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2013年9月29日 - 2013年10月5日

2013年10月 5日 (土)

新・長崎弁かるた

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昨日、島原半島の方言について、書いたばかりでしたが、今日、本屋に行って見ると、

「新・長崎弁かるた」がでていました。


作製は、長崎の放送局、「KTN」。主旨は、方言が共通語の浸透で消えゆく運命にある現

代、方言の記録と、古典的な知育玩具の新しい形として、CD付のかるたを作ったと言うこ

とです。


「古典的な知育玩具」と言われれば、私たちも小さいとき、かるたで文字を覚えた思い出が

あります。


かるたの絵は、「のざわ のりこ」さん。栃木県出身で長崎に移住。長崎でのカルチャーショ

ックを描いた、「長崎に来ちゃった」は、かえって長崎とはこんな所だったのかと、長崎人の

私が、感じさせられるものでした。CDの朗読は、KTNの4名のアナウンサー。


左が、取り札、右が読み札。この、「てまぜ」、又は「てまんぜ」、同じ長崎でも、微妙に違う

ところがありますが・・・・学校でよく言われたものです。授業中に、机の下で手遊びをしてい

ると、チョークとともに、「てまぜをするな!」の言葉が飛んで来ました。

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皆さんもやっているでしょうが、「ゆーたくれて」。「酔っぱらって」の事です。

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「おめかんで」は「大声を出すな」。と言うことで「イガ」は子どもの事。奥様と、なにをしてい

るとき、奥様が、思わず大きな声を出しているときも、「あんまり、おめくな、イガが起きっや

っか」などとも使います。なに、とは、なにの事です。

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「なえたー」は「疲れた」。長崎では、良く「きゃー」等の接頭語を良く使います。「へいふり

坂」は実際にある坂の名前です。「おなら」をしながら登るから、「へいふり坂」ではありませ

ん。

諏訪神社の鳥居を作るとき、石材が重くどうしようかと思っているとき、一人の宰領が石の

上に立って御幣を振って励まし、石を運んだ坂にちなんで、「弊(へい)振り坂」だそうです。

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「ちんぐ」はよく使います。韓国語で、「友だち」の事だそうです。はやり、長崎は国際都市で

すね。「ちんぐやろが、酒代は出しとけ。」

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千々石では、「みどい」、「みどか」等と使います。「かわいい」と言うことです。転じて、「かわ

いそう」にも使います。「旦那さんが、亡くならしたげな、みどかねー」。「こん子(このこ)は、

みどかね」。などと、使います。

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ちょっと、きつい言い方です。「下品」なと言うことです。おとなでも、「げさっかことは、すん

なよ」、などと使います。

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「がまだせ」は「頑張れ」のこと。来年の長崎で開催される国体は、「長崎がんばらんば国

体・がんばらんば大会」です。「がまだせ」も「がんばらんば」も、ほぼ同じ感じで使われま

す。

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もっとたくさんあるんですが、あとは買って楽しんでください。


読み札の下に、主に話されている地域として、「県南」、「県北」、「県央」、「島原」、「五島」、

「壱岐対馬」と標記が有り、○印が付けてあります。


CDの読み手は、アナウンサーのためか、流ちょうに読んでいますが、じいさんやばあさん

に読ませた方が、情緒があったのではないかな。


千々石でも、昔、一回ほど老人クラブが方言の劇とか、語りをやりましたが、最後は農作業

の劇。農作業が終わったあと、車座になって、慰労会の風景がありましたが、出してきたの

が本物の酒、最後は出演者全員、「ゆーたくれて」、劇もなにもあったものではなく、町長も

舞台に上がって、一緒に飲んでいました。でも、あれは楽しかった。


さて、小さい子どもをお持ちの方、この「かるた」買いませんか?「古典的な知育玩具」で

す。一緒に遊んで、心をふれ合わせ、文字を覚えさせ・・・変なゲームをさせるより良いと思

いますが。








2013年10月 4日 (金)

宇都(うず)墓地の雪山の碑~諫早市

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この話は、諫早の歴史関係の本を読んでも、あまり書かれてなく、「諫早を歩く~山口八郎

著」に載っており、現場に行くと、諫早市教育委員会の説明版があったので、合わせてご紹

介を。


宇都墓地の階段を少し登って行くと、左手に小さな広場があります。ここは、諫江(かんこ

う)八十八カ所の第一番札所でもあります。


二つのお堂の間に、碑が建っています。これが、「雪山の碑」です。

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碑正面には、「雪山和尚品位」と書かれています。向かって左手には、雪山に関する碑文

