千々石「豆なるな」と広田言証師~弘法大師と今弘法の話
以前、この天如塔については書いた所です。→こちらをクリック 「その1」 「その2」
海外で、「からゆきさん」として働いた女性達が、寄進をし、当時の、ここのお寺の住職、故
広田言証師が建てられたもので、百年ほど経ち、崩壊寸前の所、これではいけないと、寄
付を募り、修復工事をし、出来上がりました。内部は、もう少し工事中でしたが。
広田言証師は、不思議な力もあったようで、病気を治してくれと言われても、何も出来ない
からと、断っていたそうですが、病気の若者が、言証師の杖に触れると、病気が治ったと
いう事もあり、「これには、我ながら不思議にたえないと思っている」と、自分自身が感心し
たそうです。(島原のからゆきさん~倉橋正直著)
そのうち、信者も増え、主に弘法大師の教えに基づく、宗教活動をしていたことから、信者
さんから、現代版の弘法大師と評価され、「今弘法」と呼ばれるようになったそうです。
さて、弘法大師については、各地に伝説があり、水で困っている土地で、杖を立てたところ
から水が湧き上がったとか、温泉が出たとか、大体、良い話が多いようです。
千々石にも、弘法大師に関する話があり、こちらは、あまりいい話でなく、あちらこちら書
いてはありますが、平成10年刊の「千々石町郷土史」によると、以下のような話です。長
いので簡略して書きますが、
弘法大師が千々石を通った時、一軒の家に立ち寄ったところ、おばあさんが、大きな鍋で
何かを煮ており、たずねたところ、味噌を作るため大豆を煮ていると答えると、弘法大師
は、私にもご馳走して欲しいとお願いしたところ、断わられたそうです。
実は、釜の中で赤ん坊(昭和43年刊の千々石町史では「そしてその子はママ子であり、
主人が居らぬ間に煮て殺して居ることもわかった。」:原文のまま)を煮ており、弘法様は
大変怒られ、「村中を歩きながら、『サヤは出来ても実は入るな。サヤは出来ても実は入
るな。』と唱えながら村をでられたそうな。だからその後千々石では、大豆が出来なくなっ
たという。」と書いてあります。(大豆はなるんですが、と言うより、あまり作っていません
が・・・・)以上が千々石での伝説です。
これを聞いた「今弘法」の言証氏、自ら大豆半俵を担って村に出かけ、大豆を村人に配分
し、「大師様がいかに申されたか、わからぬが、その時分と今とは時勢が違う。まず、播い
てみよ。必ず実って、相当に収穫があるから」と言ったそうです。何となく、言証師の性格
が感じられる話です。
村人が、証言師の事を信じ、大豆を播いてみたら、相当な収穫をあげたそうですが、こち
らでは、あまり聞いた事も無く、また、お年寄りをつかまえて、調べてみましょう。
(参考・引用:「島原のからゆきさん・奇僧広田証言と大師堂~倉橋正直著より)
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