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2013年4月21日 - 2013年4月27日

2013年4月27日 (土)

Windows8パソコン買いました

Dscf0626

評価の分かれるWindows8です。以前のXPなんかと比べると、あまり騒がれていません

が。


Windows8が出たということで、家電屋さんに見にいったら、上のような画面。はっきり言

って、「こりゃ、なんじゃ!」と思いました。今までのと画面とは全く違っていますから。

家電屋さんに通うこと、数日。いじくっていると段々分かってきましたが、まだ、購入する気

にはならず・・・・


私のパソコンは、あまり評判の良くないVISTAを使っていますが、その前はXP。このXPに

コーヒーを飲ませたところ(要するに、コーヒーをこぼしたという事)、まったくのハングアッ

プ。


仕事に、必要なので、修理に出したら、なんと、20万。買った値段が16万円。おまけにハ

ードディスクは修理不可能。


仕方なく、その頃出たVISTAを買って、今も使っていますが、どうにも重くなって(体重では

なく、作動のことです。)、作動不良が出てきて、いろいろいじくったのですが、思い通りに

ならない。おまけに、来年からXPのサポートがなくなるとか。次は、VISTAの番ですから、

思い切ってWindows8のパソコンを買いました。


最初は、慣れませんでしたが、画面を切り替えると

Dscf0627

従来のWindowsの画面になります。違うのが下のタスクバーに「スタート」がないこと。右の

画面下にポイントを合わせるか、右の端をスワイプ(指で撫でるようにする)と、「チャーム」

という画面が出てきます。

Dscf0628

設定を指でタップするか、ポイントを合わせクリックすると

Dscf0629

電源が出てきて、これをクリックすると、「電源を切る」、「スリーブ」、「ロック」など出てきま

すから、これで電源を切ります。ここが、最初は慣れなくて・・・・


以前の画面は、起動したアプリは下のタスクに出てきましたが、今は左端をクリックか、ス

ワイプするとチャームが出てきて

Dscf0631

あとは見たいアプリをクリックするか、指でタップすると画面が切り替わります。


さて、使った感じですが、賛否両論ありますが、まあ、こんなんじゃない、という感じです。

慣れることが大事でしょう。でも、VISTAに比べると、起動時間が短くてストレスがたまりま

せんね。


数十年前までは、キャビネットくらいの大きさの汎用コンピューターで、その処理能力に驚

いたものですが、今やこの大きさで、処理能力は断然上。フロッピーも使わなくなったし、

昔の外付けハードディスクは1M(1Gではありません)で、一万円、20M、40Mのハードは

夢の又夢でしたが、それが今ではテラの時代。


携帯電話も、自分が持つとは思っていませんでしたが、いまや、スマートフォーンの三台

目。まあ、時代に遅れないように、縋って生こうと思っています。ついでに、年寄りの頭の

体操だと思って・・・・


古人曰く、「パソコンと女房は新しいほど良い。」いや、本当の事ですね。

ついでに、音声入力できるソフトを入れましたが、便利ですね。喋ると、そのまま文字に変

換しますから、キーボードは打たなくて済むし。ただ、思ったように変換できないときもあり

ますが・・・これも、そのうち慣れるでしょう。


皆さんもこのゴールデンウィーク、家電屋さんで、Windows8で遊んでみませんか。金は

いらないし、勉強になりますよ。


今日もカミサンは留守で、カミサンがいると何となく気が散るので、今からポチポチWindo

ws8のお勉強です。

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2013年4月26日 (金)

