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2014年1月

2014年1月31日 (金)

読書について~小林秀雄著

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先日、本屋さんに行くと、小林秀雄の本が平積みに置いてありました。小林秀雄没後30

年の記念に出版された本です。


小林秀雄の本が、平積みになるのは何年ぶりか。思えば、我々の年代には、文芸批評の

神様みたいな存在でした。


あの頃は、吉本隆明、吉田健一、正宗白鳥、福田恆存、中村光夫、江藤淳、奥村建男、

伊藤整等々、きら星の如く評論家がいたのですが、その中でも、小林秀雄は独特の光を

放っていたものでした。


つい、手が出て買ってしまいました。短いものばかりですが、昔読んだのとは、少し違った

読み方になった自分に気づきました。


文章は平易ながら、内容は難解なものでしたが、読み返すと、以外とユーモア的な所もあ

り、


「国語という大河」

娘さんが、国語の試験問題を見せ、何だかちっとも分からない文章だという。読んでみる

と、悪文である。「こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけ

ばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、お父さんの本からとった

んだと先生がおっしゃった、といった」


別の地域の学校入学問題で、小林秀雄の文章がでたが、意味あいまいで、問題になって

いる。作者の正確な答案を記載するので、お答え願いたいとのこと。


昔、書いた文章を、電話で長々と聞かされ、だんだん虫のいどころが悪くなっていく。小林

秀雄曰く、「正確な意味はね」「ハイ、ハイ」「読んで字のごとしだ」ガチャリ。


そういえば、以前書きましたが、谷川俊太郎の詩「いるか」。「いるかいるか いないかいる

かいないいないいるか・・・・・」の事で、学校の試験に、「いるか」が何匹いるか、という問題

が出て、谷川俊太郎さんの所に、問い合わせがあり、谷川俊太郎さんも結局分からなかっ

たそうです。学校のテストは、もっと分かりやすいものを出すべきですね。


「文章について」

「一体文章について書くと言うことが、考えてみると私には大変な重荷です。」から始まる文

章ですが、最後は、「諸君も巧い文章を書こうと努力されておると存じます。私も大変努力

をしております。併しお互いい努力しても巧くなるとは限らぬ事だけはたしかです。」


ブログを書かれている方は、巧い文章を書こうと、努力されいると思いますが、以上の通り

です。安心して、巧い文章を書こうと努力されないことです。


とは言っても、小林秀雄と、我々とは、レベルが違いますから、文面通りには受け取らない

事ですね・・・・・


久しぶりに、諫早の森山図書館横の散歩コースを歩いていたら、パンジーと、サザンカの

落ちた花びらのコントラストが綺麗でした。

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小林秀雄。知る人は段々少なくなっているみたいですが、ご一読を・・・・・・



2014年1月30日 (木)

「七草」と「七種(ななくさ)」について

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以前、七草粥について書いたところ、以下のコメントをいただきました。コメントで返答しよ

うと思ったのですが、調べると面白く、長くなるのでブログにしました。


>高校生の時に古典の授業で習った知識では七草とは秋の七草のことで

>「人日の節句」である1月7日に食べるのは「七種(ななくさ)粥」ですから春の七草じゃ

>なく「春の七種」だったのですがいつの間にやら・・・しょうがないでしょうね^^;


古典はコテンコテンに成績が悪く、ただ、俳句をしばらくやっていたので、「七種」の表現は

知っていたのですが、ひょっと「種」を「くさ」と読むことはあるのかな?という疑問が。


調べると、普通の辞書には載っていませんが、「大漢語林」に、「種」の読み方に、「古訓 

名 として、クサ」という読み方が載っており、「古訓」とは、平安時代におこなわれた漢字

の訓を『和名類聚抄』(箋注・センチュウ本と元和本により訓を採った・・・・・・)及び「類聚

名義抄(ルイジュウミョウギショウ)とあり、又他の辞典には、クサグサ(種種)多い義[日本

釈名・元梯]ともあり、とにかく、「くさ」とも読めることが分かります。まあ、ここのところ詳し

くは、私にもよく分かりませんが・・・・


さて、秋の七草のはじまりは、「万葉集 第八巻」山上憶良の


山上臣憶良詠秋花二首

秋野尓 咲有花乎 指折 可伎數者 七種花

(秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種の花)

芽之花 乎花葛花 瞿麥之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花

(萩の尾尾花花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花)


ということで、古くから、七草と言えば「秋の七草」になったのでしょうが、少し不思議に思う

のが、これ、全部、「草」ではなく「花」ですね。題にも「秋花二首」となっているのですが、

「秋の七草」とは・・・・時代的には「草」も「花」も同じように使っていたのかな?最も、花に葉

っぱは付いていますが・・・


さて、「七草」を「広辞苑」でひくと「②春の七種の菜・・・・③秋の七種の草花・・・」と書いて

あり、「七草」を秋とは限定してありません。


俳句歳時記でも、七草(七種)は、ほとんど「七種」で載っており、新年の季語になってお

りますが、山本謙吉著氏の歳時記にも、秋の部で「七草」の記載はなく、「秋の七草」にな

っており、「七草」については、「(新年の)七草」、「春の七草」、「秋の七草」の3種類に分

けてあります。


氏の歳時記の目次は、(新年の部)で「七草」は「七種」となっていますが、例文として、

七種やあまれどたらぬものあり~千代女」「七種や化粧(けはい)ひしかけて切刻み~

野坡」「七草夜着から貌を出しながら~一茶」「七草に不二の山彦うたふなり~大江丸」

七種や跡にうかるゝ朝がらす」「七草やあらしの底の人~麦水」「七草や兄弟の子の起

きそろひ~太祇」「七草の屑にえらるるははこかな~梅室」等、「七草」と「七種」が混在し

て使われています。「七種」「七草」、混同してして使われたのは現代ではなく、昔からだっ

たことが分かります。


ただ、注意すべきは原典がどう書いてあるか、「御伽草子」のなかに「七草草子」があり、

ほとんどの本に「七草草子」と書いてありますが、国立国会図書館、デジタルコレクション

の原典(写し?)には「なゝくさ草子」と書いてあり、この辺は注意すべきなのですが、山本

健吉氏の歳時記には、「七草」「七種」「七くさ」と分けて書いてあり、正確に書いてあるもの

と思われます。


1837年(江戸後期)に風俗等が書かれた、近代風俗史の研究の基本となる、「守貞謾

稿」には、「正月七日 今日三都(京、大阪、江戸?)民ニ七種ノ粥ヲ食ス 七草ノ歌ニ曰 

芹 ナツナ ゴゲウ ハコベラ ホトケノザ スゞナ スゞシロ是ゾ七種 以上ヲ七草ト云ヒ」

というように、「七種」「七草」が混在して書いてあります。文の統一から云えば、「七種ノ

歌」「以上ヲ七種」と云うべきなのですが・・・・・?


室町時代の国語辞書である、「運歩色葉集」。言葉をいろは順に並べてありますが、写本

ですが、この中で七草について、「七草 芹薺五行田平子仏座須々子蕙也 正月七日用

之」と「七草」と書いてあります。


さて、「人日」については、中国の古俗で、元旦から、鶏、狗、羊等と順で占い、七日目に

「人」を占い、この日には刑を行わなく、七種菜羹(しちしゅさいのかん)を食し、一年の無

病息災を祈っていたそうです。多分、「人」を占う日ですから、「人日」でしょう。


ただ、各日に、該当する動物を殺さなかったという説もありますが、人日には刑をおこなわ

なかったという記述が複数あり、この方が本当のような感じがするのですが・・・・


日本に於いても、五節供が江戸時代に定められ、これには「人日」「上巳」「端午」「七夕」

「重陽」とあります。


「人日」については「元寛日記」に、徳川秀忠の時代、徳川将軍家において七草のご祝儀

があったそうですが、それに伴い、七草粥の来歴を、公家、儒者、陰陽医師等に尋ねたと

ころ、その説はまちまちであったそうです。


「年中行事辞典~西角井正慶著」によれば、古来、日本にも七種粥が存在したそうです

が、材料が現在とは違い、米、栗、黍、稗子、葟子(みの)、胡麻、小豆子だったそうです

(若干の異説有り)。


これ見ると、穀物の種ですね。ひょっとしたら、「七種」は「七種類の種(たね)」の意味では

ないのかな?


なお、同書によれば、「徳川幕府が五節供の第一に人日を選んだのは、もちろん名称を

とっただけで、行事としては七草の粥が七種菜羹と似ているというのみである。古来、七草

粥は七種菜羹を学んだ輸入風俗であるという説が行われているが、古くから我が国にも

七種粥というものは存在した」とあります。


なお、冷泉家25代当主冷泉為人氏の「五節供の楽しみ」の中にも、「日本にあっても古

来、正月の初めての子の日に若菜を摘む春の野遊びの習俗すなわち『子の日の遊び(ね

のひのあそび)』があったり、『七種粥』も古くから存在していた。」とあり、七種粥の中身も

前述したものです。


昭和天皇陛下の侍従であった、入江相政氏編の「宮中歳時記」には、標題には「七草(七

種)」となっておりますが、宮中の行事として、後醍醐天皇から「七種の若菜」が進ぜられた

とは書いてありますが、他は「七草粥」になっています。また、「この頃の若菜の羹、つまり

汁であったが、室町時代から粥に変わっていった。」との記述があります。


要するに、日本古来の、七草粥、若菜摘みと、中国の「人日」の風習、七種菜羹が習合し

て、「人日の節句」「七種粥」に結びついたものではないかと思われます。

日本はいろいろな国の文化を吸収して、発展した国です。、「七種」「七草」「人日」の混在

もその一つだと思います。


今回は、いい勉強をしました。あの頃、これくらい勉強していればと、後悔しております。

まあ、自分で言うのもなんですが、これ書きながら、分かったような、分からないような感じ

が、無きにしもあらずなのですが、これ以上は、各自、お勉強を・・・・・・・・・・・中途半端で 

 (*_ _) ゴメンナサイ 。


まあ、七草粥に関しては、我々平民は「いいじゃないの、美味しければ~」なのですが・


参考・引用資料:「時代別国語大辞典」「秋の七草~有岡利幸著」「春の七草~同」「日本

歳時記~講談社版」「七草の歳時記~釜江正巳著」「宮中歳時記~入江相政編」「五節供

の楽しみ~冷泉為人」「国会国会図書館デジタルコレクション」「基本季語500選~山本

健吉著」「日本民俗辞典」「年中行事辞典~西角井正慶著」その他、国語辞典、古語辞

典、漢和辞典より。




2014年1月28日 (火)

