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2013年5月19日 - 2013年5月25日

2013年5月25日 (土)

足型測定しました

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今日は、というか、今日もカミサンがいないので、用事もないのに、諫早までお出かけしま

した。


途中、最近できた、大型スポーツ店によって、ビキニの水着なんぞをチラチラ見て、お

目々の保養。


と思っていたら、「足型測定をおこなっております」のアナウンス。何だろうと思って行って

みたら、ほとんど人がいなかったので、早速申し込み。住所等聞かれて、後でダイレクトで

も来るのかと思ったら、名前のイニシャル(草刈正雄のイニシャルで、MKと答えましたが)

と年齢を聞かれただけ。


あとは、裸、失礼、素足になって、米粒くらいの金属片を足に付け、脛の中間程度の、下

がガラス板でできた、金属のボックスに足を入れ、光が入らないように遮光して、電光管

で足裏をスキャン。要するに、コピーの機械にに足をのせコピーするのと同じ要領。


足の裏のスキャンだけかと思ったら、プリントアウトしたものが、上のプリント。じつに、裏

から横からスキャンしてありました。あと、係員さんからの説明。


これ見て、右と左の足の長さが違うんですね。左足が229.9㎜、右足が233.4㎜。足

が遅かったのは、このせいか?係員さん曰く、「ハンサムですけど、足は短いですね。」


気になったのがプリントの、右下。かかとの傾斜。左足はまっすぐ立っていますが、右足

が右方向へ傾斜気味。


そういえば、以前ジョギングしていて痛めたのが右足。家に帰って、靴の裏を見ると、

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あきらかに、右足の方が減っています。こちらの靴も右足の方が減っています。

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今までの靴は、3Eの靴を使っていたのですが、結果を見ると2Eのサイズの靴があってい

ると出ていました。


ウォーキングを毎日しているので、早速、買い換えるつもりです。かかとの傾斜は、少しお

値段は高いですが、靴底が売ってあり、補正できますから、併せて購入予定です。皆さん

も、機会があったら足型の測定してもらって見てください。面白いですよ。


なお、このお店の測定会は、今日と明日だけだそうです。諫早方面の方はお試しを。

でも、こんなにきちんと測定値がでるとは、思いもよりませんでした。


古人の言葉を、ポチと思い出しました。「靴とカミサンは新しいほど良い」。

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2013年5月24日 (金)

2013 唐比(からこ)ハス園(5月24日)&「長崎和牛のレモンステーキ重」食しました

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今日は、唐比のハス園を覗いてきました。予想どうり、まだまだ。昨年は、6月15日にも、

書いていますが、そのときが、やっと蕾があがってきた状態。あと、一ト月半ぐらいしたら、

立派な花が見られると思います。時々、情報を流しますので、お見逃しなく。


スイレンも、ほんの少しだけ

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蓮の実が、あちらこちらに落ちていますから、きれいに洗って、着色なんかすれば、いい

室内インテリアになるんでないでしょうか?私は図画の成績は「2」しか取れませんでした

から(学校の先生が私の才能を見抜けなかったのでしょう)、しませんが。


今日のところは、看板の写真で勘弁を。時期になったらぜひお越しください。美しい花が

見られます。

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左がハスの花。右がスイレンの花です。


さて、帰りがけ、コンビニで、買っちゃいました。「佐世保名物!長崎和牛のレモンステー

キ重」。

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横道それます。この「佐世保」。一時、「させほ」と読むか「させぼ」と読むかで、話題になり

ましたが、「ほ」と読むか「ぼ」と読むかの問題です。「させほも、させぼも、『ほ』『ぼ』同じじ

ゃない」、と言う人もおられました。


我が尊敬する、伊奈かっぺいさん曰く、濁点が有るのと無いのでは大違い。

「私、ためになる人、あなただめになる人」。言われてみれば、濁点一つで全く正反対の意

味。


閑話休題。この、ステーキ重、今日の長崎新聞に載っておりまして、残念ながら、東京の

地方新聞には載ってないでしょう。


昨年、長崎で「全国和牛能力共進会」が開催され、「肉牛の部」で日本一になったことを記

念し、長崎和牛を使って発売されたもの。県内の店舗で3週間の予定だそうです。県外の

方は長崎まで・・・


まあ、カロリーを計算して、どうしようかと思ったのですが、この、のぼり旗を見てはです

ね・・・・

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入れものの左側のラベル、「日本一 内閣総理大臣賞 長崎和牛」。なんか、「この紋所が

目に入らぬか!」と言う感じですが、結局は、私の目ではなく、腹の中に入ってしまいまし

た。お味ですか?自分でお確かめください。


今日は、ポチとうれしいことがありまして、国見町の美女(正真正銘)と親密なお話がで

き、ポチ、ポチ、ポチと幸せでした。人生こんな日もあるんですね。

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2013年5月23日 (木)