2013 島原芝桜公園(4月26日)&島原城石垣修復作業~長崎県島原市

Photo

ゴールデンウィークを前に、島原芝桜公園の状況を紹介しようと、病院の帰り、寄ってみた

のですが、先週が一番の見どころだったらしく、花もしぼみかけていました。


今日は、天気は良いし、行ってみると、普通、保全・維持管理のため、協力金を取られる

のですが、料金所の所には誰もいなく見て来ました。盛りが過ぎたからかな?ゴールデン

ウィークにはどうなるか、分かりませんが・・・・

Photo_2 Photo_3

平日でしたが、結構見に来ている人が多く、皆さんのんびりした様子で散策を。

ゴールデンウィーク中は天気も良さそうだし、気持ちの良いところなので、皆さんもお立ち

寄りを。


さて、この公園外周の道に、おおきな木があって、写真では雰囲気がよく分かりにくいので

すが

Photo_4 Photo_5

多分、土砂で押しつぶされた木が、そのまま枯れずに大きく育ったのでしょう。しめ縄が張

ってあり、根元になにやらあるので見に行ったら、温泉熊野神社のお札が祀ってありまし

た。何となく日本人の自然に対する、素朴な気持ちが伺われますね。


さて、島原城の石垣が以前崩れたとの事で、見にいったら、片方はまだ手つかずでした

が、もう一方は修復中でした。

Photo_6 Photo_7

修復中の所、大きな石は、きれいに並べて番号が付けられ、大きな石に詰められた、小さ

な石を整理中でした。

Photo_8 Photo_9

ここの石垣は、ご覧のような石垣で、大きな石の間には、小さな石が挟み込まれていま

す。


修復も大変でしょうが、この石垣を、重機も無かった時代、積み上げるのに、どれくらいの

労力と資金がかかったことか。このことが、島原・天草の乱が起る、一つの大きな原因に

なったのですが・・・


明日からゴールデンウィーク。私、何の予定もありませんので、ポチとお誘い頂ければ。

ただし、40歳以下の美女に限りますが・・・・

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2013年4月25日 (木)

三體地蔵尊祭り~長崎県雲仙市吾妻町

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この間から、祭りの話ばかり続きますが、また祭りの話です。昨日のことですが・・・


雲仙市の吾妻町に三體地蔵尊というのがあります。鳥居がありますが、地蔵さんといえば

仏教関係、鳥居といえば神社関係。昔は神仏混淆で、神社の中に寺があったりしたので

すが、明治政府の神仏分離令で別れてしまいますが、このような風景をみると、まだその

頃の名残が残っていたのか?お堂は新築したみたいですから、その時ついでに作ったの

か?中にはちゃんと神社で使う鈴もありました。これは、古いものでした。


なお、以前は、古びたお堂であったとのことでした。

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三體地蔵さんです。お地蔵さんのご利益として、病苦の身代わりになるものとして、化粧地

蔵、咳止め地蔵、いぼ取り地蔵等。厄除けとして、とげ抜き地蔵、水子地蔵、六地蔵等あ

ります。その中で、子宝・子育てとして、子宝地蔵、子安地蔵等ありますが、三體地蔵も、

この子宝、子育てに関係するそうです。


この三體地蔵の左右に

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お地蔵様と人形などが置いてありました。聞いてみると、最初は三體地蔵だけだったの

が、誰かが持ってきて、段々増えたそうです。お人形が置いてあるのは、ここの三體地蔵

が子供に関係あるからでしょう。


近くにいたご婦人(というより、おばちゃま)に聞いたところ、子供ができなかった方が、ここ

にお参りしたところ、三體地蔵にあやかったのか、三人子供が生まれたそうです。かなり

遠くからもお参りに来て、ご利益あらたかだそうです。

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お祓いがあり、日蓮宗のお坊さんみたいでしたが、わが家は浄土真宗なので、日蓮宗の

