八坂神社の天井絵~諫早市
諫早の八坂神社。昔、このあたりで飲み歩いていたのですが・・・・・この神社に天井絵が
あるというので、出かけて見ました。
以前、「江の浦・熊野神社の天井絵」を紹介しましたが、江の浦の神社の天井絵は、明治
39年に奉納されたもので、こちらは、明治36年より以前に天井に張り付けられたとの
事。こちらの天井絵は、八十島叉橋(やそしましやきょう)が描いたとと伝えられいますの
で、年代的にも、ほとんど同時代であり、ひょっとしたら・・・・・同じ人物が描いたものか?
八坂神社は、アーケード街のすぐ近くにあります。鳥居は三本継ぎのものですが、意外と
新しく、大正2年のものでした。本殿の屋根の上、シートが張ってありますが、シロアリにか
なりやられたらしく、雨漏りがするそうです。
本殿の天井を見たら、なにも描いてなく、神社の方がおられたので尋ねたら、神社の中殿
(拝殿と本殿を繋ぐところ)にあるということで、見たら、一番上の写真。
残念ながら、江の浦の熊野神社の天井絵とは、絵柄が違っていました。絵は人物、動物、
植物等幅広く描かれています。
資料を捜していたら、「諫江百話~諫早史談会二十五周年記念刊行委員会・昭和堂印刷
設立四十周年記念実行委員会 編集・刊行」に載っており、以下、それによると、この板
絵の時期、動機もよく分からないそうですが、神社の改修以前はもっと多数あったそうで、
明治36年以前より作成され、天井に飾り付けられた可能性が高いと思われるそうです。
なお、「絵には、制作者の儒教的教養の高さが反映しております。」とあり、絵には文章が
書いてありますが、この意味は残念ながら私には、分かりませんでした・・・
さて、作者と思われる、八十島叉橋は、「神社に近い田町(栄町)の松の馬場そばに住ん
でいましたので、八坂神社の氏子でした。」とあり、明治7年の諫早学校(小学校)設立に
関する伺い書の中に、八十島叉橋のものと見られる履歴書がおさめられているということ
で
天保3年9月生まれ、幼年から絵画を学び、福田渭水に就いて儒学を学んでいます。
嘉永2年、京の日根対山に絵画を学び、あわせて牧善助の元で儒教を学び、嘉永5年か
ら各地を遊歴。
その後播磨林田藩儒教者河野絢夫につき儒教を学び、長崎で、清人画家除雨亭にあい
画風が一変したとのことです。
各所で、儒教を勉強していますから、それが、「儒教的教養の高さ」と結びついて絵に反映
されたものでしょう。
さて、見終わって、お堂の横を見ると、恵比寿様と板碑がずらり。話を聞いたら、このあた
り、昔は漁業に関係あり、あちらこちらに恵比寿様は見るのですが、道路の整備、住宅の
造成と、行き所がなくなり、こちらの方に置いてもらったそうです。
中には、首がコンクリーでつなげた恵比須様などあり、多分、神仏分離に伴う、廃仏毀釈
運動の影響でしょう。
なお、灯明をみたら、どういうわけか、潜伏キリシタン研究者の好きな、「延享二(1745)
乙丑天九月吉日」と「天」を使っておりましたが、諫早はキリシタンとはほとんど関係はない
のですが、なぜ、この「天」を使っているのか、由来を知りたいものです。
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