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2013年10月20日 - 2013年10月26日

2013年10月26日 (土)

結城城(金山城)一族の墓再び★八斗木の名前について~雲仙市国見町

Photo 

以前出した写真で申し訳ありませんが、以前「結城城」の事と、「その一族の墓(キリシタン

墓碑)」に使った写真です。


結城一族の墓と言われていますが、以前は「姫の墓」と言われ、お姫様が水に溺れ、その

墓だと言い伝えられているお墓です。


さて、先日、コメント欄で国見町の、「八斗木」の地名について、分からないかと問い合わ

せがあり、どこかで読んだなと。ここらあたりは、まだ呆けてない証拠。


思い出したのが、

Img

この本の事、前にも書きましたが(書いたかな?)、昭和58年に、当時の「国見町立八斗

木小学校」で出版した本です。「ふるさとの学習資料」と書いてありますから、郷土学習の

副読本として使ったのでしょう。


制作者の名簿を見ると、学校の先生方、八斗木小学校のみなさん(昭和五八年度・一一

四名)、八斗木小学校育友会のみなさん(昭和五八年度・七四世帯)、八斗木・魚洗川・小

ヶ倉・百花台老人クラブのみなさん、その他、行政関係、国見高校郷土社会部・大学等の

専門の方。地域ごとまとまって、作った本でしょう。


現在の学校の「ゆとりの時間」などを利用して作れば、本当の有効な時間になるのでしょ

うが。小学校で英語を教えるより、自分たちの郷土を知るということで、よほど有効だと思

うのですが・・・


閑話休題、この本に、「八斗木」の名前の由来と、「姫の墓」について、書いてあったのでご

紹介を。


地名については、峰の所にあるから「峰地区」、など、分かりやすいものもありますが、私

の住んでいる所の近くに、「大操子」というところがあり、どういうわけか、「うぐるす」と読み

ます。


古い本を読むと、ウグイスが来て、美しく鳴いていたからだとか、「ぐるす」は「くるす」であり

潜伏キリシタン(隠れキリシタン)がいたのではないかとの話もあり、今、調べているところ

ですが、まったく分かりません。地元の人も、知る方は一人もおりませんでした。


さて、「八斗木」です。「八斗木の地名」の所に書いてあります。まとめて書くと・・・・


昔この地方のあちらこちらに、シイの大木があって多くの実がなったといわれています。

この地方ではシイの実を非常食、また、子どものお菓子として大事にしてきたそうです。


シイの大木からは、シイの実が、八斗もとれたと言いますが、「八」という数字は、四方八

方、八達の「八」で、いろいろとか、すべて等の意味があり、八斗とは「たくさんと」という事

で、「たくさんの実をつけたシイの木」と言うことだそうです。


また、「八」は末広がりという、めでたい数字でもあり、これらのことを合わせて「八斗木」と

いう地名を付けたのでしょう。


なお、地名については、柳田国夫の「地名考」という面白い本もあります(全部読んでいま

せんが)。


次ぎに、姫(結城城の城主の娘)の墓については、このように書いてあります。


姫様がある朝、下の道を眺めていると、私みたいな、男性的で、イケメンの男が通り、姫

は毎日この男の事ばかり・・・・


この男を捜させたところ、西河内に住んでいる松え門という人。名前は分かっても、侍の娘

と、百姓ではどうすることもできず、思いはつのるばかり。


ある日、車井戸の綱をにぎって、水をくみ上げているところに、松え門が、下の道を歩いて

来る。


姫は、うれしさに、井戸の綱を握ったまま、ボーッとなって、「ガラガラ、ドボーン」と井戸へ

落ちて亡くなったそうです。これ以来、しばらくは、「車井戸は使ってはいけない」という、お

ふれが出たそうです。


この、「八斗木むかしむかし」、学習資料と言うには、もったいない本です。今では手に入り

ませんが・・・・


2013年10月25日 (金)

