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2013年5月26日 - 2013年6月1日

2013年6月 1日 (土)

千々石の飛び石~雲仙市千々石町

P4080516 P4080521

この写真、以前にも出したもので、すみません。手抜きです。

さて、この間、諫早市本明川の飛び石のことを書きました。千々石にも、飛び石がありま

す。左が温泉神社付近の飛び石、こちらは間違いありません。


右の写真は、河川公園が作られ、ちょっとした東屋が作ってあり、そこにある飛び石。これ

が、風情を付けるために作ったものかどうか?


向こうの方はドン詰まりになっています(私の人生と一緒)。ここらあたりも、昔とは、ずい

ぶん変わっていますから、本当の飛び石かどうかよく分かりません。


という事を話していたら、自然の家の知人が、「ウチの近くにもあったよ、小さい頃渡って

いた」という話。


昭和49年に、千々石川の河口付近に、「元江橋」ができ、それまで、飛び石をつたって、

渡っていたそうです。これが、「元江橋」。

Dscf1356

またしてもGoogleの写真ですが、

Google

赤の四角が「元江橋」。黄色い四角が飛び石のあるところで、これで、行ったり来たりして

いたそうです。


実際見に行ったら・・・・下流の方です。

Dscf1291_2

自然石を使ったものですが、こちらの方は、満潮時には水の下に隠れてしまい、見えませ

んでした。干潮時を見計らって、写したものです。


上流の飛び石も、こんな感じかと思ったら

Dscf1294

使われないためか、途中から無くなっていますが、立派な飛び石。これなら、満潮時にも

に使われ、ほとんどこちら側が使われていたのでしょう。


残念なのは、途中から無くなっていること。用がないので、壊したものでしょうが、惜しいも

のです。この飛び石の存在、段々と忘れられてしまうのでしょう。


こうして、私たちの先祖から伝わってきたものが、ひとつひとつ無くなってしまってしまうの

でしょうが、庶民の歴史の悲しさです。英雄、有名人の話は、無くなりませんが、庶民の歴

史は消えていくばかりです。


今日も外は雨、「雨、雨、ふれふれ、もっとふれ、私のいい人、連れて良い。」、なんて、い

い話ポチとでもありませんかな。

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2013年5月31日 (金)

もう一つの眼鏡橋~長崎県諫早市

Dscf1448

何回も出しますが、この風景が好きで。手前がこの間から紹介をしていた「ミニ眼鏡橋」、

奥に見えるのが、本来の眼鏡橋。国の重要文化財です。新緑に包まれていいですね。


諫早には、このほか、もう一つの眼鏡橋があります。

Dscf1484

人が渡るだけの橋です。どこが、眼鏡橋だよ、と言われても・・・正面を見ると

Dscf1485 Dscf1483

右の写真、3枚の銘板があります。左は「本明川」と書いてあり、右には、橋の由来が書い

てあります。真ん中、一段高いところ

Dscf1482

誰が読んでも、「眼鏡橋」.何回読んでも「眼鏡橋」、間違いなしの「眼鏡橋」。なぜ、ここに

「眼鏡橋」があるのか、察しの良い方はお分かりだと思いますが、橋の由来が書いてある

銘板を引用します。これについては、諫早市内の方くらいしかご存じないと思いますの

で・・・・ 


眼鏡橋の由来

「ここは、郷土諫早の象徴として市民に親しまれてきた、名橋眼鏡橋(二連拱式石橋)が本

明川の清流にその優美な影を宿していたところである。・・・・・・・」


そのあと、眼鏡橋の由来、昭和32年の大洪水の折、この石橋が流木をせき止め、濁流が

両岸からあふれ、市街地に流れ込み、人命と財産が失われた事が書いてあり・・・・


「まもなく本明川の改修工事が国の直轄で施工されることとなり、眼鏡橋は撤去のやむ

なきに至ったのであるが、昭和33年11月重要文化財の指定を受け、現在地から四五〇

米上流の諫早公園に、昔の姿そのまゝに移築復元を完了したのである。

市民に親しまれてきた歴史的大石橋、眼鏡橋の名にちなんで再び、この橋を眼鏡橋と命

名する。

                 昭和41年3月竣功      諫早市長 早 川 員      」


ずっと以前、私は、諫早公園の近くに架かる橋が眼鏡橋跡だと思っていたのですが、あれ

は「公園橋」で、本来の眼鏡橋は下流にあったと聞き、場所が気になっていたのですが、

他の事を調べに、ぶらぶら歩いていたら、思わぬ出会いでした。

Img

 (「ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和 諫早~諫早史談会」より)