が彫られています。

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分かりにくいと思いますが、最初の行。「當(?)有天祐寺安吾僧雪山有」から始まります。


「天祐寺」は、いつか紹介したように、諫早家の墓所。「安吾僧」は、個々に修行していた僧

侶が、一定期間、一カ所に集まって、修行する事ですから、雪山は天祐寺の僧ではなく、

天祐寺での修行僧ということになります。


さて、この雪山が、まさにイケメン。雪山見たさに、若い女性が、参拝に押しかけた言うこと

です。


某日、領主の側室が、領主に変わり、参詣に行った折、雪山を見て一目惚れ。色々手を打

ちますが、雪山はシカト。側室の恋心はいつしか憎しみに。領主に、「雪山が私に狼藉をは

たらいた」、と嘘を。もちろん、領主は雪山に打ち首を命じます。


刑場に据えられた雪山は、「私は無罪だ、御仏よ、私の潔白を示すため、私の赤い血を、

白く変え、ここに逆さまに挿す、松の小枝を、根付かせたまえ」と言い、打ち首になりま

す。


雪山の血は白く、松の枝にふりかかり、その後、松は大樹となり、人々は雪山の無罪を証

明するものとして、「雪山の逆さ松」と言い、大事に育てたそうです。碑文に「果白血滴滴」と

言う,文字も見えました。


残念ながら、この松は、大正二年に枯死したそうですが、この松に変わるものとして、、追

善供養塔を建て、碑文を諫早家に依頼したそうです。碑文の最後には、「大正二年二月 

諫早家」と刻んでありました。


場所が少し分かりにくく、宇都町の交差点付近。「魚荘」、「ホテルグランドパレス諫早」の

向かい側に、階段があります。しばらく登って、右の写真の木立のなかですから、私みたい

に見落として、上の方までいかないように。

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まあ、お互いに、イケメンに生まれなかったことを、幸いとしましょう。

(参考・文引用:「諫早を歩く~山口八郎著」・現場の説明版より)




2013年10月 3日 (木)

2013 白木峰のコスモス(10月11日)&五家原岳~諫早市

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昨年、10月11日に、諫早市「白木峰のコスモス」を紹介しましたが、今年もボチボチかな

と思って行って見ると、結構、見がいがありました。


昨年より、少し早く行ったためか、まだまだ蕾があがってきているところで、多分、来週には

満開になるでしょう。


平日に行ったため、人出はそう多くはなく、ゆっくり鑑賞できました。この土、日曜日あたり

から、満員状態になるでしょう。とくかく、行くなら、平日の午前中がベスト。仕事がある?年

休とって行ってください。

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ここまで育てるには、苦労があったみたいで、トイレの横に、少しばかり写真が貼ってあり、

種まきに雑草取り、あと、水かけなど大変だったでしょう。

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さて、せっかく来たので、時間は早いし、帰って、カミサンの顔はあまり見たくないし、という

ことで、五家原岳(ごかはらだけ)まで、足を伸ばすことに・・・


五家原岳は、標高1057.3mの山。大村市と諫早市の境にある山ですが、歩けば、コスモ

ス園がある白木峰から半日以上。


でも、心配無用、広いとはいえないまでも、舗装道路があります。右は、頂上の駐車場。

季節には車が混みますから、ご注意を。繰り返しますが、行くなら平日。白木峰から30分

程度。ただし、道が狭い所があるのでご注意を。

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駐車場から、20~30段くらいの階段を上がると、山頂。

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晴れた日は景色が良いのですが、曇っていて残念。

左が、大村、佐賀方面。右が諫早方面ですが・・・・

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そのうち、赤い車に乗った、妙齢の美人の女性がやって来て、

「よく見えませんね。」から、はじまり、白木峰のコスモスのこと、多良岳は以前良く登ってい

たので、多良岳の山岳ルートなどの説明から、世間話まで。


「あなたって、コスモスみたいですね」、「?」、「コスモスの花言葉は、乙女の純情で、色に

よって、ピンクは、少女の純潔、赤は、調和、白は美麗とか純潔ですよ」、と少し大人の話

などもして、メルアドの交換をして別れましたが、今年の後半は、良いことあるかな。


ところで、どうして、ここまで舗装道路があるかというと、ここは電波を広範囲にカバーでき

るため、ラジオ、テレビ、警視庁、九州電力等の固定局があり、これを作るための資材を運

ぶための道路が必要だったのでしょう。


「NHK」、地元の「KTN」。「NCC」と「NBC」は同じ建物を使っていました。

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Nbcncc Photo_14

何も書いて無い、建物もあり、ひょっとしたら、某国の通信施設では?


