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2014年3月 8日 (土)

雲仙鉄道 31~第1号機関車? その四(最終回)

  Photo_3

上の写真、ウィキペディアに載っている写真で、何回もお見せしていますが、この機関車が

原型で、改造をされていきます。ウィキペディアにもう一枚、下の写真が載っており、改造

は、国鉄、島鉄両方で受けますが、この写真はいつ頃のものか、不明になっています。原

型の機関車と比べると、いかに変わったことか。(うちのカミサンもですが・・)


国鉄でどのように改造されたか、写真を探したのですが、ついに見つかりませんでした。

その折、You Tubeでなぜ、改造が必要だったのか、「迷列車【九州圏】♯25 島鉄1号機

関車」に説明があり、要点を書けば、1号機関車は、現在明治村で活躍している、160型

「12号機関車」と比べれば著しく劣っており、その原因として、異常に低い重心のボイラー

の据え付けにあったようで、明治17年、大阪に転用される際、神戸工場で、ボイラーの、

かさ上げ工事がおこなわれたそうです。


なお、島鉄にきても、煙室の扉、砂箱、蒸気ドームも替えたそうですが、これは、九州鉄道

の廃車になったものを使ったそうです。


又、同じくYou Tubeにて「鉄道博物館 1号機関車物語 開会の様子」がアップされていま

すが、鉄道博物館に問い合わせたところ、この機関車は明治30年仕様、すなわち明治1

7年に、改造された後の機関車になりますが、特に車高が、低く見えます。You Tubeを是

非ご覧下さい。

1501k

さて、いよいよ、この1号機関車が雲仙鉄道のレールを走ったかどうかですが、まこと

に残念でした。分かったのが、いつも参考にしている「島原鉄道100年史~夢ある未来を

めざして」の冊子でした。


最後の方に、「島原鉄道の100年のあゆみ」という事で、年譜が載っており、1927年(昭

和2年)、諫早~小浜間が乗り換えなしで良いように開通した年ですが、ここのところに、

「6.6 小浜鉄道の開通により、温泉鉄道の車両が諫早~小浜の直通運転を開始。」

と書いてあり、あくまで走っていたのは、「温泉鉄道の車両」と言う事で、「島原鉄道の車

両」が、と言う事ではないということが分かります。


昨年から、写真、資料と調べまくり、写真を比べ、汽車の前面、窓の形、煙突の下の状態

から、違うのかなとは思っていたのですが、やはり、はかない夢でした 


おまけです。「温泉鉄道のガソリンカーの愛野村駅入り込み」の説明が付いています。

Photo_4

「初めてのガソリンカー 昭和5年」。列車のまえに旗が付いて、大勢人がいるところをみ

ると、初運転の時でしょう。だとすれば、島原駅か?

Photo_7

「昭和14年・県立口加高等女子学校『口之津町』 口之津鉄道のガソリンカーで登校」の

説明。この島原鉄道南目線は、廃線になりました。

Photo_8

以上三点の写真は「島原鉄道100年史」からです。


この記事を書くにあたっては、島原本社まで出かけましたが、丁重に対応していただき、

また、貴重な資料までいただきましたことを、心から感謝いたします。ありがとうございまし

た。

(参考・文引用・写真:「島原鉄道100年史~夢ある未来をめざして」「島原南高の100年

~監修 松尾卓次」「島原半島の歴史~監修 松尾卓次」、ほかウィキペディアより)



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コメント

こんにちは。

この「迷列車」の動画は私も見て知ってました。鉄道の車歴などは鉄道マニアでも深くハマる人が多いですが、何となくわかりますよね。

コメントありがとうございます。
迷列車 、すごいですね。
あそこまで調べるとは、まったく頭が下がります。

こんにちは、TOKです。

1号機関車は温泉鉄道を走らなかったのですか。一寸残念。

確かに。1号機関車は1872年に日本で走り出し、1911年に島原鉄道に譲渡されて、温泉鉄道が島原鉄道に乗り入れたのが1927年で55年経過していました。鉄道省に返還されたのが1930年ですから、現役バリバリで使用されていたとは考えにくいですね。温泉鉄道の坂を上れなかったかも知れませんね。

ここ半年ばかり、調べてみたのですが、残念ながら、という所です。

確かに、よく比べると、雲仙鉄道を走っている、一号機関車、と島原鉄道の一号機関車、型が違いますね。

汽車の性能が悪かったのは、温泉鉄道も一緒らしく、車掌さんをされた方の証言では、乗客が下りて、押したという事があったそうです。
島原鉄道も、一号車機関車に限らず、今見ればゆるい坂ですが、登り切れずに、また、前駅に戻って出直したという記録も残っています。
当時の機関車は、全体的に、今考えるよりも力が弱かったということでしょう。

雲仙鉄道 一気に興味深く拝見しました。
色々な視点から調べられ郷土愛が強く感じられる内容で感動いたしました。
鉄道の期間は短いものでしたが、先人の気概を感じずには居られませんね。
地元ではありませんが何度か通った事があり以前から興味を感じておりました。
今度ゆっくり歩いてみようかと思っています。
鉄道が書かれている肥前小浜の旧地図を取り寄せてみます。

コメントありがとうございます。

千々石から小浜までの区間の工事、歩いてみられれば、どんなに難工事だったが実感できます。
記事は、ところどころ、勘違いがあって、そのうち順次訂正をしていくつもりです。

雲仙鉄道の資料に関しては、小浜町の資料館にも展示してありますので、時間があったら、お寄りください。

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