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2014年5月21日 (水)

蛭子(能収)さん、ごめんなさい~古事記の蛭子(ヒルコ)より

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先日、「千々石海岸を歩けば」という事で、千々石海岸のことを書きましたが、その際、上

の恵比須さんについて、「恵比須さんですね。蛭子(能収)さんではありません。」と書きま

したが、これが大間違い。


先日、紹介しましたが、検査入院で読みかけの「古事記」の入門書を持っていったのです

が、

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この中で、イザナギとイザナミの初めての子が、「ヒルコ(蛭子)だった。ヒルコいう名前は

虫の蛭からきており体が不完全な赤ん坊を意味する。」という事で、イザナギとイザナミ

は、この「ヒルコ」を葦舟に乗せ、海に流してしまったそうですが、この「ヒルコ」がどうなった

かは、「古事記」にも「日本書紀」にも書いてないそうです。


しかし、流れ着いたのが全国の、えびす神社の総本山で、「蛭子」を主祭神としている西宮

市の西宮神社。そこで、神様として信仰されるようになったそうです。(西宮神社のホーム

ページでは、「第一殿(東) えびす大神(蛭児大神)」。


蛭子(ヒルコ)は「えびす」とも読まれ、中世には、恵比須として漁民に信仰されるようになっ

たそうです。


さて、なぜ、蛭子を「えびす」と読むのか、「民俗信仰の世界にヒントがある。昔から漁民の

間では、岸に打ち上げられた漂流物、たとえば珍しい形の物や、鯨など海獣の死体、漁の

最中に発見した水死体などを、『エビス』と呼ぶ風習があった。」ということで、「えびす」と言

う読みを持つ「夷」「戎」「胡」は、もともと遠い海からやって来た異民族を表す言葉で、海を

流れてきた「ヒルコ」を「えびす」と呼んだということだそうです。


ですから、蛭子(能収)さんは、イザナギ、イザナミの血を引く、やんごとなき方で有り、「蛭

子(能収)さんではありません」という、私の表現は全く恥とするところでありました。

蛭子さん、誠に申し訳ありませんでした。でも、あの、のっぺりした感じは、蛭子(ヒルコ)を

思わせるものがありますネ。再び、失礼しました。


【おまけ】

石の上に、二つ仲良くチョコンと並んで咲いていました。ウチも、こんなんだと良いです

が・・・・

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(文引用:「とんでもんなく面白い『古事記』」~斎籐英喜著より)

 



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