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2013年5月5日 - 2013年5月11日

2013年5月11日 (土)

小野(諫早)の金比羅さん その3~長崎県諫早市小野

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さて、少し参道の坂道を上りつめたところに、「金比羅山鎮護大権現」のお社があります。

このお社をぐるっと囲む石仏。三十三観音像です。

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これには、ちょっと迫力がありました。古くは明和3年(1766)、他は安永(1772~

1780)が多いそうです。


この社の裏から少し下ったところに、展望所、八天狗があります。

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八天狗ですが、向かって左の石に、「八天狗」と刻んで祀ってあります。元禄八年だと言う

ことです。ここの所、巨石が多く、巨石信仰を伺わせるものがあります。


なお、八天狗とは、愛宕、比良、大山、大峰、鞍馬、飯綱、彦山、白峰に住む天狗のことで

す。


島原にも八天神社などありますが、諫早地方には、永昌、土師野尾、八天町公園など、八

天狗が各地に祀られています。これは、「諫早を歩く」によれば、伊佐早西郷家の家老山

崎丹後守が、佐賀塩田の塩田八天社の出身で、戦国時代から塩田と諫早は深いつながり

あったと言える、ということだそうです。


この脇に少し広いところがありましたが、雨乞い浮流をした所だそうで、ここからの風景は

雲仙、橘湾を見渡せるところですが、この日は曇って残念でした。


さて、この神社に千々石からも灯籠が奉納されています。

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写真では分かりにくいのですが、左側、「願主千々石住人永田喜?冶眞」とあり、弘化三

年。右は「願主千々石住人宮嵜九郎右衛門延高」。なんと、以前の書いたことがある、

「山武士神社とは?」に出てくる、宮崎九郎さんではありませんか。ただ、山武士神社は

「千々石里正(郷里制の下における里の長。庄屋。)宮崎九郎右衛門延髙造立」と刻んで

あり、こちらとは若干違いがありますが。


天保十三年(1842)の奉納ですが、これも以前書いた、「平松かぶり★千々石騒動」が起

こったのが、弘化四年(1847)。


「宮崎」姓と言えば、千々石の庄屋でしたから、これから考えると、この宮崎九郎さん、平松

かぶりの時の庄屋さんではなかったんでしょうか?九郎さんだけに苦労(オヤジ駄洒落で

すみません catface )されたんでしょうね。


しかし、千々石、昨日書いたように、山田村(吾妻町)等からも奉納があり、この金比羅さん

の当時の隆盛が忍ばれるところです。   


とにかく、こんな山の中に、といった感じですから是非行ってみてください。何となく、パワー

スポットの感じのする霊場でした。  (参考:「諫早を歩く~山口八郎著)  以上終了


今日はカミサンが一日家にいて、しぇからし(せからしいの長崎弁)かったので、私がポチ

外出してお調べものでした。いろいろ捜してきたので、またネ。

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2013年5月10日 (金)

小野(諫早市)の金比羅山 その2~長崎県諫早市小野

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昨日の続きです。山門をくぐると少し広いところがあり、左側に建物の礎石があります。こ

れが性圓寺(しょうえんじ)の跡地になります。


戦時中は、金毘羅さんには出征兵士が、武運長久を祈願に来ていたそうですが、戦後は

参拝者も少なくなり、例祭もなくなり、お寺も朽ち果ててしまったそうです。


これが、当時の性圓寺だそうです。

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         (「写真集・明治・大正・昭和・諫早」より)

写真には「性園寺」と書いてありますが、ほかの資料では「性圓(円)寺」とありますから、多

分「圓」の方が正解でしょう。


ここから、「金毘羅山鎮護大権現」への参道が続きます。

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石畳が切れたところあたりから、左右に石仏が並びますが、普通の地藏さんではなく、

地藏さんの右側、じゃれているのは犬ですね?