お経もなかなか賑やかで、新鮮に聞こえました。お経のあと、参拝の人一人一人にお祓い

を。


まあ、宗派は違いますが、結婚式、厄払いは神式、キリスト教のクリスマスまでしています

から、私も厄払いをして頂きました。


このお堂は、吾妻の山田原というところにありますが、吾妻町史によれば、「この地は、山

田庄の交通要津にあたり、ここから道は放射状に拡がる。古代の山田駅に通じる古道で

もあり、南北町時代は野井城、飯岳城(千々石町)の戦いに南朝・北朝の軍勢が、何回と

なくこの古道を往来(いきき)している。」と書いてあり、祭りについては、「昔から大変盛ん

で、祭日の日は、道の両側に出店が出張して通りは参詣者で埋め尽くされたと言われて

いる・・・」。と書いてありましたが、年寄りの方に聞くと、確かに出店が並んでいたというこ

とでした。

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ご祈祷のあと、お守をいただきましたが、さっきのご婦人の話によると、孫のお守りに持た

せてやっているとか。来年、これを持ってきて新しいのと取り替えてもらうそうです。


その後、餅まきがありましたが、餅まきの前に、店で使う買い物用のポリ袋を配っている

ので、何のことかと思ったら、大量に餅をまくわ、まくわで、気の弱い私も、遠慮しながら上

の写真のように、たくさん拾って来ました。袋がいるはずでした。


私も子宝に恵まれるように、お祈りしてきました。まだ、その能力はポチと残っています。

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2013年4月24日 (水)

有喜貝塚遺跡~長崎県諫早市有喜・松里町

Photo

昨日から、有喜の松里町の祭りのことを書きましたが、本来は有喜貝塚遺跡を見に来た

のが目的でした。


たまたま、祭りをやっており、弘法さんの祭り→普賢菩薩祭の浮流→貝塚遺跡→普賢菩

薩・烽火台跡という順に回ってきたわけですが、本日は有喜貝塚遺跡のことです。


とにかく、場所が分かりませんでした。

Photo_2

こんな所を、行ったり来たり、聞くこと3度。2度目に聞いたときは、丘の上と聞き、丘の上

の墓地の横を行くと道が途切れ、それでも頑張って林の中を迷いながら行きましたが、こ

れ冗談だろうと思ったら、本当に冗談、全く違うところでした。危うく遭難。


3度目の正直でやっと行き着きましたが、一番上の写真です。多分、左の説明版がなかっ

たら、分からずに行き過ぎたでしょう。


シートが敷いてあり、発掘調査の時は、現状維持のため、埋め戻しをするので、それかな

と思っていたら、畑の所に80歳くらいの婦人の方が。


聞いてみたら、ここの所有者の方で、この横の所に家がありました。聞いてみると、シート

は単に草が生えないように敷いているとのこと。


話をしばらくしていると、この方の祖父の方が、畑にするため掘ってたら、貝殻が足の踏み

場も無いくらい出てきたそうです。祖父の方が興味があったらしく、発掘物を随分集めてお

られたということですが、ご婦人が興味がなく、見学者が結構多いらしく、そのたびに差し

上げていたら、残り少なくなったそうです。

Photo_3

これが、貝塚から出てきた貝殻ですが、なかに、石器、黒曜石の細石器も混じってありま

した。


この裏にも畑があるのですが、こちらの畑を耕していると土器がたくさん出てきたそうで

す。

Photo_6

Photo_4 Photo_5

ネットで「長崎県の遺蹟大百科」にも説明してありますが、1921年(明治45年・大正元

年)に発見。1925年(大正14年)に、京都帝国大学(当時)の浜田耕作氏を中心に調査

がなされ、その時、箱式石棺2基、人骨も3体発掘されたそうですが、ご婦人の祖父の話

によると、かなり大きな骨であったそうです。


諫早市の説明版には、「この人骨一体の胸部から鉄のやじりが出土したことにより、縄文

時代人が鉄器使用の人たちに征服され、その年代は西暦一世紀以降、三~四世紀に近

いものとされ、当時の学会の注目を浴びました。」とあります。


2回目の調査が昭和58年度。このときも、石器、土器等も出土したそうです。なお、説明

板には書いてありませんが、「長崎県大百科事典」には、「箱式石棺墓と人骨、鉄鏃につ

いては、弥生時代以降のもので、縄文文化と弥生式時代の二時期があったことが判明し

た。」と書いてあります。



資料所在地は、京都大学、諫早市教育委員会とありますから、多分諫早市郷土館に展示

してあるのかな?