ところで、ウチのテレビの写りが悪いので、鉄塔に登って、アンテナを少しばかり、私の家

の方向に向けてきましたhappy01 。


あ!昼間の女性からメールが来たので、今日の所はこれにて失礼heart04




2013年10月 1日 (火)

10月1日は秋のはじまり~雲仙市千々石町

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この、ところてん屋さん、ブログで、何回取り上げたことか。営業が7月1日から9月31日ま

で。


昨日、9月31日、今年最後かと思って、ちゃんと買って来ました。最後だから、一つおまけ

をして貰いましたが。


今日、10月1日、通りかかったら、ちゃんと閉めてありました。ここが開店すると、夏が来た

なと思い、閉店すると秋が来たなと思います。私にとって、10月1日が秋のはじまりです。


店のおばちゃんは、元気で、来年も開店するでしょうが、何となく、閉じてあるのを見ると、

「さよならだけが人生だ」の詩を思い出します。



「勧 酒」

 勧君金屈巵

 満酒不須辞

 花発多風雨

 人生足別離


 コノサカズキヲ受ケテクレ

 ドウゾナミナミツガシテオクレ

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ

 「サヨナラ」ダケガ人生ダ         (于武陵作・井伏鱒二訳:「厄除け詩集」より)


ついでにもう一つ、「さよならのうた」を



「さよならうた」

 じゃね またね はなめがね

 やねのきつねは ひるねかね

 ぶつけていたい むこうずね

 じゃあね あのね まるきぶね     (谷川俊太郎作:「わらべうた」より


ついでに秋めいてきたので、秋の俳句、川柳でも・・・・



 女百態 そのひと色の 曼珠沙華
  早良葉

 十月は お祭り好きの 青い空    水野亜希子

 乳房とは かくもつめたき 今日の朝  江隈順子~あれって、冷たいもんですか?今度

                                  触ってみようかな?            

 すざまじや 肉体枯れて なほ男  能村登四郎 ~私も、だったら良いんですが・・・

 秋めくや ところてん屋の 店じまい  sugikan


そういえば、秋といえば紅葉、、紅葉で有名になってきている、「三十路苑」に、そろそろ見

に行って、情報提供しようと思いますが、紅葉といえば、梁塵秘抄に、こんなのもありまし

た。


女の盛りなるは 一四五六歳二十三四とか 三十四五になりぬれば 紅葉の下葉に異な

らず

まあ、ひどいこと言いますね、34,5歳は、下葉と同じですって。今では、40歳、50歳で

も、「美魔女」と言っている時代。もっとも、ウチのカミサンは、「美魔女」から、「美」の字を抜

きますが・・・・


さて、秋の句で、私の一番好きな俳句



妻が居て夜長を言へりさう思ふ 
 森澄夫


夫婦とは、かくありたいものですが・・・


話が、随分横道にそれましたが、この、ところてん店屋さん、来年の、7月1日、開店の時

にまたブログに登場してもらう予定です。




2013年9月30日 (月)

信長伝★長篠の合戦~宮下英樹著

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コンビニに買い物に行ったら、出ていました。宮下英樹著、「信長伝」の「長篠の合戦」で

す。今川との「桶狭間の合戦」。浅井・朝倉と信長・家康との「姉川の合戦」に続く、武田勝

頼と織田・徳川連合軍の戦いです。


武田氏と徳川氏の戦いが広げられ。武田信玄の死去に伴い、要所にある長篠城を家康が

奪還。それに対して、武田勝頼は長篠城を包囲し、これに、信長が加わり、「長篠の合戦」

が始まります。


この戦い、撃つまでに手間がかかる鉄砲を、3段に構えて撃つ戦法で、天下無敵の武田軍

を破ったことで有名ですが、現代、可能であったかどうかの疑問があるそうです。


また、このとき、信長は3000丁の鉄砲を用意したと言われ(疑問するもあり)、この戦い

後、「やーやー、我こそは・・・」という、個人戦から、鉄炮隊をを中心にする、集団戦法へ移

行する戦いになっていきます。

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このマンガ、戦いの図が多く出てきて、分かりやすいですね。


