島原城の「宇宙つつじ」★天正遺欧使節ステンドグラスのこと他~島原市島原城
今日は、島原の病院へと。ついでに、島原街道の事を確認しようと、島原城内に勤務され
ている、M先生の所へ聞きに行こうとしたら、本日はお休みだとのこと。
他に、確かめたいことが2つばかりあったので、そちらの方を・・・・
着いたときが昼で、お城の前の姫松屋で具雑煮でもと思ったら、団体客で一杯。城内の売
店の食堂で、久しぶりに「ろくべえ」でも食べようかと、待つ間、そこらを眺めていると、さす
が、外人の方も来るのか、「うどん」の説明が英文で。
全国的に有名になった「佐世保バーガー」。「島原城」と「佐世保バーガー」。組み合わせ
がピンと来ませんが、冷凍ものだから、まあ、いいか。
と思っていたら、目の前に新聞記事が貼ってあり、「『宇宙ツツジ』島原城に」の記事。向井
千秋さんが、スペースシャトルに運んだ、ツツジの種から育てられた「宇宙ツツジ」が、昨
年、島原城に移植されたとのこと。
「どこにあるの」、と店員の方に聴いたら、「どこだっけ」。思いだして、捜してもらったら、上
の写真の所。お城に向かって、左手の所にあります。
「宇宙ツツジ」を探している時に、もう一つ。ここ、売店の裏で、ここまで見る人はいないでし
ょう。
島原城を築いた、松倉重政が、籠城用飲料水を得るために、寛永元年に掘った井戸。も
う一カ所、井戸があるそうですが、どちらかの井戸かが、抜け穴ではないかとの、地元の
人の話。紙を投げ入れると、下からの風で、フワフワするそうです。最も、抜け穴の話は、
お城には、つきものの話ですが・・・・
この「宇宙ツツジ」の説明板、知ってはいながら、西望さんの彫像の横にあるので、その説
明かとばかり思って、読んでなかったのですが・・・・
「このツツジは、人類の夢を乗せたアジア初の女性宇宙飛行士向井千秋さんとともに宇
宙を旅したツツジの種から育った宇宙ツツジであることを証明いたします」
なんと、商標登録も取っているらしく、「商品登録」として、「商標 宇宙ツツジ」、「登録 第
4305632号」。「平成11年8月13日」、「特許庁長官 伊佐山建志」、「宇宙ツツジ認定
番号 80」の文字。
なお、ツツジは研究機関で育てられ、その一部が、館林市のつつじが岡公園で植栽され、
館林市からの厚意で、島原市に送られたものだそうです。まだ、植えて一年ばかりですか
ら、小さいものの、とにかく「宇宙ツツジ」です。島原城にお越しの際は是非ご覧を。
さて、あと確認したい一つが、先日書いた、元山元造氏が所蔵していたという、銅版画。
ありましたが、城内撮影禁止のため、図録から
(「島原城展示品図録」より)
同じものだということが、分かると思います。「長崎談叢」の後の方は「サンクトスの御作業
のうち抜書」かな?(版画が、逆になってないのは、乾拓から再転写したため)
説明は「故版画」になっていますが、「古版画」ですね。「幼なイエスと老ヨセフ 16世紀」
さて、もう一つ確認したかったのが、展示物で、「天正遺欧使節」の絵の、4人の少年の名
前の所。千々石ミゲルの名前の所のみが、黒くなっているとのこと。
見に行ってみると、真っ黒ではなく、薄墨を流したみたいな感じです。この絵、見た事があ
るなと、考えてみると、カトリック島原教会にあるステンドグラスの絵。
で、カトリック教会に見に行くと、ステンドグラスでは、かすかに分かるくらい。写真は遠慮し
ていたら、絵はがきがあったので、絵はがきで・・・・
(「島原半島殉教者記念聖堂~カトリック島原教会」 絵はがきより)
なお、使節の主席正史が「伊東マンショ」、正史が「千々石ミゲル」、副使が「中浦ジュリア
ン」、「原マルチノ」で、この順番で描くのが普通なのですが、この、絵では主席正使「伊東
マンショ」、副使の「中浦ジュリアン」、「原マルチ」、最後に、正使の「千々石ミゲル」の順。
そして、薄墨を流したような文字。
千々石ミゲルは、帰国の後棄教し、大村藩キリシタン弾圧の原因を作ったとも言われてい
ます。
カソリック教会としては、当たり前のことですが、正式には、認められない人物だったので
しょう。その取り扱いだったことが感じられます。多分、遺欧使節としての実績があるの
で、この形が、ぎりぎりの妥協だったのでしょう。
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