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2013年4月14日 - 2013年4月20日

2013年4月20日 (土)

飯盛町・農山村ウォーキングコース歩きました~諫早市飯盛町

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昨日の新聞記事で、「農山村ウォーキングコース」ができたとか。飯盛コース、三浦コー

ス、高来轟コースの3コース。設定したのは、県中央振興局。ネットで、「長崎県中央振興

局」で検索すると、「農山村ウォーキングコースのガイドを掲載しました。」という記事があり

ますから、そこをクリックすると、上のような案内図が出てきます。


県中央振興局は、平成21年に新しく開局した、長崎県の組織です。なにをするのか、良く

知りませんが・・


このウォーキングコース、説明によると、「県民の皆様が癒やしの里・山に来て、見て、触

れて、食べる『農山村ウォーキング』を3コース設定しました。・・・・案内板や標識を整備し

ております。・・・好きなときに訪れて、農山村の自然を感じながら自由に歩いて頂ければと

思います。」ということです。


出発点は、飯盛町の農産品直売所「フレッシュ251」。ちなにみ、「251」は、国道251号

線にあるからでしょう。

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駐車場の広さは結構あり、従業員さんにことわり駐車。コースを聞くと、「こう行って、ああ

行って・・・」。初めての道、よく分かりません。「でも、道たくさんあるから、適当に行っても、

大丈夫ですよ」。あとで、この意味分かりましたが、グーグルの地図で見ると

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             (「Google earth」より)

これ、ほとんどジャガイモ畑です。ここは、「長崎県のだんだん畑十選認定の地」。

青い四角が「フレッシュ251」。ここから、下手の海側に行くのですが、市道があちらこちら

あって、先ほど言われたように、適当に行っても何とかなる感じ。

標識はありましたが

4_2 5

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なんとなく、しょぼい感じ。予算不足か?途中迷いながら、でも、まあ、何とかなると気楽

に。


最初は、ジャガイモ畑ばかりでしたが、国道に近いここらあたりにも、イノシシが出るのか

あちらこちらに柵が

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トイレは新しいのが2カ所ばかり。畑の中に、ハウスがありますが、説明図には、「カーネ

ンションハウス団地」。

Photo_3 Photo_4  

ハウスの中を覗いたら、お父さんには関係ない、カーネーション。まだ蕾が多く、咲いた分

から、収穫していくのでしょう。ほかにもきれいな花が・・・

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途中には、「飯盛鬼塚古墳。」

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さすが、海に近づいていくと良い風景が広がりました。前ノ島に向島。写真奥の、向島の

左手には「龍宮の池」というのがあって、干潮時に姿を現すそうです。行ったのが満潮時

で、残念。

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左手には、愛野町の断層、雲仙岳が見えるはずなのですが、私の心と同じ、霞んで見えま

せんでした。


距離にして、6,5キロ、消費カロリー334㎈、所要時間1時間30分。今の季節、潮風を

受けながら、ちょうど良いコースでしょう。長いと思ったら、ショートカットする道もあるし。


年取ったので、本当は、ポチポチと半分歩き、半分は車で行きましたが・・・・

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2013年4月19日 (金)

