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2013年3月31日 - 2013年4月6日

2013年4月 6日 (土)

高城神社の猩々の石造 その2~長崎県諫早市高城神社

2

昨日、「その2」を書こうと思ったのですが、人生思わぬ事もあるもので、美女の方から、食

事に誘われ、あるところに行って、ある事をして、帰るのが遅くなり、書けませんでした。今

日続きを書きます。何をしたか?大人のあなたなら分かるでしょう。(てなことじゃ、な

かったんですが・・・・)


さて、この猩々さん、よく見ると良いお顔をしておられます。現代の小顔美人ではないけれ

ど、ふっくらした、癒やし系の女性で、こんな方と一緒になれたら、楽しいだろうなと言う感

じ。いくら見ても、見飽きないので、しばらく見ていました。


この像と水瓶を作ったのは、諫早下町の石工田島卯之助だそうで、モデルは娘さんの、

「つね」さんと考えられているそうです。作ったのが明治15年。

Photo Photo_2

向かって右側に氏名。右側に作製年が書いてあるのですが、石造のかげになっていて、よ

く見えません。


この石造を囲う、上家を寄進したのは、旧諫早家上士喜多官八郎で、左右の柱に、氏名と

年月日が彫ってあります。


さて、この像の仕掛けですが、「諫早市郷土館 解説シート」に、次のように書いています。

この高城神社は昨日書いたように、諫早水害で、移設されたものですが、「昔この像は、神

社横のチンチク竹叢のそばを流れる小川から水車と掛樋で引いてきた水を柄杓の先端か

ら水瓶に垂らすようになっていたということです。」

Photo_4

肩口に水の受け口があり、この穴から水を入れ、

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こちらの手の方から水が出るようにしたのでしょう。今は水道を引いているようですが。


それにしても、能の「猩々」と関係ある石造、そしてこの洒落た仕掛けと、可愛らしいお嬢さ

ん。よほど優れた石工さんだったのでしょう。神社の説明版にもこの事は書いてありません

から、是非、ご覧になってください。


さて、この神社は諫早家初代家晴を祭神にしていますが、神社ができたのが明治15年。

えらく年代が離れていると思っていたら、諫早十二代茂洪が天保13年(1842)に家晴を

追慕して城山の頂上に、家晴神社を祀ったそうですが、本明川畔の旧領民がこぞって寄付

と奉仕によって神殿を移して、高城神社と改称したそうです。残念ならら、旧神社は水害に

よって大破しました。 (この項 終わり)

(参考・文引用「諫早市郷土館 解説シート(歴史編)」「諫早街道をたずねて~高来町教育

 委員会著」)


カミサンが同窓会だとか、夜遅くなるから、ゆっくりできるなと思っていたら、8時にご帰宅、

また恐怖の時間が・・・・ポチゆっくりして来れば良いのに。

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2013年4月 4日 (木)

高城神社の猩々(しょうじょう)の石造 その1~長崎県諫早市高城神社

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先月、諫早市郷土館所有の古地図展があるとかで、見に行ったら、「諫早市郷土館 解説