2014 ランタンフェステイバル準備中~長崎市

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今日も、長崎の漢方薬医さんの所に行ったら、相変わらず、若い女性が多いですね。おま

けに、外人さん。外人さんが漢方薬ですよ。時代ですね。少し驚きました。


さて、今月31日から、2月14日まで、長崎の一大イベント、「長崎ランタンフェステイバル」

が始まります。


上の写真は、数年前とったもので、30日まで、灯りはともっていません。念のため。まだ

準備中です。


せっかくだから、各会場を見学に・・・

こちらが、新地の中華街の入り口で、この道をまっすぐ行くと、主会場の湊公園に行きま

す。湊公園の写真は、出しません。あらかじめ見ていると、初めて見る感動が薄れるか

ら・・・・・

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左右の飾り。向かって右側は、河川駐車場になっています。

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アーケード街も、ランタンフェステイバル一色。

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アーケードを出たところの鐵橋(てつばし、くろがねばし)の飾り。もちろん、期間中の夜

は、灯りがともります。

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眼鏡橋です。夜、灯りが点ると川に、写って綺麗です。

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ちょうど、工事中。

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昔は、湊公園が会場でしたが、大きくなりすぎ、中央公園も会場になりました。電車の賑橋

停留所のすぐ近く(眼鏡橋も少し近く)になります。

この会場は、来たことが無い方が多いと思うので・・・・こちらは、もう少しというところ。

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余談です。左は中華街に入る道ですが、以前は、行商の方が道端に、魚や野菜を売っ

て、活気があったのですが、歩行者の邪魔になるとかで、撤去されました。随分、議論はさ

れたのですが。


その当時、いかれた格好の中学生が、飲んだ缶をポイと捨てたら、行商のおばさんが、

「なんばすっとね、そがん所に捨てて」というと、他の行商の方も取り囲んで、「そげん、捨

てるところなら、あそこにあるやろ」。中学生は拾って、ゴミ捨てに入れていきました。


今は、どんな悪いことをしても、他人の子を叱る人はいない時代。子供を地域で育てると

は、こんな事ではないのでしょうか?長崎警察署と長崎市役所の方。


右は「皿うどんチョコレート」。どんなんかな?最近太り過ぎで、買いませんでしたが・・・・

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さて、おまけに、以前撮っていた写真を

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重ねて書きますが、ランタンフェステイバルは1月31日からです。それ以前に行っても、上

の写真の様に、灯りはともっていません。

私、夜は行きません。一緒に行ってくれる女の子がいないから(カミサンとはイヤ)。



2014年1月27日 (月)

千々石海岸逍遙(しょうよう)

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お~、美人が一人、海岸を散策する風景は良いもんですね。もっとも、顔は確認していな

いので、美人かどうかは、保証できませんが・・・・・


さて、長崎では名所を散策、ブラブラするのを、最近「長崎さるく」と言っていますが、昔は

「さるく(さらく)」はあまり良い意味ではなく、「夜遅くまで、どこば、さらいとったか(夜遅くま

で、どこを、ぶらぶらしていたか)」「あげんとこっば、子供のくせに、さらくな(あんなところ

を、子供のくせに、ぶらぶらするな)」などと、叱られたものです。


「海岸をさるく」にしようかと思ったのですが、歳を取ったので、ここは年寄りらしく、「千々石

海岸逍遙」。要する、気の向くままにブラブラ歩くことです。


石に渦巻く波。きらめく海。何気ないことに、心を打たれる歳になりました。以前はキャバク

ラの女の子に、心を惹かれていたのですが・・・・

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千々石海岸といえば「福石様」。以前は、大きな石の間に、しめ縄が張ってあって、風情が

あったのですが、いつの間にか、無くなっています。


付近の若いのと話をしていたら、若者だけでも力を合わせて、復活させようということでし

た。楽しみですね。これがあると、絵になるので、カメラマンも、どっと押し寄せ、町おこしに

もなるのですが、期待しています。

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藪の中を見たら、綺麗にスイセンがが咲いていました。藪(やぶ)水仙という、スイセンの

種類です(イツモノ冗談デスカラ、気ニシナイ)。しかし、藪の中で咲いて、けなげですね。

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ナイスショット。ちょうど、屋根から飛び上がったところ。鳥の名前には弱く、この鳥、ニワト

リでなし、雀でもなし、メジロでもなし、インコでもなし、借金トリでもなし、なんでしたっけ。

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こちらは舟だまり、今は港が整備されていますが、昔、台風が来た時など、千々石川を少

し遡ってきて、ここに、舟を避難させたそうです。場所の大きさから見て、小舟ではないか

との感じ。

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左の写真。今は海岸通りに、舗装道路がありますが、あれは、あとから作った道で、裏側

に道があります。こちらが旧街道で、伊能忠敬の地図にも載っています。


勝海舟、坂本龍馬一行は、長崎に行く往路は千々石を通りますから、多分、この道を通っ

たと思われます。あと、上の山の方の道を通ったという説もありますが、勝海舟日記を確

認しても記述はありませんでした。この、旧街道については、いずれ書くつもりです。

右は、大根干し。日本の風景ですね。

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家に帰ったら、スイセンがきれいに咲いていました。

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お隣の家のスイセンですが・・・・・・






2014年1月26日 (日)

ケバブ作り~国見町・山の駅ベジドリーム★橘神社大門松解体★梅一輪

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トルコでケバブ、ウイグルでカワーブ、キルギスでケベブ、インド、パキスタン、アフガニスタ

ン、アラブでカバーブ等々、中東地域あたりで、肉や魚や野菜をローストする料理だそうで

す。


ケバブは、前に書いた、グリンロードの地産品直売店で紹介した、ベジドリームの売り物

で、2,3回食べに行きましたが、この作り方がどうにも納得できない。


ポスターには、下のように出ているのですが・・・・大きな肉を串刺しで焼くのなら分かるの

ですが、焼いているのは鶏肉ですから、どうのようにして焼いているのか?


焼くところの、実演を見たく、店の人に聞いたら、日曜日にイベントをおこない、その時に

実演もするとかで、行って見ました。

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調べて見ると、串刺しにするケバブもあるそうで、インドではシーク・カバブーというそうで、

それが訛って、シシカバブーになったそうです。


このお店のは、肉を重ねて固まりにし、回転させながら焼く、ドネルケバブというもののよう

です。お肉はヘルシーに鶏肉だけ。お味は日本人向けに、改良中だとか。


さて、本当に、写真のようなことが出来るのかと思って行ったら、一番上の写真。四角い箱

から熱が出ていて、肉が回りながら、こんがりと焼け、焼けたところから、大きな包丁のよ

うなもので、削っていきます。見ごたえありました。


長崎のトルコ人の方が、長崎と佐世保に、お店を持っているとのことで、この店にも作りに

来ているそうです。メニューとしては、ケバブサンドイッチ、ケバブ丼、ケバブランチがあり

ます。


地元直産ですから、お野菜のお安いこと。

あちらこちらで、産業祭、お店屋さんではイベントもやっていますので、一度行って見ては

いかが?

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チェーンソーアートもありましたが、すごい迫力。私も昔、チェーンソーで、かなりの木を切

ったことがあるので、ひょうっとしたら、できるかな?

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家に帰って、思い出したのが、今日は橘神社の大門松の解体の日。行って見たら、解体

は終わり、資材をまとめているところでした。

右の写真が、大門松で使った資材です。

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我が家にも、梅が一輪咲いていました。もうすぐ春~ですね。

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2014年1月25日 (土)

島原城★古野梅園その他~島原市島原城 その2

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島原城天守閣からの展望です。霞んで見える山が、雲仙岳方面になります。


少し暖かくなったので、城内の古野梅園はどうか、見に行ったら、もうチョイの感じ。多分、

もう少し暖かい日が続くと、綺麗な梅の花が見られるでしょう。

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この、古野梅園、私、すっかり誤った考えを持っており、お殿様が楽しまれた梅園かと思っ

ていたのですが、入り口の標柱の裏に、由来が書いてありました。


島原松平藩の家臣に古野家があり、子孫の方でしょうか、世界で初めて魚群探知機を開

発し、船舶電子機器の総合メーカーグループとして世界的に有名になったそうです。


その子孫、古野マツヨ女史が、父祖先達が、こよなく愛した島原城に、思いを寄せていた

ことから、島原城の整備に浄財を寄付され、作られた梅園だそうです。紅梅28本、白梅2

57本、合わせて、285本の美しい梅園です。季節になったら、天守閣だけではなく、是非

ご観覧を。


島原城敷地内の祠にある、可愛いハート。見つけて、二人でお参りすると、結ばれ、幸せ

な人生を送れるそうです。(私の創作ですが ・・・・可愛いハート型で、こんなの初めて

見ました。)

石垣の修復も随分進んでおり、これなら、3月までに間に合いそう。

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島原市では、1月30日~9日まで、「ひなめぐり」がおこなわれます。

「桃カステラ大集合」、「甘酒」の振る舞い、「そば打ち体験」等もあるそうで、商店街を中心

に、各お店に、おひな様が飾られます。なお、3月2日には、島原城からアーケードまで「人

間ひな行列」が開催されるそうです。

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島原城の売店で貰ったパンフレット。他でも入手出来ますが、あれば便利ですから、ご利

用下さい。念のために、タダです。

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2014年1月24日 (金)

2014 今年も、ひとりぼっちの誕生日

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昨年は、あやうく自分の誕生日を忘れるところでしたが、今年はちゃんと覚えていました。


