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2013年7月28日 - 2013年8月3日

2013年8月 3日 (土)

2013 第6回ふるさと夏祭り~雲仙市千々石町

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今日は、千々石の「ふるさと夏祭り」。この日は、神社の虫除け祭、夏越祭でもあり、大村

でも、「夏越祭」を大々的にやっているみたいで、ローカルTVで実況をしていますが、、こ

ちらはこじんまりと。


昨年も書きましたが、茅の輪。くぐり方にも作法があり、ちゃんと、くぐる順序が書いてあり

ます。昨年よりも、参加者が多いみたい。

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七夕の飾りがありましたが、町内の子どもたちが作った物で、順位を決め、後で表彰があ

ります。

国体のマスコット「がんばくん」。いつも。「らんばちゃん」と一緒ですが、今日は一人。さて

は、振られたか、まさか、離婚したんじゃないでしょうね。なんか、心配。

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未来の、「ゴルゴ13」。定番の金魚すくい。暑さのためか、何となく元気なし。

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カブトムシ、くわがたむし売り場の所に、なぜか、フィギアーが?

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へたばっている、「ラスカル」くん。多分、十八銀行のテントでしょう。もう一つは、親和銀行

のテント。こちらは人間がへたばっていました。どちらも、休日出勤で、御苦労さまです。

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さすが、餅蒔きとなると、人がどっと集まりますね、

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おなじみ、中学校ブラスバンドの「御神楽」。近ごろは、「御神楽」のほうが有名になって、

あちらこちらで、引っ張りだこです。

二小の合唱、「棚田へ行こう」。日本の棚田百選の地があるところです。この子供達が、大

きくなって、あとを継いでくれれば良いのですが・・・・

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宮司さんとの、じゃんけん大会。児童館、保育所の踊り、「わらウんだWAっ!」。これ見て

いると、少子化という言葉を実感。

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第一小学校の、「琉球の風を感じて~エイサー」。口之津町のおやじバンド「祇園ゑび

す」。

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熟女好きな私のために、大きく載せます。婦人会の「千々石ヨカね節・千々石音頭」

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「ブルーアイランド雲仙」」の、フラダンス、「ヘマナオ・コウイアオエ」。遠くで見ると良いです

ね。

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ところで、祭りの途中、変な男が二人来まして、道に停めている車が、なにやら、かにやら

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某所に、通報があったとかで、私は関係なかったのですが、年取ると、段々角が出来てき

て、多少やりとりを、「ここら、農道で、トラックを停めて農作業をしているが、あれも、駐禁 

か?」と訪ねたら、「なります」。農家の方は、トラック停めて、農作業をするのは、駐車禁

止違反なるそうですから、要注意。必要なときは、警察へ行って、道路占有許可を取って

きてください。でないと、交通違反になります。


帰りがけ見たら、道に、まだ車が停めっぱなし。

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駐車違反を取締に来たら、全部撤去するか、交通切符を切るはずですが、なにもなし。

これ、徹底的にやらないということは、職務怠慢なのか?駐車しても関係なかったのか?

なんのためにガソリン使って来たのか、わけ分け分かりません。


でも、毎日ならですが、一年に一回の祭り、人の家のガレージの前に停めているわけでも

なし、少しぐらい通りにくいのを、某所に通報するとは、住みにくい世の中になったもので

す。


さて、祭りが終わって関係者は、夜回り補導。カミサンが関係者で、「行ってきてよ。」、

「ハイハイ」。逆らえない、ひ弱な私。ポチ同情してください。今、帰って来てブログ書いてい

るところです。ところで、夜回りで見つけたのが、猫一匹、酔っ払い(成人)二名でした。

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2013年8月 2日 (金)

おおきな木★3冊の本から~シェル・シルヴァスタイン

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久しぶりに、シェルおじさんの登場です。ただ、シェルおじさんは、1999年に亡くなっている

し、有名な本はほとんど、翻訳され、ブログで取り上げたので、、これで、シェル・シルヴァ

スタインの事は、最後になると思います。一番有名な本。「おおきな木」です。皆さん、この

本を読んだ事として、以下書きたいと思います。


おおきな木には、3種類の本があります。シェル・シルヴァスタインの原本、「The Giving

Tree」。ほんだ きんいちろう訳の「おおきな木」。ほんだ きんいちろうさんが亡くなられ、

出版社が出版を続けられなくなったため、村上春樹さんが翻訳した、「おおきな木」。


この本の題は、「The Giving Tree」であって、「The Big Tree」ではありません。村上春樹さ

んは、後書きで、「長く読み続けられた本なので、混乱を避けるために『おおきな木』とい

う本の題はそのままに使わせていただきました。」と書いていますが、裏読みすると、本の

題も変えたかったのでは?