2013 しまばら「芝桜公園」秋桜まつり~島原市芝桜公園

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島原の「芝桜公園」については、何回か取り上げましたが、芝桜公園に新名所として、秋 

桜を植えたと言うことを聞き、ちょうど病院に用事もあるし出かけました。


今日は、肌寒く、台風の影響か小雨は降るし、美女の連れでもいれば、と思いつつ行くと。


なんと・・・・・・・

「お客様へ 本日は雨の為 閉園いたしました」のお知らせ。もちろん受付には誰もいませ

ん。

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そぼ降る雨の中、老爺がひとりウロウロと。景色は良いのですが、寒さに震えながら、例

の歌を。



うす紅の秋桜が秋の日の

何気ない日溜まりに揺れている(小雨で日溜まりはありません。寒い!)

この頃 涙脆くなった母が(本当、歳取ると涙脆くなりますネ。ご同輩。) 

庭先でひとつ咳をする(一つどころではなく、ぶっ続けでしますが)・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日嫁ぐ私に苦労はしても(愚娘もはやく嫁げば良いのに、行き遅れが!)・・・・・・



と、まあ、美声で歌いながら見て回ると、思ったよりも良く咲いていました。


実は、芝桜公園だと聞いたので、こちらの方だと思っていたのですが、来てみると、何もな

い。場所を間違ったのかと思ったら、右手に林がありますが、このすぐ右手の方。

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確か眉山だと思います。青空の日、山をバックにして写真を撮ると絵になります。

Dscf4517

こちらが、平成新山方面。天気が良かったら・・・・

Dscf4516_2 

「NPO法人芝桜公園をつくる会」がお世話をしているようですが、2.4ヘクタールに、65

万本のコスモスを移植しての「秋桜まつり」です。


近ごろ、あちらこちら、コスモス園が生まれていますが、雄大な山をバックにコスモスが見

られるのは、県内ではここだけでしょう。


土、日曜日は出店もあり、賑わうと言うことですから、彼女、もしくは彼氏と一緒にどうぞ。

くれぐれも、雨の中、一人では行かないように。侘びし過ぎました。




2013年10月24日 (木)

久しぶりの「う・な・ぎ」~諫早市

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お~、久しぶりの「う・な・ぎ」ですね。家でも、時々はでますが、ほんの二切ればかり、おま

けに、私、タレをジャブジャブかけて、お茶漬けみたいにして食べるのが、好きなんです

が、塩気があるということで、ほんの少ししか、かけてくれません。


今日は、カミサンが、ぬりえ絵教室、自称、油絵教室に行って一日留守。こちらも、諫早へ

少し買い物へ。時間を見たら、ちょうどお昼。弁当を買っていっても遅くなるし・・・・・


最近、夏の疲れが、今頃出て来たのか、パワーをつけようと、うなぎ屋へ。今年のニュース

ではウナギが激減し、値段も上がっているとか。


思えば、数十年前まで千々石でも、千々石川の河口で、カンテラをつけて、うなぎの稚魚

を取っていたのですが、今や、あの風景は見られません。私の義兄弟も小さいときは、川

でうなぎを取っていたそうです。本物の天然うなぎです。


長崎といえばチャンポン。同じように諫早と言えば「うなぎ」。うなぎ専門の店が何軒もあり

ますが、老舗の「福田屋」さんへ。


諫早のアーケード街ですが、郊外の大型店舗にお客を取られて、だんだんさびれて来てい

ます。このビルの間に、いまだに昔の姿で頑張っています。

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左の写真は、昔の福田屋です。暖簾には「文久3年」の文字。今年で150年の歴史をもち

ます。電話「百一番」というのが泣かせますね。携帯しか知らない若い方には、昔の電話

の事は分からないでしょうが、交換手に番号を言って、向こうに繋いでもらっていたもので

した。

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初代、福田小一は、森山村(現諫早市森山町)で百姓をしていたそうですが、どういうわけ

