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2013年6月16日 - 2013年6月22日

2013年6月22日 (土)

湯煎餅★たかが湯煎餅されど湯煎餅 その1~雲仙市小浜・雲仙

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小浜町には、海に近い小浜地区と、山の雲仙地区とがあります。小浜温と雲仙温泉で

す。観光に訪れた方は多いと思いますが、「湯煎餅」をお土産に買われた方も、多いと思

います。


ちなみに、煎餅は、「せんべい」ではなく、「せんぺい」と言います。新村出編の「広辞苑」で

は「せんべい」はありますが、「せんぺい」では、出ておりません。まあ、一種の方言だと思

えばですね・・・・湯煎餅の表は各店違っていますが、裏は

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「YUSENPEI」と共通に書いてあります。「YUSEMBEI」ではありません。


さて、この「せんぺい」、由来がはっきりしないところがあり、昭和53年発行の「小浜町史

談」には「小浜温泉にて湯煎餅発売(本多西男氏の委嘱により小高三郎氏制作)。」とあ

ります。


昭和52年の小浜町観光課から出された、「国立公園 雲仙観光圏 雲仙・小浜資料総

括編」には、「名物の湯煎餅は、本多小高商店にて、旧島原藩主、松平氏への献上品とし

て、本多家先代西男氏の指揮のもとに創製したもので、・・・・・」と書いてありますが、同書

にもう一カ所、湯煎餅について記述があり、これには、「明治初年、旧島原藩主松平公が

小浜に滞在中、温泉が体に良いことから、温泉を冷やして小麦粉をといた煎餅を創らせた

もので・・・・」と、違うように書いてあります。どちらが本当なのか?

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こちらの湯煎餅の袋には由来が書いてあり、「雲仙湯煎餅は明治初年、旧島原藩主松平

公が当地に湯々治に来られご入浴の同藩主のすすめにより雲仙温泉が人体に特効があ

る雲仙温泉を使用して湯煎餅を創案しました。」と書いてあります。

要するに、島原旧藩主の松平氏が創案したのか、本多西男氏(小浜の湯本、本多家の当

主で、明治時代、小浜の海岸等を自費で埋め立てるなどの事業を行い、小浜の発展に寄

与した方)が創案したのかですが、まあ、出典が書いてないのでよく分かりません。


実際に作って売り出したのは、「小高商店」みたいですが、昭和37,8年頃に店を閉じたと

いうことです。


昔は、一枚一枚焼いていたのですが、今は、

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このように、数枚一緒に焼き、冷えてから耳を取り、成形していきます。


一枚一枚焼いているところがないか、小浜を調べたのですが、どうにも分からず、雲仙に

行ったら、ありました。「ウチも機械を使ってますが、手焼きをしているのは、雲仙ではウチ

一軒になりました。」との事でした。

Dscf1960

これが、昔の湯煎餅を焼く道具です。型に種を流し込んで挟んで、両面をひっくり返しなが

ら焼いていきます。


さて、一口に、同じ湯煎餅といっても、小浜の湯煎餅、雲仙の湯煎餅、少し違ったところあ

るのですが、おあとがよろしいようで・・・・又ね。

(参考:「小浜町史談」「長崎県温泉誌(Ⅱ)~長崎県衛生公害研究所・長崎県自然保護

 課」1998年版)


これ書くために、五箱ほど買ってきて、調べながら、一人でポチポチではなく、ポリポリ食

べながら書いていますが、美味しいですよ。でも、五箱は多すぎるな。

 

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2013年6月21日 (金)

島原鉄道最後のSL~島原市

Dscf1986_5

オー!やはり、蒸気機関車の実物はすごいもんですね。昔、子供たちに、大人になった

ら、何になりたいという質問に、「機関車の運転手さん」という子が多かったのですが。


さて、先日、島原鉄道さんへ行ったことは書きましたが、「島原鉄道100年史」を読んでみ

ると、靈丘公園にSLが保存してあるとか。


あいにくの台風接近でしたが、昼には温帯低気圧に。ちょうど島原の病院通いもあって、

雨が小降りになったので、寄ってきました。場所は靈丘公園の中央児童遊園の所です。


汽車はC12型。機関車はABCDと頭に符牒が付いていますが、これは、動輪の軸数を表

しているそうで、C型は動輪が3軸になるそうです。D型は動輪が4軸になるのかな?


