空照上人壹百日修行頭髪塚~雲仙市田代原
以前、空照上人については、少し触れたと思います。多分ダブル所があると思います
が・・・→以前記事はこちらをクリック
雲仙の高岩山の登り道の鳥居から、けもの道に入り、500m。天照上人(他に、天照法
師、天照さんの記述あり)の立像があり、いつか行くつもりが体調が悪く、ついに行ききれ
ませんでした、特に、これからの時期は蛇さんがでてくるので・・・・・
天照上人は、佐賀県東多久市の出身だそうで、当時、有馬村に住み、病気を治す霊験
を現していたそうですが、大正11年の島原大地震、12年の関東大震災などの天災があ
り、西有家では天照上人にお願いし、西有家八十八か所霊場の基礎を築きます。
像の大きさは、台回り1.2m四方、高さ1.5m、像は60~70 ㎝だそうです。さらに、ここか
ら、登ると、「びわの口」と呼ばれる巨石群があり、その石窟の中に、太子像があり、「西有
家四国奥の院一夜太子」像があり、この両方の像は、有家町見岳名の信者さんが作った
そうです。
特に太子像は、セメント、砂などを険しい山道を担ぎあげ、一夜にして作りあげたそうで
す。
この、空照上人は、雲仙最後の修験道者と言われ、百日修行をされたそうですが、この場
所が、上人が回峰修行をされた所だろうということです。修行は昭和6年に行われたそう
です。
以前にも書いた、雲仙別所ダム(鴛鴦の池)のパワースポット、大黒天の横にも空照法師
(こちらには法師の文字)の像。年代は、昭和6年1月29日。多分修行に関係して作られ
たものと思うのですが・・・・・
さて、話変わって、いま、島原から千々石にいたる街道、千々石道といいますが、島原の
お殿様が長崎まで通い、伊能忠敬が測量をしていった道であり、勝海舟、坂本龍馬一行
も通った道(これには異説あり)を少しうろうろして、田代原(藩政時代からの放牧場)の集
落を歩いていると、一番上の写真。
近頃、こんなものを見るとすぐに、調べる癖がつき、字を読んでみると、
「空照上人壹百日修行頭髪塚」。空照上人の百日修行の願を、讃えたたものでしょうが、
「え!こんな所に」、と思って建立者を見れば、
「三會村(三会、現在の島原市三会)信者一同謹建」。三会といえば、島原市の有明町と
の境で、一番端の所。
ということは、空照上人の名は、昔で言うと、西有家、有家、布津、深江、安中、島原市、
三会と、かなり広範囲に知れ渡っていたことが分かります。
田代原の管理人の方に聞くと、別の所に建てる予定が、都合があり、こちらに頼まれたと
のこと。
さて、空照上人の事も、この碑の意味も、すぐに忘れられ、私達の先人の歴史が段々薄
れていくことでしょう。
世界遺産の指定、ジオパークの指定と、それも結構なのですが、もっと、足元にも忘れて
はいけない歴史もたくさんあるのですが・・・・まあ、文化後進発展途上市としては・・・・・・
N市、I市、S市などと比べれば、遅れていますね・・・・
(参考・引用:「西有家町郷土史」「雲仙歴史散策資料~西久海著」より)
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