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2013年1月20日 - 2013年1月26日

2013年1月26日 (土)

田結条里制遺構~長崎県諫早市飯盛町

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条里制といえば皆さん、高校の時習って、よくご存じだと思います。当時、私は歴史の時間

が嫌いで寝ていましたから(どの授業もだったか gawk )、良く覚えていませんが・・・


たしか、租税徴収の手段としておこなわれた、土地の区画整理制度だったと思います。

土地を区切り、基本単位は109m(古代日本では109mが1町)だそうですが、1町四方が

坪と呼ばれていたそうです。あとは自学自習でお願いね。


この条里制遺構は現在も、あちらこちら残っているそうですが、いつも行っている長崎の病

院の通り道にも、この遺構があるとかで、少し寄り道を。


場所は、いつかご紹介した、「結いの浜マリンパーク」から海沿いにしばらく行ったところ。

又は、国道251号線から少し入ったところ。たしか、「田結」という看板が出ていたと思いま

す。


上が、その写真ですが、


GooglのEarthで見ると

Photo_2

              (Google Earthより)

こんな感じです。


なお、「飯盛町郷土誌編纂委員会」から出版されている、「飯盛町周遊記~史跡と観光」に

地図が載っていましたので

Img

地図の中に「三坪」等「坪」という地名が出ていますが、「条」「里」「坪」が付いているところ

は条里制の名前に由来するところが多いそうです。


なお、ウィキペディアによると、条里制遺構を見つけるには、専門家以外にも可能であるそ

うで、2万5000分の一の地図に、パラフィン紙などに、109mの間隔で、方格線を引き、

地図に重ね合わせ、道路、水路、畦道などがある程度重なれば、条里遺構の可能性が高

いそうです。


いつも通っている近くに、1000年以上の遺構があるなんて驚きました。あなたの住んでい

る近くに田畑があったら調べてみてはどうでしょう?

ただ、現在農地は圃場整備が進んでおり、昔のままの田畑は少なくなっているでしょう。


(参考:「飯盛町周遊記~飯盛町郷土誌編纂委員会」「島原藩主 長崎監視の道~島原殿

さん道の会」「ウィキペディア」より)


わたしも、ポチポチ畑を耕す必要があるのですが、寒くて意欲が湧きません。ポチ。

 

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2013年1月24日 (木)

たった一人の誕生日

P1240101

市原悦子、野際陽子、シャロン=テート、尾崎将司、ジュディオング、前田日明、久保純

子、五輪真弓、ナターシャ=キンスキー、ニール=ダイアモンド、渡辺正行、まだまだいる

んですが、そして、私。今日1月24日が誕生日の方々です。


さて、今日は図書館へ行ってコピーを頼み、申込書を書き込む時、日にちを忘れて、「今日

は何日だっけ?」「1月24日ですよ」「え?」「1月24日ですが・・・」


1月24日、何か頭の中に引っかかるものがあり、誰かと約束したか?病院に予約を入れ

ている日だったか?頭をフル回転したら、なんと私の誕生日。年取ると、こんなもんです

ね。本当に呆けてしまいました。


どうせカミサンは用事で夜までいないし、一人で祝う事に。誕生日といえばケーキ。懐かし

いですね。小さいときは、父が誕生日ケーキを買ってきてくれたものです。


大きなケーキは2人暮らしなので食べきれないし、小さなケーキなら一つくらいは(現在減

量中)特別に良いだろうと。ケーキ屋さんに行きましたが、ケーキ1個は何となく気が引け

て、買いにくいですね。


コンビニで、150円のケーキを買って、ローソクも仏壇用しか売って無かったので、自分

で、「お誕生日おめでとう」と書いて、「ハッピー・バースディー」の曲を歌って一人で食べま

した。


何とも侘びしい誕生日でしたが、ヤケになって、誕生日祝いは

P1240104_2

前から欲しかった、iPhone5を買って来ました。せめて、これくらいは・・・・


カミサンが今帰って来ましたが、「誕生日」の「た」も言いませんでした。分かっている事だけ

ど、ポチと悲しいcrying

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2013年1月23日 (水)

