緋寒桜まつり~雲仙市国見町神代小路(こうじろくうじ)
鍋島家陣屋の正面玄関です。この玄関を使うのは当主のみで、現在でも、我々平民は、
横の方からしか入れません。
入る時に、係員から「撮影禁止です」。と言われ、写真は載せられませんが、減るもんじゃ
なし、写真くらいイイジャナイですか。我が家は、撮影自由です。
なかに入って、初めての印象は、「掃除するのに、大変だろうな。こんな所に生まれなくて
よかった。」
門の左右の緋寒桜。もう少しという所。さて、この屋敷、イメージ的に分からないと思いま
すので、説明版の絵を
話変わって、島原の有馬氏と、佐賀の龍造寺氏が争った頃、ここ、神代氏は龍造寺氏に
つきますが、龍造寺は敗退。神代氏は有馬氏の支配するところになり、姿を消します。
その後、豊臣秀吉が九州を平定、九州国割をおこなった際、当時、島原半島の有馬領か
ら、旧神代領三千石が割られ、鍋島直茂に与えられます。
城番を派遣して、統治していましたが、慶長十三年、鍋島信房が神代に入り、初代の領主
になります。
こんな感じで、東神代村、西神代村、伊古村、古部村の4ヶ村が領土になります。
(「島原半島の歴史~監修・松尾卓次」より)
これは、昔の龍造寺氏、神代氏との関係、又、鍋島直茂の兄、鍋島信房が鹿島(後、鹿島
から神代に移ります)を統治していたことから、対岸の有馬領に、楔を入れ、有馬家、島津
家(龍造寺家との戦いでは、有馬家は、島津家と手を結んでいます。)を牽制するという、
秀吉の考えがあったと言います。あと、話が長くなるので省略。
左は、長屋門と石垣、いつもは静かな、神代小路(くうじ)です。昔の風景が、ゆっくりと眺
められます。
この鍋島家の屋敷、この間まで修理をしていましたが、先週の16日、オープンをしたばか
りで、大変な修復作業であったそうです。
釘一本にしても、どこの釘か記録しておいて、また、同じ所に、同じ釘を使ったそうです。
さて、2月から3月にかけて、各種イベントが企画され、これはネットで調べられます。
今日は、大道芸。南京玉すだれ、長崎で有名な西村氏と奥様。他に、「かっぽれ」など、本
格的な芸が見られました。
オカリナの演奏。オカリナは、一番右の女性の方の手作りだそうで、お馴染みの曲が多
く、皆さん最後まで楽しんでおられました。
「ひょっとこ踊り」、ふんどしの横から、金○が少し覗いていました。
有名な「とり刺し」があるかと思っていたら、先日、おこなったばかりで、今年はパスだそう
で、昨年の写真で我慢して下さい。
他の日には、日本民謡、本格的なフラダンス、吟行俳句大会、神代小路まちなみ散策、お
茶会等々あるみたいですから、確かめてお越しを。
会場は、昔の中学校の校舎。昔の建物がそのまま残してあり、イイデスね。この、木造校
舎、木の廊下。よく、立たされたものですが・・・・。教室内での特産品の販売。
アベックが多いようで、ウラヤマシイですね。私は、いつもの通り、一人の孤独旅・・・・・カミ
サンと一緒より良いけれど。
「花の命は短くて・・・・・」、早めにご覧を・・・・・あなたの彼女もですよ。
(参考・引用:「島原半島の歴史~監修・松尾卓次」、説明パンフレットより)
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長崎からバイパス+高速を使って約1時間半で神代に到着しましたからやはりグリーンロードを走った昨年よりかなりの時間短縮です1年ぶりにやってきましたが当然街並の雰囲気は相変わ ... [続きを読む]
あっは(^^) 同じ日に訪れたみたいですね
ひょっとして教室内あたりで写真に写っているのじゃないかなと思いましたが
行った時間帯がちょっとずれていたみたいです^^;
確かに何故撮影禁止なんでしょうね
投稿: 心づくし | 2014年2月24日 (月) 11時21分
私が行ったのが昼過ぎで、鍋島汁は売り切れでした。
どうも、行き違いになったようですね。
「鳥刺し」が見たかったのですが、残念。
投稿: sugikan | 2014年2月24日 (月) 23時18分