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2013年7月7日 - 2013年7月13日

2013年7月12日 (金)

「島原半島キリシタン墓碑めぐり」DVDについて

Dvd

このブログでも、時々、キリシタン墓碑の事を紹介してますが、地元の人しか分からない場

所等も在り、数も多く、なかなか思うように訪れることができないような状態です。


キリシタン墓碑ついては、昨年、「日本キリシタン墓碑総覧~企画 南島原市教育委員会 

編集 大石一久」が出版されており、参考になるところです。


上記のDVDは、長崎新聞に載っていたので入手したもの。南島原市の有家史談会研修部

が、昨年キリシタン墓碑を巡ったとき、撮影したもので、部員の安達康德さんが編集したも

のです。


「日本キリシタン墓碑総覧」は、専門的になりますが、こちらのDVDは、墓碑の雰囲気、回り

の状況等が味わえます。

Dscf2312 Dscf2317_2

Dscf2320 Dscf2321

これらを見ると、こんな所にあるのだな、ということが、良く分かります。

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こちらは、キリシタン墓碑が、塀に転用されたもの。


キリシタン墓碑については、ほとんどが、長崎県島原半島の南島原市に存在しており、こ

のDVDには、50カ所、150基ほどの墓碑が紹介してあります。「日本キリシタン墓碑総覧」

と比べながら見ると、興味深いものです。


なお、キリシタン墓碑については、前にも引用しましたが、「日本キリシタン総覧」によれば、

「キリシタン墓碑ほど、その捉え方がまちまちな墓碑はない。ある人はキリシタン墓碑とす

るが、別の研究者はしないという現象が各地で起こっている。だから、キリシタン墓碑に関

する研究会などに参加しても、そこに参集されている皆さん一人ひとりのキリシタン墓碑に

ついての捉え方が様々であり、最終的に建設的な話し合いが出来ない事を痛感してい

る。」(大石一久氏)と書いてあり、まだまだ、研究の余地があるようです。


禁教後、長崎市内には、多くのキリシタンがいたはずなのですが、前書によれば、「現在で

は一基も確認することができない。禁教、弾圧期に破壊され、海中や土中に投棄されたも

のと考えられる。」(大石一久氏)ともあり、島原半島の墓碑もかなり、破壊、投棄されたも

のと考えられ、発見されたものは、奇跡的なものと言えるでしょう。時代が下がり、何である

かも分からなくなり、「水神様」、「行者の墓」として、祀られている墓碑もあります。


キリシタン研究をされたい方は、是非、ご一見を。ただ、50カ所を50分程度にまとめてあり

ますので、もう少し見たい、という所もありますが・・・

連絡先・問い合わせ先は、「安達康德さん・電話0957-82-0461」です。1000円(送

料別)です。

(参考・引用:「日本キリシタン墓碑総覧」「長崎新聞」)


今日の暑さもひどかった。私も熱中症になりかけ。但し、私はあなたに熱中症の方。

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2013年7月11日 (木)

ドラドラ付けました~ドライブレコーダーの事です

Dscf2182_2

車を替えたので、以前から考えていた、ドライビングレコーダーを付けてみました。


近ごろ、世の中の不況などで、皆さんイライラしているせいか、赤信号無視で、突っ走ってく

る車、ウィンカーを付けないで右左折する車、無理矢理割り込んでくる車が多くなった気が

します。


事故が起こってでは、目撃者がいない限りは、水掛け論になるのは分かっているので、証

拠があるにこした事はない。


ただ、自分が加害者になると、これも証拠がバッチリ写っているので、自分の運転も十分に

気をつけなければならない。歳のせいか、最近ボーッとしていることが多く、まして、この暑

さ。ということで、購入を決意。


各メーカー、いろいろあるのですが、調べて見ても、どれが良いか分からず、JAFに入って

いて、JAFでしか販売していない、「ドラドラ」なるものを購入。何となく、垢抜けない名前。ま

あ、本体がしっかりしていれば・・・・・

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申し込みは、インターネットを使って申し込み。「JAF ドラドラ」で検索すれば、すぐ申し込み