カミサンが私の誕生日を覚えているわけでもなく、カミサンに誕生日のケーキをお裾分け

する気も無く、1個だけ買ってきました。まあ、二人で、黙々と食べるのも面白くないし。


ケーキ屋さんで、ケーキを1個だけ買うのは、何となく気後れするものですが、やはり、歳

はとるもので、本当に図々しくなりました。

恥ずかしげもなく、「あ!その、おたんじょうびおめでとうのプレートつけてくれる。」


さて、昼、カミサンがいないのを見計らって、例年通りの、ひとりっきりの誕生会。

来賓の誕生日のお祝いの言葉、私からのお礼の言葉、ハッピーバースデーの歌、ローソ

ク点火と、吹き消し。(全部一人でやりました・・・・・来賓挨拶も)


来年こそは、若い彼女を作って、景色の良いホテルのレストランで、誕生会ができれば良

いのですが・・・・まあ、頑張りましょう。


ケーキのローソクを買うのを忘れたので、仏壇のローソクを拝借しました。普通のローソク

ではなく、正月などの、おめでたい時に使う、赤の和ローソクです。


「誕生日 冥土の旅の 一里塚 めでたくもなし めでたくもなし」  sugikan


お詫び

今日は、昨日に続き、ちょっとした島原の情報を書くつもりでしたが、次回にします。

追記

カミサンの誕生日はちゃんと覚えています。



2014年1月23日 (木)

島原城★宝刀「神気」と「神息」その他~島原市島原城 その1

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             (「島原城展示目録」より)


島原城に行かれた方。刀が所蔵、展示されているのを、ご存じだと思いますが、その中で

も、島原藩主松平家宝刀として「神気」「神息」という刀があり、これは、痛むのを恐れ、普

段、展示はされていません。


これが、特別展示されているという記事が新聞に載っており、26日までだとか。あと、いつ

見られるのか分からないので、急いで出かけて見てきました。


残念ながら、城内は撮影禁止の為、「島原城展示目録」より、一番上の写真を転載してい

ます。素人ながら、日本刀は人の目を引きつける、あやしい魅力がありますね。

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新聞と当日いただいた説明書によれば、「神気」は鎌倉時代、北条時頼から招かれたこと

もある、刀匠・粟田口国綱が作ったものだとか。


ガイドさんが説明されておられ、話をしていると、「神気」の茎先(刀の柄の中の部分)に、

実物では目視は出来ないのですが(何しろガラスケースの中)、大きく引き延ばした写真が

あり、確かに「神氣」と薄く彫られていました。「気」ではなく、旧字の「氣」と読めました。


松平家の正史、「深溝世紀(ふこうずせいき)」に、「天保十三年(1842)本阿弥百次郎を

して我が家の宝刀・神気・神息を研がせた」とあり、その際の折紙(鑑定書)も伝えられて

いるそうです。


「神息」は備前国宇佐の名工が大同年間に、平城天皇の皇子の護身用として作ったという

名刀です。


少し刀の勉強です。といっても、私もまったくの素人のため、当日の資料から・・・・・

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①大刀の種類として大刀~平安時代以前の直刀。60センチ以上のもの。

②太刀~刃長60センチ以上でそりがあり、刀を下に向けて腰にさす形のもの。

③刀~刃を上に向けて差すものを言う。「大小」の「大」で、長さ60センチ以上で先反が強

く、抜きざまに切れるように工夫されたもので打刀の名称がある。

④脇指(指)~刃長30センチ以上60センチ未満のもの。長さによって大脇指、小脇指の

名がある。「大小」の「小」で、庶民の道中差はこれに当たる。

⑤短刀~刃長30センチ未満のもの、腰に差すものを腰刀、内側に入れるのを懐刀。


「神氣」は、見ると、茎先(なかごさき・刃先の反対側)が、妙に切れたようになっており、ガ

イドさんの説明では、太刀であったものを刀に仕立てたものであるとのことでした。


なお、「神気」「神息」については、島原城ポータルサイトの「お知らせ」でも、少しばかり見

られます。


せっかく島原城に来たので、明日は古野梅園、城壁の修理状況、幸せの♡マーク、第10

回「ひなめぐり」の予定などを・・・・・



2014年1月22日 (水)

あ~!疲れた&「七夜月」でお昼ご飯

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前に書いたように、前立腺に、多少異常が認められ、PSA(前立腺ガンを計る検査値)

が、4以下なら無事。以上なら異常。(ダジャレです (*_ _) ゴメンナサイ) 私のが、昨年

から段々上がってきて、この前計った値が7.4。


まあ、一応検査しましょうと言うことで、機械の予約が入っているので、数日後、MRにて検

査。結果表の写しを貰いましたが、上の写真と共に、なにやら書いてあって、「前立腺癌を

疑います。」と記入有り。


写真は、私の前立腺あたり、あそこあたりですが、いくら見ても私の可愛いチ○コは写って

いません。


「MRだけでは詳しいことは分からないので、生検査をしましょう。」、え~また、あの肛門か

ら機械入れてする検査、とショック。日程は、どうしましょう・・・・・と


最近、持病の不整脈がひどいことを話すと、一応、循環器内科の検査もしましょうというこ

とで、再度、別日に予約を取り、後日、又、病院へ。


最初に循環器内科へ受付、三枚ほど、質問紙を書き、もちろん「慢性病」の所には、いつ

ものように「失恋病」。手術の所には「顔面整形」。


その後胸部レントゲン。あと、3階の検査室へ行ってくださいとのことで、途中、2階の泌尿

科によって、予約票を提出。


3階に行ってまず検尿。どうも、これ、昔から、イヤなんですよね。チ○コの前に、コップを

構えて、さあ小便を出すぞと。緊張して出ません。あせれば、あせるほど出ません。やっ

と、少しばかり出たら、次は「心電図を取ります。」、これは、寝てるだけでラクチン。


「次は、心臓エコーです」。検査技師の方が、可愛い若い女性で、胸など撫でられながら、

機械を心臓あたりにあて検査。これは、気持ち良かった。


検査結果を持って、再度1階の循環器内科へ。お医者さん、「異常はありませんから、検

査しても、大丈夫でしょう。」


再度、2階の泌尿科へ。検査の日程を決めに。最近は、PCで結果などをやり取りしている

らしく、「さっき、循環器の方から結果が来ましたが、検査、いつにしますか?」「最近、寒く

なったら、不整脈がひどいので・・・・・」「患者の方の気持ちも大事ですから、暖かくなって

からしましょうか?」


最近の、若いお医者さんは、患者の気持ちを考えるようになった方が多く、ありがたいもの

です。


ということで、3月3日に、検査の日程を決めるので、再度病院へ行く事になりました。3月

3日と言えば、ひな祭りの日。私、その気は無いんですが、肛門をいじくられる日を決める

のが、ひな祭りの日とは・・・・・・


多分、検査が3月中旬で、癌と決まったら、3月下旬が手術かな。まあ、しばらくはカミサン

の顔を見ないで済むかと思うと、その方が気楽なんですがね・・・


さて、病院へ、何回も行ったり来たり、おまけに、1階から3階まで、登ったり、下ったり。あ

れやこれやの検査。とにかく、疲れました。


終わっら、丁度お昼。帰っても、いつものように、カミサンは留守なので、食べるところを探

しに、車でブラブラと。丁度、長崎日大高校の近く、広い駐車場に車が一杯、こりゃなんじ

ゃ・・・と思ったら、コーヒー&ダイニングの「七夜月」という所でした。


駐車場の様子から見ると、お客さん、多いかなと思ったら、多い、多い。順番待ちでした

が、こちらは一人なので、五分くらいでテーブルへ。

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中は、洒落た雰囲気。昨年11月にオープンしたとか。

ひょっと、まわりを見回すと、これがなんと、諫早の若奥様、婆奥様ばかり、男は私一人。

ああ!このご主人達は、今頃、コンビニの弁当でも食べているのだろうと思うと、ナントナ

ク涙が浮かんできました。

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ランチの「尾付むきえび衣揚げマヨソース和え」を注文。えびが五匹も付いており、また、

太るんじゃない、と思いながらも完食。但し、ご飯は「小ライス」。デザートあります。

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店の名前、「七夜月(ななよづき)」とは、七夕(たなばた)のある月のことで、陰暦七月の

異称です。




2014年1月21日 (火)

作られた美談~1932年ロサンゼルスオリンピックから

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ソチオリンピックまで、まもなく。東京オリンピックも決定したし、という事で思い出したこと