シート(歴史編)」というのが置いてあり、50ページ程度の小冊子ですが、多分いくらかする

のかと思ったら、なんと只でいただきました。


一昨日、雨なので半日ばかり読んでいたら、面白く、よく調べてあること。せっかくですか

ら、これを元に、何回かに分けてご紹介を。


最初は、諫早の眼鏡橋のすぐ近くにある、高城神社の猩々の石仏です。高城神社の祭神

は諫早家初代龍造寺家晴公で、明治15年に創建。本来は、諫早公園と市役所の中間に

建っていたそうですが、諫早大水害で大破。現在の場所に移設されたそうです。


さて、この神社の社殿にあがる右手に上の写真の様な、御手洗いがあります。よく見ると、

少女の像のように見えますが、

Photo_2

実は「猩々(しょうじょう)」の像だそうです。


辞書に寄れば、猩々といえば、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーのことですが、中国の

想像上の動物で、猿に似てあり、人の顔を持ち、人の言葉を理解して、酒を好むと言いま

す。酒飲みの異名とも載っています。


もう一つ、能の一つで、唐土の高風という孝行息子が、夢のお告げで酒売りになって、富

貴になったそうです。ある日、いつもやってくる客が、「自分は海中に住む猩々」だと名乗っ

たそうです。


月夜の美しい時、潯陽江(しんようのえ)に猩々が現れ、酒を酌み交わし、舞を舞い、いくら

汲んでもつきぬ酒壺を、高風に与え消えていたそうです。

この像は、壺の酒を汲みつつ舞う舞姿であり、御手洗いが酒壺を現しているそうです。


諫早市郷土館の資料には、「これが少女の姿を借りた猩々像であることは、その右肩から

下に垂らした手ふき様の布形の浮き彫りのなかに『飲みつきぬ 香り深し 菊の酒』という

文句が彫り込まれていることからあきらかです。」と書いてあります。

Photo_3

なお、「猩々」という能は、縁起の良い、めでたい舞だそうです。

さて、この像にはもう一つ仕掛けがありまして、また明日。

(参考・文引用:「諫早市郷土館 解説シート(歴史編)」「大辞林」より)



うちのカミサンもひょっとしたら人間の姿をした○○ではないのかな?ポチ、心配。

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2013年4月 3日 (水)

淡島神社春期大祭~長崎県雲仙市国見町

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今、NHKでも放送していましたが、雲仙市国見町の淡島神社のミニ鳥居。神社の横に置い

てあります。30㎝くらいの間ですが、くぐり抜けると、子宝、安産に霊験があるといわれて 

います。もちろん私もくぐりましたが、ダイエットが効いたのか、スルスルと、通れるわけが

ない!


本殿の中にもミニ鳥居が、「健康に育ちますように」と書いてあります。子どもを入れるバス

ケットの下に、車輪を付けた台車がありますが、赤ちゃんがお祓いをしてもらった後、これ

に乗せてくぐらせるのでしょう。

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今日は淡島神社の春祭り。みんなで、ミニ鳥居をくぐるのが見られるのかと思って行った

ら、遅すぎたみたいで、演芸会が始まっていました。残念。

Photo_3 Photo_5

この神社は、文化九年(1812年)、第十代神代藩主の鍋島體公の時代、亀川出羽守忠

英という人が建立したそうです。当時は、「粟島神社」と言っていたそうですが、いつの間

にか「淡島神社」と呼ぶようになったそうです。社殿は平成四年に再建されています。


祭神は少名彦命(すくなびこな)。調べると、少彦名命(すくなひこのみこと)と両方あるよう

です。中身は似ていますが、多分、同じ神様なのかな?


さて、この社殿の横に、「道祖神」と書いた、案内がありますが、「道祖神」といえば、道の

辻などに祀られ、村に災厄が入ってこないように、また、子孫繁栄等を願って、村の守り神

としてされたもので、種類はいろいろあるそうですが、ここのは(十八歳未満は以下見ない

でください)

Photo_6 Photo_7

実に立派なものでありまして、下の方は、多分女性の「なに」かな?子孫繁栄、ひいては、

五穀豊穣を願って祀ったものでしょう。


さて、この道祖神は最初は30㎝くらいのものだったとか。子宝に恵まれたい女性が、触っ

たり、撫でたりしているうちに、段々大きくなって今のように、大きく、立ち上がり、それと共

に、村も繁栄したというと言う伝説が、あるわけないでしょう。(私の創作ですから信じない

ように。)


淡島神社にお参りこられた方、社殿のすぐ裏ですから、ご覧のほどを。本当に立派なもの

でした。私のも、これくらい立派ならと思いつつ、神社を後にしました・・・・

(参考:「国見町郷土誌」・神社説明板より)


こんな写真載せて、わいせつ罪にならないでしょうね。小心者の私、ポチ心配です。

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2013年4月 2日 (火)

