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2014年3月24日 (月)

天如塔の改修(理性院太子堂内) その1 ~島原市

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島原に「理性院 太子堂」というお寺があり、この敷地内に「天如塔」が建てられています。


建てられたのが、明治42年(1909)年。建てられてから、104年。高さが、11メートルとい

いますから、台風等の風雨にも耐えて、良く残ったのもだと思いますが、ご覧のとおり、屋

根などはボロボロになっています。


以前は、少し有名な所で、内部まで入られたそうですが、今では、知っている方は、市内

の方ぐらいのみで、島原を訪れる人は知らない所です。もちろん、現在は中には入れませ

ん。この塔を建てたのが、広田言広(ごんしょう)師。

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   (「太子堂」内の写真より)

広田言証師については、倉田正直氏の「島原のからゆきざん」に詳しく書いてある所です

が、岡山県で米屋、材木商を営むも商売に失敗、その上、難病にかかり、病院も匙を投

げだす始末。


死ぬならばと、四国巡礼を四度も繰り返し、第25番札所、本山寺にて、出家。正式の修

行、勉強をしたわけではなく、倉橋氏によれば「必ずしも適切な表現ではないかもしれない

が、彼はいわばインスタントお坊さんになった人であった。」


さて、言証師は、その後、本土への巡業。苦行。そのうち、雲仙の普賢岳に登って苦行

し、天草に渡ろうとしたところ、運命の定めか、島原市に定住することに。その後、1903

年5月~12月までシベリアへ巡礼。


事情により、檀家を持たない寺ですが、島原に住みついて、この地方の人の信頼を獲得

し、信者を増やします。


1906年、55歳のとき、にインドへ巡礼。倉元氏によれば、「『お告げを』聞きたいという彼

の念願。」もうひとつが、当時の島原地方、天草が「からゆきさん」を多く送り出しており、

活動をしている時「いやでもおうでも、言証師は、『からゆきさん』のことを身近に感じざる

を得なかったであろう。」


このインド旅行は2年半に及び、現地の言葉は言うに及ばす、英語さえ喋れずといった旅

行。この旅行において、「ほとんど必ず日本人墓地をおとすれ、施餓鬼(無縁の死者のた

めに供養すること)を営み、その地でなくなったものを仏僧として、ねんごろに供養してい

る。」、もちろんその中に、多くの、からゆきさんも関係してます。


各地における施餓鬼の様子です。

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       (「島原のからゆきさん」倉田正直著より)

からゆきさんからの寄進を受け、また、太子堂の発行したリーフレットによれば、「ラングー

ンのポイキャナン寺のウセッタ僧正より、御丈二尺一寸(63センチ)の釈迦如来を賜り」と

述べられて、この仏像を安置するため、天如塔が作られたそうですが、現在は、本殿の祭

壇に安置されています。


住職さんと長男の方で、下まで下ろされたそうですが、重くて、クレーンで下ろしたそうです

が、倉橋氏の本によれば、「それが比較的小さなものであったことから、別便では送るとい

うことはせず、言証師自身が、一緒に持ち帰ったのである。・・・・」とあります。

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帰国すると、寄進(寄進されたお金は、からゆきさんのみでなく、信者の方からも寄進され

ています)されたお金で境内に「天如塔」を作りますが、倉橋氏の計算では、全体で4,87

0円、現在額で換算すると5000万円~7000万円になるそうですが、「これらの寄進額

のうち、かなりな部分は東南アジアの各地に散在していた島原娘(注:からゆきさん)、及

び、その関係者が負担していた。」と述べてあります。この金額を見ると、言証師が、から

ゆきさんたちに、どんなふうに優しい心で接したか、想像できると思います。


さて、この塔をめぐる玉垣に、寄進者の名前、住んでいる所、金額が書いてあります。この

事は次回に述べたいと思いますが、この時分、からゆきさんが、人々からどう思われて

いたのか、「口之津町史 郷土の歩み」に次のような記事があります。


明治二六年二月三日付島原先魁で発行した「有明海」第二号。

「密航者多く島原地方に出で、重罪犯の徒多く島原にいづ、島原には一つの産物として名

をえたるものなし、しからばすなはち 島原の産物は密航婦(注:からゆきさん)と重罪犯

の徒の二つあるか、ああ恐るべき島原の空気・・・・」


また、「東洋日の出新聞」に、島原女についての投書があったそうですが、島原、口之津、

加津佐に密航・醜業婦が多いのは従来から、有名である。ことに島原の女たちは恥とも思

わず、盛んに出稼ぎをするのでほかの者が迷惑をし、一般の島原女の信用が下がってき

たとの趣旨だそうです。


なお、からゆきさんを密航させるときには、火事を起こし、そちらに皆の目を向けさせ、そ

の隙に、出帆させたとの話もあります。


次回は、天如塔について。


(本堂内の写真については許可を受け、ブログ掲載の許可をいただいております。)

(参考・文引用:「島原のからゆきさん」~倉橋正直著」)




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