本明川に架かる、昔の眼鏡橋です。美しいですね。


この界隈、飲み屋さんが多く、私も何回も通ったはずなのですが、今日まで気づきません

でした。諫早早公園から、下流450m地点ですから、諫早公園に行かれたら、散歩がてら

にいかがでしょうか?この間書いた、本明川の「飛び石」も風情があります。


昔、通ったスナックを覗いたら、不況のせいか、つぶれていました。ポチと美人ママさんの

顔を思い出しました。歩きながら昔を思い出し、ポチと感傷にふける、ロマンティックな私で

ありました。

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2013年5月29日 (水)

雲仙鉄道 その21~昔の愛野村駅風景

1

             (「愛野町閉町記念誌~愛野」から)

昨日、やっと愛野駅まで到着したのですが、これで終わったと思った方は甘い。


上の写真は、以前、別の本から複写したものを出しましたが、「愛野町閉町記念誌~愛

野」にも同じ写真が載っていました。(愛野町の方は、多分この冊子お持ちだと思いま

す。)


説明によれば、島原鉄道が全線開通した当時の写真ですが、当然ながら、雲仙鉄道はま

だ開通しておりません。後ろに見える山が雲仙岳です。右の建物が愛野村駅でしょう。


島原鉄道は、明治44年(1911年)に、本諫早駅ー愛野村駅が開業し、徐々に線路を延

ばし、大正2年(1913年)に、諫早ー島原湊間に全線開通していますから、その頃の写

真だと思われます。

2_2

            (「愛野町閉町記念誌~愛野」から)

昭和12年、雲仙鉄道が廃線になる前年の愛野村駅の様子です。前の写真とは違って、

かなり大きな駅になっているのが分かると思います。現在は、また小さな駅になっており、

当時の面影はありません。


写真ではホームに人があふれていますが、手に手に旗を振っている様子がうかがえま

す。この年には支那事変がおこっており、多分、出征兵士を送っているのではないでしょう

か?


雲仙市役所愛野支所で話をしていると、この手前の方の線路が、雲仙鉄道の線路だった

ということです。


この雲仙鉄道に関しては、資料、写真があちらこちらに分散しており、調べるのに手間が

かかりますが、新しい情報があったら、また、書き続けていきたいと思っております。


と思っていたら、また、新しい情報が。また、まとまったらポチポチと、しつっっこく書いてい

きます。

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2013年5月28日 (火)

