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2014年4月21日 (月)

「島原城跡公園災害復旧工事竣工式」~島原市

Photo

何回か写真を出しましたが、復旧なった石垣です。2年前だったか、豪雨で崩れ、直るの

かな、と思っていたら、期日どうりに完成。崩壊した所と、崩壊していない所が分かると思

います。


昨日、復旧工事の竣工式が行われ、これに伴い、基調講演、シンポジュームが行われ、

話を聞いたら、はやり餅屋は餅屋。単なる城だと思ったら、専門家の目は違いますね。こ

の城を、見直してしまいました。


頭に残った事などを。

この城は、国指定でも、県指定でもありませんが、専門家の目から見たら、なぜ、この城

が国の指定にならないか、不思議だそうです。

復旧のための委員と、現場でのチーフの皆さん。

Photo_2

崩壊した石垣の部分ですが、幸いに、以前撮った空中写真があり、崩れ落ちた石垣の一

つ一つが、どこに当てはまるか、比べたそうですが、この作業が一番大変だったらしく、こ

れだけで、2~3ヶ月かかったそうです。


ジグゾーパズルと言っていましたが、ジグゾーパズルなら、絵柄が出て正解かどうか、分

かりますが、これは、素人には全然分かりません。なにしろ、同じような石が、600~700

個あったと言いますから。

P4200361 Photo_3

このシンポジュームのなかで、「城が悲鳴あげていた」という発言がありましたが、島原城

は、復元後、多くの施設を上に作り、駐車場も舗装されていますが、これらが、元来の城

の機能を変えてしまったのではないか?排水も偏って、そのための崩落ではなかったかと

のことで、今後どうするか?従来の形に戻していくのか?


城を作る時、権威を示すためのモニュメントととして、巨石、鏡石を使うそうですが、他の

城にも見られないような、巨石が使われているそうで、写真、上右の石、今までそこにあ

った、自然石を利用したと思っていたら、これも、石垣の巨石の一つだそうです。


この辺は二の丸から、本丸に行くところで、観光客の方はほとんど、来ないところです。

重機も無い時代、どうして積み上げたのでしょう?

Photo_4 Photo_5

Photo_6 Photo_7

これは、平成19年に、島原城を研究された、U氏の島原城の防御構造の一つで、スライド

で写したものを撮影したものですが、赤の部分が本丸に辿り着くまでの道順です。


二の丸の橋を渡って、現在は文化会館、森岳公民館が建っているところを通って、二の丸

から、本丸までは橋を渡り、また、曲がりくねった道を通り、やっと本丸に辿り着きますが、

思うように直進できず、この間、攻め手は両側から鉄炮、投石などで攻められ、戦力が削

がれるわけです。「近世城郭では最高水準の防御構造」だそうです。


いざとなったら、二の丸、本丸の間の橋を壊してしまえば、本丸は独立してしまう、という事

になります。

Photo_8

二の丸から、本丸に至る橋が、大体ここらあたりに架かっていたそうです。(二の丸跡に建

てられた、文化会館裏手側にあります。橋がどこに架かっていたか、標識があると、あ

りがたいのですが・・・・

Photo_9

参加者の方から質問があり、毎日散歩をしているが、石垣近くの松が大きくなりすぎ、根

が張って、台風等の時、倒木し、一緒に石垣が壊れないかというもの。


これに対し、城の石垣が崩れる原因の67%が、そのような事で崩れているとか。それに

対するマニュアルなどは無いそうです。


景観は松があった方が良いのですが・・・・・古人曰く「城には松が良く似合う、私にはカミ

サンが良く似合う  」

Photo_10

シンポジュームの後、現場で、記念式典。餅つき、餅播き。例によって、どこにでも顔を出

す、長崎「がんばらんば国体」、マスコットの、がんばくんと、らんばちゃん。

Photo_13 Photo_14

とにかく、この他いろいろな話がありましたが、専門家の意見を聞いて、見直しました。

城の詳しいことついては、観光ボランティアさんがいて、研修をして、いろいろ学んでいま

すので、城を訪ねる場合は、ボランティアさんにお願いした方が、良いのではないかと思い

ます。まだまだ、隠された謎が多いような城です。


なお、この城は現在、観光関係の部署が管轄しており、文化財担当はほとんどタッチして

ないそうです。文化財というより、観光資源として見ているような感じで、話によれば、50

年で27億円稼いだそうでが、文化財としての見直しも、本格的に必要な感じがしました。


ただ、七万石の城にしては、立派すぎる城だとか。このために、島原半島の住民は重税、

苦役で困窮し、原城一揆が起こるのですが・・・・


追伸です。島原城の石垣は、島原半島の各城から運んで、集めたものです。



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コメント

こんにちは。

復旧竣工おめでとうございます。こうした復旧の過程で得られた新たな知見をもとに、この城の由緒や価値が対外的に認められていけば、史跡指定への道が開かれていくのではないでしょうか。

コメントありがとうございます。
問題は、行政が観光として捉えてきたことで、文化財関係がほとんどタッチ出来なかったことです。
石垣の崩壊と云うことから、この城の本来の姿が分かりつつあるということで、崩壊は逆の意味で、もう一度、城のことを考える、良い機会だと思いました。
私も、今後のことを期待しています。城についての説明版がもっと欲しいのですが・・・・

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