なお、現地は少し小高い所にあり、昔はすぐ下の方は、海であったとのことです。

帰りがけ、あなたも一つもっていかれませんかと言われましたが、「そんな貴重なものを、

数も少なくなっているし、取って置かれた方が良いですよ。」と言いつつ・・・・


土器を眺めつつ、これが太古の人が作った物かと思うと、ポチ感動しますね。

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2013年4月23日 (火)

有喜・松里町浮流・普賢菩薩・烽火台跡~諫早市有喜・松里町

Photo

昨日の続きです。弘法さんの祭りの、お接待を受け、お喋りしているとき、笛、鉦、太鼓の

音がどこからともなく。聞けば、「普賢菩薩」の祭りとか。


本来は、日程が違うらしいのですが、子どもたちの学校もあるとかで、弘法様の祭りと、普

賢菩薩の祭りがダブったということでした。


長崎県教育委員会の民俗芸能調査には、「有喜浮流は有喜町の伝承芸能であるが規模

の大きな本浮流を仕立てる場合には有喜川を間に隣接する松里町と組むことが多くなっ

てきている。」と書いてあり、当日は、その松里町独自の祭りの浮流です。


この浮流を演じているところ、島原街道と長崎街道を結ぶ有喜街道であり、多分、勝海

舟、坂本龍馬一行が、島原から長崎へ駆け抜けて行った道でしょう。

Photo_2 Photo_3

なにせ、4ヵ国連合艦隊の長州攻撃を阻止するための旅ですから、水戸黄門さんみたい

に美女を連れた漫遊記とは違います。


浮流を見たあと、有喜貝塚へ回り、帰りがけ、国道にでると普賢菩薩の幟が。

Photo_5 Photo_6

さっきの浮流を演じていた方が、左の写真の所から登っていたので、私も、菩薩様でも拝

もうと、気軽に思ったのが、大間違い。なお、この入り口に「普賢山頂 烽火台跡 登り口」

の標柱が。


これを見たら、登らないわけにはいかない。幟の間の急坂。これのすぐ上に、菩薩様が祀

ってあるのかと思ったら、「上り坂を登ったら、そこは上り坂であった」という感じで・・・


途中、広場があり、浮流の方がいたり、テントが張ってあったりで、ここにあるのかと思っ

たら、「まだ上ですよ。」


ここらあたりになると、もうヘロヘロ。帰ろうかと思ったのですが、上から、年寄りの方も結

構下ってきていたので、必死こいて登ってきましたが、結局は頂上まで登りました。

Photo_7

逆光で良く撮れませんでしたが、意外と小さな鳥居でした。というより、ここらあたりには

石材がなく、下から担ぎ揚げたのでしょう。たいしたものだと思います。


右側に、「安政四丁己歳」、「有喜村 庄屋?八 役中」。左に、「三月吉日辰」、「施設人

佐藤彌太(六?)エ門 田中徳治郎」、「石工 辰五郎」。カッコ良い名前ですね、「辰五郎」

「松里 津 右者中(?)」と読めました。

Photo_8

頂上の普賢菩薩です。雲仙半島に近いので、雲仙の普賢岳に関係あるのかと思ったら、

小耳にはさんだ所、どうも、長崎の矢上の普賢岳。古くから信仰の地であり、そちらの関

係みたいでした。一番右は比較的新ようでした。左の二体は年代書いてないようでした。

鳥居が安政四年ですから、その頃か、それ以前から祀られていたのは確かでしょう。

諫早市史等もあったって見たのですが、掲載はしてありませんでした。

Photo_9

なお、ここは国土地理院の三角点地点です。よい子の皆さんは、いじくらないように。地図

が狂いますから。


烽火台。のろしを上げるところです。残念ながら、標識も説明版も何もなし。いつの時代

に、何のために作られたのか、調べて見ましたが資料は見当たりませんでした。ただ、橘

湾を一望するところでしたから、橘湾を見張っていたのでしょう。本当にヘロヘロになって

いて、海側の写真撮るのを忘れていました。