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まだたくさんあるのですが、ほかの写真は手振れしてしまって、お見せできないのが残念。

見たい方は、足を運んでください。さて、こんなものも

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まぎれもない蟹さん。奉納で蟹の石造物とは珍しい。


島原半島で潜伏キリシタン(現在の研究では、江戸時代の禁教後、キリスト教を信仰され

た方々を潜伏キリシタン。明治になって、禁教が解かれた後も教会に戻らず、自分たちだ

けで信仰を守られた方々を、隠れキリシタンと分けています。)を研究しておられる方は、

金毘羅さん(または琴平さん)というと、キリスト教でいう、「コンヒサン(コンピサン)」(告白、

告解)に語呂合わせしたものとして考えています。


蟹については、前にも書きましたが、フランシスコザビエルが海に落とした十字架を、蟹が

咥えて持ってきたという話しから、金毘羅神社の燈籠、手水鉢等に蟹が彫ってあると、潜

伏キリシタンの可能性を考えているようです。


ただ、この蟹さんの横には、「南高來郡山田村(注:現雲仙市吾妻町)字永中黒田○○○

○太郎」と彫ってあります。


平成の町村合併以前は、南高来郡と北高来郡に分かれていたのですが、ずっと古くは同

じ高来郡であり、明治11年(1878)の郡区町村編成法で北高来郡と南高来郡に分割して

います。ということで、この蟹さん明治11年以降のもので、キリシタンとはあまり関係ない

でしょう。


かえって、この金毘羅さんには漁師さんもお参りする方が多かったそうで、旧山田村といえ

ば有明海に面した所で、有明海は蟹がよく取れる所。豊漁をねがって蟹の石造物を奉納し

たんじゃないかと思うんですが・・・・・「金比羅山大権現」まで、もう一息です。

(写真;「ふるさとの思い出 写真集・明治・大正・昭和・諫早~諫早史談会編」より)


久しぶりの雨、心なしか、ポチと落ち着いた一日でした。カミサンもいなかったし・・・ confident

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2013年5月 9日 (木)

小野(諫早市)の金比羅さん その1~長崎県諫早市小野

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金比羅山といえば、あちらこちらにある山ですが、ここ小野の金比羅山は、富川渓谷、永

田の御手水観音と並んで、諫早の三大名勝地だそうです。


金比羅山に大権現のお社があるとかで、一度出かけましたが、山頂には何にも無く、狐に

つままれたような感じで、その日は帰りましたが、調べてみると、山頂から少し下った所に

史跡がいろいろあるとか。また、出直しましたが、何でもちゃんと調べていくもんですね。


小野の金比羅山は標高約250m位の山で、少しきついかなと思っていったら、何のことは

ない。車で山頂のすぐ下まで行くことができ、トイレ完備。横には広場まで。


さて、この金比羅山は、金比羅大権現が祀ってあり、寛永元年には天祐寺の末社として性

圓寺(しょうえんじ)が建てられた、神仏混交の霊場であったそうで、諫早領主の祈祷寺で

もあったそうです。


この場所には、性圓寺跡、松尾社、常夜灯、八天狗、石仏、供養塔、芭蕉の句碑等が林立

しています。行基の伝説もあるそうですが、行基さんと弘法さん、あちらこちらで忙しいです

ね。


戦前は三月十日、十月十日の例祭には、登山口の所に市が立ち、賑わっていたそうで

す。


ここが、どうなっているかというと、古びた看板ですが

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クリックすると少しは広がります。


駐車場から少し登って右手、松尾社があります。松尾社は京都の嵐山の松尾神社を勧請

奉祭したもので、もちろん酒に関係する神様です。文化六年(1809)年に建立されたも

の。

Photo_4 Photo_5

この松尾神社の左手の方に、一番上写真の大きな常夜灯があり、文政五年に建てられた

ものですが、橘湾で漁をし、夜、帰港する船の目印になったと言われています。


ここから、右手の道を辿れば、翁塚があり、「初しぐれ猿も小蓑をほしげなり」という芭蕉の

句が刻んであります。芭蕉がここに来たわけではなく、芭蕉を尊敬する方が建てたのでしょ

う。雲仙にも、「芭蕉塚」と書かれた自然石の碑があります。


ここから先に進んだところに、唐風の山門があります。

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まだまだ先があるので、今日はこのへんで・・・


場所は、諫早市の小野小学校横にマルキョウがあり、その横の道から山手に登って行っ

たところです。ちょっと分かりにくい所があるので、聞き合わせて行ってください。

(参考:「諫早を歩く~山口八郎著」「諫早の文化財」「写真集・明治・大正・昭和・諫早~諫

早史談会編」。説明板より )