雲仙鉄道 その17~空から見れば

雲仙鉄道、まだまだ続きます。

TOKさんから、コメントで航空写真のことを教えてもらったのですが、今の地図に落とす必

要があるなと、雲仙市愛野支所まで出かけ、地図を求め、雲仙鉄道の事を話していたら、

「こんなのも、有りますよ」、と見せていただいたのが、愛野町が雲仙市に合併するときに

作った、「愛野町閉町記念誌『愛野』」。


これ見せてもらっていると、ビックリしました。愛野町の空中写真。昭和22年撮影ですか

ら、多分、TOKさんが指摘したものでしょうが、同じ角度から写した現在のものも・・・・・

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           (愛野町閉町記念誌「愛野」より)

昭和22年の空中写真です。クリックすると拡大します。「山王さん」と書いているのが、昨

日の記事にしたところ。赤い矢印を所々付けていますが、これが雲仙鉄道。昭和22年の

撮影です。


鉄道がなくなったのが、昭和13年ですから、鉄路は外したものの、まだ跡地としては

残っていたのでしょう。


支所の50代の方と話をしていると、「僕が役場に入る頃は、まだ跡があったよ。」と言うこ

とで、次回書きますが、この鉄道跡付近に住んで知る方に聞いても、20~30年前まで

は、まだ鉄道の跡が残っていたとのことです。


さて、赤い矢印が雲仙鉄道、黄色の矢印が島原鉄道。黒い矢印のところで、島原鉄道と

温泉鉄道が交わっています。


平成17年の写真です。鉄道跡は全然ありません。

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           (愛野町記念誌「愛野」より)

見比べてすぐ分かるのが、有明川がほとんどなくっていること。写真の左下の海の所が

干拓地になっていることが分かると思います。

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現在の有明川です。左右に堤防があるのが分かると思います。

この有明川、昔は相当に広かったみたいで、近所の方と話をしていると、ここらあたりのこ

とを「有明海が・・・」と話をされていました。


この上流、山王さん付近、三軒茶屋という所がありますが、そこまで船が通い、船着き場

があったそうです。いまでは、撤去されてあるそうです。


さて、Googleの地図で見ると

Google_2

ざっと言えば、鉄道は、山王さんから、畑の中を通り、パチンコ屋の裏を通りながら、カー

ブして、最初の写真の合流地にいくわけです。赤の矢印は島原鉄道です。写真の角度が

違うので分かりにくいと思いますが・・・・


少し横道にそれて、愛野を通って、島原、小浜方面に行くには、昔は青の線の道路を使っ

ていましたが、島原方面と小浜方面に行く道が渋滞するため、黄色の線のバイパスを作

りました。昭和51年の時です。

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           (愛野町記念誌「愛野」より)

左に行く道が、バイパスです。写真で見るように、ガランとしていますが、いまでは陸橋の

右にマルキョウが建ち、ナフコ、大型ドラッグスストアー、パチンコ店などが並んでいます。


雲仙市愛野支所の方には、昼食時にもかかわらず、情報を頂いたことを感謝します。



次回は、また地上に戻って、線路を辿ります。

なお、以前「雲仙鉄道は その3~愛津駅はここだった」で、偉そうに、川沿いの堤防に汽

車が走っていたように書きましたが、これは全面撤回です。申し訳ありません。


今日は、墓の花替えに。墓に行くとだんだん知っている人が多くなって、「メル友」ならぬ

「墓友」が増えました。ポチと楽しいですね。でも、じいさん、ばあさんばかりで・・・・

 

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2013年5月22日 (水)

雲仙鉄道 その17~鉄道、山王神社参道を走る(雲仙市愛野町)

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さて前回の続きからですが、昨日途中まで書いたところ、パソコンがフリーズして、書きか

けの原稿が、全部パーになりました。どうも、ウィンドウズ8さん、気むずかしいようで・・・


昨日、書いた道を行くとすぐに、山王公園(山頂付近に公園ができています)の駐車場。

多分ここの駐車上は、公園化したときか、繊維工場ができたときに広げたものでしょう。


ここで、ウォーキングをしている60代くらいの女性出会い、もう少し若かったら良いな、と

思いながらも、雲仙鉄道の事を聞くと、他所から嫁いできたのでよく分からないとのこと。


この女性、後で重要な役割を果たしますから、仮に美代子さんと呼んでおきます。なぜ美

代子さんにしたか?私の憧れの女性でしたから。人妻でしたけど・・・・(;ω;)


この写真から少し行くと

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左の写真、赤の矢印が、神社への参道(階段)、黄色の矢印が、繊維工場へ行く道。駐車

場へ行くと、端の方、草が生えていましたが、道がありました。

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とにかく、どんど行くと、山道にしては広すぎるな、という感じ。ひょっとしたら、この先北口