懐かしの郵便ポスト

P3240039

懐かしいですね。昔は町の角々に立っていたものでした。まさに昭和レトロ。


このポスト、若い方は初めて見る方もいるでしょう。諫早市の郷土資料館に展示されてい

たものです。説明版が左の方にありましたので、長いので概略書いてみると。


正式名称は、「丸形一号郵便差出箱」だそうで、明治時代には、木製で黒塗りの柱状のも

のだったそうです。


下関市の俵谷高七氏が、この赤い円筒形のポストを考案し、明治41年の通達で認知され

たそうですが、昭和45年より製造が中止、徐々に姿を消したそうです。


この写真のポスト、昭和28年製造、昭和62年3月まで、市内の本野郵便局で使われてい

たものを、郵政局からいただいて来たそうです。


郵便物総量約360通、材質は鋳鉄、高さ135センチ、根石まで165センチ、ポスト本体の

重量は135キロ、根石の重量は130キロだそうで、思ったより重量がありますね。

Dscf0374_3

今の郵便ポストですが、何となく時代の変わりを感じます。


上の丸形郵便ポスト、私も何回もお世話になったもので、何度、恋文を出しては、そのたび

振られたものか。ちなみに、貰ったことは一度もありません。


いまは、メールで、「愛してるよheart02又、今度飲みに行こうねbeer。」、なんてやっていますが、

やはり恋文は、手紙で書くのが情緒があるもの。昨年、ブレイクした、由紀さおりさんも、「

恋文」という歌を歌っています・・・


「アズナブール流しながら この手紙を書いています 秋祭りに買った指輪 小指に光りま

す 椅子の上には 赤い千代紙 窓のむこう 昼下がりの小雨 何を見ても 貴方様を 思

い出して候 (2番以下略)」


こんな恋文貰ったら、もうメロメロですね。ちなみに、アズナブールとは、、「シャルル・アズ

ナブール」。シャンソン歌手、俳優、シングソングライターで、一世を風靡しました。「アズナ

ブール流しながら」は、アズナブールの音楽を流しながら、と言うこと。多分、今のステレオ

ではなく、蓄音機で彼の音楽を流していたのでしょう。


ということで、「恋文」、「戀文」と書いた方がピッタリかな。万年筆で書いて、ポストへ出して

が良いですね。


私も、久しぶりに、愛用の万年筆、「モンブラン マイスターシュッテク No149」で、一筆し

たためることに。


「見も知らぬ私より、手紙をお受け取りになられ、驚かれたことと思ひ候。貴方様を駅で一

目見たときより、心騒ぎ、失礼ながら、手紙をお出した次第にて候。これが、思へば戀心か

と思えば・・・・・」


と書きながら、途中で止めました。だって、出す相手がいないんじゃね。そういえば、デュー

ク・エイセスの歌の一節にもありましたね。「出すあてなしのラブレター 書いては何度も読

み返し あなたのイニシャル何となく 書いては破いて捨てたっけ。」


ポストを見ていたら、いろんな事を思い出しました。あなたも、一度は恋文を出してはいか

が。


そういえば、ウチのカミサンに一回、書いたような思い出が、ポチとありますね。幻想だった

かな?近ごろポチとボケがひどくなって・・・・・

 

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2013年4月18日 (木)

十二支公園:未・南風の海浜公園~諫早市早見町

Photo

諫早の十二支公園については、以前書きましたが、諫早市が環境整備のためか、諫早周

辺に公園を整備したものです。しかし、「十二支公園」とは、曰くありげな名前を付けたも

の。

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いつも通っている、長崎へ行く、海沿いの国道251号線ですが、左の写真、おや、何だろう

と見ると、右の標識。ここの所、何十年も通っているのですが、気がつきませんでした。新し

く立てたのか、私がボーッとしているせいなのか?

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看板を見たからには、見て行かなければと・・・名称が良いではありませんか。「南風の海

浜公園」。思わず、二人っきりで行ってみたいような名称。


道は、広くは無いといったところ。2~3カ所標識がありましたから、迷わずに行きました、

多分標識がなかったら、迷っていたでしょう。なお、ここは、「九州自然歩道」の標識も立

っていました。

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着いたところが、え!ここが公園という感じでしたが、左の写真、林になった所は「歳大明

神」があるところで、赤の四角の所、「十二支公園 未 南風の海浜公園」と、古びた標柱。

手前の広いところは駐車場になっており、真ん中に一番上の写真、エビス様がおられまし

たが、もちろん、お供えは「エビスビール」。

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「浜遊びの皆様へ」と注意書きがあり、その下に、「駐車料金について 早見町にようこそ

あなたの真心を料金箱へ 駐車料金200円 早見町自治会」と書いた料金箱があって、

「真心を」と書いてあっては、「真心」のある私。200円、ちゃんと入れてきました。

この看板と、駐車場の広さを見ると、夏場にはかなり、浜遊びをする人が来ているみたい

な感じでした。

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「歳大明神」と書いてある神社。新しい立て替えたような感じの神社みたいでしたが、御手

洗いには、明治42年と書いてありました。


裏へ回ると、おおきな木が、朽ちたままに立っており、下の説明版に、「諫早の名木 アラカ

シ 諫早ライオンズクラブ結成30周年記念事業」と書かれていました。


調べて見ると、書いてあるとおり、ライオンズクラブが30周年記念に、諫早の名木30本を

選定したものらしく、ネットで調べると、30本の中に、「アラカシ(ブナ科) 早見町 歳大明

神 2.28m 16m」となっておりました。

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神社へ行くと、いろいろ見る癖がつき、本殿の所の彫り物ですが、見事なものでした。


