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2014年5月30日 (金)

2014 大村公園・花菖蒲情報(5月30日)~大村市

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大村公園の菖蒲情報をネットで見ると、5月21日がちらほら、5月26日が3分咲き、5月

27日が5分咲きという事で、今日は5月30日。八分咲き程度になったかな、と思っていっ

たら、まだ5分咲きの看板。


ここ大村公園のお城、「大村城」ではありません。「玖島城」です。ちゃんと、標柱も建ってい

ます。


先日、某放送局のローカルニュースで、「大村城の菖蒲も咲き始め・・・」とやっていました

が、アナウンサーが悪いのか、台本書いた人が間違ったのか・・・しっかり調べて欲しいも

のです。

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さて、菖蒲は十分に咲いているところ、まだまだの所ありましたが、十分に楽しめる程度に

は咲いていました。

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菖蒲は「伊勢系」とか「江戸系」とか「肥後系」とかありますが、見ながら比べていくのも、楽

しいもの。

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さて、ほとんどの方が、菖蒲だけご覧になって帰るので、少しほかの所を。大村神社と、国

定天然記念物の「大村神社のオオムラザクラ」。


昭和16年、大村の女子師範学校の先生、外山三郎氏(のち長崎大学名誉教授)によっ

て、学会に報告され、命名された、八重桜の一種です。昭和42年に国の天然記念物に指

定。


現在、花は咲いていませんでしたが、神社の方に聞くと、咲くのは来年の春だそうです(あ

たりまえだけど)。

Photo_15 Photo_16

搦手門。いざというとき、領主などが、ここから城外に逃げられるようになっています。

右は台所門。藩主の住居を俗に「お台所」といいますが、その出入り口にあった門を台所

門と言います。良く知っているって?説明版に書いてありました。

Photo_18 Photo_19

左は、珍しいもので、「貝吹石」。萱瀬村から寄付されたもので、龍造寺晴信から萱瀬村が

おそわれた時、同村の郷士等が砦に籠もり、この石の穴を吹いて合図の陣具に代用し、敵

を退けたという伝説があるそうです。


小さな穴の方を吹くと、ほら貝の音が出るそうです。誰もいなかったので、本当かどうか吹

いてみたら、本当に音が出ました(元吹奏楽やってましたから、ここら辺は得意)。


本丸に登る階段ですが、登りやすいですね。城によっては、階段の幅が歩幅に合わないよ

うに、登りにくく、作った所があるのですが、この階段だったら戦の時、一気に登って行ける

ので不利なのでは?最も、この先、道が曲がりくねっていますから、そうやすやすとは攻め

込まれないでしょうが・・・・・

Photo_23 Photo_22

多分この土、日曜日は混み合うと思いますので、お出かけは、お早めに。


なお、写真を撮るなら、一番上の所ですね。手前の菖蒲がもう少し咲いていたら、良かった

のですが。菖蒲があって、松があって、サツキがあって、城郭があって、青空が広がってい

て・・・・・・・一人で来るんじゃなかった。カミサンは他の所にお出かけでしたが。

Photo_24

大村といえば、「大村ずし」。ちゃんと、カミサンの分も、買っていきましたが、お礼の一つも

ありませんでした・・・・・・

(参考・文引用:各説明板より)




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コメント

亡き母の生家 「北有馬 八木家」を入力したら 貴男様のブログに辿りつきました。母から
生前に よく 伺っておけば良かったと 思いつつおりました。
でも   島原のことが一目瞭然に分かる 素晴らしい ブログに出会いました。
ゆっくり 閲覧させて下さい。
島原へは 幾度がお邪魔したのですが、
母の生家は既になく、母の幼い頃の話を総合しながら、回ったものです。
母は1914年生まれで近所に 親族の方がいらっしゃいましたが もう 他界された方が多く
縁が薄くなってきました。

こちらも、一昨年、父母を亡くし、今になって、先祖のことを聞いておけば良かったと悔やんでおります。
北有馬町は、小学校が全部統合して、1校のみになりました。
日野江城があるために、世界遺産登録に向けて、皆さん頑張っておられます。

sugikanさん、ご無沙汰いたしました。2013年3月22日、橘中佐の銅像に因んで千々石での幼年時代のことをコメントさせた頂いた者です。先ほど久し振りにこのHPにお邪魔したら大村のことが載っていたので嬉しくなりました。実は大村は私の郷里です。両親の墓も大村にあり、毎年大村に帰省しています。今年は4月下旬、法事のため帰省しました。画像にあった「大村ずし」、同じものを帰りの空港で買って経由地の神戸で美味しく頂きましたよ。ところでsugikanさんは千々石の「田中又蔵商店」のことをご存知ありませんか?昨年の3月橘神社に参拝したあと、店を探したのですが見つけることが出来ませんでした。これからもsugikanさんのブログ楽しみにしております。

は~い、今日は。
大村の菖蒲、なかなか良かったですよ。大村寿司も美味しくいただきました。

>千々石の「田中又蔵商店」
多分「麩屋」さんだったと思いますが、田中又蔵さんは、かなり以前、亡くなられています。
長男の方が継いだみたいですが、うまくいかず、閉店になりました。
場所は、現在「千々石斎場」になっています。天川屋から、少し海側に行ったところで、すぐに分かると思います。

sugikanさん、麩の製造販売業だった「田中商店」のこと、お知らせ頂いて有難うございました。跡地の「千々石斎場」、グーグル地図のストリートビューで確認しました。「田中商店」の裏にあった製材所も無くなっていて、記憶に残っている当時の風景とはかなり変わっています。そうそう「田中商店」の長崎市内の店はネットで調べたら今でも残っているようです。

ところで5/29のsugikanさんの「前立腺癌」の話、私も同じ経験をしたので全く同感です。生検は1回目が2003年、2回目が去年6月と何れも北里大病院に1泊入院(下半身麻酔のため)で受けました。結果はsugikanさん同様ガンは見つかりませんでした。この歳で異常が無ければもう前立腺癌は心配しなくても大丈夫でしょう。それにしても前立腺肥大症、夜中のトイレが大変です。

村 上 昇 徹 様

追伸です。
上岳、ヤマメの里の入り口近くに、「田中又造商店」の製造所があります、商店街の店をたたんだ時、こちらに移ってきたみたいで、お孫さんがやられているみたいな話です。

千々石は、昨月、宮本本屋さんが閉店しました。伊東文具店も数年前閉店で、ちょっとした文房具を買いに行くのも、不便をしています。久保田ちゃんぽん屋さん、城代停留所、山口ストアーも閉店でさびれていくばかりです。

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