の参道がありますから、先ほどの参道と参道を結ぶ道かと・・・・


北口の参道です。左に鳥居、右に神社へと上る階段。イノシシが出るせいか、柵がしてあ

って、現在登れません。

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道が終わるかと思えば、まだまだ道は続きます。

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が、しかし道は左の写真のように、途中で切れてしまいます。住宅、林があり、横から確

認しにくいにですが、一部、空き地があるので、横から見ると、右のような感じになります。

道は、山の一部を回るようになっているわけです。

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さて、ここで「TOK」さんのコメント、「日吉神社に向かう線路は山の手前から築堤で高度を  

取っているようで・・・」の文章。


この、道が切れたところから、家が数軒建っていますが、その先は畑になっています。と

言うことは、この道、線路道の可能性が高いという所ですが、疑問が一つ。神社の参道を

汽車が横切ることがあろうか、と言うことです。


あとは、警察と一緒で証人探しですが、この日は運が良かったのか、下に戻ってヨロヨロ

歩いていると、向こう側から、自転車を押してヨタヨタと歩いている、80年代の老人の方。


少し、呆けているような感じだったのですが、「雲仙鉄道は・・・・・」と聞くと、事なげもなく、

「この上を・・・」と、私が歩いていた道の方向を指すではありませんか。証人1。


先ほどの道が切れたあたりの下の家で、花壇を手入れしている、60年配の女性の方。ま

あ、知らないだろうと思って、聞くと、先ほどの道が切れたあたりを指さして、

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「ここを通って、先の方の白い家の辺りまで道があったんですけどね」。証人2です。

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赤で囲んだ所に数軒白い建物とか、この後ろに白い塀の家がありましたから、多分ここら

あたりまで線路の土手が積み上げられて、手前の畑の方へ、走りこんでいたのです。

こんもりしたところが、山王さんです。



さて、空中写真を見ながら、うろうろしていると、「おーい、おーい」と呼ぶ声。振り向けば

さっきの美代子さん。「当時の事を、知っている人がいるから来て。」


行ってみれば、87だったかのお爺さん。美代子さんと同じ自治会の同じ班の方だとか。

やはり、汽車は山王さんを通って、こちらの畑に走り込んでいたとのこと。証人3です。こ

れだけそろえば証拠十分という所でしょう。


でも、神社の参道を横切る汽車があったとは・・・・・・さて、それから後の鉄道線路を聞く

と、私が思っていたのとは全然違っていて・・・又次回


しかし、何ですね。線路の土手が残っていたら、間違いなく近代化産業遺産に指定されて

いたのでしょうが・・・山王さんの線路跡の道だって、立派な近代化産業遺産だと思うんで

すが・・・もう少し整備と宣伝ができれば良いのですが、・・・・


今日は暑くて、ドクターストップがなければ、ビール一本飲んでいたんですが、はと麦茶で

ポチ我慢しました。でも、ビール、飲みたい、飲みたい、飲みたい。ポッチっとで良いから

飲みたい。  

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2013年5月20日 (月)

雲仙鉄道 その16~千々石駅から山王さんへ

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以前、旧小浜鉄道(千々石駅~肥前小浜駅)のことを、書きましたので、今回から、千々

石駅~愛野駅の温泉軽便鉄道のことを書きます。この二つの鉄道は、以前書いたよう

に、昭和8年に合併し、雲仙鉄道になりますから、最終的な名称、「雲仙鉄道」で表記を統

一します。


さて、赤の所が、千々石駅の祈念碑があるところなのですが、この祈念碑の右側にプラッ

トフォームがあったとか、黄色の消防小屋のところで、「駅の跡」といって遊んだとか、もう

少し後ろの方だったとか、今のところ調べ中です。


さて、ここから左の方向、諫早方面に行くと、大きな坂道にかかりますが、この下の道に入

ります。この大きな道の下に、旧道が見えます。


先へ進むと、千々石断層が見事に見えてきます。現在でも、台風の後など落石があり、通

行止めになりますから、鉄道が通っていた頃は、不通になることも再三再四だったでしょ

う。なお、この道は、数十年前までは、舗装もなく草に覆われている道でした。

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この道をまっすぐ行くと、濱駅があります。右側に建物が続いていますが、大正15年(ま

だ雲仙鉄道は通っていました。)の地図を見ると、多分、この建物の所を通っているようで

す。

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この道を行くとすぐにカーブミラーがありますから、右折。すぐにまたカーブミラーがありま

すから左折するとまっすぐな道に出ます。汽車道です。ここを進むと、国道251号線と合

流します。

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空中写真、大正15年の地図を見ても、この251号線、はっきりとは分かりませんが、