この二人の訳は、全くちがっており、特に、主人公の少年のことを、ほんださんは、「ちびっ

こ」、「そのこ」、「おとこ」、「よぼよぼの そのおとこ」、というふうに、表現を変えています

が、村上さんは、少年が、老人になっても、一貫して「少年」と表現をしています。シェル・シ

ルヴァスタインは、一貫して、「the boy」です。


親にとって、子どもが六十歳になろうが、七十歳になろうが、「子ども」です。シェルと村上

さんは、明らかに、大人を対象に書いているのでしょう。子どもに、よぼよぼの老人の絵を

見せて、「少年」と言っても、理解できないでしょう。


ほんださんと、村上さんの訳にもそれが如実に表れています。

ほんだ訳、「むかし りんごの きがあって・・」

村上訳、「あるところに、いっぽんのきがありました。」


ほんだ訳、「まいにち ちびっこは やってきて」

村上訳、「少年はまいにち その木の下に やってきました」


ほんださんの訳は、リズムがあって、子どもにピッタリでしょうが、村上さんの訳は、口で読

むより、目で読むタイプの文章です。比べて見ると、明らかに、子どもを対象にした訳と、

大人を対象にした訳ということが分かります。

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二冊の本があります。「『おおきな木』の贈りもの」は、主に、シェル・シルヴァスタインの人

生を描いたもの。「子どもとファンタジー」は、「おおきな木」を、スウェーデン、英国、韓国、

日本の7歳から17歳までの子どもに読ませ、「子どもたちが、『自己』を発見する課程を感

情や認識の側面からとらえようとした発達心理学」の本。


これを、読むと、年齢によって、国によって、読み方が違っていることがよく分かります。

「・・・・なんで木がしゃべるのか教えて・・・・」

「・・・林檎の木が少年を甘やかさなければ、少年の人生も、もっと変わったものになったか

もしれないと思えてならない・・・・・」

「・・・年老いているのに、小さい頃の少年がわすれられないのかもしれないけれど・・・・。り

んごの木はバカだなあと思う。・・・・」


まだ、たくさんな意見がありますが、「りんごの木」の解釈。「りんごの木」を「母(親)」と見る

か、「友人」と見るか、「自然」と見るか、「神」と見るか。


「母」と見るのが、ダントツに多いのが日本、次いで、韓国、英国、スウェーデンの順。「友

人」と見るのが、スウェーデン、英国、日本、韓国の順、。「自然」とみるのが、韓国、スウェ

ーデン、英国、日本の順。「神」と見るのが、英国、韓国。スウェーデン、日本は無し。


たぶん、日本で、この本を、子どもに読んで聞かせる方は、「母」として、読まれている方

が、ほとんどなのでは?


ほんださんは、後書きで、エーリッヒフロムに触れながら、「『愛とは第一に与えることであ

って、受けることではない』と主張してしたのを、記憶している人も多かろう。これこそ、この

物語に貫流する中心的な思想なのである。と書いています。皆さんも、そのような感じで、

読まれていると思います。


さて、この物語で、一番気になる言葉、木が切り刈られたあと、

ほんだ訳、「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな。」

村上訳、「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね。」

原文、「And the tree was happy・・・but not really.」


ほんださんの姿勢は、断定的ではなく、こどもに考えさせようとする、態度がみてとれま

す。なおこの部分、これまで、「木はしあわせでした。」と、ずっと書かれていましたが、これ

が本当だったかどうか、本音が見てとられるところで、木の意識の二重構造が見られま

す。これが、この物語の一種の難解性を生んでいるところでしょう。


さて、蛇足ですが、先ほどの、「子どもとファンタジー」のなかで、「・・・・切り株になった、り

んごの木にもう一度実がなって・・・・」という、子どもの感想がありますが、

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多分、シェルおじさんの、「おおきな木」を意識して書いたのでしょうが、佐野洋子さんの、

「おぼえていろよ おおきな木」。


老人の家の横に、おおきな木があり、落ち葉は散る、洗濯物は日陰になる、朝から小鳥

が集まって鳴いてうるさい。


木を切りとりますが、今度は、昼寝のハンモックはつれない、洗濯物を干すロープの、つ

なぎ所がない。ということで、老人は困るのですが、いつの間にか、切り株から芽が出てく

るという物語です。


さて、シェルおじさんの、「おおきな木」にも、芽が出て来て、また新たな物語りが始まるの

か、天国のシェルおじさんが知るのみでしょう。


参考:「『おおきな木』の贈りもの~マイケル・G・ホーガン著 水谷阿紀子訳」「子どもとファ

ンタジー~守屋慶子」「おおきな木~シェル・シルヴァスタイン著 ほんだ きんいちろう訳・

村上春樹訳」)


今日は「パン(8)ツ(2)」で「パンツの日」。ポチと覗きたい、あなたのパンツ。なに?暑い

から履いてない!