できます。代引きか、クレジット。


3日ほどで到着。本体を見ると、何となく子どものおもちゃみたい。もう少し、重みががある

と思ったのですが・・・本当は白が欲しかったのですが、売り切れで、8月上旬入荷。


まあ取り付けを・・・・車に詳しい人なら、内部を通して、電源を取るのですが、こちらは素

人。

Dscf2290

取り付けるところは、決まっているらしく、フロントガラスの上端から、五分の一以内。バック

ミラーが干渉(バックミラーの動きを邪魔しない)しないところ。ワイパーの可動範囲内。


バックミラの裏の上部が、目立たなくて良いのですが、VW UP!には、シティーエンマジェ

ンシーなるものが付いているので、助手席右上あたりに設置。


配線は

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上の方は、天井のカバーに押し込めて、これ簡単にできました。あと、黄色の矢印のピラー

を外して、その中に配線すれば良いのですが、新車なので、あまりいじくりたくなく、ケーブ

ルマウントを使って、ピラーに沿わせて、あとは、助手席のフロアーマットの下をくぐらせ、シ

ガーライターへ電源を。


車のエンジンキーをONすると、「SDカードをチェックしています」のメッセージが出て、カメラ

が起動するまで、50秒程度。これ、長すぎますね。コンビニから、道路に出て走しってしま

う時間。この間に、事故が起こっても収録はされていないでしょう。


さて、走ってきて、SDカードを取り出し、パソコンで取説どうり再現してみると(本体でも再現

できます。)

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雨の日でしたが、以外とよく写ってますね。


写し方は3通り

①常時記録~運転中の映像をすべて録画、附属の4GのSDで2時間。一杯になると、古い

画像に、新しい画像が上書きされます。


②自動記録~事故などで、車が衝撃を受けたとき、自動的に、その時の前の10秒と、後

の20秒を記録。ただ、道の凸凹で起動することがありますが、これは、衝撃のGを調整で

きます。


③手動記録~衝撃に関係なく、RECボタンを押すと、押した時点の前10秒と、後の20秒

が記録されます。試しに、赤信号で停まって、RECボタンを押したら、赤信号まで走って来る

間の10秒間もちゃんと写っていました。

すれ違った車に、あなたの奥様と、見知らぬ男が乗っていたら、すぐにRECボタンを押した

ら、ちゃんと写ってますよ。


ということで、最近は常時記録で遊んでいますが、自分の車の運転の癖もチェックしていま

す。便利なものです。あなたも、一ついかが?各社出ていますから、よく調べてからネ。


夏が来て、あちらこちらで海開きのニュース。股開きのニュースもポチとないかな。

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2013年7月10日 (水)

巌流島の決闘★歌川国芳展から~?????

Img

              (「歌川国芳展図録」より)



下関のホームページ、「巌流島」で見ると、今年、2013年は「巌流島の決闘」401周年で

す。昨年が400周年。来年が402周年でしょう。普通、5年置きとか、10年置きとかが、記

念の年になるのですが、こちらでは、毎年が記念の年になるようです。こんな考えもあると

いうことで、下関のこと好きになりました。


先日から、長崎歴史文化博物館で、「歌川国芳展」が開催され、長崎では7月24日(水)ま

でですが、某所より招待券が二枚届き、何となくカミサンに見せると、「私も行く」と。いらな

いことは言わない事ですね。おかげで、神経を使いました。なにせ、おっかない人だから。


さて、国芳展の最後の方の浮世絵です。「巌柳島報讐図」が画名になっています。

この絵見て、「じぇ、じぇ、じぇ、じぇ、じぇ」。佐々木小次郎が、優男で、宮本武蔵がむくつけ

き男のはず。これで見ると、反対の感じ。右の方宮本武蔵ですが、いやに、色白く優男、

佐々木小次郎が、むくつけき大男。


おまけに、武蔵は、船の櫂を削って長い木刀を作っていたはずが、この絵では、木剣を二

本。小次郎が刀の鞘を投げ捨てたとき、武蔵は「小次郎破れたり!鞘を捨てるとは勝つ気

が無いからだ(だったかな?)」と言ったはずですが、小次郎の腰にはちゃんと、刀の鞘

が・・・ありますね。試合の時は、立会人がいたのみで、見物人はいなかったはず。


イメージとしては

Img_0001

           (下関市「巌流島」ホームページより)