か、諫早へ来て、うなぎ屋と魚屋をしたそうです。


昭和36年、時の昭和天皇が長崎に来られたとき、雲仙の宿所で召し上がれられたそう

で、この時、膳を下げた女将が、「ひと汁ものこっとらんばい」と言ったそうです。


昭和51年、時の皇太子殿下ご夫妻が来られたときも、ここのうなぎを召し上がっておられ

ます。


店の中は、少し新しくなった所もありますが、基本的には、数十年前初めて来たときと一

緒。

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うなぎ料理にはいろいろありますが、この店はいわゆる蒲焼きです。継承者に、割三、刺

し五、焼き一生と教えているそうです。


うなぎ定食には、特上うなぎ定食(うなぎ六切)、上うなぎ定食(うなぎ六切)、うなぎ定食(う

なぎ四切)、三切れうなぎ定食とありますが、値段を見て、気の弱い私、一番安い、「三切

れうなぎ」を注文しました。この気の弱さで、人生どれだけ損をしてきたことか・・・・(ρ_;)

気が強かったら今のカミサンとは・・・・

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右側のお椀は、肝吸いです。別料金ではありません。うなぎの器は、楽焼きで下が二重に

なっており、お湯を入れ蒸すので、身が柔らかくなり、いつまでも暖かく食べられます。諫

早のうなぎ料理の特徴です。


普通に焼いただけのものとは、食感が違います。どちらが良いかは、人それぞれでしょう。

肝が入ったお吸い物。うなぎの器を割ったものです。

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さて、本当は2人分持ち帰って、夕食にカミサンと仲良く食べようと思っていたのです

が・・・・思っただけです。何年ぶりか、タレをジャブジャブかけて食べたら、おいしかった。

(古写真:「写真集 明治・大正・昭和 諫早」より)








2013年10月23日 (水)

西田平キリシタン墓碑&潜伏キリシタン(隠れキリシタン)墓碑?~南島原市北有馬町

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先日、日野江城の発掘調査を見学した折、日野江城から、1㎞ばかり行ったところの、西

田平キリシタン墓碑を訪れてみました。長崎県の文化財指定になっています。


きれいに成形された墓碑で、

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回りには、前面、上部、背面に縁取りがしてあり、この形式はこの墓碑だけだそうです。


前面には、見事な花十字

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背面には、文字が陰刻で刻んであり、

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写真では、分かりにくいと思いますが、「慶長拾伍年 流しや 生年 二十才 拾一月十七

日」と掘ってあるそうです。


「日本キリシタン墓碑総覧」には

「伝承として『ジョロウの墓』とされており・・・・・墓碑が「寝ているので昔から女郎の墓」と言

われたそうだが、発見に関わった北有馬村尋常高等小学校校長八木次朗氏は『身分の

高い女官『女﨟』のことだろう」と解釈されている・・・・・同じく新村出氏も「上﨟様」と解釈さ

れたことを受け、松田毅一氏は『場所柄、日野江城の有馬家に由緒のある人の墓であろ

う』としている」と書かれています。


また、同書によると、この地は、中世石塔など近世以前の墓碑形成を示す遺品・遺蹟など

が確認されないことから、当初はキリシタン専用墓碑として形成された可能性があるという

ことです。


なお、ここは、北有馬町西田平(中屋敷)という所ですが、現場の説明版には、「天正15年

はキリシタン大名有馬晴信の代で11月はその子、直純が先婦人を別離、徳川家康の曽

孫女、国姫を妻に迎えた月であることに思いを馳せたい。

なお、中屋敷は有馬家の中屋敷跡を指し、流しやの流は「る」の替字である。」と記されて

います。


さて、帰ろうかと思い、この上の段を見ると、

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いわゆる、塚墓、あるいは、この形のものとして、斗升墓、トーマス墓と云われるものがあ