が。スクラップ帳を調べたら、1984年2月10日の、週刊朝日のコラム記事。


話は、1932年のロサンゼルスオリンピック。5000メートルに出場した、竹中正一郎氏の

事です。竹中氏は、154㎝、50㎏の小兵。見る間に離され、先頭から、一周以上遅れて

ゴールしたそうです。


つぎの朝、「お前スターになっているぞと」、コーチに、たたき起こされたそうです。


新聞に次のように書いてあったそうです。「十万人の観衆の心に残る勝者は小柄な19歳

の少年タケナカである・・・・・」「一週遅れたタケナカは、先頭の選手に抜かれたとき、わざ

わざ外側へ移動して内側にコースをゆずった。また、半数の人が棄権したのに、彼は一人

無人のトラックを一周し最後まで走り抜いた。その謙虚なフェアープレー、敢闘精神は他

の範とすべきものである。」とあったそうです。


ここまで聞けば美談になりますが、71歳になった竹中氏は、同記事で次のように語ってい

ます。


「・・・・・・競技者にとってはたとえビリになっても、不利な外側のコースを走るはずはない。

コースをゆずることは、もう負けたということです。そんな人間は軽蔑されるべきです。あれ

は、たぶんコーナーで外側に少しよろめいたとき、先頭の選手が内側を駆け抜けたのでし

ょう。逆の方向によろけて衝突していたら進路妨害で、私が悪者にされる可能性だってあ

った」


このレースは優勝者が、ゴール前で斜めに走って、地元のヒル選手の進路妨害をしたとし

て、汚いレースとして伝えられ、それだけに美談化され、また、当時、反日ムードがあった

ので、新聞が「いい話」を探しいたらしいということです。


竹中氏は、「・・・・帰国したのち、私の行為は、日米の険悪な空気を緩和するのに役立っ

た、といってくれる人がいた。とんでもない話です。私は日米間が多少険悪になったとして

も勝ちたかった。それがスポーツというものでしょう。」


その後、「道徳的な敢闘精神の持ち主」と云われますが、それがイヤで、わざと進路妨害

したり途中棄権をしたり、講習会であまり褒められるので、途中席をたったこともあるそう

です。


「私のせいで、その後、途中で棄権することが悪いことのように誤り伝えられることになっ

た。心外です。棄権するしないは選手の勝手でしょう。いやらしいのはビリの選手に、みん

なが拍手することです。時間がかかりすぎ、競技運営にもさしさわりが出てくるようになっ

た。私がその先鞭をつけたわけで、内心忸怩(じくじ)たるものがありますよ」


「自分がやりもしないことを、良く取られても悪く取られても不愉快なことです。・・・・・私の

美談は正しい人間によって、よってたかって嫌疑をかける冤罪事件の裏返しのようにおも

えるのです」


さて、今回のソチオリンピック、又もやマスコミが、たいしたこともない話題を、大げさに騒

ぎたてるでしょうが、くれぐれも、冷静な報道をして欲しいものです。

(参考・文引用:1984年2月10日「週間朝日~連載スポーツ人間ちょっといい話」。記

 事、 中条一雄より)






2014年1月20日 (月)

タダの本!

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コノ話、ナントナク、前ニ書イタヨウナ気ガスルナ?マア、イイカ。


本屋さんに行くと、タダの本が置いてあります(本屋さんによっては、置いて無いところもあ

ります)。


タダと云うことは、ロハということで、本屋さんで本をタダで持ち出すと、犯罪になりますが、

上の本は、タダで持ち出せます。ただ、「この本、もらって良いですか」と断った方が、万引

きとは間違われないでしょう。厚い本で、500頁くらいありますから、大盤振る舞いといっ

たところ。



たしか、数十年前までは、10円と値段が付いていたのが、あったような気がするのです

が、結局は、「タダでいいですよ」と云われた記憶が、あるような、無いような・・・・


この、解説書、目録は大体同じ作りですが、本の内容が、3~4行程度でまとめてありま

す。

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ちょっと変わっていたのが、メディアワークス文庫。会社は、アスキー・メディアワークス。有

川浩の「図書館戦争」を出版したところ。

最近は「ビブリア古書堂の事件手帖」を出版していますが、このシリーズ、面白いですよ。

私も一冊持ってますが。

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この各解説書は、すごいもので、ライトノベルでも、エロ本でも、古典でも、純文学でも、哲

学書でも、先ほど書いたように、3~4行程度でまとめてある筆力。つくづく尊敬します。


なんと、あの、ドフトエフスキーの「罪と罰」も3行

「その年、ペテルスブルグの夏は暑かった、大学を辞めた、ぎりぎりの貧乏暮らしの青年

に郷里の家族の期待が重くのしかかる。この境遇から脱出しようと、彼はある計画を実行

するが・・・・」。まあ、ナントナク雰囲気は分かりますね。

もちろん、買わせるように、興味を持つ書き方はしてありますが・・・・・・


さて、この本、病院の待ち時間に読むのにピッタリで、あれ?こんな本あったかなと、チェ

ックするのに使っています。


これだけ、たくさん貰ってくるのには、少し、図々しさがいりますが、全部タダで貰ってくるも

の気の毒なので、今日出ていた「ビッグコミック スピリッツ」、340円を一冊買ってきまし

た。


本当は岩波文庫のを、探していたのですが、田舎の本屋の悲しさ、置いてありませんでし

た。もっとも、岩波文庫自体が置いて無いんですがね・・・・・




2014年1月18日 (土)

趣味はお持ち?

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私の家の、猫さんです。

といっても、陶芸です。S市のS公民館の陶芸グループに作っていただいたもので。玄関を

飾っています。


この陶芸ブループ、平成8年の公民館講座をきっかけとして結成され、現在29名が加入

しているそうです。


高齢化社会になって、退職して趣味もなく、仲間もできず、淋しい思いをしている、高齢者

の方もおられるとか。何かの趣味を持って、仲間作りをしていくのは、これから先の時代、

もっと必要になってくるのではないでしょうか。


さて、この公民館、陶芸の人が置いていくのか、あちらこちらに、作品が・・・

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私がいただいた、猫さんも並んでいました。

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やさしそうに見えて、なかなか難しいのが陶芸。湯飲みを作っているつもりが、だんだん上

の方が広がって、いつの間にやら、お茶碗に。プロの陶芸家の方、曰く「こんなものを作り

ました。というのがプロ。こんなものが出来ました、というのがアマチュア」、なかなか含蓄

のある言葉で、絵でも、写真でも、同じ事。目的を持って、意図したものが作れるのがプ

ロ。


現在、ひな祭りに合わせて、雛人形を作っているとか。この後、乾燥させ、素焼き、色つ

け、本焼きの手順です。既製品の人形より、お孫さんにあげると、喜ばれるのでは・・・・

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ここの公民館の良い所が、陶芸室と窯がある事。

陶芸は粘土を使いますから、綺麗に拭き上げたつもりでも、乾いてしまうと、白く粘土が残

ってしまいます。

窯も、学校のを借りたり、個人の窯を借りたりで、大変のですが、これなら充分腕が振るえ

ます。なお、窯は電気窯で、ボタンさえ押しておけば、火の調節は自動で出来るとのこと。

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使う道具も手作りが多く、右の黒くて丸いのはロクロですが、大きいものを作る時は、右の

木製の台をかぶせて使うそうです。これも手作り。


私もロクロを持っていたのですが、これ、クルクル回るので、盆栽の手入れするのに、最

高なんですよね。

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いま、各公民館、カルチャーセンター等で、各種講座をやっていますが、自分の好みに合

った、良い趣味をもたれたら如何?

私?良い趣味より、良い女。





2014年1月17日 (金)

水ペディア★あなたの知らないワクワク水世界~島原市雲仙岳災害記念館

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島原市の雲仙岳災害記念館で、「水」に関する、企画展があるとかで、病院の帰りがけ、

寄って見ました。


入り口を入ると、島原半島が世界ジオパークに認定されたためか、ゆるキャラの、ジーオく

んとジーナちゃんのお出迎え。


中は、水に関するさまざまな事、島原といえば、以前案内したとおり、湧水で有名な所で、

その名所のパネルの展示が主で、水に関する道具も展示してありました。

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左は水瓶。水瓶といっっても、水道で水をためるものではなく、遠くの川などから、水を運

んで満たしたもので、これを見ると、水のありがたさが分かります。水道の水を、流しっぱ

なしにしている、我が身を反省。でも、まあ、こんな大きな焼き物を作れますネ。


右は、五右衛門風呂。全部、鉄製でできていて、風呂場に据え付け、下の方から薪で湯を

沸かしますが、なにせ鉄製ですから、全体が熱くなり、そのままでは、入れないので、一番

下に見えるように、木を円形に切って、それを足で踏みながら入ります。子供には、これ

が上手く出来ず、踏んでいる木がひっくり返って、あっちっち、ということになります。


ウチの実家も、これより大きいのがあり、子供の頃、踏み板を踏んでも、沈んでいかず、

ひっくり返って、何回も熱い思いをいた覚えがあります。


なお、俗説では、石川五右衛門を釜ゆでにしたことから、五右衛門風呂という事になった

そうです。

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左は、時代劇でご存じの、釣瓶(同じ、つるべでも、鶴瓶ではありません。)

右は、プレートには「水桶」「天秤棒」となっていますが、説明には、「・・・・・便所から畑や肥

だめに運びました。」と書いてありましたが、どうなのかな?形は便所用とは少し違ってい

るようで、蓋まで付いていますから、やはり水桶か?

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これは、珍しく、江戸時代の水道管。

説明によれば、島原城の近く、「御用清水」(湧水場)から、殿様が住んでいた御殿まで水

を送水していたとか。


火山の溶岩に溝を掘り、二対を合わせ、接合部分は、赤土、石灰、なたね油、砂利を混

ぜて固めて繋いだそうです。

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会場をあとにすると、

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島原半島世界ジオパーク情報スペースと事務局。少し、寂しいかな?

と思っていたら、思わぬものが、普通、島原半島は平面の地図でしか見られませんが、立

体地図が・・・・真ん中の山が雲仙岳。島原半島右と左の違いが分かりますか?

