「長崎談叢」に見る戦時中の「浜屋」[岡政』の広告、他
この2,3日、カミサンが家に居着いて、何となく、気が滅入るので、図書館へ逃げ込み、
資料を探していたら、長崎史談会が書かれた「長崎談叢」(昭和43年復刻版 全五冊)が
置いてあり、パラパラめくっていたら、「濱屋」(現、浜屋)「岡政」の広告が載っていて、目
に入ったので。
長崎市でデパートといえば、「浜屋」と「岡政」、遅れて「玉屋」が開設。
「岡政」は経営難から、福岡大丸の傘下に入りますが、思わしくいかず、閉店。「玉屋」も昨
日閉店をしましたから、残るは「浜屋」のみになりました。
上の広告は、昭和14年のもの。第2次大戦は昭和11年~昭和20年ですから、戦争中
のものです。
地下、1階、2階の2階建てで、地下は、食料品、日用雑貨、1階は洋装品中心、2階は和
服関係が中心。
昭和15年の宣伝、上の宣伝とは1年しか違いませんが、「配給」、「国民服」の文字があ
り、戦時の感じがしてきます。
こちらは「岡政」(大丸)昭和16年の宣伝。一階では、「債権賣塲(場)」。「愛国債権」の文
字が見えます。
一階西側、「軍人會館」。在郷軍人、警防團、青年学校、婦人会の服装用具品の売り場で
す。
「兒童相談所」、「第二國民の教育・素行等に就いて毎週水曜日斯界の権威者が指導相
談」。デパートでこんな事もやっていたんですかね。いまも、やってみたら、どうでしょう。子
連れの若い奥様方も、買い物に来られますから。ついでに、ご相談も。
一階西側、「慰問袋賣塲」、出兵された方に、どんなものを送ったら喜ばれるか、季節毎に
研究して提供。これを、読むと戦争の影響が、全国民を包んでいくことが分かります。
戦争後の広告。昭和38年。絵で見ると4階建てみたいですが、今、何階建てでしたっけ?
たしか、エスカレーターが出来たのも、ここが初めてだった記憶があり、最初は、おっかな
くて乗れませんでした。
屋上に遊園地があり、メリーゴーラウンドか、飛行機がグルグル回る乗り物があった記憶
もあるのですが・・・・・
あの頃は、屋上が楽しみで、子どももたくさん遊びに来ていたのですが・・・・今はどうなの
かな?
おまけに。「丸善」。ありましたね。思案橋電停の近く、洋書がたくさんあり、高校の時良く
行きました。
昭和44年に開催された時の「十八銀行」での「長崎国体定期積立金」の宣伝。今年、国
体が長崎で開催されますが、これ、今度はやっているのかな?
さて、表紙を見ていると、南島原市加津佐のコレジョで印刷された、「サントスの御作業所
の内抜書」。説明に、昭和13年、加津佐の本(ママ、元が正解)山元造宅で、実物を見せ
ていただたものを、田川憲氏が、乾拓にとらせてもらったもの。
表紙は、多分一部をデザイン化したのもでしょうが、
加津佐の「加津佐郷土誌 加津佐史談」には、下のような写真が載っており、明らかに上
のとは違うことが分かります。
加津佐の郷土誌によると、「加津佐のコレジョに施設された活版印刷機によって印刷され
た書物は、『サントスの御作業の内抜き書第一』、『どちりなきりしたん』、『加津佐物語』な
どあったはずであったが、現物が現存しているのは前二者だけである。」と書いてあり、
「サントス・・・・・」はイギリスのボードレー図書館にただ一冊が秘蔵。
「どちりな、きりしたん」はローマのベルベリニ文庫に秘蔵されている由。
「加津佐物語」は現物はどこにも現存しないとのこと。
なお、「長崎叢書」によれば、この元山氏の銅販は、「島原城の資料館にあると聞いた。」
とあります。
この間、島原城の資料館に行ったばかりだったのですが、また、ボーと見ていたのかな?
気づきませんでした。また、行って見ようかな。
なお、この印刷物の価値については「加津佐史談」には、次の通り書いてあります。
一 印刷史上、日本最初の金属活字で本であること。
二 国語学史上、日本最初の西洋文学翻訳書であること。
三 宗教史上、日本最初の聖人伝であること。
庭の薔薇が一輪だけ咲いていました。薔薇と、といて、カミサンと解く。その心は、「どちら
も綺麗 トゲがある」。おそまつさまでした o(_ _)oペコッ
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