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2013年8月 1日 (木)

夏はソーメン

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この人の、この随筆を読んでいると、この人でも、猛暑のせいで、食欲が無くなるのかと。

この人は、漫画家の「東海林さだお」さん。この随筆は、週刊朝日連載「あれも食いたい 

これも食いたい」。


今週号で、1278回の連載。食べ物の話ばかりですが、よく続くもので、それも、「カレー」だ

とか、「缶詰」だとか、庶民的な話ばかりで、また、その観察眼の鋭いこと。


今回は、ソーメンの話で、猛暑で食欲はないが、腹は減る。噛むのがしんどい。何が良

いかと言うことで、ソーメン。


この、「噛むのがしんどい。」のところの観察。「噛むという行為は、上下の歯が運動してい

ることを意味している。・・・・・いま上下の歯が運動していると書いたが、実際に運動してい

るのは下の歯だけなのだ。/上の歯に下の歯を打ちつけることによって噛むという行為は

成り立っていて、上の歯は動かずにじっとしている。」


どうです、この観察眼。実験してみましたが、本当のことです。この歳まで、気づきません

でした。


東海林さん、この後ソーメンを食べるのですが、「・・・あっちを噛み、こっちを噛み、ついに

十噛み。/次の一口も十噛み。/そうして、ソーメンは十噛みが最も適しているということ

が判明した。


さて、ソーメンと言えば、「三輪ソーメン」が有名ですが、「手延べソーメン」の生産量につ

いて言えば、一位が兵庫県、二位が長崎県、三位が香川県、四位が岡山県、五位が三輪

ソーメンの奈良県です。


長崎は、生産量が多いと言っても、ほとんどが、西有家町と有家町です。これには、「有家

町郷土誌」に、「須川(注:南島原市西有家町須川)そうめんの由来は、寛永14年(163

7)の島原の乱で島原半島南部一体はほとんど無人化し、幕府の移民政策で小豆島から

移住した人々が自家消費として製造していたものが始まりである。西有家を中心に発展

し、有家、北有馬に広がり、本県の特産となった。」とあります。


西有家町では、ソーメンのルーツは中国にありということで、皆さんで、中国まで研修に

行かれたことがありましたが・・・


日本農業規格で、「乾めん類品質表示基準」というのがあり、機械麺の場合、素麺の太さ

は直径1,3㎜未満。1,3㎜以上1.7㎜未満はひやむぎ、1,7㎜以上はうどうん。手延

べ麺の場合は、そーめんも、ひやむぎも同基準だそうです。


東海林さだおさんは、ソーメンを食べるのは、十噛みが適していると書いていますが、私

の場合は、二十噛みしました、なにせ

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宮内庁献上品で、1977年、皇太子殿下が、ソーメンの製造工程をご覧になられ、その

折、宮内庁に献上したもので、十噛みでは、もったいなく、二十噛みさせて頂きました。


ソーメンは、やはり細いですね。ウチのカミサンの足と、ポチとも、比べものになりません。

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2013年7月31日 (水)

原城の抜け穴 その後~南島原市南有馬町

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今年の4月に、「原城の抜け穴」と言うことで、書きましたが、このときは、穴の位置、形さ

え分からず、穴好きの私としては、残念な思いでしたが、なんと、

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1990年(平成2年)に、南有馬町(現南島原市南有馬町)から出版された、子ども向け

の、島原の乱を題材にした、「動乱 原城史:監修=笠原一男・漫画=古城武司」に、写真

が載っているではありませんか。以下、この間のブログとダブル部分があると思います

が・・


この穴、1963年(昭和38年)の豪雨で、地盤沈下して突然出来た穴。本によると、「内部

は段状になっており、一番深いところで4,3メートルの深さでした。瓦や陶器の破片が発

掘され、昔のくわの跡も見つかりました。・・・」とあります。

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赤の矢印の所が、原城の本丸にある、記念碑です。私としては、もっと崖の方かと思っ