島原鉄道がC12型を導入したのは、島鉄改革に取り組んだ、故宮崎康平氏の尽力があ

ったようで、「『都会へ食料を送るために努力している農民が輸送不足に悩んでいる』と訴

え続け『12型機関車』を導入」と記されています。


このC12型は、昭和23年に2両、続く24年に3両、計5両を購入。番号はC1201、

C1202、C1203、C1205、C1206。C1204がとんでいますが、「4」と言う字を嫌ったので

はないでしょうか。


横道にそれますが、昔は郵便局が電話業務も取り扱っており、郵便局の電話番号が意外

と「○○42」と付くところがあり、これは、「42番」すなわち「死に(しに)番」に通じ縁起が悪

いため、郵便局が「42」番をとったものと思われます。本当かどうか分かりません。私の独

断と偏見の考えです。パチンコ屋の台の番号も確か「4」は無かったかと思います。

パチンコは止めたので、現在は分かりませんが、昔の記憶です。ところで、この間、

「4444」のナンバーを付けた車が走っていましたが・・・・・あれは、どんな人間なのかな?


C1203号機関車の写真です。

Img

C1206号機関車の写真です。さすが、今の汽車と違って迫力が違いますね。

Img_2

天皇陛下が島原へご巡幸されたのが、昭和24年5月25日。そのとき、お召し列車を牽引し

たのがC1205号車だったそうです。


昭和43年、蒸気機関車はディーゼルカーにバトンタッチします。この時4両が解体されま

すが、せめて一両だけでもということで、3年ばかりかけて、外装を塗り直し、島原市へ寄

贈をし、現在の所に保存されているそうです。


なお、保存されている汽車は、本当は、C1206号車で、番号をC1201に書き換えてある

そうですが、当時を偲ぶためでしょう。


なお、昭和43年、島原鉄道は列車集中制御装置CTCを採用しますが、これは、九州で最

初だったそうです。島鉄が先進的な鉄道だったことがうかがえます。


思えば、高校の修学旅行、大学受験。蒸気機関車に牽かれて行ったものでした。トンネ

ルに入ると、煤煙が窓から入り込むので、そのたびに窓を閉めていた思い出があります。


汽車がお好きな方のために、C12型の車両竣功図表を

Img_0002

なお、1号車は853,096.3キロ、2号車は682,944.1キロ、3号車は726,229.3キロ、5号

車は749,006.6キロ、6号車は754,537.5キロ走り、ほとんどが月までの往復の距離を走

ったことになるそうです。


なお、諫早~南島原駅の距離が約42.3キロ。ほぼマラソンと同じ距離ですが、開通当時

は3時間を要したそうです。マラソン選手より遅いみたいですが、停車や、貨車の荷物の

入れ替えに時間を要し、一時間以上の遅延もあったとの事だそうです。


(参考・写真・文引用:「島原鉄道100年史~夢ある未来をめざして」から)


台風もたいしたことは無く、我が家も今日はポチ平穏無事でした。

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2013年6月20日 (木)

小浜のいぼとり地蔵さん~雲仙市小浜町

Dscn3314

雲仙市小浜町の伝明寺の近くにある「いぼとり地蔵」さんです。他に、近くでは唐比にも、いぼ

とり観音があり、これは、諫早一揆(百姓騒動との記述もあり)のリーダー若杉春后の妹婿に

なるそうですが、この話はいずれ・・・口之津にもあるような話しでしたが、これは確認できま

せんでした。


さて、お地蔵さんは、どこにでも見かける仏様ですが、「石の宗教~五来重(ごらいしげる)

著」から抜粋すると、「・・・・地蔵菩薩は田植えを手伝ってくれたり、戦のあいだにに矢を拾

ってくれたり、刀で切られる身代わりにもなってくれる。田植え地蔵とか矢取り地蔵、身代

わり地蔵はこの信仰を表している。」


「また夜泣き地蔵や子育て地蔵などは子供の守護仏とされ、子供に引きずりまわされて喜

ぶという伝説もついている。・・・・」


「・・・阿弥陀如来のように往生だけを叶えるより、一段下等な仏のように見られたことも事

実である。万屋、スーパーマーケットと高級専門店の相違である。しかし、一般庶民は万屋や

スーパーマーケットに親しみを感じ、手軽に願いをかける。地蔵菩薩はどんな些細で我儘な

願いでもきいて下さると信じているからである。」


こうして読んでみると、我々庶民の信仰の根源的なものが、なんとなく分かるような感じが

します。阿弥陀如来様に、「いぼを取ってください。」と、気軽に願い事はできませんからね。


さて、この「いぼとり地蔵さん」ですが、願い事をするとき、「いぼをとってください。」ではダ

メだそうで、「このいぼとれ」と、言うそうです。


願い事をするのに、偉そうに言うものですが、「このいぼをとってください」では、「このいぼ

とって」というのと、「(このいぼを)ください」。「このいぼをとって、ください」と二つの意味

になり、いぼがとれても、又、いぼができてしまうそうです。お礼参りとして、オカラをあげる

そうです。


書いているうちに、美空ひばりさんの「花笠道中」を思い出しました

「これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのはこっちかえ だまっていては わからない・・・・・」

この唄、歌える方は、ほとんどいないだろうな?