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千々石町、小浜町、南串山町方面。赤の矢印が千々石断層。この断層がずっと続いてい

て、ほとんど耕作できる土地は見当たりません、

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こちらが、吾妻町、瑞穂町、国見町、有明町方面。耕作できる土地が、多いことが分かる

と思います。同じ、島原半島でも地勢が違うことが、一目瞭然です。

こちらの方面が、古墳等多く有り、昔から人が多く住んで、集落があり、豪族が多くいたこ

ことがうかがえます。

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水のことをお勉強した後は、水っぽいところにいきたいのですが・・・・ドクターストップで・・

水っぽいところ?あなた、水商売の事ですよ。



2014年1月16日 (木)

クマモンもいるよ~森山町上井牟田の溜池

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本日ハ、病院デ、又、精密検査。又、又、疲レタノデ、写真デ、誤魔化スカ。


時々、載セテイル、森山町上井牟田ノ、タメ池。正月ハ終ワリマシタガ、オブジェハ、マダ、

オ正月。ナントナク、ノンビリシマスネ。


ヨク、見タラ、クマモンモ応援ニ来テイマシタ。

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オ昼ゴ飯ハ、長崎ノ情報誌デ、「ながさき女子のクチコミグルメ」特集ニ載ッテイタ店ニ入ッ

テミマシタ。(諫早市森山町)


紹介ニヨレバ、「長年京都で修行を積んだ店主が営むこの店出会えるのは、程好く創作の

入った”くずし京都料理”」


一回入ッテ見ヨウト思ッテイタノデスガ、聞イテミタラ、昨年ノ四月ニ開店シタトノコト。ソンナ

ニ、タッタノカナ?古人曰ク「老人、老イヤスク、ボケ易シ」。


カウンターニ座ルト、オ~焼酎ノ「青一髪」ガ並ンデイマスネ。コレ、以前ハ、ホトンド、手ニ

イラナカッタンデスガ・・・・「青一髪」ノ由来ハ、頼山陽ノ漢詩、「泊天草洋」ノ一節「青一髪」

ニヨリマス。

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平日昼二十食限定ノ「気まぐれランチ」。「鯛ノ頭ノ兜焼キ」ガ付イマスガ、カブリツカナイト

食ベラレマセン。彼氏ト行ッテ、ミットミナイトコロヲ見セナイヨウニ。

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オ味ハ、イツモノ通リ、自己責任デ、自分デ確認シテ下サイ。




2014年1月15日 (水)

島原街道の馬頭観音菩薩

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馬頭観音菩薩。街道のあちらこちらに、多く見られる菩薩様です。


島原方面から、長崎に行く時、今では矢上大橋を通りますが、昔は、少し山(丘)越えの道

を通っていました。

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    (「島原藩主~長崎監視の道★島原殿さんの道の会」刊より)


青い線が矢上大橋に行く道。昔は、黒の下線「一里塚」「馬頭観音」「普賢岳登り口」と通っ

て、左折して、長崎に行きましたが、この細い赤い線の道が、長崎街道であり、島原の殿

様がここを通り、長崎を巡視して、将軍に報告していました。


先日、カミサンの用で、久しぶりに、旧道を車で運転していると、赤の矢印。なんかある

な、と思ったのですが、カミサンは、こんなものには興味が無いので、その日は素通り。昔

はこの道は狭く、団地ができたため、拡張されました。

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昨日、用事があったので、ついでに寄って見ると、馬頭観音でした。

馬頭観音は特に街道筋に、多く見られるもので、あまり珍しいものとは言えませんが・・・


そのまま風雨にさらされているところ、祠に祀られているところ、種々ありますが、ここの馬

頭観音様は、地区の人から大事にされているらしく、少し古びてはいますが(昭和55年に

作られたみたいでしたが)看板もあり、馬頭観音の説明、文久時代のものである事、矢

上、戸石、田結、江の浦の人々が作ったことまで書いてありました。また、敷地内も綺麗に

掃除がしてありました。


「馬頭観世音菩薩

仏教に云う六道のひとつ、畜生道に堕している衆生を済座(おすくい)する観音さまで、そ

のお役目から、民間には牛馬等の増産や疫病、又、死がい埋葬、と殺に際して諸難消炎

の御願成就の信仰対象とされました。

かって、牛馬がいかに手厚く家族の一員として過ごされて来かを示している。

その、忿怒の相や手腕の多きは、馬頭観音が、いかにすざまじいものであるかを古人達

は素直に信じていた証である。

本御尊像は文久○年、時の矢上、戸石、田結、江の浦の信仰者たちが建立したので、

後、諸離消炎してくださる観音さまとして信心を共に拝受するものである。

                         昭和五拾五年拾月弐日   陣の内組一同 」

    

(文章の句読点は、筆者。文の移し間違いはお許しを)

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現代、ともすれば史跡、遺跡等荒れ放題になって、由来も何も、分からなくなっているとこ

ろが増えつつあるようです。



この、馬頭観音様みたいに、由来等もきちんと書いてあると、興味が深くなるのですが。

昔は、この馬頭観音様の近くを、島原の殿様が通って行かれたかと思うと、感慨深いもの

でした。


附録に、花の写真でも。

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花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき。まるで私の事みたい。





2014年1月14日 (火)

節談説教~御正忌報恩講から思い出したこと

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お寺は、葬式と法事くらいで、暇かと思ったら、年間、御正忌報恩講、婦人会法座、春彼

岸会法座、春永代経法座、親鸞聖人降誕会、盆会法座、秋彼岸会法座、秋永代経法座、

その他、日曜学校等、以外と忙しいもの。おまけに、お葬式は、いつあるか予約があるで

なし。


縁あって、地元のお寺の檀家になりましたが、今日は、御正忌報恩講で、前に聞いた法話

が面白く、今日も出かけて見ました。


講師(布教師)は、山口県の正法寺住職白石智昭師。「お楽に聞いてください。寝ても、足

を四方八方、伸ばしても良いんですよ。・・・」「町村合併で、人口が27,422名、猪が3万

頭・・・・・山口県は浄土真宗のお寺が630。これ、コンビニより多いんじゃないです

か・・・・」ということで、面白く話を始められましたが、中に親鸞上人の生い立ちまで語ら

れ、多分初めて聞く方もあるようで、参考になったのではないかと思います。


さて、これまで2,3名の講師の方の声を聞いていると、あちらこちらで、話をされているの

か、良く通る声で、ひょっと聞くと、浪曲師か講談師のような声。これで、思い出したのが、

上の、小沢昭一の「日本の放浪芸~節談説教」。


日本から消えゆく芸を、日本全国廻って、集めたものです。これに「節談説教」というのが

あり、お経は読むと分かるとおり、何が書いてあるのか分かりにくく、特に、昔は今と違っ

て、一般庶民は、学問はなく、その人々に、仏典を分かりやすく説く事が必要で、そのため

専門職ができ、その一つとして節談説教が派生します。


浪花節のように節をつけて、話をしますが、中身は阿弥陀如来を背にした、仏教の話で

す。


近代、近世に真宗に盛んになり、名人と言われる人も現れ、寺社等を回り説法をし、節の

無い説教はなかったそうです。


明治以降、浪花節だと批判をされ、今日では、ほとんど聞くことが無くなったと言うことで

す。


心を開かせるには、笑わせることも大事で、開かれた心に、仏の教えを教えていく。上の

テープは名人と言われる人の、録音で、興味あるものです。


さて、各寺でも、法話があっていると思いますが、是非、聴いて見てください。下手な講演

会の話より、感心します。おまけにタダです。


いま、樹木葬、散骨、果ては、宇宙に遺骨を送る事までやっているみたいですが、まあ、

個人の自由でしょうが・・・・・私も、若い時は散骨(博多の中州に)を考えていたのですが、

段々歳をとっていくと・・・・


お寺に置いてあったパンフレット。若い方は、知らない方もおられると思いますので、参考

に、年期です。


一周忌、三年忌、七年忌、十三年忌、十七年忌、二十三年忌、二十七忌、三十三年忌、

三十七年忌、五十年忌。おじいちゃん、お婆ちゃんの命日が分からない方は、位牌等に

書いてあると思いますのでご確認を。カミサンの実家でも、ばあちゃんの年期はいつだっ

たか、皆でワイワイやったことがあります。


なお、年期は、五十周忌までですが、私の父母の五十周忌の時は、私は113歳です。命

がもてるかな?


解説に書いてあることを忘れていました。上の話とダブりますが・・・

「節談説教は、今まで学問の世界でも無視されて、研究の対象になることはなかった。教

団発展に最大の力を注いだ説教師達は、長い歴史を通じて底辺の庶民たちから渇仰され

たが、ついにそのきびしい生活の実態は、宗門の上層部や学界では正当に評価されるこ

ともなく、今、静かに消滅の道をたどりつつある。」


ただ、私が聞いたお一人の方は、節談っぽい所があり、ひょっとしたら、名残がまだ残って

いるのかも知れません。

(参考:引用:「日本の放浪芸」~小沢昭一)






2014年1月13日 (月)

「ダンヒルライター」と映画「竜二」の私的思い出 その2

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DVDの映画の最初に、メッセージがでます。


「竜二」主演の金子正次、さる、11月6日未明に亡くなりました。

金子正次の「竜二」は永遠に不滅です。


1983年公開の映画です。いつ、どこで見たのか忘れましたが・・・・・・

自主制作で、金子政次の初出演の映画。湯布院映画祭に出品後、10月29日より全国で

公開され、ヒットするも公開中の11月6日に33歳で死去しました。上の言葉、亡くなった

後、映画館に貼られていたそうです。あの頃に、青春を送っていた方は、この映画、ご存

知だと思います。


あらすじを簡単に書くと、

新宿でやくざ稼業をやっていた竜二(かなりの顔役)が、やくざに漠然とした疑問を覚え、

やくざから足を洗い、別れていた妻と子供(女の子は金子政次の実際の娘)と一緒に暮ら

し、ひと時の幸せを送る。酒屋の配達をし、以前とは、取る至らない給料だが・・・



その中で、昔、足を洗った先輩、同稼業で、友だったやくざの死、手下だった男の出世に

出会いながら、再び竜二はやくざの世界に戻っていく。



ラストシーンが、秀逸で、肉屋の特売日に、妻と娘が並んでいるのを見かける竜二。妻も

気付くが、2人の間には何の言葉もない。かたい顔の竜二。映画は、無音の世界になって

いく。



しばらく見つめあうが、竜二の眼にかすかに涙が流れる。妻に背を向け、雑踏の中に消え

ていく竜二。妻はすべて分かったのか、娘に、「あや、おばあちゃんの所に帰ろうか。」「ま

た、全日空に乗れるの?」



最後は、竜二が夜の雑踏の中を歩き、萩原健二の「ララバイ」の音楽が流れる。暗転。こ

この所、恰好良すぎる!


