潜伏キリシタン地蔵?~雲仙市瑞穂町
一昨日、瑞穂町の八幡神社で、T氏と偶然お会いし、話をしていると、興味あるものがある
と言われ、わざわざ連れていただいたことを、書きましたが、この場所です。
石仏の前は、少し凹地になっており、通りかかった、おじいさんがT氏を知っているらしく、
話を聞くと、この場所に以前水が湧いており、水神様として祀ってある事のことでした。
さて、島原半島はキリシタンの遺跡が多く、学術的に証明されている物、議論があるもの
等、種々さまざまです。
そのうちの一つに、A(アルパ)型キリシタン地蔵、ω(オメガ)型地蔵があります。
(島原半島のキリシタン文化・かくれ切支丹の遺物と遺跡~島旗半島かくれ切支丹研会)
腕の形、全体の形を見ると、「ω」と「A」の形に似ています。
この「A」と「ω」については、「ヨハネ黙示録第1章の8」に「今いまし、昔いまし、やがて来
たるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、わたしはアルパであり、オメガであ
る」。要するに、神が世界の全てであると言う事でしょう。
さて、先ほどの地蔵さん、まさに腕の所をみると、「ω地蔵」。
潜伏キリシタンの遺物については、私の立場は、肯定派でもなく、否定派でもないのです
が、ただ、これが島原半島独自のものか、全国的なものか、分布範囲など学術的研究も
なく、ただ、思い込みだけでは、なんとも言えないと思うのですが・・・・
なお、ヨハネ黙示録は、「ウィキペディア」によれば、「『黙示録(ヨハネ黙示録)』はキリスト
教徒の間でも、その解釈と聖典への受け入れをめぐって多くの議論を呼びおこしてきた書
物である。今日では歴史的教会では聖典と認められている。」とあり、果たして、このような
難解な教えが、キリスト教未開発の、昔の日本において教えられていたのか?
参考です、宮崎県瑞厳寺にある、十一面千手観音菩薩。
(「仏像の基本」~枻(えい)出版社より)
見方によっては、腕の所「ω」に見えませんか?この方面、まだまだ、研究の余地があり
そうですね。
さて、もう一カ所案内していただきました。
これが、キリシタン地蔵かどうか、私の目では分かりませんが、横の所。
写真では、分かりにくいのですが、左右で少し違っていましたが、読みやすい方で書くと、
向かって右には「寛正二十年 釈現○ 壬四月八日」と読めました。
最初は「寛政」の当て字かと思ったのですが、「寛正(かんしょう)」という年号はありまし
たが、1461年~1466年。寛正7年2月には文政に改元していますから、「寛正二十年」
という年は無いということで、これは、どう考えたら良いんでしょう。悩んでいます。
実は、この後、もう一カ所連絡があったので、一人で行って写真を撮ってきて、整理してい
たら、間違って消してしまいました。機会があったら、又。
瑞穂町のTさんには、仕事中にかかわらず、お世話になりました。感謝いたします。
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コメント
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こんにちは。
私の家にも地蔵らしき拝むタイプの墓が数多くあり、不思議に思っていました。
ネットで同じような墓は無いものか、と思いながら見ていたら、こちらにたどり着きました。
当方の墓に十字は特に彫られてはいないようですので、違うかもしれませんが、面白いとは思いました。
そう考えれば、何故三河国から備中国辺境の山奥に移り住んだのか、説明がつくからです。
ちなみに寛正の画像ですが、私は、寛正攵十※年に見えるような気がします。
実際のお墓をじかに見てみないと何とも言えませんが。
それでは失礼いたします。
投稿: 通りすがりの自称勇者 | 2014年12月14日 (日) 11時08分
コメントありがとうございます。
この、キリシタン地蔵(ω地蔵・アルファ地蔵)に関しては、まだまだ学術的にハッキリとしたものではないようです。こちらにキリシタン遺跡を撮した写真集がありますが、一箇所行って見たところ、本に載っている写真で、大事なところが故意か偶然か写してありませんでした。
ウチの近くにも、キリシタン地蔵といわれるものが三体ありますが、専門家に見せたところ、首を傾げたそうです。
そちらの墓が、キリシタン時代のものか、潜伏キリシタン時代のものか、また、地域の環境、土地の成り立ち等から調べる必要があるでしょう。
なお、十字架が明らかに彫ってあるものもあり、地蔵の下部に刻まれたものもある、という話も聞いた事がありますが、石工さんが彫る時に、彫る時の目印にしたのかも知れません。石祠の天井に、十字紋を彫ったものもありますが、専門家によれば、キリシタンとは関係無いとのことでした。
寛正(かんしょう)については、紹介していただいた方と確認をしています。見にくいのは、石に欠けがあるためと思います。なお文中「文政」としておりましたが「文正」の誤りでした。
なお、寛正は7年2月に改元していますから、いずれにしても、ない年号です。たしか、何かの本で読んだのですが、時の権力に反抗する人が、正式にはない年号を入れている、という話を聞いたことがあります。
これは、良く確認していないのでウル覚えの話です。
キリシタン地蔵に関しては、慎重な調査が必要なようです。
なお、墓に関しては、50~100年周期で、流行、廃りがあるそうで、
>地蔵らしき拝むタイプの墓が数多くあり
については、こちらにも多く有り、そちらの実物を見ておりませんが、「有像舟形」の墓では無いかと思います。以上、参考になれば幸いです。
投稿: sugikan | 2014年12月14日 (日) 21時09分
お騒がせしました。
確かにおっしゃられる通りの物のようです。
こちらに来る前に、戒名の上に〇印があると隠れキリシタンだと書いてあったサイトがあり、歴代の当主の墓がまさにそうであったため、拝んでいる地蔵のようなものは実は・・・と思ってしまって、たまたま、こちらのサイトを発見してしまったのです。
戒名の上にある〇は円相と呼ばれる、曹洞宗では付けたりするようです。
詳細な説明ありがとうございました。
投稿: 通りすがりの自称勇者 | 2014年12月15日 (月) 21時36分
潜伏キリシタンの遺跡については、明らかにキリシタンのものと分かると処罰されるし、何らかの証は残さなければ、意味は無いし。
もっと、学術的に体系が分かればいいのですが・・・・・
一時、キリシタン灯籠と言われた、織部灯籠も、松田毅一博士からは否定をされています。
本当に、難しい問題です。
投稿: sugikan | 2014年12月16日 (火) 22時54分