相変わらず、現地調査し、長篠合戦二つの謎、「何故 武田軍は合戦の常道を逸し大河を

背に 織田軍の目前に迫ったのか・・・・・・・それは『長篠合戦考』史上最大の謎と言われ

ている・・・・・」。「長篠合戦の二つの謎の一つ 何故 一国の大将たる勝頼までが 織田軍

の目前にまで迫ったのか・・・」。これは、読んで見て下さい。解釈はいろいろあるでしょう

が。

さて、この合戦で、武田軍は破れ、武田氏は衰え、1582年(大正10年)滅亡します。


高校時代、勉強された方は、言わなくてもご存じのことだったでしょうが、勉強をサボってい

た私は、やっと、戦国時代のことが分かり始めました。やはり、授業より、こちらの漫画の

方が分かりく面白いですね。この本を教科書にしましょう。





2013年9月29日 (日)

島原半島の方言について

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島原半島と言えば、外から見ると、全部一緒に見えるそうですが、現在は平成の合併で、

三市になっています。それ以前は、島原市と、南高来郡16町でした。この1市16町につい

ても、明治時代からの町村合併によって、まとまってきたものですが・・・同じ島原半島で

も、それぞれに特徴があります。


現代、TV等の影響で、方言が段々薄れていっているところです。方言についていえば、各

町の郷土誌に若干は書いてありますが、単語が多く、単語は会話の中で使うもので、実際

の会話でのアクセント、イントネーションを聞かなければ、本当の発音は分からないもので

す。「諫早方言の会」で出版された「諫早地方の方言集」はCD付きです。


また、方言の資料には、各町の方言しか載ってなく、同じ会話をどのように話しているの

か、比較しているのがなかったのですが、偶然に見つけました。


昭和28年発行、著者は山本靖氏。発行所が「長崎県南高来郡湯江村湯江中学校」になっ

ていますから、多分、山本氏は学校の校長先生かと思うのですが・・・そして、昭和50年に

復刻印刷。


比較してある方言は、西郷地区の方言、大正地区の方言、加津佐の方言、深江の方言で

す。西郷村と大正村は合併して、瑞穂町になります。

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少しずれていますが、図工の通知表が「2」ばかりだったので、お許しを。「瑞穂」の所に、

西郷地区、大正地区があります。


簡単なところから、

西郷地方:「モーナンジナネ」

大正地方:「モー、ナンジジヤロカイ」

加津佐地方:「モウナンジテンヒョウカイ」

布津地方:「モウナンジカナイ」

共通語:「もう何時でしょうか」



西郷:「モウヨジハングレジャロダイ」

大正:「モウヨジハングリヤジャロダノマイ」

加津佐:「モウヨジハングライデンヒョウダナイ」

布津:「モウヨジハングリジャロナイ」

共通:「もう四時半くらいでしょう」



西郷:「ワレモコンナ」

    「イテンヨカロンジョンコンナ」

大正:「ワイデンコンカ」

    「イテンヨカンジョンコンカ」

加津佐:「ワリモコンナ」

     「イテンヨカバッテコンカナィ」

布津:「ワルモコンカナー」

    「イッテンヨカーコンナー」

共通:「お前も来ないか」

    「行ってもいいけれど、来ませんか」



いまは、だんだん共通語に近づいてきていますが、高齢者の方は、まだまだ、このように

話をしています。聞いていると、意味が分からないところもありますが、何となくほのぼのと

しますね。方言がだんだん無くなっていくのと、人情が薄れていくのは何か関係があるのか

な?


方言でいえば、「探偵!ナイトスクープ」で、「全国アホ・バカ方言の研究」を行い、小冊子

が関係者に配られましたが、これをふくらませ、新潮文庫から「全国アホバカ分布考」が出

版されています。両方持ってはいますが、まだ、読んでないのでそのうちご紹介を。バカ、

アホだけでなく、「ホンズナス」、「ホウケ」、「ダラ」、「ダボ」なんてあるんですね。


方言と言えば、初めて、沖縄の宮古の方同士が喋っているのを聞いたら、全く分からず、

一瞬外国語と思いましたが・・・・沖縄弁と、鹿児島弁は特に難しい。


そういえば、東京の下宿に行ったときの最初の日、大家さんがやって来て、「死には気をつ

けてくださいよ」、と言われ、何の事か分からず、ひょうっとしたら、この部屋で、事故か自殺

かで、死んだ人がいたのかと思ったものですが、あとで冷静に考えたら、江戸っ子は「ひ」

と「し」の発音の区別ができなく、「火には気をつけてください」の事でした。東京の方言も

分かりにくい。



  



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