という感じなのですが。


図録の解説には「近代の小説では宮本武蔵の決闘の相手は佐々木小次郎となっている

が、江戸の実録や講釈などでは、養父の敵、四十余あまりの大男佐々木巌流である。小

倉の海上への小島へ決闘に向かう武蔵は櫂をを二つに折って左右の手に持ち巌流と戦

う。切り込んできた巌流の刀を飛び越しざま、櫂で巌流の眉間を一撃、地に降りざまさらに

頭を撃って巌流を倒した。これによりこの小島の名を巌流島と呼ぶようになったという。」と

書いてあります。「近代の小説」は、多分、吉川英治の「宮本武蔵」の事でしょう。


巌流島の決闘については、武蔵の養子、伊織が建てた武蔵顕彰碑に刻まれた、「小倉碑

文」、「沼田家記」、「本朝武芸小伝」、「丹治峯均筆記」等あり、武蔵が時刻に遅れたとか、

遅れなかったとか、いろいろあるようです。


「沼田家記」には、武蔵が決闘に弟子を連れていき、武蔵が小次郎を打ち倒し、小次郎が

息を吹き返したが、弟子達が打ち殺したとあるそうです。


さて、私たちのイメージとしては、吉川英治著、「宮本武蔵」があり、それを、映画化、TV化

したものばかり見て来たので、そう思い込んでいたようですが、真実は如何に?ネットで調

べるといろいろありますね。


この試合、見物人がいるようですから、入場料を払っても。ポチ見たかったな。

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2013年7月 9日 (火)

日本国憲法を読みました

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ハスの花が朝から夕方まで、咲いてしぼむまで、時間をおって写真を撮ったものです。こ

の写真で見ると、やはりハスの花を見るのは、午前中だと言うのが分かります。


今日は、ハスの話では無く、「日本憲法」の話なのですが・・・・・

2~3日前、コンビニに下の本が並んでいるとか、全国のニュースで流れて、まさか、と思

っていたのですが、ホントにコンビニに並んでました。

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この本に29枚の写真が載っていますが、上のハスの花の写真はそのうちの、一枚です。


「日本国憲法」と言えば、高校の授業の時習って、その後読んだことも無かったのです

が・・・・買って来て読んで見ました。


字は大きく、写真があり、用語説明まで書いてあるので、便利ですね。「・・・・平和を愛する

諸国民の公正と・・・」。さて、「平和」とは、どう説明するか。改めて聞かれると、なんと、答

えますか?「おだやかで、やわらいであること。特に、戦争がなく、世の中が安穏である

事。和平」。こう書かれると、なるほどですね。


読んで見ると、おや?「第二十七条 すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負

ふ。」、勤労は、義務でもあるんですね。定年で辞めてブラブラしている私は、憲法違反な

のかな?就職が決まらないで就活している若者も・・・?


「第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与

えられなければ、抑留又は拘禁されない。・・・・・・・要求があれば、その理由は直ちに本

人及びその弁護人の出席する公開の法廷でしめされなければならない。」


最近、満員電車での痴漢のえん罪が、問題になっています。弁護士に依頼する権利があ

るのですが、正当に権利を与えられた人があるのかな?


「直ちに・・・公開の法廷でしめされなければならない。」、何十年もかかった、えん罪裁判

がありますが、あれも、憲法に照らし合わせれば、憲法違反なのでは?


「第三十八条 ②何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有

罪とされ、又は刑罰を科せられない。」、これ、ホントですか?警察発表でも、マスコミでも

「自白によれば・・・」とやっているではありませんか、警察は自白主義だったのでは?


ちょっと休憩

Img_0002_2

こんな、可愛い写真も載っています。


今回の選挙で憲法改正が問題になっていますが、これは

「第九章 改正 第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛

成で、国会が、これを発議し・・・・・・」、ここのハードルを下げる事が争点でしょう。


各自、いろんな考えを持っているかとは思いますが、本の帯に書いてあるように、「読んで

から考えませんか?」と言うことですね。選挙を前に、憲法をもう一度読み返して見ません

か。


意外と言っては不見識ですが、へたな小説読むより、ポチ面白いですよ。

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2013年7月 8日 (月)

湯煎餅★又、後日談~湯煎餅発祥の地?(雲仙市小浜町)