て捜してみたのですが、こんな所だったとは、唖然としました。

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こちらは、海岸にある穴で、古くから知られていたそうで、海岸の崖下から6メートル、高さ

1,1メートル、幅0,7メートルから0,8メートル。


2009年(平成21年)に9月、東海大のグループが小型ロボットカメラで調査。どうも、この

模様が2009年9月23日、テレビ朝日の「スーパーモーニング」で放映されたみたいで

す。


海側から、入った人のスケッチ図です。

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本丸から見つかった穴と、こちらからの穴が繋がっているかどうかは、まだ分かっていな

いようで、先ほどの本に、「この穴(注:本丸の穴)は、海岸からの横穴につながっていたも

のと想像されます。」と書いてあり、調査しないと、繋がっているかどうか、不明でしょう。


なお。2009年の西日本新聞には、「『抜け穴』の発掘調査に新年度から着手する。」とあ

りますが、まだ、着手しておりません。


現在、南島原市は「世界遺産登録」を目指しており、仄聞するところによると、来年くらい

から調査が始まるようです。(あくまで仄聞です。)

この、抜け穴、はっきりすると、遺産登録への、一つの大きな武器となるのでしょうが・・・


なお、本丸の穴は、ここらあたりかな、としか分かりません。海岸側は、昭和63年、地元

郷土史家グループが測量調査をおこなった直後、豪雨で内部が崩落し、人が入れないそ

うです。多分、地元の役所でも入れない様にしてあると思います。調査を待ちたいもので

す。   (参考・文引用:、「動乱 原城史:監修=笠原一男・漫画=古城武司」)


穴と言えば、覗きたくなる、私のポチと悪い癖。

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2013年7月30日 (火)

愛野町にあった天草四郎陣中旗~雲仙市愛野町

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諫早から小浜に向かう、愛野町の峠の一番高いところに、「愛のベルハウス」があります。

現在、カステラの泉屋さんが経営で、お土産屋さんと、右側の広いところが、レストランに

なっています。写真では入っていませんが、この建物の左側が、愛野展望所で、昭和天皇

もお立ち寄りになった所です。


さて、昭和59年発行の「島原風土記 創刊号」、木田正巳氏の書かれた、「島原城余聞」

を読んでいると、おや?「かって『天草四郎陣中旗』が、愛野展望所『四郎の館』から消え

たときも思ったが・・・・・」。「天草四郎の陣中旗」といえば、天草の「天草キリシタン記念

館」にあったのでは?

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         (天草キリシタン館所有「天草四郎陣中旗)