知らない方が見ても、烽火台とは分からないでしょう。下に標識があるなら、こちらにも欲

しいところです。

Photo_10

鳥居の所でお土産をいただきました。

Photo_11

帰りがけ、広場の所で浮流の披露をしていましたが、もう疲れはてて、見る気も失せて、下

だって帰りました。


なお、入り口の所が急坂のため、車はいけないと思っていたら、広場の所まで役所の公用

車(シーマですから、市長車でしょう。挨拶にきていたみたいです)が登ってきていて、軽自

動車だったら鳥居の所までいけるようです(行かれるは自己責任で)。


これだけ疲れると、ポチどころか、布団に入ったとたん10秒もたたないうちに、深い眠りの

底でした。

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2013年4月22日 (月)

有喜・松里町弘法さん祭~諫早市有喜・松里町

Photo

有喜は、諫早の漁業の町です。私の町から、20分程度の所にあり、長崎市に行く時、い

つも通りかかる所です。


ここに、有名な貝塚があるとかで、一度は見ておこうと、寄ったところが

Photo_2 Photo_4

いたるところに、弘法大師の幟がやら、お接待の準備やら。

Photo_5

あちらこちらで、近所のご婦人が集まって、歓談。昔から、続いてきた風習なのでしょう

が、まだ、こんな風景が残っているのは良いですね。松里町の各班に弘法太子さんの石

仏があるところでは、各班で祭りをやっているそうです。


祭りといっても、ほんの些細な祭りですが。昔は今ほど娯楽もないし、生活も豊かでない時

分の、息抜きの場でもあったのでしょう。何となく、ほんのりとした感じの祭り。


お参りに来た方には、お接待といって、茶菓子やお酒が振る舞われます。もちろん、私も

加わって、お茶でもご馳走になりながら、昔の事など聞きましたが、

Photo_6

昔は、この岩の所まで海だったそうです。この写真の右手には、住宅が広がっていました

が、そこも海だったそうで、今や、あちらもこちらも、変わっていっている時代。お年寄りの

話を、ちゃんと聞いて置かないと、なにがなにやら、分からなくなってしまいそうです。


年を召した方が、多かったのですが、若い女性もいたらもっと楽しいな、と思っていたら、

どこからからか、笛、太鼓の音が。聞いてみたら、松里町の普賢菩薩の祭りもやっている

とか。


そちらの方にも行って見ましたが、これは又明日。ということで、この日は、弘法様の祭

り、普賢菩薩の祭、有喜の貝塚と、あちらこちら駆け回って忙しい一日でした。


しかし、ここに限らず、弘法さんの石仏がなぜ多いんでしょう?そういえば弘法大師に関す

る逸話も多く、私の住んでいる千々石町にも伝説があり、隣町の小浜町富津にも弘法大

師の六角井戸もあり、伝説が日本各地5,000以上あるということです。いろんな説があ

るようですが、少し多過ぎる感じ。ちなみに、ご存じだとは思いますが、弘法大師は真言宗

開祖の空海の事です。


帰りの国道の所にも、天満宮の幟があったので、ちょっと覗いて見たら、左の石祠は新し

いものでしたが、右は古く

Photo_7 Photo_9

真ん中は、「天満宮」、左右に、「弘化二年」、「己五月吉日」と読めました。弘化二年です

から、1845年の頃ですか。この頃から、受け継いで、祀ったことを考えると、日本人にと

って宗教とは何か、ということを感じさせられます。特に、キリシタンが多かった島原半島

に住む私にとっては。


余談です。猫に、水を入れたペットボトルは効果ありません。

Photo_10

昨日の夜は、自治会の常会もあり、監査役でもあったので、ポチ所ではなく、大忙しの日

でした。

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