「島原城跡公園災害復旧工事竣工式」~島原市
何回か写真を出しましたが、復旧なった石垣です。2年前だったか、豪雨で崩れ、直るの
かな、と思っていたら、期日どうりに完成。崩壊した所と、崩壊していない所が分かると思
います。
昨日、復旧工事の竣工式が行われ、これに伴い、基調講演、シンポジュームが行われ、
話を聞いたら、はやり餅屋は餅屋。単なる城だと思ったら、専門家の目は違いますね。こ
の城を、見直してしまいました。
頭に残った事などを。
この城は、国指定でも、県指定でもありませんが、専門家の目から見たら、なぜ、この城
が国の指定にならないか、不思議だそうです。
復旧のための委員と、現場でのチーフの皆さん。
崩壊した石垣の部分ですが、幸いに、以前撮った空中写真があり、崩れ落ちた石垣の一
つ一つが、どこに当てはまるか、比べたそうですが、この作業が一番大変だったらしく、こ
れだけで、2~3ヶ月かかったそうです。
ジグゾーパズルと言っていましたが、ジグゾーパズルなら、絵柄が出て正解かどうか、分
かりますが、これは、素人には全然分かりません。なにしろ、同じような石が、600~700
個あったと言いますから。
このシンポジュームのなかで、「城が悲鳴あげていた」という発言がありましたが、島原城
は、復元後、多くの施設を上に作り、駐車場も舗装されていますが、これらが、元来の城
の機能を変えてしまったのではないか?排水も偏って、そのための崩落ではなかったかと
のことで、今後どうするか?従来の形に戻していくのか?
城を作る時、権威を示すためのモニュメントととして、巨石、鏡石を使うそうですが、他の
城にも見られないような、巨石が使われているそうで、写真、上右の石、今までそこにあ
った、自然石を利用したと思っていたら、これも、石垣の巨石の一つだそうです。
この辺は二の丸から、本丸に行くところで、観光客の方はほとんど、来ないところです。
重機も無い時代、どうして積み上げたのでしょう?
これは、平成19年に、島原城を研究された、U氏の島原城の防御構造の一つで、スライド
で写したものを撮影したものですが、赤の部分が本丸に辿り着くまでの道順です。
二の丸の橋を渡って、現在は文化会館、森岳公民館が建っているところを通って、二の丸
から、本丸までは橋を渡り、また、曲がりくねった道を通り、やっと本丸に辿り着きますが、
思うように直進できず、この間、攻め手は両側から鉄炮、投石などで攻められ、戦力が削
がれるわけです。「近世城郭では最高水準の防御構造」だそうです。
いざとなったら、二の丸、本丸の間の橋を壊してしまえば、本丸は独立してしまう、という事
になります。
二の丸から、本丸に至る橋が、大体ここらあたりに架かっていたそうです。(二の丸跡に建
てられた、文化会館裏手側にあります。橋がどこに架かっていたか、標識があると、あ
りがたいのですが・・・・
参加者の方から質問があり、毎日散歩をしているが、石垣近くの松が大きくなりすぎ、根
が張って、台風等の時、倒木し、一緒に石垣が壊れないかというもの。
これに対し、城の石垣が崩れる原因の67%が、そのような事で崩れているとか。それに
対するマニュアルなどは無いそうです。
景観は松があった方が良いのですが・・・・・古人曰く「城には松が良く似合う、私にはカミ
サンが良く似合う 」
シンポジュームの後、現場で、記念式典。餅つき、餅播き。例によって、どこにでも顔を出
す、長崎「がんばらんば国体」、マスコットの、がんばくんと、らんばちゃん。
とにかく、この他いろいろな話がありましたが、専門家の意見を聞いて、見直しました。
城の詳しいことついては、観光ボランティアさんがいて、研修をして、いろいろ学んでいま
すので、城を訪ねる場合は、ボランティアさんにお願いした方が、良いのではないかと思い
ます。まだまだ、隠された謎が多いような城です。
なお、この城は現在、観光関係の部署が管轄しており、文化財担当はほとんどタッチして
ないそうです。文化財というより、観光資源として見ているような感じで、話によれば、50
年で27億円稼いだそうでが、文化財としての見直しも、本格的に必要な感じがしました。
ただ、七万石の城にしては、立派すぎる城だとか。このために、島原半島の住民は重税、
苦役で困窮し、原城一揆が起こるのですが・・・・
追伸です。島原城の石垣は、島原半島の各城から運んで、集めたものです。
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こんにちは。
復旧竣工おめでとうございます。こうした復旧の過程で得られた新たな知見をもとに、この城の由緒や価値が対外的に認められていけば、史跡指定への道が開かれていくのではないでしょうか。
投稿: kanageohis1964 | 2014年4月22日 (火) 07時13分
コメントありがとうございます。
問題は、行政が観光として捉えてきたことで、文化財関係がほとんどタッチ出来なかったことです。
石垣の崩壊と云うことから、この城の本来の姿が分かりつつあるということで、崩壊は逆の意味で、もう一度、城のことを考える、良い機会だと思いました。
私も、今後のことを期待しています。城についての説明版がもっと欲しいのですが・・・・
投稿: sugikan | 2014年4月22日 (火) 23時56分