幻の肥前鳥居 その3~南島原市有家町・島原市

Img_0004

千々石の桜も、ほとんど散ってしまいました。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりし」。若

い女性の方は、せいぜいお遊び下さい。え?遊びまくっている。時代が違いますからね。


さて、「有明の歴史を語る会」から「ありあけの歴史と風土」という機関誌を出しています

が、第16号で、杉本伸一氏が「殿様の鳥居」という記事を書いておられます。

元文元年(1763年)に島原藩三代藩主松平忠俔(ただみ)が、雲仙岳登山道路3合目に

作ったそうですが、この方は信心深く、同年、護国寺三十番神も建立されたそうです。


この写真と、杉本氏の記憶を元に書いたのが下の左図です。右の図は、諫早愛宕社の入

り口に書いてある、肥前鳥居の図。笠木と島木が一体になっています。

Img_0005_2 3

ほとんど一緒ですが、上の写真も斜めから撮ってあるために、もう一歩よく分かりません。


ひょっとしたら、これ肥前鳥居ではと思い、島原の専門家に聞くと、残念ながら、この鳥居、

平成4年7月30日の土石流で流されますが、一部発見され、眉山ロードの途中の広場に   

展示してあり、説明版にも昔の写真があるとのこと。


島原に用事があったついでに寄って見ると、

P3290108_2

左に写真がありますが・・・・

P3290110_2

ほとんどボロボロで、しかも大事な、笠木、島木の端が木に邪魔されて、はっきりとは確認

できませんでした。

P3290119_2

掘り出された鳥居の柱が三本立っていましたが、この柱には「吉日」と彫ってありました。

鳥居の大きさは、高さ4,3m、幅4,4m、柱の周囲2,3mだったそうです。


その右に建ててあるのは

P3290120 P3290126

上の写真に比べれば、少し細く、彫ってある文字を読むと、どうも「大正七」と、読めるよう

な文字もあり、殿様の鳥居とは違うみたいな感じでした。他に建てられていたのが、土石流

で流されてきて、一緒に掘り出され、ここに建てられたものでは・・・・・・?


土石流に流されていなければ、肥前鳥居だったのではと、広場を後にしましたが。とにかく

残念でした。まさに、幻の肥前鳥居です。島原半島に、肥前鳥居が残っていないのか、ボ

チボチ回って調べてみるつもりですが、情報がありましたら・・・

(幻の肥前鳥居編 終了)


昨日もカミサンとバトルで、毎日いじめられる私、これってDVではないですか。ポチと可哀

想な私。

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2013年4月 1日 (月)

胃カメラを飲んできました

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私の、ポンポンさんの写真で、確か3回目のご登場だと思います。見たくない人はご覧にな

らなくて良いし、お好きな方は頬ずりをしてもよろしいし。もう少し下を見たい?私は、露出

狂ではありませんから、ここまで。


さて、昨日から、胃が「ピクピク、ピク、ピク、ピクピクピク」と、胃けいれんと言えるほどでも

なく、軽くけいれん気味。


以前から、年に何回かは起こる事があり、ほって置いたら治るのですが、今回は、朝にな

っても治らず、何となく心持ち気になり、胃腸科へ行きました。ひょうっとしたら、胃カメラか

な、と思い朝食は抜きで行ってみたら、案の定、「胃を見せてもらいましょうかね。」


さて、20歳代の方は、胃カメラはほとんど飲んだことがないでしょう。30歳代~40歳代で

ボチボチ。50歳代以上になると、飲んだこと無い人の方が多いのでは?


胃カメラというと、集団検診のバリュームを飲むのと違い、何となく恐ろしがる方がおられま

すが、バリューム飲むと、あとのウンチの関係で、私はあまり好む物ではありません。あの

バリューム、イチゴ味とか、リンゴ味とか、みかん味とか、味付けをして貰えれば良いんで

すけど。


今日は、胃カメラが恐ろしく、避けておられる方のために、胃カメラの様子を。


受付へ戻ると、「予約の人が多いので、時間がかかるかも知れません。」、私、「いいよ、君

の美しい顔を見ているから。」


順番が来て、ベットへ横たわると、「これ飲んでください」、紙コップに、半分ほどの甘いジュ

ースみたいなものを。「胃をきれいにするお薬です」、「ウチのカミサンの顔に塗ったら、き

れいにならない?」、またいらない冗談を。年取ると、平気で言えるようになるもんですね。


しばらくして、注射器に針のないようなものを持ってきて、中には黄色い薬が入っていま

す。寝たまま、「はい、あーんして、そのまま口に含んでいてください」。これ、以外と辛いん

ですよね。口の中に入ったものを、そのまま飲み込まないのは。待つこと5分。喉の麻酔薬

です。そのうち、しびれてきます。


「それでは行きます」。口の中の物をだして、真ん中にベットと機械が置いてある検査室

へ、ベットに横になると、「頭がボーッとする注射をしますよ、ちょっとチクッとしますから

ね」、ということで注射を。すぐに頭がボーッと。お医者さんがきて、「はじめますよ、口を開

けて」、再度、口の中に薬を、今度はゴックン、食道あたりから、胃あたりまでしびれるよう

な感じ。麻酔です。


横になって、マウスピースを咥え、先にカメラをつけた管を入れていきますが、大体食道ま

で来たなとか、胃の入り口まで来たなということは感じます。異物感はありますが、痛みは

ありません。


かかりつけのお医者さんなんですが、いつもは、「きれいですね、良いですね」、なんて話を

しながら検査をしますが、この日は、何にも言わないで、難しい顔をしたまま。


不安でした。いつもは、頭がボーッとしているので、病室を移ってしばらくは眠るのですが、

この日はどうにも心配で眠れない。ひょっとしたらガンでは?


