真集 長崎」、「長崎歴史文化観光検定公式テキストブック」

「長崎事典」各説明版より)



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コメント

現在の中島川石橋群の中では「桃渓橋」がいちばん好きな橋で私も何度か記事にしたことがあります
http://ssiimm.livedoor.biz/archives/51621461.html

特に対岸から見る橋周辺の風情が気に入っています(^^)

西山ダム河川公園に移設された旧・高麗橋も桜の季節には素晴らしい景観です
http://ssiimm.livedoor.biz/archives/51913876.html

訪れる人もほとんどいないでしょうが^^;

移設された高麗橋、行こうと思ったら時間切れで、何れ行って見るつもりです。
島原半島にも、石橋は多く、特に北有馬町にも多いので、記事にしております。
田舎の石橋も、鄙びて良いもんですよ。ヽ(´▽`)/

http://himahima1.cocolog-nifty.com/in/2012/07/post-2034.html

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