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2014年4月22日 (火)

「新長崎市史」~勝海舟・坂本龍馬の道をめぐって?

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本当にバカですね。先日「大村市史」を買い、「諫早市史(現在、新しいものが出版されて

ないため中古で、いわずと知れた高価本)」を買い、昨日は「有明町史」(現在は合併で島

原市)、今日は「長崎市史」と買い集め、ろくに読みもしないのに・・・・・キャバクラで遊んだ

方が良かったか heart02heart02 。


長崎市史は、カラー版であり、一冊なんと8000円。全巻4巻ですから、8000円×4巻

でいくらになるか、分かりますね。さすがに、全部は買い切れず、「近代」と「現代」は、パス

して、上の二巻を買いました。


長崎市はこれまで、大正から昭和にかけての「長崎市史」に始まり、「長崎市制五十年」、

「長崎市制六十五年史」、「長崎市史年表」、「市制百年長崎年表」を刊行。平成21年の

市制施行120周年を契機に「新長崎市史」を刊行したそうです。我が雲仙市は、いつに

なることやら、「市制1000年史」ぐらいかな?


さて、関係の所を読んでみると、???。


「元治元年(1864)勝海舟と坂本龍馬一行も長崎を訪れているが、往路は2月22日島原

港を発ち、陸路、神代村を経由、その日は愛津村(雲仙市愛野町)に宿泊、23日矢上宿

を経由、長崎に到着している。復路も4月5日長崎を発ち、その日愛津村に宿泊、6日に

島原港を出港している。」(下線は私が引いたもの)とあります。


島原から長崎に行くには

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(「長崎龍馬の道活用広域観光推進協議会」刊、「龍馬の道」パンフレットより)


白の矢印、「北目道」と、黒の矢印「千々石道」があり、北目道は緩やか、千々石道は、山

越えの急な道になります。ただ、距離的には、北目道と千々石道では、かなりの違いがあ

り、千々石道の方が、近道になります。勝海舟一行はこの時、急いでいます。神代は、遠

回りの北目道にあります。


長崎市史では、往路、復路とも「北目道」説をとっていますが、地元では、往路は千々石

道、復路は北目道という説をとっています。


根拠は、「勝海舟日記」にあり、この日記、刊行jされていて、長崎図書館から借りて、コピ

ーしていたのですが、どこへやったのか、本当に歳はとりたくないもの。


「長崎龍馬の道活用広域観光推進協議会」から出しているパンフレットに、書いてあった

ので借用して、往路について


「少しでも距離が短い山沿いのちぢわ(千々石)道を通ったという説がある。」ということで、

勝海舟日記から引用して


「大石雑わり、小石、道路満ちて甚だ悪し、雲仙の獄、噴出せしによるか、西洋に云うラア

ミ(溶岩)年を経しものならむ。」と書いてあります。


雲仙は、噴火をしていますから、道は荒れているはずで、北目道のように、歩きやすい道

ではありません。確か日記では次いで、「会津泊(愛津ではなく会津との記憶があります)」

とのみ書いてあり、途中の経路については、まったく書いてなかった覚えがあります。


なお、復路は「鍋島日記」(神代の鍋島家)で、一行20名ばかり、休憩を取ったとの記述

がありますから、復路は北目道を通った事は間違いありません。


復路で、記録があるなら、公のことですから、往路の事も「鍋島日記」に書いてあるはずで

すが、これに言及したものは無いようです。


なお、「長崎龍馬の道活用広域観光推進協議会」の「龍馬の道 道標」に変なことが書い

てあり、


「神代鍋島家の4月20日付『鍋島日記』に次のような記載があります。(下線は私)

『公役人長崎江御用筋ニ而罷越候段(中略)神代江休之由ニ付町内休所割付手当相成

候事』

海舟一行は神代鍋島家の計らいで、街道をはずれ神代小路で休息を取ったようです。」

と書いてありますが、勝海舟一行が島原に着いたのが、確か2月22日あたりですから、

日にちが全然違い、上記の文章は、違う一行の事では?


なお、同協議会が出している、別パンフレット、「龍馬之道」では、ちゃんと、2月になってい

ました。


「島原半島の歴史~松尾卓次監修」では、帰路につき、現代語訳にされたものですが


「(四月五日、小雨後晴)最前長崎へ罷りこされた公役人が今昼別当で休まれ(略)休所

手当ていたす。一、御軍艦奉行並勝麟太郎上下弐十人(略)」この二十人の中に坂本龍

馬が含まれていた。」


とあり、この文章の方が、本当の事です。私も「勝海舟日記」で読んだ事を覚えています。

いずれにしても、歴史的な事物は、はっきりしないところが多いのですが、しっかりと調べ

て欲しいものです。私のブログも、後で読み返してかなり、ポカをしていますが・・・・いつも

のように、 ヾ(_ _*)ハンセイ・・・


なお、日記は後世の人が迷わないように、しっかりつけておきましょう。まあ、あまり偉くな

い人には関係ないけど bleah 。








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コメント

私は最初から「長崎市史」を購入するつもりは無くすべて図書館で借りて読んでいます

何せ長崎市内にある50ヶ所以上の図書館・図書室にはだいたい置いていますし、それほど人気がないみたいでいつでも借りることが出来ますから^^;

残念ながら、こちらには一冊もおいてありません。
なお、郷土誌を集めるのは、私の趣味です。金になるのもあるし・・・ヽ(´▽`)/

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