(参考・文引用:「石の宗教~五来重著(講談社学術文庫)」より)


台風が近づいて来ています。台風前の静けさというか、最近のウチのカミサンの感じとポ

チ似てますね。

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2013年6月19日 (水)

千々石の田植え風景~雲仙市千々石町

Dscf1903

昨年も、田植え風景を載せましたが、こんな広い田も機械ですれば、ほとんど人手いら

ず。

Dscf1906 Dscf1918

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苗を植えるのも田植機で、ただ、植え残しがある所は、人の手で。

Dscf1907 Dscf1909

苗も今では農協などで、左の写真のように、育苗したのもを使います。右が余り苗。苗が

風で倒れたり、根付かなかった時に使いますが、ほとんどが、そのまま枯れてしまいま

す。


役に立つときがあれば良いのですが・・・・これを見るたびに、自分の身と比べて、何とな

く、侘しくもあります。

Dscf1912

日本人の勤勉さでしょう。こんな狭いところにも、ちゃんと植えてあります。


勿体なや昼寝して聞く田植唄   一茶

風流のはじめや奥の田植えうた   芭蕉


今や、田植唄なんて、ありません。ラジオをガンガンかけて、田植えをやっています。


さて、

Img

   (「目で見る 島原・南高の100年~監修 松尾卓治」より)


牛に鋤を引かせて田起しをしている風景です。島原の昭和33年の写真と書いてあります。

後ろに見えているのが、眉山。島原大変肥後迷惑で崩落した山です。


そういえば、ウチのカミサンの実家にも、牛を飼っていましたが・・・・美味しそうでした。


これも珍しい写真で、耕耘機の実演風景だそうです。昭和30年代の写真だそうで、この

頃から農業の機械化が始まりかけたのでしょう。

Img_2

                 (同書より)


昔は、お米は、八十八回(米という字を分解すると八十八になります)という、手間をかけ

て苦労して育てたものだから、大切に食べなさいと習ったものですが、今の農業の機械化

を見ると・・・・


農家にとっては、機械化したほうが楽で、農業はつらいものと、昔のイメージが残っている

ため、なかなか嫁がこなくて、40歳代で独身はざらです。都会のお嬢さん方も農家へ嫁ぎ

ませんか?何よりも土に親しむのは楽しい事ですよ。


久しぶりに、森山町上井牟田のため池に行ってみたら、オブジェが変わっていました。

Dscf1971

多分、サッカーのワールドカップ出場を祝ってのものでしょう。後ろのお馬さん。ここも米所

で、田植え時期なので、農耕馬をイメージしたものかな?

(参考・写真:「目で見る 島原・南高の100年~監修・松尾卓治」)


台風が近付いてきています。皆さんもポチご注意を。ウチのカミサンの台風に比べれば、

ポチとも比べものにならないけれど・・・

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2013年6月18日 (火)

やまぼうし、今が最高~雲仙市小浜町雲仙

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今日は朝から、長崎の漢方医さんへ。4月から時間予約制にしたので、いつもより待ち時

間は少なくてすみましたが、相変わらず、若い奥様風の方が半分。東洋医学のブームで

すね。数年前までは、年寄りの患者さんばかりでしたが・・・


診察が終わると、すぐに、30分ほど車で走って車屋さんへ。1000㎞の点検です。異常な

し。異常があるのは私の体だけ。


さて、小浜・雲仙の湯煎餅の話を調べていると面白く、すぐに引き返し、小浜と雲仙へ調

べに。小浜と雲仙の湯煎餅、同じようで違うんですね。この話は、また後で。


湯煎餅は、以前は一枚一枚焼いていましたが、現在はまとめて何枚か焼いていきます。

この、一枚づつ焼いているところがないか、小浜を走り回ったのですが、見つけきれませ

ん。ならばと、愛車VW Up!を走らせて、雲仙へ。1000㏄ながら、MTモードで走らせる

と、山道をよく走ること。制限速度を(少しオーバーして)守りながら、お山雲仙へ。


ところが、途中にヤマボウシが、あちらこちらに咲いていました。今が盛りです。花の盛り

は良いもんですね。女盛りと一緒。おまけに、回りは霧の中。素敵な風景でした。

3 Dscf1957

下界の小浜では、ジャカランダフェスタを実施していますが、こちらのヤマボウシ、色が白

いうえに、霧の中。何となく、もの悲しい風情が漂っていました。とにかく、今が見頃です。

とくに、小浜から雲仙に上る道と、西有家から上る道が交差するあたり、最高でした。


そういえば、昔、銀行員だった人の唄にありますね。「真綿色したヤマボウシほど 清(す

が)しいものはない 出逢いの時の 君のようで・・・・」。全くその通りの姿でした。唄の歌

詞がチト違ったかな?