251線は,1956年(昭和31年)に、長崎口之津諫早線として2級国道の指定。1965

年(昭和40年)に一般国道になりますから、汽車が通っていた頃は、まだ、十分な道で

はなかったのでしょう。もっとも、あの時代、まだ車は今のように普及していませんから。

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           (「愛野町閉町記念誌」より)

さて、この251号線を長崎方面にすこし少し走ると、「水晶観音駅」です。

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聞くところによれば、この横の店の所に駅があったとのことです。これからすぐに、唐比の

交差点にでます。ガソリンスタンド、セブンイレブンが建っていますが、本来の汽車道は、

この手前から入ります。

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黄色がガソリンスタンド、正面にセブンイレブンがあります。赤の線の道が、線路道です。

途中までは、車で行けますが、途中から歩行者道路になります。車の走れる道路には出

られますが・・・

途中、線路跡の盛り土が見られます。

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道が終わる頃、日吉神社がある、地元では「山王さん」と呼んでいる、こんもりした小さな

山が見えてきます。黄色の所が、山王さんです。


この道が終わって、そのまま右手に、歩道がありますが、この歩道が、登るような感じで、

いつも不思議に思っていたのですが・・・・

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何となく変な感じの歩道で・・・少しばかりの上り坂です。

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ここから、昨年、TOKIさんから頂いたコメント、「ところで、反対方向、日吉神社に向かう線

路は山の手前から築堤で高度を取っているように見えます。現在は残っていませんが、

昔の人はスゴイですね。」


この言葉が、どんな意味か、ずっと心に引っかかっていたのですが、この歩道を歩いて行

くと・・・・お後がよろしいようで、又、次回。


今週は、長崎と島原の病院へ。病院通いもポチと疲れますね。

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2013年5月19日 (日)

最後のキリシタン王国「有馬」~長崎県南島原市

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今日は少しお勉強をと。南島原市で、シンポジュームがあるとかで、出かけました。正式に

は「『長崎の教会群とキリスト教関連遺産』世界遺産登録シンポジューム 最後のキリシ

タン国「有馬」 ~キリシタンの繁栄から殉教の地、南島原から世界遺産を~」


会場に入ったら、ゆるキャラクターのお迎え。左が口之津町の身長3.5mの、ベイガ船

長。右が、「お名前は?」と聞いたら、「ハルッピー」と答えました。北有馬、日之江城の城

主、キリシタン大名の名は「晴信」。

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最初ご挨拶があって、これは省略。

次に、「公益財団 ながさき地域政策研究所 理事長」の脇田安大氏の基調講演。世界遺

産登録の話。観光とどう結びつけていくか、今後の課題など。経歴をみたら、日本銀行長

崎支店長を勤めた方。分析力が違いますね。


続いて、有馬家第27代、有馬匡澄(まさずみ)氏のご挨拶。世が世であれば・・・

右は、福井県丸岡市の大雲寺にあるという、有馬晴信の木造のレプリカ。似てますかね。

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南島原市では今年、「平成遣欧少年使節」をイタリア、ポルトガルに派遣をしています。そ

の朗読劇(報告)。


以前、少年使節を派遣した関係市町、千々石町、大村市、大分市合同で少年使節を派遣

したことがありました。大村市は確か続いているみたいですが、わが雲仙市は、なにやっ

ているの?他人にアイディア取られて・・・・合併したから、市としては関係ないか。

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続いて、シンポジューム。最初にパネリストの意見を。


最初に、東京大学名誉教授、聖トマス大学大学院教授の五野井孝史氏。次に鹿児島県

谷山カトリック協会司祭、バリニャーノ研究家のムイベルガ・ヨゼフ氏。少年使節はなぜド

イツに行かなかったのか?マルチンルター、プロテスタント協会の源流を作った人の国で

す。(少年使節を連れていった、ヴァリニャーノはカトリックでイエズス会に属していました

たから。)と言うような話を混ぜて、ユーモアのある話。スクリーンに映っているのが、ヴァリ

ニャーノです。

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三人目が、第17回松本清張賞を受賞された、小説家の村木嵐(らん)氏。少年使節の

千々石ミゲルを主人公にした、「マルガリータ」で受賞です。新聞の写真と違って、美人な

ので、写真は大きく

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あとは、九州国立博物館長、前文化審議会文化財分科会世界遺産特別委員、三輪嘉六

氏をコーディネーターとして、4名でのシンポジューム。最後に、世界遺産指定への宣言文

の採択。

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おもに、世界遺産指定に関しての内容でしたが、それなりに勉強になりました。ただ、質問

の時間が無くて・・・・準備していたのですが。


特に、島原の乱に対して、協会側はどのような評価をしているのか?(答えは大体分かり

ますが・・・)。ここは、世界遺産指定にかかわって来ると問題だと思うのですが・・・・・・

帰りがけ、雲仙を通っていたら、山道の霧のすごいこと。前が全然見えませんでした。ポチ

私の人生みたい。

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