さて、海岸は岩場で、道が途中まで続いており、右側にも、3~4カ所駐車場がありました

が。道が狭く、軽自動車以外はよした方が良いでしょう。私も、日本のベンツ、トヨタに乗っ

ているので、車は置いて、しばらく潮風を受けウォーキングしてきました。気持ちは良かっ

たですよ。


この日は霞んでいましたが、愛野の断層は見えていました。多分天気が良ければ、雲仙岳

まで見えるでしょう。

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右の看板には笑いました。「この先早見海岸には駐車場がありませんので 適当な場所に

車は置いて 徒歩でお下りください 諫早市長」。適当な場所と言っても、こんな狭い道に

車なんか置いていくと大変ですよ。市長さん。


夏場は、子供を連れて浜遊びは楽しいでしょう。興味のある方は是非どうぞ。途中の道は

気をつけて。


近ごろいろいろあって(例のお方とです)。クサクサしていたので、ポチと良いお散歩コース

でした。

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2013年4月17日 (水)

「活水」の読み方?

Img_2

今日は、活水の同窓会事務局から、総会の通知が来ておりまして、この学校、中学校、高

校、大学とあり、、私も、この大学に行きたかったのですが、なにせ、女の子の学校という

事で、門前払いでした。


私たちの時代には、お嬢さん学校というイメージが強く、高校の時には、憧れていた人があ

ったのですが・・・当時は、男女交際なんて考えられない時代でした。


私の家に通知が来たのは、娘に来た通知です。

さて、この「活水」なんて読むでしょうか?「かっすい」。違いますね。

Img_2_2

下の英語で書いてあるところ、「活水」は「Kwassui」と書いてあります。学校のホームページ

も「Kwassui」です。パソコンで「Kwassui」と打ち込んで変換したらなんと出るでしょう。「K]と

「s」の間に「w」が入っていますから注意して。


「かっすい」ではなく、「くぁっすい」と出ます。出ない?そりゃ、あなたのパソコン買い換え時

期ですよ。「かっすい」でしたら「Kassui」で「w」はいりません。


昭和50年の始め頃でしたか、千々石に勤めの関係で来ました。(おかげでカミサンに騙さ

れて、一緒になりましたが、あれは立派な結婚詐欺です。)


ある日、お年寄りの家に行ったとき、「くぁしは、くわんかない。」と言われ、「くわんかない」

は「食べないか」というのは分かるのですが、「くぁし」とはなんぞや?出てきたのをみたら、

普通の「お菓子」。


その時は、千々石では「菓子」のことを、方言で、「くぁし」と言うんだなと思いましたが、いろ

いろ、勉強していくと、言葉の発音には変遷があるとか。たしか何かに書いてありました

が、昔は、「は」は「ふぁ」だったそうで、「はな」ではなく、「ふぁな」だったとか。興味ある人は

自学自習でお勉強を。


調べた人によると、「くわ、ぐあ」が、カ、ガになるのは江戸時代だったそうです。

「活水」が「活水女学校」として創立したのが、1879年(明治12年)、すくなくとも、この頃

まで長崎地方では「か」ではなく「くわ」、もしくは「くぁ」と発音した歴史がうかがわれます。


さて、千々石では、昭和50年までは確実に使っていましたから、千々石はよほど時代に遅

れたところか、それとも、伝統、文化を大切にしたところか・・・・


活水ですね。ポチとでも入学してみたかったな。

 

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2013年4月16日 (火)

本明川の飛び石 その2~長崎県諫早市

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さて、昨日は一つの疑問。本明川は河川改修がされたはずなのに、なぜ、工事の邪魔に

なる飛び石が残してあるのか?


