長崎の石橋★阿弥陀橋~長崎市 ⑤ 最終回
阿弥陀橋(あみだばし)です。
元禄三年に園山善爾が、私費で架けたと長崎図志・港草・古今集覧・長崎略史にあるそう
です。純粋の日本人町人の寄附で、初めて架けられた橋です。
園山善爾は、生まれは和泉。長崎へ来て、唐人と商売、貿易をして、大成功したそうです。
昔、市内引き回しの死刑囚が必ず渡らなければなかった石橋で、囚人達が来世は、極楽
に生まれ変わるようにという説。昔、この附近にあった囚獄を、桜町に移したという記録が
あるそうで、処刑された人を始末するところがあったらしいと云われている説もあります。
「中島川遠眼鏡」の宮田氏によれば、「近年、罪人ひきまわしうんぬんと説く人もいるが、手
元の資料には見当たらない。」とあります。
橋の側に阿弥陀像を造ったので、極楽橋とも呼ばれたそうです。
この橋は、昭和57年の長崎大洪水後、河川改修に伴って解体され、石材を保管し、移転
されています。
橋の横には、八幡町阿弥陀堂(長崎四国八十八カ所霊場 第64番霊場)があります。宮田
氏の本によれば、「近年になって左岸下流側にお堂が造られまつられている。」と書いてあ
りますが(著書は52年発行)、現地に行ってみたら、下流ではなく、上流にありました。ひょ
っとしたら、洪水前は、この橋は、本来もう少し上流にあったのでは?
昔の、阿弥陀橋です。
(「ふるさとの思い出 写真集 長崎」から)
一応、見て回る予定が終わったので、川沿いに歩いて行ったら、草むらに、何かあったの
で、覗いて見たら、カッパさんでした。座禅をするカッパさんは、初めて見ました。
「中島川 河童洞 水神社 八天坊」と書いてありました。
川沿いに、車を停めているガレージに戻っていると。又何か。と思ったら、上野彦馬の日本
最初の営業写真館の跡で、説明版には「この地に接する道路を隔てた北側の地に撮影局
を設置した。」とあります。私、もっと下流の方かと思っていたのですが・・・勉強不足でした。
上野彦馬は、坂本龍馬、高杉晋作、グラバー等も、この写真局で写真を撮っています。私も
坂本龍馬の格好をして、パチリと一枚。ではなく、当時の露出時間は約十秒で、息を止めて
写してもらいましたが、現像が遅く、まだ手元には届いていません。
今回は、皆さんがあまり回らない、石橋を紹介しましたが、中川沿いには、まだまだ、大井
手橋、編笠橋、古橋町、一覧橋、芉原(すすきはら)橋、東新橋、魚市橋、眼鏡橋、袋橋、常
磐橋等あり、一つ一つに歴史があり、面白いのですが、また、機会があったら、ご紹介しま
す。
(「九州の石橋をたずねて~矢口裕造著」より」)
今回は、写真を撮りながらブラブラ歩いて行ったので、2~3時間ほどかかりましたが、史
跡は、車とか、観光バスで回っても、見ただけに終わりますネ。
やはり、きちんと調べて、足で歩いて見て歩くのが、一番良いですネ。最も、私も歳なので、
車で回ることが多く、今回は反省をし、勉強させていただきました 。
参考・文引用:「中島川遠眼鏡」「九州の石橋を訪ねて」「長崎事典」「長崎古今集覧名勝
図絵」「ふるさとの思い出 写真集 長崎」、「長崎歴史文化観光検定公式テキストブック」
「長崎事典」各説明版より)
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