そのうち、看護師さんが来て、「はい、起きてください、大丈夫ですか?」。「まだ少しボーッ

としてますね」。起きながら、ふらっとしたふりをして、看護師さんの肩へ手を・・・もう少し、

抱きついても良かったかな。


お医者さんの所へ行って、診断を。なにせ、気が弱い、私。不安でした。「大丈夫ですね。」

この一言、まるで、天使の言葉(顔はまあ・・・)みたいでした。


ということで、無罪放免になりましたが、「特定健診は受けて下さいね。」と言われました。

雲仙市の特定健診の受診率は低い方だそうです。、健診でひっかかって、命が助かった方

もいます。逆に、受けないまま、手遅れになった方もいます。皆さんも、自分の体が大事な

ら必ず受けて下さい。


ポチと可愛い、私のおへそ。霊験あらたかですから、ポチと触って見ては?

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2013年3月31日 (日)

2013 「観櫻火宴(かんおうかえん)」&「橘公園花まつり演芸大会」~長崎県雲仙市千々石町

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昨日は「観櫻火宴」。日本一の松明武者行列。最初は数十名程度で始まったのですが、

年々盛んになり、武者の装束を着け、松明を持つもの、主催者発表1,500名、警察発表

150名。まあ話は大きく。消防団が付き添いながら、海岸から商店街を通り、橘神社の会

場まで歩いて行きます。


悪役軍団に稚児武者、後で、バトルがありますが、もちろん稚児武者の勝利、稚児武者が

手に持っているのは、スポーツチャンバラ用の刀で、これは、お土産に。

Photo_2 Photo_3

佐賀の、葉隠れ鉄砲隊の皆さんですが、当時の佐賀藩のアームストロング砲を模したも

の、もちろん空砲です。本物でやってほしんですけれど・・・・・号砲一発ではなく、空砲一

発(音は大きく、火花も飛びます)、一番上の写真。「弥栄(いやさか)」「おう」のかけ声で、

出発です。

Photo_4 Photo_5

神社へ着いたところですが、人が多くてというより、写真を撮る人が多くて(皆さん本当に良

いカメラをお持ちで、羨ましいこと)、良い写真が撮れませんでした。安物のカメラのせいで

はありません。

Photo_6

釜蓋城(橘神社の後の山)で、佐賀、龍造寺に攻められ、討ち死にした、千々石大和守直

員(天正少年遺欧使節、千々石ミゲルのお父さん、当時25歳)、と家老の町田兵七郎、木

戸萬九郎が中央に並びます。その後中学校の、吹奏楽部の御神楽。

Photo_8 Photo_7

来年中学校にあがる子どもの(町外の方も参加できます)元服立志式、自分の名前を書い

た名札を掲げ、一人一人、自分の夢を語ります。

最後に、天正少年遺欧使節の寸劇があり、終了しました。

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さて、今日は「橘公園花まつり演芸会」。昔は、この花祭り、橘中佐を祀った神社をひか

えた所であり、各町の選手が集まり、柔道大会、剣道大会、弓道大会もあり、賑わっていた

のですが、いつの間にか武道関係はなくなってしまいました。


舞踊ですが、右の方、23歳から、この花祭り演芸大会に関係を持ち、今年82歳、もちろん

踊りのお師匠さんです。踊るときの足腰はしっかりしてますね。

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太極拳に、カラオケ。

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ブルーアイランド雲仙によるフラダンス。皆さん遠くから見るとお若いですね。近くから見る

と・・・・・いや、お若いですよ、それなりに。

ちぢわ舞華連(まいかれん)と千々石第一小学校生徒による、元気よく、「よさこい」。

全部で15ほど演技がありましたが、見物人も結構多く、楽しく過ごせました。

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昨日、今日、天気が良かったせいか、結構な人出でした。この、二つのイベントが終わる

と、段々露店も店をたたみ、いつもの静かな公園に戻っていくことでしょう。桜が散り、春が

終わり、私の好きな葉桜の季節です。

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公園が近く、毎日桜を見ていると、ポチ花疲れしました。

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