「さわやかみかんこまち」だよ!~長崎県立諫早商業高等学校家政科

P1220026

昔、女子高校生といえば、胸がときめいたものheart04。長崎のJ女子高校とか、k女子高校とか

のセーラー服を見ただけで、頭に血が上っていたものです。あれから、50年。いまや、心も

体もときめきません。


さて、昔は、高校とか短大とかに「家政科」というのがありました。今はほとんど無くなって

きているみたいですが・・・もちろん憧れの女生徒ばかりです。


長崎の諫早に、商業高等学校があって、ここにも家政科があるのですが、今年度で廃止。

2月28日に、「家政科お別れの会」があるそうです。


その、「家政科」が開発して、コンビニで、期間限定で(地域も限定だったかな?)販売され

るのが、上の写真「さわやかみかんこまち」。


以前、島原農業高等学校で、 「じゃGぱん」を開発して、同じように販売した事を書きまし

たが、こちらは「みかん」で対抗です。


長崎のジャガ生産量は日本2位(北海道とは話になりませんが、北海道を除くと日本一で

す)。そして、昔は、みかん畑も良く見かけていました。


以前は千々石でもみかんも良く作っていたのですが、果実の輸入自由化に伴い、みかん

を作っているところは減ってきました。私の家も、昔はみかん畑だったところを潰して、宅地

にしたものです。他の市町村では、有名ブランドもありますが・・・


この、「さわやかみかんこまち」中身は、ぎゅうひ、白あん、長崎県産みかんジャム。

そして、長崎県産米粉(小麦粉も使っていますが・・)。

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お味ですか、2個買ってきて、半分食べたのですが、あとで見ると全部無くなっていました。

カミサン曰く、「あれ、美味しかったよ」。あまり、ものを褒めないカミサンが褒めたところをみ

ると、味は保証付きでしょう。


さて、裏に

P1220030

「家政科」で開発に携わった、生徒さんでしょうか。


学校紹介の所に、「・・・・私たちは、このパンを食べて皆さんが笑顔になれたら、とても嬉し

いです。そして、諫商家政科がなくなっても、思い出してもらえるように心をこめて作りまし

た。ぜひ、ご賞味ください。」と書いてありました。何となく、涙うるうるですね(年取ると、涙

腺が緩んで・・・・)。


以前紹介した、島原農髙の生徒の「じゃGAぱん」、大村城南高校の「田んぼアート」。高校

生も結構頑張っていますよ。「さわやかみかんこまち」を食べて、頑張る高校生を応援しま

しょう。


こちらはパンで、私はポチよ。

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2013年1月22日 (火)

嶋原街道の一里塚②★唐比一里塚・木秀一里塚~長崎県諫早市

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昨日についで、もう一つの一里塚「木秀一里塚」です。先日書いた、木秀古墳の付近にな

ります。県道124号線をいくと、道の端に、小さな看板で嶋原街道と書いてあります。

2 3

県道から外れ、しばらく登ると嶋原街道に出ますが、街道に出たところに、看板があり、「木

秀一里塚 400メートル 唐比一里塚4㎞」と書いてあります。

3 4

道は、唐比一里塚より良く、私の、ベンツの軽トラックでも十分通れるくらい(happy01)。というよ

り、車の轍があり、植林がしてあったので、いまでも使っているのでしょう。



とりあえず、右の方の「木秀一里塚」へ。

上の写真の所ですが、こちらも看板はちゃんと設置されていました。「塚は街道の両側にあ

る」と書いてあったので、道下を見ると。こちらにも、ちゃんと標識が。

5_2

さて、すこし先まで行ってみると、残念ながら、林の中に入ってしまい、分からない事はない

ようでしたが、回れ右。


元のところに戻って、唐比一里塚の方向へ、「唐比一里塚まで、4㎞」と書いてありますか

ら、一里は大ざっぱに4㎞。唐比の一里塚の次が、この木秀の一里塚だったことが分かり

ます。


しばらくいくと。こんな所にでましたが、分かれ道の所に、標識が。まっすぐ行くと、昨日の

唐比一里塚方面、手前が木秀一里塚への道。諫早方面に出ます。唐比一里塚から来て、

標識の左の方向に行くと、有喜から江の浦方面、長崎への最短の道です。

6

8_2 7

真ん中の看板、嶋原街道の文字の下には「長崎への分岐点『蓮堂の辻』」とありましたが、

「島原藩主 長崎監視の道」には「横山頭追分」とありました。「追分」ですから、街道、道が

分かれる所です。


勝海舟、坂本龍馬一行は、唐比一里塚方面からここへ出て、左へ曲がって長崎へ向かっ

たのでしょう。一番右の標識にも「龍馬が歩いた道」と書いてありました。「歩いた」のでは

なく、急ぎ旅で、「駆け抜けた道」が正確ではないのかな?