確認するところはないのか?しばし考えると、ピンとくるところがあり、諫早市郷土館へ走っ

て行きました。


はやり正解で、実に詳しく知っておられました。本明川の飛び石は、昭和32年の大水害で

全部流されたそうです。その後、河川改修などあったそうですが、地元の人の熱望によっ

て、国土省だったかに話し、飛び石が復活したそうです。


なお、自治会によっては、遊び心か、この辺に眼鏡橋があったのか

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             (Google earthより)

眼鏡橋風に飛び石を作った所もあるそうです。


郷土館に行ったとき、「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 諫早」と言う写真集

(以下、「ふるさとの写真集」と略します。)を紹介されましたが、見るにつけ面白いので、高

かったけど、早速手に入れました。


その写真集の中にあったものですが、一番上の写真、諫早神社(旧四面宮)を本明川の対

岸から見たところですが、鳥居が2本ある事が分かります。本当は3本あって、

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赤の四角が、現諫早神社。緑の丸印の所に、鳥居の印が書いてあります。この3本の鳥居

を通って神社へ行くのですから、これが参道に当たるのでしょうが、一番上の写真のよう

に、飛び石を渡って行くようになっています。

昨日の最初の写真と比べれば、川が拡張されているのが分かると思います。


なお、奥にある鳥居、これが多分肥前鳥居でしょう。多分、笠木だけの鳥居に見えます

が・・・・これも、あと2本の鳥居も諫早の災害で流されたそうです。

鳥居の柱が川原にありますよと、といわれたので行ってみるとありました

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短いみたいですが、昔の写真を見ると、柱が二本つなぎの鳥居みたいですから、この長さ

なのでしょう。

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諫早神社(お四面さん)の飛び石風景です。眼鏡橋が架かる前の30年間は、本明川を渡

る唯一の通路であったそうです。昭和26年の写真だそうです。


古地図を見ると、この飛び石の上流にもう二つばかり、飛び石が書かれています。多分ど

ちらかだとこ思いますが。

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説明によれば、「本明川の水で洗えば、洗剤そこのけに白くなる不思議さ。」と書いてあり

ます。井戸端会議の場所でもあったのでしょう。昭和28年の写真ですが、後の橋は新四

面橋です。


「想い出の写真集」に、あと2枚ほど飛び石の写真が載っていたので

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左は、諫早公園の高城から城見町の二の丸を結ぶ通路であったそうです。昭和10年の

写真。


右は、昭和初期に作られたものだそうで、形を見ると、将棋の駒の様な形をしています。水

の流れを考えたものでしょう。


このような、写真集、昔の、ひいては現在の私たちの生活を知るのに、大切なものなので

すが、もっと出して欲しいですね。


さて、千々石も河川改修、橋を架けるため、又近ごろは河川改修に伴い、川に風情を付け

るためか、わざと飛び石を作っているので、何が何だか分からなくなっていますが、一つだ

け温泉神社の所に確実なのがありました。

Photo_2

諫早の飛び石は、新しいものとはいえ、住民の熱意で作られたもの。あと、百年もすれば

文化財でしょう。


飛び石には、あまり目をむける方がいませんが、我々民衆の生活に密接に関係があった

もの。河川改修、橋を架けるときはには大切にしてもらいたいものです。 

(参考・写真・文引用:「ふるさとの想い出 写真集 明治大正昭和 諫早」~諫早史談会

編)  ■本明側の飛び石・終了


今日は久しぶりに歯医者さんへ。この歳になっても、歯医者さんはポチ怖いですね。

 

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2013年4月15日 (月)

本明川の飛び石 その1~長崎県諫早市

Photo

昔は、橋が現代ほど多くなく、住民は川の飛び石を渡っていました。


先日、書いたように、諫早の郷土館で「諫早市郷土館 解説シート」という冊子をいただき

ましたが、表紙を見ていると

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赤い枠の所が、昔の本明川に架かっていた眼鏡橋になります。本明川洪水後、今の諫早

公園に移設し、そのそばの本明川に公園橋が架かっていますが、眼鏡橋は、若干、下流

の所にあった事になります。


この地図、諫早図書館蔵の諫早家古地図の中にあるそうです。


説明によると、文久4年(1864)頃のものだそうですが、見取り図ではなく、測量したもの

だそうで、かなりの精度をもったものだそうです。縮図1818分の1。


さて、この本明川をみていると、青の四角の所、なにやら、○印が点々と書いてあって、ひ

ょっとしたら、飛び石かなと思って、GoogleのEarthで調べるとビンゴ

Photo_3

皆さんも、Googleで本明川を見て行くとすぐに分かります。ここの河原は歩きやすく、ウォー

キングがてら、見に行ったら

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いや、あちらこちらあるもんで、しばらく見ていたら、皆さん結構利用していました。橋と橋

