いつかも書きましたが、雲仙市は、国見町から南串山町までの7ヶ町の合併。昨年から、一
緒に勉強しようと、「雲仙市の歴史を学ぶ会」が発足。今日は定例会の講演会で、演題が
「キリシタンが弾圧に耐え守り続けてきたのはキリスト教信仰だったのか」。
講師は、長崎純心大学 宮崎賢太郎先生。自分でも、話されましたが、祖先はカクレキリシ
タンだったという事です。
普通、カクレキリシタンと言う言葉を使いますが、日本におけるキリシタンの流れです。宮崎
先生の資料からのコピーです
1549年に、フランシスコ・ザビエルが日本に上陸。1563年、大村藩の大村純忠が、日本
で初めてのキリシタン大名となり、各大名も洗礼を受けます。
高山右近は領地を捨て、キリシタンとして生きる道を選びますが、マニラに国外追放になり
ます。後の大名は棄教します。大名で、キリスト教を本当に信仰していたのは、高山右近だ
けのようです。
1644年、正式に叙階された日本人最後の司祭、小西マンショが殉死します。これ以後、
日本には、神父等がいない状態で、正式にキリスト教を教える者がいなくなり、キリスト教を
教える書物等も見つかると、刑罰が科せられますから、無くなり、キリスト教の教えなどは
ほとんど口伝になります。
1859年、米国聖公会からプロテスタントの宣教師、ジョンリ・リギンズ、チャニング・ウィリア
ムズが来日します。
1873年、明治6年、キリスト教が解禁されます。一概に「カクレキリシタン」と言いますが、
この間の事を「潜伏キリシタン」と言います。
この後、「潜伏キリシタン」の人々が、キリシタン教会に戻って、正式に受洗を受けた者、教
会に戻らず、先祖からの「キリシタン」の教えを守る者が出てきますが、この、後者を「カクレ
キリシタン」と言います。
さて、少し戻って、大名の大村純忠等がキリシタンになったのは、ポルトガルから期待され
る収益のためで(ヴァリアーノ「日本巡察記)、家臣、民衆はキリスト教に改宗されます。
大村領内、6万人の全領民がキリシタンになり、87の教会が存在したと言います。
現在、日本で、カソリックになる方は、洗礼を受けた方から亡くなった方を引くと、3000名
程度だそうで、この6万人と言う数字には驚きますが・・・・
1578年から36年間神父を務めた、アフォンソ・デ・ルセナは、以下のように書いているそ
うです。
「私が大村に来る2,3年前に、この殿は全民衆キリシタンになること、もしそれを希望しな
いならこの領地を出ていくことを通知し、命令した。・・・・・・・それだから私が大村にきたとき
にはすでに全領民がキリシタンであった。しかし、彼らはキリシタンの諸事については洗礼
を受けるのに必要なこと以外は何も知らなかった。」
最近出版された宮崎先生の本と、長崎県教育委員会が調査した「長崎県のカクレキリシタ
ン」。宮崎先生が、主任調査委員になっています。
宮崎先生は、書物に出るような、キリシタン関係者ではなく、庶民のキリシタンがどうであっ
たかを書いています。すなわち、上に書いたように、「彼らはキリシタンの諸事については
洗礼を受けるのに必要なこと以外は何も知らなかった。」
庶民が本当に、キリシタンのことを理解していたかどうか。そして、カクレキリシタンの事に
ついて語られましたが、結論として、キリシタンにはキリシタンである事の定義があり、カク
レキリシタンは、その定義に当てはまるところがなく、本来のキリシタンではない、という事
でした。
さて、この考えと同じような本が、遠藤周作の本にもあります。
「したがって日本切支丹たちがキリスト教の教義をどの程度まで学び、それを理解しえたの
かは私たちにとって大きな問題である。・・・・・教義書を日本人の一般の切支丹たちが充
分、理解しえたかはどうかはまた別問題である。」
教義書として作られた有名なもので「ドチリイナ=切支丹」があります。弟子と師の問答形
式ですが・・・
弟子 みいさ(ミサ)とは何事ぞ。
師 御主ぜず・きりしと(イエス・キリスト)の御色身と御血とともに、さきりひいしょ(犠
牲)としてでうす・ぱあでれ(父なる神)に生きたる人死したる人のために捧げ奉らるるさきり
ひしょ也。これ即ち御主ぜず・きりひとの御一生涯の御所作と御ばしょむ(受難)とを思ひ出
させ給わん為に、定めをき玉ふ者也。<( )内の訳語は遠藤)(切支丹時代~遠藤周作
著より)
これ、分かりますか。まして、当時の庶民は。
「私は今日のかくれ切支丹の宗教は一見、基督教からその形を取っているが、内容におい
ては基督教とはあまり関係の無い土俗宗教だと言った。」しかし、この土俗宗教が興味と意
味があるのは、「宣教師や教会という肥料を絶たれると、どのように変形しているのかと言
った。」という事で、
「・・・・・その変形は日本的であり、日本人の宗教意識に即したものであったゆえにかくれ
切支丹の宗教は彼らにとって仮物ではなく本物となったものである。・・・・・神父も教会もな
い地の果てで彼等が守りつづけたこの宗教を基督教から批判するのはやさしいが、しか
し我々は彼等から学ぶ点があるのである。彼等は我々に基督教が土着化するためにはど
のような変形をするのかの良所と欠点を共に教えてくれたからである。」
遠藤周作氏の結論です。
さて、「潜伏キリシタン」が、解禁されたにもかかわらず、なぜ教会に戻らなかったのか、宮
崎先生は次のように書いています。要約すると
❶ 先祖が命をかけて守り続け、意味が分からなくとも、忠実に継承して行くことが、先祖の
供養になること。
❷ カクレをやめて他の宗教に変わりたくとも、従来からの人間関係を良好に保って行くた
め。(同地区の人々が、同じカクレキリシタンです)
❸ カクレキリシタンの役職者は高い地位を有しており、カトリックに改宗すれば、ただの信
徒になり、何らメリットがない。
❹ 潜伏時代にカクレであることを、知らぬふりをして助けてくれた仏教に対して大きな恩義
があるので縁をきることはできない。(だから、キリスト教会には戻れない。)
❺ カクレを止めたり、カクレの神様を捨てればタタリがある。
「最も本質的なものは、先祖崇拝、奇跡信仰、タタリ信仰にあるのではないかと考えていま
す。」と書いてあります。
質問の時間、カクレキリシタンで有名な所で、宴会に出た人からの話で(その人は、それま
で、カクレキリシタンの地域と知らなかったそうですが)、宴会前に仏壇に「アーメン」と祈る
ので、ビックリしたところ、仏壇の中から、十字架を取りだして見せたそうです。
「あんた方は、二つも信仰しているのか」と言ったところ、「あんたの家も、仏壇と神棚と、二
つ祀っているだろうが、同じ事だ」と言われたそうです。やはり。日本には八百万の神がい
る所ですかネ。
話が、どうも纏まりませんでしたが、詳しくは、上記の本をお読みください。
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