天草・島原の乱で使われた、旗です。描いたのは、山田右衛門。南蛮絵師で天草四郎の

幹部である山田右衛門は、密かに幕府側と通じますが、発覚し、牢に入れられますが、幕

府側の攻撃の折助けられ、乱の唯一の生き残りだと言われています。


旗の正式名称は「倫子地著色聖体秘蹟図指物(りんずじちゃくしょくせいたいひせきずさし

もの)」。1964年1月11日、国の重要文化財に指定されます。


なお、十字軍遠征の折、使用した十字軍旗、ジャンヌダルクの旗とともに、世界三大聖旗

とされています。寸法は縦108,6㎝ 横108、6㎝。


旗の干十字の上の方には、「INRI」と書いてあるそうですが、写真では確認できません。

「ユダヤの王 ナザレのイエス」のラテン語の頭文字です。


一番上の文字、「LOVADO」は「讃える」、「SEIA」は「在る」、「O」は定冠詞、

「SACTISSIMO」は「もっとも尊い」、「SACRAMENTO」は秘跡。文化庁訳では、「いとも尊き

聖体の秘跡はほめ尊まれ給え」だそうです。中央には葡萄酒をもった聖杯。その上に聖

体のパン。両脇にアンジェという天使。


この旗は、幕府側の総攻撃の時、本来は28日未明だったのですが、鍋島藩が抜けがを

けし、27日に一番乗りし、家臣鍋島大膳が戦利品として持ち帰り、藩主が家臣の鍋島家

に戻し、鍋島家に1959年頃まで、受け継がれてきたそうですが、その後、行方が点々と

したようです。


本当に、愛野にあったんかな?と思い、いろいろ調べると、「昭和52年の頃には愛野パラ

ダイス(注:愛のベルハウスの間違いか?)資料館『四郎の館』で展示されましたが、閉店

後は個人の所有となり・・・・」という文書もあり、また、南島原市議会の折、教育長の答弁

として、「ただいまの陣中旗、天草の本渡にある資料館にいまかざられておるあれですけ

れども、昔は愛野町のそこに飾ってあったということはしっておりますし.・・・・・」、と記録し

てあり、これはホントだなと。


ウチの、カミサンに「知っている?」とおたずねすると、「聞いことはあるばってん。」というご

返事。


もうひとかた聞くと、一番上の写真、赤の矢印の建物に「四郎の館」と書いてあったとか。

入って見た?と聞いたら「なんか、気味が悪くて入らなかった。」とのこと。現在、覗いて見

ると、倉庫になっていました。


後日、近所の方に聞くと、某観光会社が、「愛のベスハウス」を作り、「旗もあったよ。」との

事でしたが、会社がゴルフ場を、あちらこちら作り、破産。その時、手放したのでしょうか?

または、別の所有者の方から、借りていたか?残念ながら、愛野町の資料をあせってみ

たのですが、触れたものは全然ありませんでした。


天草のキリシタン館に、「天草四郎陣中旗寄贈者 松本高光翁公徳碑」があり」、「・・・・大

宰府の松本高光翁は、所有するこの陣中旗を永年に寄託し、当天草切支丹館での公開

に寄与されたが、平成7年6日『歴史的文化的遺産は私有すべきものではない 乱の霊を

なぐさめつづけている本渡こそ安住の地』ということで、寄贈されたそうです。この松本高

光氏が、個人としての最後の所有者でしょう。


陣中旗、愛野町にあったら、というより、乱の時に翻るがえっていた原城に、資料館でも作

ってそこに納められた方が、一番良いのでしょうが・・・


なお、「愛のベルハウス」は、写真、青印の所に西欧の鐘(ベル)があったような気がする

のですが・・・たしか、数十年前、天草切支丹館に行ったとき、大きな鐘(ベル)があって、

愛野から持ってきました、との説明を受けた記憶が、おぼろげにあるのですが・・・もちろ

ん、現在、こちらにはありませんが・・・・


文章内、「天草キリシタン館」、「天草切支丹館」の名称を使っていますが、平成22年7月

にリニューアルオープンしたみたいで、「天草切支丹館」から「天草キリシタン館」に変わっ

ています。


「キリシタン」については、「吉利支丹」、「切支丹」、禁教後は、蔑称で、「切死丹」、「鬼理

死丹」等使っていますが、「キリシタン」は歴史的な用語で、現在では、一般的に「クリスチ

ャン」と言います。

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鐘(ベル)が無いとポチ淋しいですね。あなたがいない、私みたい。

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2013年7月28日 (日)

じぇじぇじぇ!~雲仙市吾妻町釼柄神社鳥居

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剣(釼?)柄神社の鳥居です。剣柄神社は小浜町にも有り、吾妻の神社の祭神は、「武甕

神」。小浜の神社の祭神は「建御雷(他二神)」。どちらも同じ「タケミカズチ(タケミカヅチ

オ)」。


日本神話に出てくる武の神、剣の神、相撲の元祖ともいわれ、小浜の神社は、風除け奉

納相撲があり、吉田司家(相撲の宗家)から、二重の土俵の認可を得ています。この認可

を得ているのは、島原半島で、剣柄神社と国見町の八幡神社のみだそうです。


さて、この鳥居は海の近くにありましたが、ここから国道を横切って、そのまま山手に上が

って行くと、「剣柄神社」があります。多分、昔は参道だったのでは?(暑くて、行けません

でしたが・・・・・)


この、「剣柄神社」については、いろいろあるみたいで、吾妻町誌に「剣柄神社」縁起考、と

して、数ページを割いて、書いてありますが、とても、まとめきれないので、省略をします。

結構、面白い話なのですが・・・・興味のある方には・・・・


神社の付近には、猫塚、犬塚、鬼塚、古路松(ころまつ)古墳、杉山古墳等があり、また、

近隣に、道祖崎という地名も残っており、若干興味を引く所ではあります。

現在、暑くて、私がへたばっているので、少し涼しくなったら・・・・


上の写真、鳥居の横を列車が走っているところで、これ見たら、ビックリして、「じぇじぇじ

ぇ!」でありました。


注:各郷土誌には「柄神社」と書いてありますが、地図では「柄神社」となっており、郷

土誌は、当用漢字に従ったものでしょうが、本来の字で書いて欲しいものです。

(参考:「吾妻町史」「小浜町史談」)


今年は、梅雨が短く、田畑にも水分がポチ欲しいところです。私には「愛」をポチと。

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