さて、この映画の中で、竜二に2人の手下がおり、一番下のチンピラが、バーゲンで服を

買ってきて、兄貴分に、自慢する。「これ意外と安いんです、そこんところで、バーゲンやっ

てたから」、と言うやいなや、兄貴分が、「なんだ、この野郎バーゲンだ、やくざがバーゲン

のものが買えるかよ、そんなものは、???主婦か、あほだら倅に、まかせればいいんだ

よ。

お前ヤクザの意地があるのかよ・・・・・・・と竜二さんに言われたんだよ。」と台詞があり、こ

の言葉が妙に頭の中に、残っていたのです。


後日、ある人から、こう言われました。「100円ライターなんか使うんじゃないよ。100円ラ

イターを使うやつは、100円の価値しかないよ。」


このようなことから、特にダンヒル支社での感動から、やはり、男は一流のものを持たなけ

れば、という思いが頭に中にずっとあり、タバコを吸わないのにかかわらず、ダンヒルのラ

イターを○万円で買ったのでありました。


ここら辺の心の動きは、他人には分からないと思いますので、ブログタイトルも、「私的思

い出」にしています。「私的」なら、自分だけ分かれば良いもんで・・・・


ほかにも、カミサンに値段を言ったら、離婚ものの一流品を、密かに隠し持っているので

ありますが。


竜二がやくざを引退する時のセリフ


花の都にあこがれて

飛んできました一羽どり

ちりめん三尺パラりと散って

花の都は大東京です

金波銀波のネオンに下で

男ばかりがやくざではありません

女ばかりが花でもありません

六尺たらずの五尺の体

今日もゴロゴロ明日もゴロ

ゴロ寝さまよう私にも

たった一人のガキがいました

そのガキも今は無情に離れ離れ

ひとり淋しくメリケンアパート暮らしよ

今日も降りますドスの雨

刺せば監獄

刺されば地獄

私は本日ここに力尽き引退いたしますが

ヤクザモンは永遠に不滅です


このセリフ、長淵剛の「泣いてチンピラ」の曲が似ている所があり、「花の都に憧れて 飛

んできた逸れ鳥」「六尺足らずの 五尺の痩せこけた体で」「刺せば監獄 刺されば地

獄」。長淵剛の曲の方が後です。


さて、そこで、百円ライターを使っている、アナタ、今すぐ一流品に取り替えなさい。安っぽ

いもの使うんじゃありません。安っぽい人間になりますよ。


私、本当は、マッチでタバコに火をつけるのが、一番カッコ良いと思っているのですがね。

「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」  寺山修二

「既に煙草はなくなりぬ 頼むマッチも濡れ果てて ・・・・・・・・・」   討匪行より 



ところで、私のダンヒルどうしてるかって?御仏壇のローソクの火を付けるのに、使ってい

ます。カミサンも、一流品に取り換えたいんですがね。こっちが取り換えられる方か・・・・







2014年1月11日 (土)

「ダンヒルライター」と映画「竜二」の私的思い出 その1

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下の台の色の影響で、少し金色気味になっていますが、両方ともシルバーです。


左が、ジッポーのライター、高校時代に買ったもので(もちろんタバコを吸う為)、50年弱の

前のものです。今のジッポーは、いろいろ飾りがありますが、以前は、何もついてなく、シン

プルなもの。


右は、ダンヒルのライター「dunhill 70」と入っていますから、調べると1960年~1970年のも

のらしく、ジッポーと同じ年代かな?


ダンヒルのライターは、今から10年ほど前、オークションで買ったもの。私がタバコをやめ

たのが、30年ほど前。タバコを吸っていないのに、ライターを買った?理由は、又。


今回は、このダンヒルのライターの私的思い出です。ダンヒルのライターは、友人がカタロ

グのオークションをやっていて、それで見つけて買ったもの。


今もちゃんと動きます。この、キャップを開閉するときの音、なんとも言えませんね。高級

外車のドアの開閉音と一緒です。


小さい所も手抜きなし。フリント(火花を飛ばす石)の入れ替え部分。1を下げ、2を左に動

かし、3の部分にフリントを入れます。ちゃんと今も動きます。

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底の部分。ガスを入れるところですが、まあ、精密機械ですね、

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さて、私が東京で会社勤めをしていた時、先輩のダンヒルが故障し、丸の内の東京支社に

持っていったところ、とにかく、凄い鍛錬をしたような、カッコ良い紳士が現れ、私がライタ

ーを出したら、さっと恰好よく、バックスキンの手袋を付け、両手で受取り、「お預かりいた

します」。その、物腰たるや、実に優雅なもので、さすが一流のところは違うと、感動したも

のでした。


この人物、早川良一郎さん(日本エッセイスト賞受賞者)の本に、「・・・私の勤め先に来た

ことがある。後で、対応した女性が私にいった。「『顔は日本人みたいだけど、なんか外国

人みたいでしょう。日本語通じるかしらって心配してしまったわ。』・・・・幹侯(幹部候補生)

出身の大日本帝国陸軍将校であった時期もある。」。将校なら、鍛え方も違うはず。同じ

感じの人物でしたから、私に対応した人でしょう。


さて、このダンヒルのショップマネージーと、この方、なんと、ダンヒルの社員にもかかわら

ず、禁煙をしたとか。あるパイプーラー(パイプを喫う人)が、「けしからん、本社に投書して

やる。」といっていたそうですが、まもなく、喫煙を再開したそうです。


なお、ライターの故障に関しては、團伊球磨さんだったか、梅田晴男さんだったのかの本

に、こんな話が書いてあった記憶があります。


初代のダンヒルは、「我が社のライターは、絶体故障しない。もし故障したら、我が社が悪

い。故に修理代はいただかない。」

2代目のダンヒルは、「我が社のライターは、絶体故障しない。もし故障したら、使う人が悪

い。故に修理代はいただく。」

どちらも分かるのですが、どちらが本当でしょう?


私、以前はヘビースモーカーで、毎朝、ピー缶(ピースの缶入り、50本入っています、もち

ろん、フィルター無しの両切りタバコ)を2缶買って、毎日吸っていました。ちなみに、フィル

ターのタバコは、婦女子が吸うもので(差別的用語ですみません m(_ _)m ゴメンチャ

イ )、あれは、タバコではありません。


タバコが旨いのは、ニコチンとタールがあるため、それをフィルターで軽減するとは、何

事。男なら、両切りタバコを吸うべし。


パイプも20本ばかり持っていて、楽しんでいたのですが、タバコを止めるのには、苦しみ

ました。パイプの話は、いずれまた。


いずれにしても、禁煙して良かったと思います。あのままだと、多分この世にはいなかった

と思います。映画「竜二」の話ですか?それは次回。


シクラメンが、きれいに咲いていました。「真綿色した シクラメンほど 清(すが)しいもの

はない 出会いの時の 君のようで・・・・」、ウチのカミサンもそんな感じでしたが・・・・・

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2014年1月10日 (金)

写真を2枚

今日ハ、イロイロ、アリマシテ、疲レタノデ、写真ヲ二枚ダケ。

ノンビリ、眺メテクダサイ。

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場所ハ、千々石海岸ノ千々石川河口。向ウニ見エル崖ハ千々石断層デス。

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デハ、オヤスミナサイ。




2014年1月 9日 (木)

「2014 間違いだらけのクルマ選び」&昼ごはんは「ビッグシェフ」にて~諫早市唐比

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カミサンが、私が新車に替えたのに刺激を受けたのか、「私も、車を替える!」。もっとも、

10年ばかり乗って、消費税のアップとあっては、今のうちに買っておくのがベスト。


H社のFという車種に乗りたいというので、カタログと話を聞きに。カミサンは自分の事なの

に、またや、ぬり絵教室。一人で行ってきました。


クルマ屋さんに聴いたら、消費税の関係か、購入する人が多く、3カ月待ちぐらいになる

とか。


しばらく話をして、帰りがけ、本屋さんを見たら、上の本が並んでいました。

この本、以前お世話になったのですが、1967年から2004年まで刊行。一時休刊して、2011

年から、島下泰久氏を加えて再刊行。本の中身については、人の読み方それぞれでしょ

う。特に車については。


読めば分かりますが、徳大寺有恒さん、相変わらずの、VWのゴルフ好きですね。私も影

響をうけて、ゴルフを買い10年ほど乗りましたが・・・いまUP!に乗っていますが、良くも悪く

も有り、やっと慣れてきたところです。面白い車ですが・・・・・


7000キロあたりで、ミッションの一部故障で入院。まあ、外車ですから、外車持ちは、故

障が多くても、おおらかに生きましょう。


車に求めるものが、昔はカッコよさ、カッコよさからスピード、スピードからエコ、エコから安

全へ、そして自動運転へと変わって来ました。


高齢者が多くなっていくなか、田舎に行くほど、車が必要です。なにせ、バスは、30分から

1時間に一台。あとは、タクシーでスーパー、コンビニに買い物に。これ、実際の話です。


行き先を指定すれば、目的地まで、自動運転してくれる。ドア・ツー・ドアの車。ありがたい

ことです。早く、そんな車ができてくれれば良いのですが。この本にも、この事には、少しば

かり触れてあります。


さて、帰りがけ途中で昼食タイム。以前、森山町の唐比にあった「シェフ亭」に。と思ってい

たら、あら!看板が変わって「ビッグシェフ」に。


とにかく、分かりにくいですね。右の写真。看板がなかったら分かりません。まさに隠れ

家。赤の○印が、看板。

P1090150 P1090148

中は、まったく普通の家。二間ばかりが、食事をするところですが、テーブルが4,5個。で

も、全部ふさがっていました。

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経営者も変わっていると思ったら、同じ方。話をしたら、体力が衰え、昔みたいに、コース

料理を作るのは、少し無理なので、ハンバーグの店にしたとか。


左は、前菜と、大根の煮物。大根は、柚の薬味がきいて、美味しかった。ハンバーグは、

ふわっとしたハンバーグ。アットホームなお店なので、探して見てください。

P1090134 P1090136

お店にあった飾り物ですが、海に落ちているガラス片(シーガラス)を拾い、組み合わせて

作ったものだそうです。お知り合いの方が作られた物だそうです。

P1090142 P1090143  

店にかすかに流れていたのが、サッチモこと、ルイ・アームストロングの音楽。このセン

ス、分かる人には分かるんですが。分かりますか?