帰りに、千々石岳地区の棚田をちょっと覗きに。

Dscf1962

展望台からですが、前の木が邪魔。本当は、まだ田は広がっているのです。休耕田がいく

つか見えます。昨年は田植えをしていたところですが・・・はやり跡継ぎがいないのかな?


湯煎餅のことですか?ヤマボウシの花を見ていたら、ポチとどうでもよくなりました。

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2013年6月17日 (月)

雲仙鉄道 その24~愛野村駅★英語をしゃべる駅長さん

Dscf1932

      (「島原鉄道100年史~夢ある未来をめざして」より)


昭和初期頃の愛野村駅です。スキャナーに入らないので、写真で撮りましたので、少し分

かりにくいところもあるかと思います。同書より同じ愛野村駅。

Img_0001

駅舎、プラットフォーム、駅名の標記の位置、柱の位置等を見れば、ほぼ同じ時期に撮ら

れた写真でしょうが、現在と違っているのが、駅舎と向かい側にあるプラットフォームの位

置。


この写真を見るかぎりでは、駅舎と向かい側のプラとフォームが、真向かいでなく、斜めに

位置しています。

現在は

Dscf1940 Dscf1941

駅舎の向かい側のプラットフォームは、ほぼ前の方にあります。駅舎の位置が変わったの

か、プラットフォームの位置が変わったのか、両方とも変わったのか?


何回も出している写真ですが、開通当初の愛野村駅の写真

1

       (「目で見る島原・南高の100年~松尾卓治監修」より)

大正2年頃の写真だそうです。最初の写真が昭和初期の写真ですから、ずいぶんな変わ

りようです。


話しは少し変わりますが、雲仙鉄道を調べているうちに、少し、おや?と思うことがあって、

あちらこちら調べたのですが、どうにも分からず、結局、島原鉄道の資料を見せて貰わな

ければと考え、寄ってみたのですが、丁重な応対と、貴重な冊子をいただき、こちらにな

い、写真、文章も載っており、島原鉄道さんには心から感謝する次第です。


この話は、この冊子の中に出てくる話しです。

雲仙は、昔、外人の避暑地で、大勢の外人客が来ています。

Img_0002_2

    (「目で見る島原・南高の100年~松尾卓治監修」より)


説明にはこう書いてあります。「仮装ダンスパーティー(小浜町・昭和初期)明治初期より

長崎に居留する外国人だけでなく、シャンハイ、ホンコンをはじめロシアなどからも訪れる

避暑地であった雲仙。県公園事務所の隣に『雲仙娯楽館』が大正2年に開館。外人避暑

客の日曜日の礼拝、ダンスパーティーなどに利用された。(社)雲仙観光協会所蔵

『UNZN』より」。


と言うことで、かなりの外国人がやってきますが、「島原鉄道100年史」には、「昭和初期

には、本諫早、愛野駅、島原湊駅では外国人旅客が多く、外国金貨で切符を買うことも多

かった。『とくに愛野駅は雲仙登山行きで外人乗客が多かったので、駅長は英語ができ

なければならなかった。・・・2等車には通訳が乗っていたと言う。』(島鉄ニュース「浜木

綿」)。別の記事には「英語を話せなければ駅長がつとまらなかったというわけだ。同駅

には当時の名残を示すように、朽ち果てた木製の様式トイがいまも残っている。」(太字は

私)


時代を考えると、現代の中学校、高校に進学できるのはわずかな人で、この時代、英語

を話せる駅長をがいたとは、愛野村駅はかなり、重要で、先進的な駅だったことがうかが

えます。


「島原鉄道100年史~夢ある未来をめざして」は、平成20年の出版ですから、まだ、木製の

トイレが残っているのではないかと、急いで行って見たのですが、残念ながら新しいのと取

り替えてありました、ついでに出してきましたが・・・・


島原鉄道さんには、ヨレっとした風体の人間が突如お邪魔したにも関わらず、丁重な応対

と、貴重な資料をいただきましたことを改めてお礼申しあげます。

まだ、貴重な写真等載せてありますので、順次紹介をしていきたいと思います。

(参考・文引用:「島原鉄道100年史~夢ある未来をめざして」「目で見る島原・南高の100

 年~松尾卓治監修。)


今日は植木屋さんが来て、植木の剪定。暑い中を大変な作業です。顧みて、毎日ゴロゴロ

している時分の身を、ポチ反省。

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