今日は少し暑く、ビールを飲みたいのですが、ドクターストップで、ポチと悲しい人生。

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2013年5月 8日 (水)

世界で一番美しいレントゲン図鑑~Nicy Veasey著

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写真集にもいろいろありますが、これは、X線を使って、いろいろなものを撮った写真集で

す。といっても、スタジオは、イギリス・ケント州にある冷戦時代のレーダー基地を改修し

たものだそうです。場合によっては、500枚以上の写真をスキャンし、コンピューターで再構

成したものもあるそうで、ちょっと写した、という写真と違っています。


さて、著者はこのように書いています。

「・・・僕たちは見た目にとらわれた世界に生きている、自分たちの容姿や服装、どんな家

に住み、どんな車にのるか・・・。僕は表面の下にあるものを見せることによって、そのよう

な表面的な外見へのとらわれに対抗したいと思っている。・・・・だが僕は、内面に隠された

驚くほどの美しさに光を当てることで、無意識に行われるそうした外見に対する反応に挑

戦したい。・・・」

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いや、本当に美しいですね。テニスのサーブをしているところでしょうが、著者のいう、内面

に隠された驚くほどの美しさでしょう。

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こうしてみると、女性がいかに無理して、美しく見せるために、ハイヒールを履いているの

かが分かります。足に負担がかかるはず。著者曰く、「・・・ファッション哲学というより拷問

の道具のようにさえ見える。」


このような写真がふんだんに載っており、人物に限らず、動植物、機械まで撮ってありま

す。

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レモンの葉だそうです。

こうしてみると、いつも見つけているものが、普段とは違う姿を現してきます。


人の、心もこんな風に、写せないものでしょうかね。特に、ウチのカミサンの心の中を覗い

て見たいのですが・・・・・イヤ、見ない方が、良いのかな・・・・・おっかなくて。


そういえば、以前、マリリンモンローの、28歳の時のレントゲン写真がオークションに出さ

れ、約402万円で落札されましたが、あれ、退職金で買っとけばよかった。残念。


私のレントゲン写真も、買う人があったらポチと安くしておきますよ。内面の美しさが良く分

かります。鍛え上げた体ですから。(本当かな?)

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2013年5月 7日 (火)

絵馬いろいろ~雲仙市千々石町橘神社

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連休が明けたとは言え、こちらは365日の連休。天気も良いし、久しぶりに散歩がてら橘

神社へ。


一昨年だったかも、絵馬のことを書きましたが、今日も少し読んでみると、面白のも結構あ

ったりして。


前は就職のことが、多かったのですが、アベノミックスとやらで(何のことやらよく分かりま

せんが、ミックスジュースなら分かりますが・・・・)、最新、就職率も少しは良くなったのか、

就職に関しては比較的少なめ。


相変わらず多いのが、結婚、進学、健康、家庭の幸せ。

一言、「結婚」、きっぱりして良いですね。

Photo Photo_2

まあ、こんな、のろけているのもありますが、私も結婚前は、こんな気持ちを持っていたも

んですが、結婚して数十年。いつの間にか、こんな思いも吹っ飛んで。お二人さんも、私と

同じ道を歩かないように祈ります。


と思えば、「今年こそ再婚できますように」。いくら離婚率が多くなったからといって、こんな

事、神様にお願いするなんて・・・私も本当は・・・・

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高校生か中学生でしょうか。身に覚えがありますね。かわいい感じ。

頭が良くて美人。絵馬には願い事を書くのですから、この子、書いてあるのとは違うんでし

ょうね。

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こちらは、ちゃっかり組。「願うことがすべて叶うと同時に・・・」。神様だって、そんなに都合

の良いこと、聞いちゃくれませんよ。

試験で、「分からなかったときに、まぐれで当たりますように!」。まあ、合格は無理でしょ

う。

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絶対の誤字に気がついたところが偉い。東大とはまた、豪勢な。ところで、合格したんです