りますが、ここで見るとは、おまけに、見るのは初めてで、ビックリしました。なお前面に

Dscf4450_2

上部は分かりませんでしたが、「辰」と書いてあるようですから、年号を表す文字でしょう

が、その後に「年」の代わりに「天」の文字。いわゆる。「天年号」といわれるものです。


塚墓、また、年号に「天」と言う文字が使われていると、潜伏キリシタン(現在は、江戸時代

の禁教時代、信仰を守った方を、潜伏キリシタン、キリシタン禁教がとかれても、密かに

自分たちで信仰した方を、隠れキリシタンと区別して研究されています)を研究されている

郷土史家の方は、潜伏キリシタンと結びつけて考えておられます。


潜伏キリシタンの遺跡については、識別が非常に難しく、明らかに、キリシタンと分かって

ては処罰があるし、まったくキリシタンの物と分からなくては意味が無いし、いろんな議論

があるところです。私も、これには悩み多き青年というところです。

(参考・文引用:「日本キリシタン墓碑総覧~企画・南島原市教育委員会 監修・大石一久

「有明の歴史と風土」・現場説明版より)




2013年10月22日 (火)

日野江城発掘調査★良く見て歩くこと~南島原市北有馬町

Photo

日野江城、二の丸跡です。


以前、日野江城については、何度か取り上げ、特に「階段遺構」、「有馬晴信」について

も、書いた所ですが、世界遺産の指定に向けて、再び発掘調査が始まりました。


数カ所に渡って、発掘をしているようですが、私が行ったときは、二の丸あたりを発掘中。

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二の丸あたりの、石垣あたりを掘った所を見ると、

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かなり深くまで、栗石が入っていることが分かると思います。

Dscf4364_2 

日野江城の城壁は乱積みで、大体このようになっています。このような城壁の後ろですか

ら、栗石にしては、あまり深く、広いのが分かると思います。ほかの遺構なのか?


ただ、松倉重政が、しばらくこの日野江城に入城しますが、その後、島原城を築城し、そ

の折、日野江城、原城の石垣を運んで、利用したということですから、本来どのような城だ

ったのか、構造、変遷、終焉については不明な所が多く、今度の調査でどれくらい解明さ

れるか、期待がもてるところです。


さて、いろいろブログを見ると、日野江城に行ったけれど、何にも無かった、という事が良く

書かれますが、前に調査した時の、石があちらこちら積んであります。良く見てください。


五輪の塔碑、宝篋印塔等に使われたものが、あちらこちらに見うけられます。

Dscf4392 Dscf4393

梵語がはっきり読み取れるものもあり、(梵語読めないので、どちらが上か分かりません)

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いたずら書きか?本来のものか?風化してよく分かりませんが、卍のような感じもするし。

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この石には、上に丸が一つ、上は、多分梵語でしょう。下の方に、丸が二つその中に、文

字が刻まれています。墓石か?

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上部の文字

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下部、左側。何となく「四」という字・・・

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下部右側。ほとんど風化して、読めません。拓本を取ると、読めるような感じなのですが。

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原城に隠れて、日の目を、なかなか浴びない、日野江城ですが、説明版によれば、次のよ

うに書かれています。「完成したばかりの屋敷に案内されたときの様子がイエスズ会年報

で次のように報告されている。『大小の部屋はすべての黄金の品や典雅で華麗な絵画で

飾られていた。この屋敷は、有馬殿の手で建てられ見事なできばえとなった城郭の中にあ

る』」。金箔瓦も発見されていますから、かなりの城だったのでしょう。

調査の説明会が多分あると思いますが、楽しみです。なお、発掘調査は、11月頃まであ

るということですが、見学は邪魔にならないように。


行かれたら、良く見て歩いて下さい。思わぬものがあるかも・・・・・


2013年10月21日 (月)

備えあれば・・・・

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島原市愛野町交差点の所に、何気なく目をやると、変なものが貼り付けてあって、よせば