の間に住んでいる方は、ぐるっと回わらなければならないので、利用しているのでしょう

が、飛び石のある川は風情があって良いもんですね。


ということを、考えていると、ふと、ある疑問が。この本明川は昔から、洪水を起こしたとこ

ろ。元禄12年には洪水を起こし、次の年の大干害の犠牲者の供養、治水、領内の安泰の

願いを込め、諫早家当主、第7代目茂晴公が富川渓谷に500羅漢の磨崖仏を彫っていま

す。


特に、昭和32年の7月25日には、大雨に伴う諫早地方の災害、特に本明川に大水害を

おこした事は、まだ記憶に新たなところです。


と言うことで、この本明川はかなり河川改修をしたところ。この事を考えると、飛び石を残し

たままだと、工事の邪魔になるはず。どうしたのか?どうも、釈然としません。


さて、どこで確認するか?考慮することしばし、ピンときたところが、私のカン良い所。と言う

ことで次回のお楽しみ。


なお、一番上の写真は対岸が、諫早神社(旧四面宮、地元では、お四面さんとして親しま

れているそうです。)この写真、次回に関係あるので覚えておいてください。


飛び石、私も渡ってみましたが、歳のせいかポチと滑りそうになりました。情けない。

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2013年4月14日 (日)

ぶらり歩けば~雲仙市千々石町

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最近、カメラの調子が悪く、いつものように、店頭展示品現品処分のを買って来ました。

今日は、カメラの調子、機能が多いので、慣れるために、カメラ片手に、ブラリブラリしてき

ました。


あちらこちらに、鯉のぼりが立っていましたが、そういえば、もうすぐ端午の節句。この鯉の

ぼりの足場を作るのが大変で、左手にあるような、たくさんの鯉のぼりを立てるのは、親戚

中集まって、足場を一日がかりで作ります。

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川端を歩いていると、石垣のひょんな所に、目立たないように地蔵様が・・・・ひょっとした

ら、隠れキリシタンの地蔵では?聞いてみたら、水神様でした。昔、この地蔵様の下に水

が湧いていて、スイカなども冷やしていたそうです。見て歩くと、水神様はあちらこちら多い

ですね。

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スイトピーも終わりです。これから種を取って、時期になったら地蒔きし、苗が大きくなった

ら間引きして育てます。右はタマネギの収穫。今年はタマネギが安く、ウチも数軒から、い

ただきました。去年は高値だったので、貰えませんでしたが。二人で食べるには夏過ぎま

でかかるでしょう。もちろん、市場に出せない、ふぞろいの林檎たちならぬ、不揃いのタマ

ネギたちです。若い方は、「ふぞろいいの林檎」と言っても分からないでしょうが、ヒットし

た、TVドラマでした。主題歌は、サザンオールスタ-ズの「いとしのエリー」

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商品にならないタマネギは、そのまま畑においてあるところもありましたが、もったいない

な。右は、ジャガイモ畑。もうすぐ収穫になります。


タマネギ、ジャガの収穫が終わると、田んぼの準備になります。もうボチボチと取りかかっ

ているところも。

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晴耕雨読と言いますが、ハウスができてから、雨の日も農作業。農家も大変です。

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町内某所、タケノコ、クレソン、フキなどがありますが、取っていく人はあまりいません。私

は、時々いただていきますが・・・・

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その某所にある、しだれ椿だそうです。枝がしだれて、その先に椿が咲いています。

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橘神社の桜もすっかり散ってしまい静かになりましたが、橋の所の崖に藤の花。誰かが植

えたみたいで、年々増えています。

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橘神社の駐車場の所にある石造物ですが、これについては、神社の宮司さんに聞いても、

近所の方に聞いても、誰も知りませんでした。何なのかな?どうも気になります。

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またも商店街で閉店です。「山口ショッピング」。時々、利用していた店です。国道筋に、セ

ブンイレブンとファミリーマート等ができたせいかな?

右は「久保田食道」。チャンポンが名物で、結婚前は随分利用しました。後継者がいないみ

たいで閉店です。神社前の「ヤマサキデイリーストアー」も閉店しました。もう何軒、店を閉

めたことか。


千々石は、酒屋と洋服店と床屋が多かったそうです。「おしゃれで、飲み助がおいところ

だ。」と言っていた人がいましたが・・・

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島原鉄道の記念碑が、昔の駅々にたっていますが、「千々」ではなく、「千々」のはず

なんですが??????????


季候も良いし、ぶらぶら歩くと、何やかやとポチポチ目につくもんですね。

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