「乱」~矢野隆著★時代小説の難しさ
「島原の乱」を描いた小説。ポイントは、赤で囲んだ「『島原の乱』新解釈、衝撃の歴史長
編!」。ここの所にひかれて読んでみました。
時代は江戸、関ヶ原から30余年、三代将軍家光の頃。徳川幕府の勢い盛んな時。そのよ
うな時、日本の西の端、島原、天草で、島原・天草の乱が起こりますが、この事について
は、いろいろな資料、小説に取り上げられ、さて、「新解釈」とは、何か?
時代小説を読んで、いつも思うのは、事実通りに書いたのでは、単なる資料。先日、紹介し
た「考証要集~大森洋平著」によれば、「『平賀源内が厳密に時代考証した忠臣蔵芝居を
上演したら、全然面白くなくて客がみんな寝ちゃった」という爆笑エピソードがありました」と
あり、やはり時代小説は、虚々実々の所がないと面白くないようで・・・・
さて、ネタバレすると面白くないので、「島原・天草の乱」の裏には、幕府の老中Mの思惑が
あったと言うのが「新解釈」になるのです。Mは誰か、本をお読みください。
乱の鎮圧で派遣されたのが、一万五千石余りの小藩、三河深溝藩主板倉重昌。この、板
倉重昌をある目的の下、派遣したのも老中M。
板倉重昌の派遣には、九州の大名の国替えがおこなわれた際、城引き渡しの大役を果た
した経験者であった事だそうです。
乱の鎮圧には、俗に島原七万石といわれる、島原の松倉藩、鍋島藩、佐賀藩、福岡藩等、
そうそうたる九州の諸侯が集まりますから、統率がとれるわけもなく、これも老中Mの思惑。
物語には、山中で野獣のように育った「虎」という少年。そして、天草四郎との関わり。四郎
と父、甚兵衛との関係。そして、なんと、柳生十兵衛まで登場。
柳生十兵衛が、島原まで来たかというと、家光の不興を買い、城を辞し各地を放浪します
が、裏では、各地の情報を集めていたとかいう話も。2006年、NHKテレビで「柳生十兵衛
七番勝負 島原の乱」というのが、あったみたいですから、来たことにしておきましょう。
さて、昭和44年発行の「南有馬郷土史」に、板倉重昌の派遣の事を、天下のご意見番、大
久保彦左が後で聞き、「切支丹は宗教じゃぞ、あがめる神の心は、人の心を一つにするも
のじゃぞ、百姓、土民などとあなどっているのが第一いかん、『原城』という地の利を得て、
団結して固めているのだ、それを板倉や石谷(副使)などのような少身者がいってあつかい
こなせると思うのか?」
「殊に九州諸侯を使うのには自分の軍は思うようにはできまい(ママ)、それがためには御
三家の一人を上史として、堀田か信綱のような老中が出るべきであった。」と書いてありま
すが、この言葉、大村家の家老、大村彦右衛門が言ったという事を、読んだ覚えがあるの
ですが・・・・「大村彦右衛門」と「大久保彦左衛門」。何となく似ているので、私のボケかな?
なお、同書には、「柳生但馬守宗矩」の事も書いてあり、板倉重昌が出発したことを聞き、
追いかけるが間に合わず、後日、家光に
「殿は一向一揆のことはいまだお忘れあるまい。・・・・・ましてや切支丹宗門の激しさは世に
も知られていると聞いていますが、板倉は位も低く、門閥でもなく、禄高も少ないので世人
から敬われていない。それがどうして西国諸侯の指揮ができましょう。・・・・・再び板倉より
位の高い者を派遣されたら、これはもう、板倉を死に追い込むようなもので面目問題であ
る。」とあり、事実、後日、松平信綱が派遣され、板倉は死に追い込まれるような戦いをして
して、戦死します。
さて、老中Mとは誰のことなのか?読んでみて、なるほどとは思いましたが、少々・・・・・ま
あ、小説として読めば、面白いでしょう。なお、時代小説については、事実とするところもあ
るので、参考図書、文献の名前は書いて欲しいですね。
(参考・文引用:昭和44年発行「南有馬郷土史」より)
« ターシャの庭づくり~ターシャ・テューダ | トップページ | 初夏の庭~我が家の家庭菜園 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 島原半島に関する三冊の本(2024.05.05)
- 気まぐれ資料館~次は「草双紙」の世界(2023.01.15)
- ザッとした読書感想文なのですが(^_^)(10月~11月中旬読了)(2022.11.13)
- 落語「紀州」の原典は松浦静山「甲子夜話」?(2023.09.19)
- 「積ん読」の効用(2022.08.19)
島原の乱を舞台にした小説で読んだことがあるのは堀田善衛さんの「海鳴りの底から」と隆慶一郎さんの「死ぬことと見つけたり」くらいかな・・・
日本史の中でかなり重要な事件の割には題材にした小説があまり思い浮かびませんね
投稿: 心づくし | 2014年6月 4日 (水) 22時34分
加来耕三、飯嶋和一、立松和平、市川森一、石牟礼道子さんのものがあるようですが、坂口安吾も県立図書館の資料を、かなり、あせったようで、現地まで行っています。随筆までで小説にはしてないですね。
島原・天草一揆については、資料として、幕府方、しかも各藩別々の資料はたくさんありますが、一揆側の資料は、ほとんど残されていないので、小説化するにはかなり困難な面があるようです。
わたしも、小説より資料の方が面白いので、資料しか読んでおりませんが・・・・・・・
遠藤周作さんには、書いてもらいたかったと思いますが・・・・
投稿: sugokan | 2014年6月 5日 (木) 14時51分