今日は1月22日、年末まであと343日、ポチと急ぎましょう。

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2013年1月21日 (月)

嶋原街道の一里塚①★唐比一里塚・木秀一里塚~長崎県諫早市

P1200456

一里塚といえば、皆さんご存じの通り、街道に旅の目印として、一里(約3.92㎞)ごとに、

目印をつけたものです。塚の側に、榎の木を植えたり、標識を立てていたそうです。


話は変わりますが、島原藩は高力隆長が仙台に配流されたのち、寛文9年に丹波福知城

主松平氏が島原藩主として配されます。これに関しては、林銑吉著島原半島史に、「徳川

幕府の政策として諸侯を封ずるに親藩譜代外様を適当に配し・・・・特に忠房(注:島原藩

主松平忠房)を島原に配して長崎の監視を命じ・・・それで、忠房は参覲前又帰国、及び阿

蘭陀船入国時のとき、出帆の時必ず長崎を巡視して、直接其の詳細を将軍に報告したも

のである。」

と書いてあり、島原藩主二代目松平忠雄に至っては、38年間の間に50回余になるそうで

す(島原藩主・長崎監視道)。


さて、島原から長崎まで領主が使った道は、二本ばかりあるそうですが、この街道も使って

います。


この嶋原街道には一里塚は二カ所しか残っていないそうで、あまり家から遠くではないよう

なので、お出かけを。といっても、昔の街道は荒れているところがありますから、特に、イノ

シシ対策に愛用の槍を持って・・・


行ってみたら、国道251号線のすぐ上

P1210014_2

黄色の線が唐比温泉センターへの道、一里塚は赤い矢印の方(ここまでは車で行けま

す)。青い丸印あたりに、一里塚がありました。

P1200466 P1200465

車道に、「嶋原街道、森に入り200メートル」と書いてあったので、森に入っていくと、落ち

葉は積もっていましたが、あっけないくらいの良い道。以前、ボランティアの方で整備したと

の話も聞きましたが・・・しばらく行くと、最初の写真のように、標識まで立っていました。多

分、これが無かったら分からなかったと思います。

P1200460

時代劇で見る一里塚が、こんな所にあるとは夢にも思いませんでした。いつも書いている

ように、自分の住んでいるところなど、もう一度、良く見て行く必要がありますね。


多分、この道を勝海舟、坂本龍馬も通ったのでしょう。しばし、歴史の夢に浸っておりまし

た。


TVニュースでインフルエンザが流行っているとのこと。ポチと注意しましょう。

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2013年1月20日 (日)

この一曲~「雪は天か送られた手紙である」★伊奈かっぺい

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先週は、東京が雪で大混乱したみたいですが、雪国に比べれば、たいしたことはないので

しょうが。伊奈かっぺいさんも、「東京に降る雪は 青森から見れば・・・日なた雪の見本 

雪の試食品 風花の計り売り 漬物にかける化学調味料 耳かきいっぱいのふくらし粉 ま

ゆ毛から落ちるフケみたいなもんだ。」と書いています。


伊奈かっぺいさんは、このブログ二回目の登場だと思いますが、雪で思い出した詩があっ

たので・・・「雪は天から送られた手紙である」と言ったのは、中谷宇吉郎だそうですが。


雪は天から送られた手紙である」



”お父さん 何て書いてあるの?”などと聞かないで欲しい。

それはむしろ お父さんがお前に聞きたいくらいだ。

文字も読み 文字が書けるようになって 

お父サンは天からの手紙が 読めなくなってしまった。

子どもの時には ちゃんと読めたはずなのに。

子どものお前、子どものお前たちだから読めるはずだ。

天からの手紙には何が書いてあるー

お父さんに教えてほしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべての色は白になり

すべての白は どんな色にもなれる。

小さな子どもたちは どんな大人にでもなれる可能性があるが

大人はどんなことをしても子どもにかえることが出来ない。

せめて

大人の心の中に白い雪を振り続けさせておきたい・・・・・。

(詩:伊奈かっぺい)


こちらの方は、ポチとも雪は降りませんでしたが・・・

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