雲仙鉄道 30~第1号機関車? その三
(「島原鉄道100年史」より
上の写真の機関車、「1号機関車(大正初期)」と書いてあります。前回書いたように、明治
44年、日本の1号機関車は、島原鉄道に払い下げられますが、前回の設計図と比べると
分かると思いますが、ほぼ一緒の形だと思われます。こうして見ると、D型機関車などと違
い、随分小さい事が分かると思います。
さて、一号機関車として、数冊の本に写真が出ているのですが、撮影の日にちがほとんど
分からず、私も、鉄道マニアでなく、よく分からないので写真を並べてみます。
一応、念のため、「大正初期頃の3号機関車と思われる」と注釈がある機関車。
(「島原鉄道100年史」より)
松尾卓次氏編の「目で見る 島原南高の100年」に載っている、1号機関車。胴体の横の
所に「1」と言う字、その上に、島原鉄道のマークが見えます。本書では、大正初期となって
います。
以前のマークと、今使っているマーク。少し違っているのが分かると思います。
「島原鉄道100年史」からの写真です。横に、島鉄のマークと「1」その下に、多分「島原鉄
道」の文字だと思いますが、加わっています。下の写真同じようでですが、写真の写す角
度、煙突の下の痛み具合から、上の方が使い込んだような感じ。
「長崎歴史文化博物館」に売っていた絵はがき。煙突前の探照灯(ヘッドランプ)がありま
せん。上の写真より以前のか?取り外しができたのか?珍しく、煙が出ている写真です。
下の写真、「島原南高の100年・監修 松尾卓次」、「島原半島の歴史・監修 松尾卓次」
「島原鉄道の100年」。同じ写真が載っていますが、「島原半島の歴史」には、「島原駅と
シマテツ列車」となっており、他の本には「多比良(たいら)駅」となってますが、どちらが本
当?
「多比良の浜、田川の鉄橋を走る1号機関車(大正時代)」。車体の真ん中、かすかに島
鉄のマークと「1」の字が見えると思います。
珍しく、貨車を押していますが、前の方には牽引機関車がいたと思います。
さて、今日は、1号機関車が雲仙鉄道のレールを走ったのかどうか、結論を書こうと思っ
たのですが・・・・一号機関車は、原型をとどめないほどの改造を、国鉄、島鉄で受けます
が、どうして、改造を受けなければならなかったのか、偶然のことに、今日になって分かり
ました。
次号はそのことと、結論を。勘の言い方は写真を見て行けば、すでに分かられたと思いま
すが・・・結論まで長くかかりましたが、あと1回で、「第1号機関車」は終わりです。なにや
かやで、長くなって (*_ _)人ゴメンナサイ 。
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