2014年1月 8日 (水)

正月の行事②~鬼火

Dsc_0114_3

千々石では「鬼火」と言います。「オネビ」「オンノメ」「オンノホネ」という所もあります。

「左義長」と同じで、小正月の火祭り行事です。千々石では一月七日に実施。


こちらでは、子供会が中心になって、実施をしています。私の、自治会では実施していない

ので、近くの自治会の、鬼火をしているところに、松飾りを持って行って、焼いてもらいまし

たが、子供の姿が見えなく、

「子供は?」

「2人しかおらんとよ。もう、大人の行事たい。」

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数年前は、どこの子ども会でも、鬼火をし、高学年が下の学年を指導して、山から木や竹

を切ってきて、積み上げていたのですが・・・

みれば、矢印のところに、子供が二人。田舎に住んでいれば、少子化は、「ああ!実感」。

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大人は、お喋りをしたり、酒を飲んだりで、自治会の良いコミュニケーションの場。


子供は、この日に、習字の紙を焼いて、高く上がるほど、字が上手になるとか、体を温め

れば病気にはならないとか、餅やイモを焼いて、竹のはぜる音にビックリして、楽しんだも

のですが・・・・


さて、山本謙吉氏の歳時記によれば、「左義長」のところに、「どんど場は村はずれや道の

辻、坂の根、橋の袂など一定しており、東国では道祖神の祭りと統合して、さいと焼きとも

言う。」と書いてあり、この行事、随分昔からあったらしく、続けて、「『徒然草』に「さきちよう

は、・・・・・・」(第180段)とあり、また、「『弁内侍日記』には、建長三年(1251)正月16

日、左義長が行われたことが見える。」と記されています。


こちらでは「鬼」という字が入っていて、なぜ「鬼」という字が入っているのか、調べて見る

と、新上五島町の公式サイトでは、「オンノホネ」として、「鬼の骨まで焼き尽くし、災いを取

り除く正月行事で・・・」とあります。


「吾妻町史」には、「・・・大隅半島では、鬼の死体からいろいろなものが発生した。そのこと

については民俗学の大林太良氏は、死体化生型作物起源神話の痕跡がとどめられてい

るとも言っておられる。」・・・・・「正月の火祭りの起源といえば、天から降った神ないし鬼が

死に、その死体に作物が発生し、それが儀礼化して火祭りが始まり、また鬼の死体ないし

死体に発生した作物を焼いたことから、火祭りの焼餅が始まった。」と書いてあります

(太陽と月 小学館発行)。


正月の行事③は、1月20日、午前五時から、橘神社軍神橋下の千々石川で、寒中禊が

行われます。もちろん、みなさん、川の中に入ります。これを予定していたのですが・・・

私、残念ながら、不倫を初めとして、禊ぎするほど、悪い事はやっていません。おまけに、

朝五時には起ききれませんから、これはパス。







2014年1月 7日 (火)

新年の行事①~七草がゆ★雲仙市千々石町橘神社

1

1月7日といえば、七草がゆ。七草がゆの振舞いがあった神社もあったと思います。

今日は、橘神社で七草がゆの振舞い。ちろん、ご近所とあっては・・・出かけてみました。


さて、七草、言える方?「せり、なずな、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」。一つ抜

けてる?「ごぎょう」ですネ。皆さんを試してみただけです 


橘神社には、ちゃんと皆さんが分かるように、高見氏によるちぎり絵の見本と、本物が展

示してあります。どれも同じような雑草みたいですが、「名のない草はない」ということで、こ

れなら、子どもにもよくわかりますネ。

2 3

橘神社といえば、桜が有名ですが、皆さんご存じないと思いますが、梅の木もあります。そ

の梅の実で作った、梅干し。もちろん、無農薬。

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平日なので、少ないかと思ったら、意外と皆さん、ご馳走になっておられました。

7 6

さて、折角ですから、七草がゆに関する話を、少しばかり


南北朝から江戸時代の初めまで300年ぐらいの間に、「御伽草紙」という、いろんな話が集

められた本が書かれました。


「鉢かつぎ」「浦島太郎」「ものぐさ太郎」「一寸法師」なども入っています。そのなかに、「七

草草子」という話があります。概略を紹介すると


昔、唐土に、大しう、という孝行ものがおり、親が百歳に及び、老いてしまい、これを見るに

つけ、心を痛め、若くなってほしいと望み、「両親の代わりに自分に歳をとらせてくれ」と、

神仏に少しでも近づくため、高い山に二十一日間登って祈ります。


二十一日目に、帝釈天王が現れ、薬を与え、次のような話をします。


須弥(世界の中心そびえたつ山で、帝釈天が住むという)の南に、白鵞鳥という鳥がいて、

長生きをすること八千年。


この鳥は、春の初めに七色の草を集めて服するから、長生きをする。その白鵞鳥の命を

お前の両親の命にしよう。ついては、七草を集めて、柳のお盆に載せて、玉椿の枝で、正

月の6日より始め、

酉の時には、芹といういう草を打つ

戌の時には、薺という草を打つ、

亥の時には、御形

子の時に、田平子

牛の時には、仏の座

寅の時には、菘

卯の時には、清白を打ち、辰の時に、七草を合わせ、東の方から、岩井の水を掬い、若

水と名付け、この水で、白鵞鳥のわたらぬ先に、服するように。

そうすれば、一時に十年づつ若返り、その後、親子三人、八千年生きるだろうと、言ったそ

うです。


さて、ここで、「白鵞のわたらぬ先に」とありますが、七草かゆを作る時、右手に包丁、左手

に杓子を持って、七草の若菜をたたきながら、「七種(ななくさ)なずな、唐土の鳥が日本の

土地に渡らぬ先に」と言いながら、若菜を刻んでいきます。


今日のTVニュースを見ていると、長崎の諏訪神社で、「七草なずな、唐土の鳥が日本の

土地に渡らぬ先に」と唄いながら、若菜を刻んでいました。

何百年も前からの風習ですが、伝統として残っているのを見ると、うれしくもありました。


今日見たら、英語の絵馬。見るの初めて。「カミサンと仲良くしたい!」と書いてあるのでし

ょう(私、日本人で英語全然分かりませんが・・・)。


参道の出店、いつの間にかなくなっていました。いつもの、静かな神社に戻りつつありま

す。次ににぎわうのは、桜の季節。

8 9

大門松。1月26日、「大門松解体清祓」をもって、解体されます。見るなら、今のうち。

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ひさかたのあさきゆめみむひめはじめ   鷹羽狩行

初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり   阿波野青畝

七草や女七人かしましや   sugikan  (^-^; 毎度おそまつ



(参考・文引用:日本古典文学全集「御伽草子集」~小学館・刊★古典文学全集「御伽草

 子」~北畠八穂★微苦笑俳句コレクション~江國滋)




2014年1月 5日 (日)

「新春初笑」★鰻家小にょろ・らくご一もん総出演~島原市・サンプラザ万町にて

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「新春初笑」といっても、プロの落語会ではなく、全員アマチュアで、今日、寄席があるとか

で、知り合いから案内があり、よせば良いのに寄席にでかけました(これ駄洒落です、念

のために)。


あまり期待はしていなかったのですが、皆さん、上手いこと。プロ顔負けといったところ。


さて、島原では、子供狂言、各種の催し物での、子供たちによるお茶の接待があり、上手

に子供たちを育てていますが、この寄席にも、子供たちが4名ほど出て、これがまあ、堂

にいったもの。


いま、島原は衰退していますが、子供の頃から、文化、芸術に触れさせ、育てていけば、

時間はかかっても、必ず復興していくでしょう。


童流亭砂利くんに、童流亭小蓮ちゃん。この、堂々たる舞台態度。大人だって、こんな所

で、話をしてくれといわれると、ビビリますよね。

Photo_2 Photo_3

童流亭湧水くんは「時そば」。このそばの食い方の上手いこと。童流亭放鯉くん、中学生で

しょうか、普通中学生くらいになると、恥ずかしがって、こんなところには出ないんです

が・・・・・・

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浪花家すずめさん。一番上の写真の様に、演台があるのが、上方落語の特徴。上方落語

は、江戸落語と違い、最初は、道端に舞台を設けて、話をしたのが始まりといわれ、人に

注目をさせるために、演台を叩きながら、話をしたとの事です。


すずめさんは年齢不詳。大阪の河内生まれの美女。もちろん、本物の大阪弁での咄。演

目は、大ネタの「愛宕山」。男も疲れる演目です。


なお、子供の本の読み聞かせもしていますが、大阪弁で書かれた童話があり、これを本

場の大阪弁で話したのは、絶妙なものでした。

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さて、この落語のグループ、数年前、鰻家小にょろ師匠を講師とし、公民館講座で「落語

講座」を始めたのが、きっかけだという記憶があります。


今は、師匠は桜宴社中を作って、各種イベントで活躍をしているみたいです。なお、FM島

原でも、パーソナリティをつとめています。


少し立ち話をし、「師匠は?」と聞くと、無いと言うことで、どうも独学みたいでしたが、立川

談志師匠を尊敬しているそうです。演目は、これも大ネタの「道灌」。かなり練習しないとで

きない咄。前半から、後半の切り替え、なかなかのものでした。

3

最後のトリは、紫紺亭志い朝師匠。えらく、舞台慣れしているので、あとで他の人に聞いて

見ると、M大学の落研(落語研究会)にいて、第11代目の紫紺亭志い朝だったそうです。


演目は、「金明竹」。これ、前半と後半に別れますが、後半、上方の男が現れ、丁稚とおか

みさんに「わてな、中橋の加賀屋佐吉方から、使いに参じまして、先ほど仲買の弥市が、

取りつぎました道具七品のことで・・・・・・・」と、延々やるのですが、紫紺亭師匠、淀みなく

やってしまいました。さすが、落研。

Dsc_0101

この部分は、三遊亭円丈が、名古屋弁で演じたものがありますが、こちらも、機会があっ

たら、聴いてみてください。少し変わって面白いですよ。


さて、特に子供たちは、寄席に行って咄を聞いて、勉強するのが一番なんですが、田舎

の悲しさで、年に数回しかこちらには来ません。(談志師匠は寄席に、入り浸りだったそう

ですが・・・・・)

こういうグループがある所って、楽しいですね。






2014年1月 4日 (土)

「黒田官兵衛」ブームか?