Dscf2174

梅雨もあけたということで、あとは、正月を待つばかり。


さて、湯煎餅も最終回を書いたのですが、またもや、「又、後日談」です。

湯煎餅の由来については、最初に書きましたが、湯大夫(溫泉の元締め)本多西男氏が、

菓子店・小高竹三郎氏に命じて、作らせたとか、島原の藩主の献上品にしたとか、旧島原

藩主 松平公が、創案したとか、諸説あり、詳しくは分からないのですが、とにかく、明治24

年頃に、小高商店で発売された事は、事実のようです。


この小高商店は昭和37~38年ころ店を閉ざしたそうで。その後、小浜の旅館等も移り変

わり、小高商店の所在地も不明で、郷土史家の方に聞いても、湯元(湯大夫の屋敷)付近

ではないかと言うこと。


で、一生懸命考えると、なにかウル覚えながら、どこかで見たなと。探し回ること数日。や

っとありました。なんと、いつもお世話になっている、長崎県衛生公害研究所から出してい

る「雲仙・小浜温泉誌~1989年(平成元年)出版」。

Img

昭和10年代の小浜温泉街の図ですが、この時代、日中戦争、太平洋戦争と続く時代です

から、溫泉案内記、郷土史等は全く姿を消していったそうです。


当時の姿は、古老の話に頼らざるを得ず、上図の注に「旅館名は元高砂屋・重松義仁氏

らの話をもとにして作成」と記されています。


さて、この中で、赤の矢印の所に、なんと、「小高センペイ」と書いてあるではありません

か。場所は、幸いにも現在営業をしている、「伊勢屋旅館」の横、路地をはさんだ所。上の

写真、黄色い矢印が、伊勢屋旅館です。路地を挟んで、今、十八銀行がありますが、多分

ここが、湯煎餅発祥の地、小高センペイ屋だったのでしょう。(赤の矢印)


旅館がかなり変わっており、当時の名前が残っているのは、ざっと見て、「春陽館」、「一角

楼(小浜観光ホテル~廃業)」、「伊勢屋」「津多屋(現・つたや?)」、「浜松屋」、「うぐいす

屋」、「春島屋」、「恵比須屋」が並んでいるので、比較してみると、ここが湯煎餅発祥の地

だった事は、ほぼ間違いないと思います。記念碑が欲しいところですね。


なお、同書によると大正7年当時、東京では、アンパン1個2銭、豆腐一丁5銭、砂糖1㎏

44銭。これに対して、湯煎餅は1缶約30銭だそうですから、結構、良いお値段だったこと

が分かります。

(参考・文引用:「雲仙・小浜温泉誌 1989年(平成元年)~編集 長崎衛生公害研究所 

 発行 小浜町)


暑さのせいか、食欲も、○欲も、ポチ減退ぎみ。

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2013年7月 7日 (日)

2013 唐比ハス祭り~諫早市森山町

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今日は、「唐比ハス祭り」。心配していた天気も、まあまあ。この祭り、年々見物人が増え

てきて大にぎわい。駐車場一杯。ただ、前日の雨風が強かったせいか、花が乱れ気味。


昔はこの唐比盆地は蓮根(れんこん)で有名でした。仕事が辛いので、段々後継者が減っ

てきましたが、近年復活しようと、作っている所が増え、「幻の唐比蓮根」として、有名にな

ってきています。


私は、朝から病院にお見舞いで、急いで駆けつけたのですが、イベントで見られたのは、

最後の二つだけ。

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「森山五穀連」の、ひょっとこ踊り。見ていて面白いのですが、踊る人は、かなりきついみた

いで、終わった後は、ゼイゼイいっていました。

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お馴染みの「琉球太鼓」。小さい子どもから、大人まで、相変わらずの大迫力。

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特産品の販売で、地元の野菜、どういうわけか、ひまわり。ほかに、蓮の株も売られてい

ました。私の好きなレンコンハンバーク。昼ご飯に一つ。

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こちらは、「ふれあい魚釣り大会」。参加者も多く、意外と、大きな魚も釣れていました。

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この川魚、名前は聞きましたが、忘れました。多分、「なんとか鯉」。まあ、要するに、「魚」

です。「うなぎ」の小さなのも釣れていましたから、本格的に釣ると、もっと大きなのがいる

かも・・・・・


この祭り、梅雨時でいつも天気が心配なのでですが、今日はナイスディーでした。まだま

だ、きれいな、ハス、スイレンが見られますので、是非見に来て下さい。


大きなハスの花は、感動ものですよ。管理の「唐比すいれんの会」の皆さんは、大変だと

と思いますが、また来年を楽しみにしています~


途中から日が差し、暑いこと。帰ったらグッタリしました。ポチ歳かな。

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