島原半島郡部の映画館と私~大久保昇★お昼ご飯は「まんま屋」さんで
思えば、映画全盛の時期があり、どこの町にも必ず映画館があり、有名映画になると、お
客さんが、映画館を取りまいたものです。
この本、1997年発行ですから、少し以前の本。作者は、農業、映画館、自動車修理業と
3回の転職をしています。
この本を書いたきっかけは、一人娘を嫁がせたため、大久保家直系が終わりになり、そ
のため、記録を残しておくこと。もう一つが、「二つ目に書きたいことは映画の記録であ
る。」
著者は、各町の映画館をとりまとめ、昭和35年、「邦画七社のフィルム配給権」一切を
ガラス張りにして、「南高映画協同組合」(著者によれば、法的なものではなく、私的な呼
称)を作ります。
この本、この協同組合なるものの映画館を集金して回る様子が書いてあり、これが、映画
館名、所在地、経営者、出身地、経歴、エピソードまで書いてあるというもの。全部は書き
きれませんから、町名、映画館名、経営者のご紹介を。島原半島の方は、ご存じの方も
おられると思いますが・・・・・
■有明町~大三東(おおみさき)村 松尾映劇
・有明町大三東 ・経営者~岡野千代蔵 ・文房具、青果も取り扱っていたそうです。
■有明町~大三東映劇
・有明町大三東 ・経営者~佐中密男
■国見町~日ノ出館
・国見町多伊良 ・館主~中村松太郎(昭和6年日ノ出館を新築) ・経営~田添信義
■国見町~神代映劇
・管理者~鵜殿孝良
・神代映劇は昔、「不知火座」と呼ばれ、本格的な芝居小屋であり、回り舞台、歌舞伎の六
方も踏めるものであったそうです。なお、「映画も他町村とは違って文芸作品が受ける土
地柄であったそうです。」さすが、鍋島家の、お殿様のお膝元。
■瑞穂町~大成館
・西郷村 ・生田虎雄 ・祖父の生田兼三郞は、顔の効く人で、「功徳碑も残っていると聞
く」と書いてあります。
■吾妻町~吾妻館
・吾妻町大木場名 ・経営者~林田豊蔵
・豊蔵さんは鍛冶屋さんだったそうですが、駅前の鍛冶屋の小屋を改造し、戦後映画館を
兼業で始め、後、昭和29年、木造二階建ての常設館を新築。
■愛野町~愛野映劇
・「映画館を造ったのは多分農家であったシメ子さんと思うが確証はない」 ・昭和32年か
ら岩佐茂さんの経営に変わる。
■千々石町~千興館
・経営者 玉村福市 玉村宏治 ・土地 玉村俊子
・喜佐治(俊子さんの父)さんの父親は、温泉鐵道千々石駅の前で、大きな倉庫を持つ肥
料屋さんだったそうで、昭和12年、千興館を買収。二階建で、桟敷席のある本格的な劇
場づくりであったそうです。
■南串山町~南串映劇
・南串山町尾登名 ・経営者 辻俊三 ・昭和35年頃、板引の辻商店さんへ売却
・昭和36年に廃業
■口之津町~口之津映劇
・口之津町甲 ・経営者 鎌田満太
・なお、口之津資料館に、占勝館と刻銘された大鬼瓦が展示してあるそうですが、大正3
年11月、島原で活動常設館として申請し、親しまれ、昭和13年口之津映劇として利用さ
れたそうですが、テレビの普及に伴い廃業。
■南有馬町~原城館
・南有馬町乙 ・経営者 中村信一 中村千足
・昭和28年、兄弟で映画館を思い立ち、口之津港税関跡近くの塩倉庫を買い、舟で運
び、移転改築。昭和33年から、お兄さん一人の経営だったそうですが、昭和39年廃業。
■北有馬町~北映館
・北有馬村字下谷川 ・経営者 寺田兼作 ・兼作さんは村相撲で強かったそうですが、
中国に渡って、いろいろあり、敗戦で引き上げ。
後の町長八木氏、原口さん、病院の三宅先生、高木下駄やさん等、十数名の知名士で、
映画館を作り、当たったそうですが、出資者が多く、運営も配当も思うに任せなかったよう
です。
■西有家町~弥生座
・西有家町須川 ・経営者 宮崎清人
・この方も、書ききれないほど経歴が有り、昭和29年に、奥さんの郷里西有家の、弥生座
が売りに出たのを買い、経営しますが、これもテレビに押され昭和39年に閉館。
■有家町~有家館
・有家町中須川 ・経営者 島居勝信
・火災を2回起こしたそうですが、昭和39年閉館。有家農協へ売却。
ここに書いたのは、著者の大久保さんが配給に関係したところで、多分、映画の配給ルー
トはまだあって(島原市、加津佐町、小浜町、布津町、深江町が載っていません)、これよ
り多くの映画館が、島原半島にはあったことと思いますが、この本、島原半島の映画史と
して参考になるものでしょう。
さて、本日も一人っきりで・・・いつも車で通るたびに気になっていたお店、「まんま屋」さ
ん。以前はそんなに、多くなかったみたいでしたが、タウン紙に載ったせいか、駐車場がい
っぱい、お客さんもおっぱい(失礼)、ではなく、いっぱい。おかげで、十分ほど待たされま
した。お隣は、ケーキハウス「ちゅちゅ」さん。本日お休みでした。左の方が「まんま屋」さん
です。
お客さんの人数を数えると、女子18名、男子2名。女子の左薬指をさりげなく見たら、み
んな安っぽい結婚指輪をしている方ばかり。
いつものように、安いコンビニ弁当を食べているであろう、旦那さんの姿を思うと、涙があ
ふれ出てきました。
料理は、いつものように一番安い日替わり定食。日替わり定食で手を抜く店は、ろくな所
ない、と言うのが私の持論。
「味噌漬けの豚肉のトンカツ」。なんと、小ぶりながらも、二枚もついているではありません
か。成人病すれすれの私にとっては、二枚食べるのは、自殺行為。と思いつつ、美味しく
いただきました。
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コメント
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だいぶ以前の話題にコメント、すみません。検索すると、たまたま見つけたもので。
瑞穂町~大成館
うちの実家のすぐ近所にありました。確か昭和50年代前半には、営業はしていなかったものの建物は残っていて、西郷駅側からも見えていました。
その後、建物は解体され、跡地に廃材とかフィルムの切れ端やアンプの部品でしょうか真空管が落ちていたので拾ってきた記憶があります。
冷蔵庫や洗濯機など粗大ごみも捨てられていました。
そこで良く遊んでいた記憶があります。
その後、片付けられて、更地か畑になっているはずです。
拾ってきた白黒フィルムを眺めて、何の映画だろうと想像していました。
投稿: MAEDA | 2018年11月 3日 (土) 22時18分
コメントありがとうございます。
良い経験ですね。千々石にも映画館があって、子孫の方がおられるので写真を探していただいたら、残念ながら無いとの事でした。場所は分かっているのですが、今は別の建物が建っています。
この本、なかなか面白く、著者の方に残部はないかお聞きしたところ、無いとのことでした。
雲仙市の各公民館図書室か図書館にあると思いますので、お聞き合わせのうえ、あったら是非お読み下さい。
投稿: sugikan | 2018年11月 5日 (月) 22時47分