雲仙鉄道 28~第1号機関車? その一
さて、しつっこく雲仙鉄道です。右のカテゴリーの「雲仙鉄道」をクリックすると、今までの部
分が出てきますので、ご覧下さい。ただ、少し(おおいに?)私の誤認したところがあり、ま
だ訂正していませんので、ご注意を。いつか、訂正します。
さて、千々石の、「上千々石駅」の記念碑です。この横に説明版がありますが、この赤の
矢印の所、機関車の写真が焼き付けてあります。これは、他の駅跡の記念碑にも、同じ
写真が焼き付けてあります。拡大すると
この矢印の所、どう見ても、数字の「1」に見えます。すなわち1号機関車と言う事です。
もう少し拡大すると。
さて、これが何故気になるかというと、再度、雲仙鉄道の歴史を簡単に書くと、この鉄道
は、本来、温泉(当時は「うんぜん」と読んでいました。)軽便鉄道(のち温泉鉄道に改称)
と小浜地方鉄道(のち小浜鉄道と改称)に別れていました。
温泉鉄道は、大正12年(1923)5月5日に、愛野村~千々石を開業。
小浜鉄道は、昭和2年(1927)3月10日に、千々石~肥前小浜を開業。
昭和8年(1933)に小浜鉄道が「雲仙鉄道」に社名変更をし、「温泉鉄道」を合併し、「雲
仙鉄道」となります。
長崎、福岡方面からくると、国鉄の諫早駅で下車、島原鉄道に乗り換え、愛野駅で下車
し、雲仙鉄道に乗り換え小浜まで、と言う事になり、非常に不便になるので、昭和2年6
月、島原鉄道、温泉鉄道、小浜鉄道の3社で、諫早~肥前小浜の直通運転を開始します
が、昭和7年(1932)11月、直通運転を廃止します。
その後、昭和10年に島原鉄道に経営委託し、昭和11年10月、直通運転を再開するも、
昭和13年(1939)に廃業。
と言う事で、昭和2年~昭和7年、昭和11年~昭和13年は、諫早~肥前小浜が直通運
転であったということになります。
さて、問題は、この「1」と書いた機関車が、雲仙鉄道のものか、小浜鉄道のものか、島原
鉄道のものかと言う事です。もし島原鉄道の「1号機関車」なら、話が面白いのですが・・
なぜ、島原鉄道の「1号機関車」が、問題になるかというと、島原鉄道の「1号機関車」は、
日本の鉄道が開業した折、イギリスに10両発注された機関車の中で、最初に日本に着
き、「1」と番号が付けられ、新橋~横浜間を走った機関車で、現在、鉄道博物館に納め
られ、重要文化財に指定されているからです。
この一号機関車は、輸入後、改造、各地に転用され、明治44年に、鉄道院から、他に機
関車4輛、、4輪客車10輛、無蓋貨車7輛と共に、島原鉄道に払い下げられます。
のち、貴重な機関車ということで、返還・保存の運動が起こり、昭和5年、鉄道院と別の機
関車と交換という形で、鉄道院に返還されています。なお、この時は、盛大な送別会がお
こなわれたそうです。
ですから、昭和2年から、鉄道院に引き取られる、昭和5年の間に、現在、国の重要文化
財になっている、1号機関車が雲仙鉄道を走っていた可能性があるのではないかと・・・・
もし走っていたら面白いなと・・・・・
ウィキペディアに載っている、第1号機関車の原型です。
この機関車が、雲仙鉄道を走ったかどうか、結果は出ましたが、昨年から調べ回って得た
結論。簡単には教えません。
なお、この機関車、島原鉄道でも大改造をうけており、次回は、その改造された機関車の
姿などを・・・
3月になりました。4月には入学式。「ともだち100人できるかな・・・・」。小学校の新入生、
28名なんですけれど・・・・・
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