良いのに、好奇心の塊の私。見に行ったら

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諫早まで行くのに、気をつけて見ると、あるある・・・

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諫早方面だけかいなと思って、千々石の国道沿いを見て行ったら、ありました。

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多分、東北地方太平洋地震後、津波に備えて取り付けられたものと、思われますが・・・


千々石の上り坂を行ってみたら、この標識があるのは、国道沿い、大体5mまでくらい。

しつっこく、商店街を見て行ったら、一つもありません。


この標識、大体、誰が貼り付けたものか、責任所在が全然分かりません。まして、何のた

めに張ってあるのか。


この間の津波は、5~6m程度どころではなかったことは、分かっていることで、住民として

知りたいのは、どこらあたりまで逃げれば、安全なのかであって、そのための標識なら、理

解できるのですが・・・・どうも、災害に対する手は打ちましたという、行政の免罪符的な考

えが、見えるのですが。


という事を考えながら、コンビニに買い物に行ったら。こんなものがありました。

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左は普通のキャラメル。右は缶入りのキャラメルです。缶詰には「保存用」と書いてありま

す。

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なんと、5年間も保存できるもの。なお、横には親切にも

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非常持ち出し用の品目が書いてあります。よく読んで見てください。なるほど、ですね。

さっきの標識より、役に立つようですが、皆さんの家にも防災に備えて一つどうぞ。


なお、この缶詰、本当に5年もつかどうか、金庫の中に保管をしました。5年後が楽しみ

です。箱のキャラメルは、食べましたが。


災害があってからは、遅いので、皆さん方も日々の準備を。なお、来週は自治会で、市役

所による、防災講習会をおこなうようで、この標識、何のためか、しつっこく聞いて見ようか

な?






2013年10月20日 (日)

温泉神社・お上り風景~雲仙市千々石町

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昨日は、温泉神社お下りの様子を書きましたが、今日はお上りです。

昔は、三日間だったので、神様も一日ゆっくりできたのでしょうが、一泊二日とは、少しせ

わしいご旅行でした。


お下りは、商店街を通って、数キロ歩き、8カ所で道踊りをするのですが、お上りは、千々

石川沿いを、ショートカット。もとっも、皆さん疲れ気味で、昨日と同じ道を帰るのは無理。

朝、10時頃から神事、道踊りは3カ所です。

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下峰地区の下の方での、「トントンロッツン踊り」、と婦人部の踊り。


はやり皆さん足元が、とぼとぼと。

一番右の高い山、「九千部岳」です。左の方、「吾妻岳」。真ん中のくぼんだところが田代

原。現在、牧場ですが、昔は、街道があり、島原の殿様が長崎に行くとき、ここを通ってい

ます。勝海舟、坂本龍馬一行も、ここを通って長崎目指して、急ぎ旅。

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以前、書きましたが、鯛引き。前の鯛は80年ばかり使って、今年新調しましたが、祭りが

終わると厳重に保管され、再び姿をあらわすのは、7年後です。

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稲刈りが終わった、田の脇を神社に向かって・・・・最後に御神輿が行きます。

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神社に戻ると、最後の奉納踊り。

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婦人部の皆さん、お若くて美人ばかりで・・・・・遠くから見ると・・・・(*_ _)人ゴメンナサイ

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最後の巫女さんの舞。このあと、神事があって、無事、温泉神社の秋祭りが終わりまし

た。


春祭り、夏祭りは終わっても、何ともないのですが、秋祭りが終わると、毎年ですが、何か

郷愁を感じるものがあります。


秋祭り済めば老後の事ばかり   水野範子

秋祭り地縁血縁結束し   久保田幸枝


秋祭り終わり最後の笛響く    sugikan

秋祭り終わりて猫の大あくび   sugikan

お粗末さまでした、ヾ(_ _*)ハンセイ・・・ 。












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