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いよいよ、5日から、NHK大河ドラマで、「軍師 官兵衛」が始まります。「センゴク一統記

6」のブログでも少し触れましたが、石田三成、加藤清正、豊臣秀吉、明智光秀、徳川家

康等々と比べ、知名度は若干落ちますが、司馬遼太郎の「播磨灘物語」を始め、数人の

作家が取り上げています。


私が、初めて知ったのは(歴史の時間は寝ていたので、ひょとしたら出ていたかな?)坂口

安吾の「二流の人」。これは、「播磨灘物語」同様面白かった。


さて、今日本屋に寄ってみると、「黒田官兵衛」に関する本が、十数冊、ズラリと並べてあ

り、これにはビックリ。


これ、NHKから出版された本で、官兵衛さん、カッコよすぎますね。当時の日本人の、身

長、足の長さからすれば、私が主演した方がぴったりするのですが・・・・

Img_0001

さて、黒田官兵衛の生涯については、ウィキペディアを読めば、手っ取り早く分かります

し、本日発売の週刊誌にも載っていて

Img_0002

「妻たちがやっている夫に見せられないSEX」(こちらの記事もお薦め)の、横の白の四角

で囲んだ、「10分で分かる『黒田官兵衛』ってこんな人」。


10分間で分かればたいしたもの。と思って、買って読んでみると、意外に分かりやすく、客

観的に書いてあるので、これも、手っ取り早い参考になります。曰く「現代ならば中間管理

職」。どこかのTVでも同じ事を言っていましたが・・・・・


なお、関ヶ原の戦いの際、「九州を制圧し、勢いで関ヶ原の勝者と天下を争う」という説(

司馬遼太郎はこちらの説)と、違うんじゃない、という説がありますが、関ヶ原の戦いが、一

日で終わったため、今となっては、分かりません。


一番上の本は、放送台本を、ノベライズしたもの。これも、分かりやすく、なにせ、一年間

の放送ですから、早く先を知りたい方は、こちらをどうぞ。まだ、第一巻しか出ていません

が。


私としては、司馬遼太郎をお薦めしますが、少し長く、司馬遼太郎史観を、お好みで無い

方もおられるので・・・・・


黒田官兵衛さん、突然のブームで、あの世でビックリしているんじゃないでしょうか。

明日からが楽しみです。


明智光秀役、私の好きな小朝さんですが、イメージが違うので、大丈夫かな?

Img_0004

(NHK出版社「軍師 官兵衛 前編」より)







2014年1月 3日 (金)

絵馬百態~千々石町橘神社

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絵馬。願い事などを書いて、奉納するものですが、多分、その年に書かれた願いの絵馬

は祈願して、処理されたのでしょう。下の写真の通り、31日は、すっからかんでした。上の

写真は1月3日のものです。

Photo_3

2012年の絵馬では、「妻とスムーズに離婚できますように・・・・」というのがあって、びっくり

したものですが、今年は大体例年どおり、進学、健康、家内安全、結婚、諸合格祈願が多

く、意外と就職に関する祈願が少なくなったみたいで、就職難は少しは解消しているのか

な?


少しばかり、絵馬を写してきたので・・・・

「クマモン」書いたの、誰だ!雲仙市は「アイノン」だ。

「じいじのびょうきが・・・・・・」。泣かされますね。うちも、今日の夕方まで、孫が遊びに来て

いて・・・・・・

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「がんばります」たって、自分だけ頑張っても一緒ですよ。旦那さんも、がんばらせなくて

は。

「高校受験合格」というと、中学生ですか。「恋愛が上手くいきますように・・・」。世の中、そ

んなに上手くいくもんじゃありませんよ。私を、御覧なさい。

Dsc_0008_2 Dsc_0007_2

左は恋愛中のカップルですね。古人曰く「男の幸せは、結婚式までだ」。まったくそのとお

り。

右は、なんとまあ潔い。「平凡な一年なればよし」。こんなの、好きですね。

Dsc_0014 Dsc_0015

この「当選」が何の当選なのか。宝くじか、それとも選挙か?選挙なら、Kさんは多分あの

人かな?

「子どもがぶじに生まれてきますように、パチンコ、ボートもかちますように!!」、だって。

賭けごとは、そう簡単に勝てるものでなし、子どものために貯金したが、良いんでないです

か?

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絵馬は、機会があったら見てください。なかなか、面白いですよ。


お金をおもちの方は、お祓いを受けて。私も、2,3度受けたことがありますが、すがすがし

い気持ちになります。

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さて、橘神社の左裏の方に、確か昔は、宝物殿といっていた覚えがありますが、中は何も

ありませんでしたが、今日は空いていたので、覗いてみたら

Photo_5

木場名、上峯名等、名(みょう)の地名が書いてあって、写真が飾られていました。多分、

数十年前は、本殿の方に飾られていた記憶があるのですが・・・戦争で亡くなられた、英霊

の方の写真です。

見ると若い方ばかり、人生半ば、どんな気持ちで亡くなられたのか。平和な時代しか、知ら

ない私たちの世代。平和を大切に守っていかなければと思うのですが・・・・

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2014年1月 2日 (木)

大江戸恐龍伝 第四巻~夢枕獏著

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ついにでました、第四巻。あらかじめ、Amazonに頼んでいたら、年末の29日に到着。一

気読みしようと思っていたら、年末でバタバタ。やっと読み終わったのが、昨日。


さて、平賀源内、ふとしためぐり会いと、野望で、ニルヤカナヤを目指し、到着する。はたし

て、そこは黄金郷なのか、地獄なのか?そして、海底に沈む黄金の宮殿。ニルヤカナヤと

徐市(徐福)の関係は、恐竜は、そして、徐布の陵墓に辿り着く源内?いよいよ、佳境に入

っていきます。


例の如く、全部の筋書きを書くような、野暮なことはしないで、いつものように、表紙の裏の

説明書きを


大嵐の中、命がけの末に、やっと辿り着いた謎の島、上陸したその夜、源内たちは、突如

巨大な恐竜に襲われる!

龍に襲われたり、目蓋を切りとられた男が流れ着いたり。

ここは本当に黄金の島ニルヤカナヤなのか・・・・・・

島の探索中に、源内は燓(はん)という女を助けるのだが、

燓は、なぜかお吟に生き写しだった!?

やがて、島の領土を巡って敵対する

方丈国と瀛(えい)州国の抗争にも巻き込まれていく源内。

源内とゑれき丸(源内設計の船)は、庄九郎を見つけ出し、黄金を積んで無事江戸に帰れ

るのか!?


ちょっと言えば、恐龍も江戸に持ち帰ることになるのですが・・・・・・

題名が、「大江戸恐龍伝」ですから、大江戸に恐龍が登場されて貰えないと、本の題名が

成り立ちません。


さて、平賀源内とは何をしたのか、分かっているようで、よく分からない。私たち一般人が

知っているのは「ゑれきてる」なる物を作ったこと。「うなぎの日」を作ったくらいか。源内の

自問自答


・・・・・・・自分が、何をしたのか。

何もしなかった・・・・・

誰かが、そう答えた。

誰だ、答えたのは?

自分か。

自分が自分に答えたのだ。

いいや、違うな。何もしなかったんじゃない。何もできなかったのだ。何もやれなかった。

羊を買い込んで、ラシャを織ろうとした。

できなかった。

源内焼きをやって、それで儲けようとした。

できなかった。

石綿で、火浣布(ひかんぷ)を作ろうとした。

できなかった。

銅を掘ろうとした。

できなかった。

ゑれきてるで、ひと儲けしようとした。

できなかった。

何もできなかった。

できたのは、戯作がひとつふたつ━━━小金は稼いだが、あんなのはどうでもいいことだ

った。

西欧の絵を真似て描いた。

それは、それだけのことだ。

ただのまねだ。

多少にしろ、なんとかできたことと言えば、「物類品隲(ぶつるいひんひつ)」を作ったことく

らいではないか。

・・・・・・・・ここに、唸るほどの黄金があった。・・・・・・・ここの金を、なんとか、うまく日本国

のためになるように使いてえ。・・・・・・・・


さて、いよいよ最終巻の第五巻が一月末に刊行になりますが、盗賊「火鼠」の一味も暗躍

するようで、話がふくらんで、五巻で終わるのかな?夢枕獏先生のことだから、何となく不

安。


たまには、花の写真でも。自然の造詣って面白いですね。

 

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2014年1月 1日 (水)

橘神社&温泉神社初詣~雲仙市千々石町

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こちらは、千々石の氏神、温泉神社です。昔は四面宮といい、これについては、又後日。

由緒のある神社です。地元の方が三々五々、お参りに。毎年、恒例の茅の輪が作ってあ

り、これをくぐることにより、罪、病苦が祓われるといいます。私のように、心身とも、汚れ

きった男でも・・・・・


さて、こちらは、近年、世界一の大門松で有名になり、参拝客が増えた、橘神社。もっと

も、門松だけ見て、帰る方も多いとか。

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駐車場が狭いので、歩いて五分程度の役場に駐車した方がベターでしょう。

左が神社の駐車場、右が役場の駐車場。なお、地元の方は、隠れ駐車場を知ってはいる

のですが、今日も、接触事故があったとか。広いところに、駐車しましょう。

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さて、橘神社といえば、軍神橘中佐を祀った神社。入り口のところに、銅像が建っています

が、若い女の子、この銅像を見て、「この、おじさん、誰?」。思わず、へたり込みました。

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昔は、参道の両側に出店があったのですが、今は片側になっています。参拝客は増えて

いるんですが・・・・・

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寒いせいか、エスプレッソ・バーには行列。地元の展望台名物の「ジャガちゃん」。こちらも

行列。

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境内も一杯で、参拝するまで行列。三が日は、多分この状況でしょう。今年は休みが多い

みたいですから、ゆっくり行かれる方が良いと思います。

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なお、神社内は、時代に合わせ禁煙ですが、ちゃんと分煙措置はとってあります。

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