かね。

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ほかにも、おじいちゃんの体を心配したり、ご主人の事を心配されたり(ウチのカミサン絶

対ありませんが・・・)、絵馬を読んでいくと、世相、人の心がわかるもんですね。神社へ行

かれたとき、暇があったら読んでみてください。

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最近は、都会の各地に、監視カメラが設置されていますが、田舎はあまり犯罪もなく、予算

不足で、「監視犬」を設置しております。


こちらはの犬の名前は、「ポチ」です。下のバナーも,、よろしくポチしてね。

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2013年5月 5日 (日)

肥前鳥居発見~長崎県雲仙市瑞穂町西郷・八幡神社

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昨日のモーモーフェスティバルの帰り、「雪屋」さんへ丸ぼうろを買っての帰りがけ、道が分

からないので、適当に走っていたら、「八幡神社」というのがあり、古い神社には興味があ

るのですが、新しそうなので、どうしようかと思いながらも、ちょっとお参りに。

1 2

鳥居をくぐった所の左側に、もう一つ、鳥居と石祠が。この、鳥居を見たとん、愕然。先日

話題にした、肥前鳥居ではありませんか。上の写真です。肥前鳥居について、もう一度復

習しますが、

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鳥居の一番上の部分が、「笠木」、その下の部分が「島木」。柱を貫いているのが「貫」、立

っているのが、私の○○ポ、ではなく、「柱」。右の写真は、諫早市で唯一残っている、肥

前鳥居。諫早市有形文化財・建造物に指定されています。


佐賀県大百科には肥前鳥居について、次のように書いてあるそうです。

「肥前鳥居は、一般的な明神鳥居に比べ、どっしりした落ち着きのある風情を醸し出して

いる・・・・・佐賀を中心とする肥前一帯のほか、長崎県や福岡県の一部にも分布する。そ

の特徴は笠木・島木・貫が原則とし2,3本つなぎで組み立てられ、笠木と島木が一体化

し、木鼻が舟底状に流線型をなしている。また、柱の下部が張り出して作られ埋け込みと

なり、明神鳥鳥居などにみられる亀腹がもうけられていない。さらに柱の上端の笠木・島

木を支える部分に台輪が必ずつけらており、楔を設けることがない。・・・」


一番上の写真とぴったりするのですが、これには島木無しのもので、佐賀の肥前鳥居の

写真をみると、これと同じように島木無しのもあるようです。もちろん3本継ぎです。

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確かに、貫の部分には楔はありません。


ただ、上部を支える台輪がありません。さらに。貫が柱の所で終わっていて、外側に出て

いません。風化か?。また、柱をみると、2本継ぎですが、普通は継ぎの部分は、左右で

高さを同じにしてあるのですが、左右の継ぎ目の高さが違うこと気になりますが。なぜなの

か?


多分、奉納者の氏名、奉納年月日、石工名等が彫ってあったのでしょうが、風化のためか

残念ながら分かりません。額束には「八幡大菩薩」と書いてありました。


ひょっとしたら、この鳥居、初期の肥前鳥居ではないのかな、と思えるほどの素朴な風格

を持っていました。しばらく、鑑賞していきました。市の文化財に指定しても良いんじゃない

のかな、とは思いますが、諫早、佐賀では指定してあるし・・・


ところで、今日、写真を整理していると、灯籠の文字で気になることが

5

「享保十一年丙牛天」。享保十一年は丙牛ですから間違いはありませんが、「年」ではなく

「天」の字が。


隠れキリシタン研究者では、天号年といって、墓などに「天」と言う字が彫ってあると、隠れ

切支丹だと言っています。「天」は「天国」に通じるということです。議論のあるところです

が・・・


ただ、わたしも、年号に「天」の字が入ったのを、いくつか見つけ、専門家の方に写真を見

ていただいたら違うだろう、という返事でした。でも、この灯籠、「年」ではなく、なぜ「天」を

使っているのでしょう?


まあ、昨日は巨乳には触れるわ、肥前鳥居は見れるし、人生たまにはポチと良い日があ

るもんですね。

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