雲仙鉄道 その20~愛野駅まで

Photo_3

Google

写真は昨日の続きの所です。


上の写真、水色の矢印が、」汽車が畑に入る込むところ。昨日書いた所です。赤い矢印

が雲仙鉄道跡、昭和22年の写真ですから、雲仙鉄道が廃線になって9年目の写真です。

もちろん線路は撤去されていたのでしょうが、跡はまだ整理ができていない状態。黄色の

矢印が島原鉄道、四角の所が愛野駅。


下の写真、例によって、Googleの写真です。赤の線が畑へと入り込むところ。青の矢印

が、チンコ屋さん、すみません、パチンコ屋さん、左と後ろの空き地みたいに見えるのが駐

車場。パチンコ屋さんより、駐車場が広いこと。都会のパチンコ屋さんとは大違い。「4」の

所が愛野駅です。


この間の、おじいさんの話によれば、汽車はこのパチンコ屋さんの後ろの駐車場あたりを

走っていたそうです。まだ、ここらあたり、三分の一程度は畑になっております。

Photo_4 Photo_5

右の写真。私が鉄道跡だと勘違いしていた、有明川の堤防から撮った、パチンコ屋さんの

裏側の駐車場です。ここらを走っていたのでしょうが、あとは、住宅あり、倉庫あり、アパー

トありで、面影もありません。

Photo_6

あと、気になるところが、鉄道の合流地点。


2番目の写真「3」、ピンクの矢印の白いところが、国道251号線と、国道57号線が重複

するところです。白い線の右側、少し長細く見えるのが、農協の集荷場。ここらあたりを、

横切って合流したのでしょうが・・・・この国道のすぐ横を川が流れており、

Photo_7

右側の道が国道です。国道の右側の建物の後ろが島原鉄道。この川に、鉄橋が架かって

おり、愛野町がこれを利用し、橋を架けたと仮定したとすればの話ですが、鉄道の合流地

点も少しは正確にわかるのですが・・・・・・・例によってGoogleで見ると

Photo_9

クリックすれば大きくなります。


分かりにくいのですが、2つの橋が架かっています。「1」の橋は少し斜めに、「2」の橋は

川と直角に架かっています。黄色の矢印が島原鉄道。


愛津のおじいさんの話では、橙色の矢印、派出所の方から入っていたということですが、

どうも、地図で距離を測ってみると「1」の橋の方が正解みたいな感じ。あくまで、鉄橋を利

用して橋を架けていたらの話です。近所の方にも尋ねたのですが、分かりませんでした。


派出所の横の所から、線路まで行ける道があります。

Photo_10

諫早方面の線路です。多分ここのどこかに合流地点があったのでしょう。

Photo_11

こちらが島原へ続く線路です。赤い四角が愛野駅。さて、AKOさんからいただいたコメント

から始まった、千々石駅~愛野駅まで、やっと終点を迎えました。

AKOさんには感謝いたします。これで、雲仙鉄道の、特に愛野側の線路跡が分かりまし

た。  (参考・写真:「愛野町閉町記念誌~愛野」・Google earthより)


昨日から、長崎も梅雨入り、梅雨が明けたら、灼熱の恋の季節。青春時代の、ひと夏の恋

の事をポチ思い出します。今は、ポチ、老いらくの恋。  

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2013年5月27日 (月)

雲仙鉄道 その19~愛津駅周辺

Photo_2

Google_3

今日は、山王さんを抜けてから、愛津駅周辺のことを。山王さんを抜けると、畑が広がりま

す。


上の写真は、愛野町閉町記念誌より、昭和22年の写真。下の写真はGoogleから現在の

写真です。


赤い矢印が雲仙鉄道跡、茶色の矢印が多分愛津駅だと思われます。駅に至る道が、畑

の中に見えます。「1」の部分は、畑で、Googleの写真でも分かるとおり、鉄道跡はすっか

り消えています。

Photo_5

この畑の中を雲仙鉄道が通っていたのです。

Photo_6

愛津駅の記念碑ですが、この後ろの赤の印のあたりに、愛津駅が建っていたそうです。小

さな駅だったという話でした。


ここから、少し行ったところに自動販売機があり、こちらから汽車が入り込んでいたそうで

す。


ここは、家が立て込んでいるため、少し行ったところから左折します。この道を行くと、私が

以前、ここを汽車が通っていたと、偉そうに間違ったことを言った、有明川の土手に出ま

す。

Photo_7 Photo_10

ここから入り込んだ道と有明川の間あたりを汽車が通っていたそうで、以前はデンプン工

場などもあったそうです。ちょうど空き地があったので・・・

Photo_11

赤の矢印が、有明川の堤防に行く道。白い屋根の建物の後ろ、黄色い矢印が有明川。

この間を汽車が通っていた事になります。写真の「2」あたりです。(少し左だだったか

な?)


さて、住宅地を抜けて、また青の矢印「3」の部分から畑の中に、入って行くわけですが、

この場所が、どうにも分からない。


住宅街を抜け、右手に行けば温泉神社、その数メートル先だと思うのですが、通うこと数

日(暇だし、カミサンとは顔を合わせたくないし)。

Photo_12

どうも、写真の距離から見ると、ここかなと思うのですが、

Photo_13

どうにも狭すぎる、写真の線路跡と比べれば、入り方が急角度過ぎる。まあ、撤去された

のだろうと、自分で納得しながら帰ろうとしたら、また、おばちゃんが登場。


すぐ近所の方でしたが、親切に教えていただきました。

まあ、驚くべき話で、ここが畑に入り込む所だったそうで、もっと角度が緩やかに広かった

そうです。


役場の方で、その跡を整備して、橋を架けたそうですが、ある事情で撤去して、現在ある

橋にしたそうです。そう言われてよく見れば、このコンクリートの部分がそうではなかった

のかなと言う感じでありました。これで、又一つ謎が解けたわけです。

(参考:「愛野町記念誌~愛野」・Google earthより)


