蛭子(能収)さん、ごめんなさい~古事記の蛭子(ヒルコ)より
先日、「千々石海岸を歩けば」という事で、千々石海岸のことを書きましたが、その際、上
の恵比須さんについて、「恵比須さんですね。蛭子(能収)さんではありません。」と書きま
したが、これが大間違い。
先日、紹介しましたが、検査入院で読みかけの「古事記」の入門書を持っていったのです
が、
この中で、イザナギとイザナミの初めての子が、「ヒルコ(蛭子)だった。ヒルコいう名前は
虫の蛭からきており体が不完全な赤ん坊を意味する。」という事で、イザナギとイザナミ
は、この「ヒルコ」を葦舟に乗せ、海に流してしまったそうですが、この「ヒルコ」がどうなった
かは、「古事記」にも「日本書紀」にも書いてないそうです。
しかし、流れ着いたのが全国の、えびす神社の総本山で、「蛭子」を主祭神としている西宮
市の西宮神社。そこで、神様として信仰されるようになったそうです。(西宮神社のホーム
ページでは、「第一殿(東) えびす大神(蛭児大神)」。
蛭子(ヒルコ)は「えびす」とも読まれ、中世には、恵比須として漁民に信仰されるようになっ
たそうです。
さて、なぜ、蛭子を「えびす」と読むのか、「民俗信仰の世界にヒントがある。昔から漁民の
間では、岸に打ち上げられた漂流物、たとえば珍しい形の物や、鯨など海獣の死体、漁の
最中に発見した水死体などを、『エビス』と呼ぶ風習があった。」ということで、「えびす」と言
う読みを持つ「夷」「戎」「胡」は、もともと遠い海からやって来た異民族を表す言葉で、海を
流れてきた「ヒルコ」を「えびす」と呼んだということだそうです。
ですから、蛭子(能収)さんは、イザナギ、イザナミの血を引く、やんごとなき方で有り、「蛭
子(能収)さんではありません」という、私の表現は全く恥とするところでありました。
蛭子さん、誠に申し訳ありませんでした。でも、あの、のっぺりした感じは、蛭子(ヒルコ)を
思わせるものがありますネ。再び、失礼しました。
【おまけ】
石の上に、二つ仲良くチョコンと並んで咲いていました。ウチも、こんなんだと良いです
が・・・・
(文引用:「とんでもんなく面白い『古事記』」~斎籐英喜著より)
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