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2014年6月27日 (金)

長崎の石橋★大手橋~長崎市 ③

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(「長崎歴史文化観光検定公式テキストブック~総監修 越中哲也・原田博二・(財)長崎地

 域政策研修所・長崎商工会議所刊」より)  


長崎市内に住んでない方には、なかなか分かりにくいと思いますが、丁度良い本があった

ので・・・・表紙裏の「長崎版画『享和二年肥州長崎図』(1802)」の地図の一部です。


青色の線が長崎街道。下の赤丸印より、「一の瀬橋」。真ん中の赤丸印が「古橋(中川

橋)、一番上が今日ご紹介する「大手橋」になります。


こうして見ると、長崎市内までの出入りには、3つの橋が、重要な役割を持っていることが

分かります。


今日は、黒の矢印間、新大工町商店街を紹介しながら、大手橋まで。


赤の矢印が「眼鏡橋」です。多分。この辺りの橋は皆さん、観光に行かれると思いますの

で、あと、黒丸印の上から「桃渓(ももたに)橋」「高麗橋」「阿弥陀橋」。こちらまでは足を伸

ばさないと思いますので、次回に紹介します。


さて、大手橋に向かう新大工町商店街。何年かぶりに行ったら、そのままの所、変わったと

ころいろいろありまして・・・・・・ここは、以外と賑わいがある所で、もちろん長崎街道です。

Photo

こちらは、一階がいろんな店が入っている、新大工町市場で、二階から上は、デパートの

玉屋でしたが、一階はいつも、買い物客が多いのですが、デパートはお客さんが少なく、

先日、閉店しました。

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あと、近くに、二つほど市場があります。

Photo_6 3

左が、昔は長崎で一番大きかった本屋「好文堂」の支店があったところ。病院に変わってい

ました。建物の形は変わっていないので、内部だけ改装したのかな?

右は、「トルコライス」で有名な「ツル茶ん(つるちゃん)」の支店があったところ。

「ツル茶ん」については、「トルコライス マニアックス」をご覧下さい。

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お菓子屋さんのウィンドーに「長崎街道への入り口」として、「舞鶴座」の説明が。

なんと、右の写真あたりになるそうですが、明治23年、開設された劇場だそうで、横の旧玉

屋デパートから、表通りの電気軌道を越えるほどの大きさで、敷地約1700坪、建坪600

坪、総檜造り、吊り天井、せり上げがあり、収容人数3,800名(当時の歌舞伎座が、建坪

457坪、収容人数約2,000名)。長崎にも凄い劇場もあったんですね。

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お酢屋さんです。お酢を造っています。左ののれんは、パチンコ景品交換所。

覗いたら、懐かしい電話機がありました。もっと古いのは、右の方にハンドルがあって、交

換手さんを呼び出していましたが・・・・

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もう少し行くと、大手橋です。もはや、石橋の面影もありません。

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横から見て、やっとアーチ橋だということが、分かります。むこうに見えるのは、鎮西橋。


この橋は、長崎への出入り口として、重要な橋なのですが、手すりにしても、もっと情緒が

あるようにできなかったのでしょうか?


親柱が、近くにあるというので、捜しましたが、分かりませんでした。「おふて橋」と刻んであ

るそうです。


宮田氏の「中島川遠眼鏡」によれば、この大手橋の擬宝珠親柱一本を眼鏡橋に補充活用

したという事が、長崎談叢第二十三輯に載っているそうです。なお、橋は、中島川支流の堂

門川(西山川)にかかっていたので、堂門橋と呼ばれていたそうです。


昔は、石橋でなく、壮麗な木廊橋が架かっていたそうですが、痛んで、竹橋になっていたそ

うです。これを、唐通事の高一覧が石橋として、慶安三年、完成させたそうです。


高一覧は、、山口氏によれば、生まれは薩州、父は「鎌田新右衛門」。幼い頃中国人の養

子となり、養父の福建省に渡り、後日本に戻り、通事になったとあり、宮田氏によれば、高

一覧は福建漳府の人、高寿覚の子で、高寿覚は鹿児島に渡来し、一覧は鹿児島県の川

内で生まれたとなっています。唐通事は不便なので、各々日本名を持っていたそうで、どう

なんでしょう?


なお、「大手」については、宮田氏は、長崎から江戸に向かう街道の重要地点なので、長崎

の大手に当たるという意味と思われる。とあり、山口氏によれば、この辺りは、「諏訪神社」

長崎の領主「長崎甚左衛門」の屋敷を始め、昔の古い町が片渕や中川付近にあったので、

その入り口には大手門があったのであろう、と書かれています。


なお、大手橋に平行するように「鎮西橋」があり、昭和9年の築造。電車軌道が走って、長

崎市内から郊外に行く大動脈の一つです。電車の停留所がある所が橋です。

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横から見ると、アーチ橋という事が分かります。

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参考・文引用:「中島川遠眼鏡」「九州の石橋を訪ねて」「長崎事典」「長崎古今集覧名勝

図絵」「ふるさとの思い出 写真集 長崎」、「長崎歴史文化観光検定公式テキストブック」

各説明版より」)








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