我ながらポチと素晴らしい、調査能力。興信所でも開こうかな。浮気専門の。  

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2013年5月26日 (日)

有喜UKI(うきうき)ビーチ★安心安全だよ~諫早市有喜

Photo

今日はとにかく暑く、梅雨を飛び越して、夏になった感じ。と言うことで、お気に入りの海水

浴場のご紹介を。

プールではありません。この間、有喜の祭り、有喜貝塚について書いたとき、たまたま見

つけたところです。思わず、おじさんも、「かわゆ~い」と言葉が出るくらいの小さなビー

チ。

Dscf1371 Dscf1374

回りには、階段状の観覧席が作ってあるので、イベントもありそうな感じ。平成16年にオ

ープンした、ビーチです。

Photo_2

この澄んだ海。

Photo_4

砂浜は狭い感じですが、子ども連れなら、目も十分に行き届き、大きな海水浴場より、安

心でしょう。とくに、幼稚園、小学校低学年の子どもは、あちらこちら走り回って、迷子にな

りがちで、心配なものですが、この広さなら安心。もちろん、水上バイクは進入禁止ですか

ら、事故に巻き込まることもありません。安全です。周囲は堤防に囲まれているので、高波

の心配もなさそう。

Photo_5 Photo_6

監視室、シャワー、更衣室、駐車場完備です。

遊泳期間が7月15日~8月26日まで。遊泳時間が、午前9時~午後5時30分まで。今

日は遊泳期間でなかったので、料金は取られませんでしたが、多分、期間中は駐車料金

は必要な感じ。でも、子どもの安心、安全を考えれば、たいしたことは無いでしょう。

蛇足ですが、丁度、漁船の手入れをやっておりました、これ、男の子が見たら喜ぶでしょ

う。

Dscf1397 Photo_7

ビーチから見える派手な建物。以前は、ホテルでしたが、今はちょっと違って、○○テル。

以前、若いのをつかまえて、「わい(標準語で「あなた」「君」)、あそこに入ったことがある

やろ。どげんやった(標準語で「どうだった」)」と聞いたところ、「良かったです」との返事。

私、泳げませんから、ビーチより、こちらの方が良いのですが・・・・相手がいれば・・・・

忘れていましたが、千々石の海水浴場にもお越しを。こちらも、監視人付きで、そんなに混

んではおりません。二人で眺める夕日がとってもきれいです。一応、千々石の住人として

ポチ宣伝を・・・


(追伸)

安心、安全で記事を書いたのですが、2年後の平成27年7月20日、小学5年生の男児が

事故で亡くなりました。ご冥福を、お祈りいたします。

さて、ここを紹介したのは、海水浴場をあちらこちら見に行った時、ここが、一番安全だと思

ったからです。事故のニュースに接した時は、まさかあそこでと、びっくりしました。

安全の理由として、①海水浴場が小さく、保護者の目が他の海水浴場より目が届くこと。

②堤防で囲まれ、外海の波、海流の影響を受けずに、波、潮にさらわれずにすむむこと。

③海との接触口に網が張ってあり、外海には出られないこと。④深いところには、ブイで表

示してあること。⑤水上バイクが入れないことでした。

さて、私、数十名の子供を連れて、野外活動を指導していましたが、ある時、海水浴に連れ

ていき、監視役を置き、海の水がヘソから上には行かないこと、など注意をしましたが、一

名溺れかかりました。皆がいる所でです。誰も気がつきませんでした。

唯一人、気づいた方がいたので、難をのがれる事ができましたが、あの時ほど海の怖さを

肌で感じた事はありませんでした。海は、溺れて、水面下に入れば、誰にも気づかれませ

ん。

それ以来、安全な海を捜していたので、上の様な記事を書いたわけです。

以上のように、水の事故は、プールでの事故をみても分かるように、他の事故とは違って

分かりにくいものです。

特に、子供を連れて、海水浴、川、プールに行かれる保護者の方は、目を離さないように、

注意をしていただきたいと思います。

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