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2014年6月25日 (水)

長崎の石橋★一の瀬橋~長崎市 ① 

2

先日、「石橋をつくるの図」を書きましたが、これを書くについては、何冊かの本を読んでみ

ましたが、読んでみると、なかなか面白く、橋の一つ一つにも物語あると思いました。

Photo 2_2

私、生まれも育ちも(19歳まで)長崎市内だったのですが、もう少し勉強しようと、長崎街道

にある石橋を歩いてみました。


観光客の方は、ほとんど眼鏡橋付近の石橋群を見るだけなので、観光客のあまり行かな

い、橋を紹介したいと思います。


「中川遠眼鏡」の著者、宮田安氏は、石橋の歴史に関し下記のように書いています。


長崎のアーチ石橋の歴史を簡単に述べると次の三つのパターンに分けられる

一 中国人の寄附で架けられはじめた。

二 日本人の寄附がつづいた。

三 洪水で落ちた時は公費によって掛け替えられた。


なお、「九州の石橋をたずねて」の、山口祐造氏は、熊本の古文書より、「この古文書で分

かったように、アーチの技術を初めて習得したのは『末次一族』であり、彼は一家の秘伝と

して誰にも教えなかった。

と書いておられ、御両人、他にも色々書かれておりますが、これを書くと長くなるので、省略

して・・・・・・長崎に入るときは、普通長崎街道を使いますが、日見峠を通ります。

Photo_2

(「長崎古今集覧名勝図絵 越中哲也注解」より)

急坂を登って、下ると、一の瀬川に行く手をさえぎられます。


話が少し変わりますが、大正13年、この峠に日見トンネルができ、長崎への自動車の乗り

入れが楽になります。

Photo_3 Photo_4

左の写真は、「故郷の思い出写真集 長崎~越中哲也・白石和夫共編」より、おかげで、今

は右の写真のように、交通量が多くなりました。ただ、日見トンネルは、別にバイパスができ

たため、あまり使われなくなりました。


さて、私、この道が長崎街道と思っていたら、大違い。右の写真の、右手の裏の方が長崎

街道でした。


さて、話を元に戻して、一の瀬川に橋が架けられますが、これは、「九州の石橋をたずね

て」によれば、橋を架けたのは、中国出身で唐通事の「陳道隆」、別名「穎川藤左衛門」。


同唐通事仲間の、高一覧が「大手橋(後で説明します)」を架け、住民も喜んでいるのを見

て、自分も橋を架けようとという事で、みんなが難儀しているのを救うため、この橋を架けた

そうです。承応2年(1653)に架けられています。


なお、ここ一体は、昔は蛍の名所で、料亭があり、蛍茶屋と呼ばれています。

場所が、最初はわからず・・・・電車の終点、蛍茶屋の車庫の裏側でした。

Photo_5

市指定で、重要な橋なのに、こんな感じで良いんですかね?

Photo_6

欄干です。四角の所。ローマ字が刻んであります。「ICHINOSEBASHI」。これは、明治20年

頃刻まれたものだそうです。

2_3 Photo_7

近くに、「蛍茶屋」という標柱があるという事で捜したのですが、分かりませんでした、代わり

に昔の写真など・・・向かって右が料亭「蛍茶屋」だそうです。


欄干について、宮田氏は、「コンクリートで根巻工事が施されて景観を損じているが、崩落

の記録はなく、旧態を残していて、貴重なものである。」と書いておられます。

Photo_9

      (「長崎県事典 歴史編~長崎文献社編」より)

さて、ここから次の中川橋(古橋)まで、どう行くのか、道が分からず、とりあえず大通りに出

て、ファミマの所から、裏通りに入る道があったので、行ってみたら、ビンゴでした。

Dsc_0247

なお、この橋は、勝海舟、坂本龍馬、また、蘭学を志した者等が渡った橋です。


(参考・文引用:「中島川遠眼鏡」「九州の石橋を訪ねて」「長崎事典」「長崎古今集覧名勝

図絵」「ふるさとの思い出 写真集 長崎」、各説明版より」)

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コメント

私も数年前に一ノ瀬橋あたりをさるきました
http://ssiimm.livedoor.biz/archives/51618625.html

ホント歴史的に価値があるのでしょうがここらあたりにしろ国道を渡った「長崎街道」沿いは保存に力を入れているようには見えませんね(-_-;)

同感です。
見栄えが良いところばかり、整備していますが、歴史は点では分かりません。今度歩いて見てよく分かりました (;ω;) 反省。
島原~千々石の島原街道はもっとひどいですよ。どこが、どこか分からないところがたくさんあります。今、調べているところですが・・・・

心づくしさんのブログの石仏群、多分道路整備の時、道の側、家に祀ってあったものを、集めて祀ったのではないでしょうか?諫早辺りにも、同様な所をよく見かけます。

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