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2013年3月17日 - 2013年3月23日

2013年3月23日 (土)

今日は草刈り

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水菜の花です。野菜の花もこうして見ると、綺麗なもの。


今晩は、自治会の常会があるとかで、前もって、ちょこっと書いていきます。

この2~3ヶ月いろいろあって、庭の方の手入れに意欲が湧かず、そのまましていたら、ご

覧の状態。

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これはいくらなんでもと、草刈りを。

いつもの、相棒の草刈り機を取り出したのですが、ずっと使ってなかったので、エンジンが

かからない、かからない。はやり、使わなくても時々は動かしておくべきですね。

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これ、以前書きましたが、普通は先が金属の円盤になっていて、歯がノコギリみたいになっ

ていますが、私のは、ナイロンのヒモみたいに(私はヒモではありません、みたいなもんで

すが・・・)なった物を使っています。大きな石が多いところ、又、木があるところは、木を痛

めずに(少しは傷がつきますが)、手軽に使えます。


ヒモはすれて、段々短くなりますが、回しながら、真ん中の所を、石みたいな固いところで、

トントンとたたいてやると、また、伸びてきます。

なお、草刈り機を使うときは、小石が飛んで来るときがあるので、防護マスクを忘れないよ

うに。


一時間ほどで

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まあ、見られる程度には。あと、一週間ほど枯らかして、焼きますが、野焼きは禁止されて

いますから(このあいだ回覧板で回ってきました)、よい子の皆さんは、野焼きはなさらない

ように。ここらへんは、誰でもやっていますが・・・・(これ内緒)


あと、堆肥をいれて耕して、なにを植えようかと思っていたら、諫早の八江農芸(花や野菜

の種、苗をうっています)から、花まつりのお知らせが来ていました。野菜栽培のミニ講習

会もあるとか、ナス、トマト、キュウリ、ニガウリ、ピーマン、スイカ、エダマメ、トウガン、カボ

チャ。これだけあると、何植えるか迷いますね。


参考のため、日程を貼っておきますが、バイパス店の方ではなく、本店の会場だそうです

から、お間違いのないように。

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ところで、草刈民代さんっていいですね。ファンです。先祖の方は、草刈りと関係があった

のかな?


千々石の橘公園の桜は満開で、お客さんがポチポチではなく、どんどんやって来ていま

す。常会が終わったら、ポチと夜桜見物でも・・・一人っきりで・・・・淋しく・・・・

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2013年3月22日 (金)

日本タンポポはいずこに

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タンポポ、良いですね。ただし、これ西洋タンポポです。


実は、数年前から、黄色のタンポポを見るたびに、日本タンポポではないかとの、淡い期

待を持ちながら、調べているのですが、ついに出会ったことはありません。まだ見ぬ、永遠

の恋人みたいなものです。かなり、山の方も調べたのですが・・・・


こちらは、関東以西、四国、九州の西の方に多く見られる、シロバナタンポポ。

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シロバナタンポポは、日本の在来種だそうです。

西洋タンポポと、在来種の違いは、裏側を見ると分かります。

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赤の四角の所、「総苞片」と言われる所ですが、これが反り返っているのが、西洋タンポポ

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黄色の日本タンポポはないので、シロバナタンポポで代用しますが、「総苞片」の所が、反

り返ってないのが、分かると思います。これが在来種のタンポポと西洋タンポポの違いだ

そうです。


日本タンポポが少なくなっているからといって、日本と西洋のタンポポが戦いをやっている

わけではないのですが、日本の住宅地等を含めた、土地の環境などが、ニホンタンポポの

生態に合わなくなってきている、という事らしいのです。私は植物学専門でないので、間違

っていたらお許しを。


日本タンポポ、私みたいに、どこかの片隅で、ひっそりと咲いているのでしょう。家でカミサ

ンにおごられ、いつも家の片隅でひっそり生きている私みたいに・・・・会いたいな。


今日はポチと感傷的な内容でした。

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2013年3月21日 (木)

「桜だより」だよ~千々石町橘公園・諫早公園・森山町・とけん山公園

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私の娘の名は、「さくら」、と付けようと思っていたのですが、生まれたのが夏。残念でした。


3月15日、「桜だより」を書いて、その時はまだまだ蕾だったのですが、一週間足らずで、

あっという間に、あちらもこちらも開花。今年は、異常開花ではないのですか。


上の写真が、橘神社の開花基準木の桜、15日には、まだ一つも花は咲いていなかったの

ですが。


毎年、ボチボチ桜が咲き始める頃、露店がでて、それから満開になるのですが、今年は順

序が逆になったみたい。今日の朝には一店も出ていませんでした。橋の下の桜も満開状

態。各写真は、クリックすると拡大しますから、それでお楽しみください。

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いつもウォーキングを楽しんでいる、諫早の森山町図書館前のマイ・ウォーキングロード。

桜の満開はもう少し。右側には「森山花の会」の皆さんが、植栽している花壇。ビオラ、花

芝、パンジーなど、一年中楽しめる、ウォーキングロードです。


ちなみにアナウンサーで、「公園には色とりどりのパンジーが咲いています。」と言うのを、

「公園には色とりどりのパンティーが咲いております。」と言ったのは、若かりし頃の、久米

宏さん。(この話、以前書いたかな?春が来たらボケがひどくなって・・・)


桜には関係ありませんが、右の写真。図書館の前の所にある「もぎたて市」。お爺さんの車

が、ベンツのシルバーカー。これに乗る人、平気で右でも走るから困るんですよね。


後に大きなカメがありますが、焼酎用に作ったらしいのですが、全然売れなく、壊している

のを、福岡まで行って持って来たそうです。でも、これだけの焼酎、飲むのに何年かかるの

かな?

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あいにく、図書館が休みだったので、二反田川河川公園まで。

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町外の方には、知られていませんが、以外と良い所です。


近ごろ、有名になり始めた、桜の通り抜けの道。国道251号線の、森山町唐比の交差点

のすぐ近くの道から、山手に入る道、国道57号線に抜けますが、少し分かりにくいかな?

分からなかったら、聞いてみてください。地元との方と話をするのも、いいコミュニケーショ

ンです。唐比の方の入り口の所に、「風の森」があり、そこの中に、いつか書いた「Cozy」さ

んがあります。時々寄って、ランチを食べています。

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諫早公園。ここは、芝生がはってあって、家族連れで、お弁当広げるのに良いですね。こ

の間完成したばかりの、ミニ眼鏡橋。桜が似合いますね。せっかくだから写真をパチリ。

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小浜町のとけん山公園。小浜から、雲仙に登る道の途中から、山手に入ったところにあり

ます。海が見えて良い公園です。駐車場はありますが、あまり広くありません。

Photo_12 Photo_13

とにかく、どこもかしこも、桜の咲くのが早いみたいで、この分では来週いっぱいには、散っ

てしまう感じなので、花見に行かれる方は、お早めに。


冗談ではなく、ポチポチ花見をではなく、急いで花見を。下のバナーも、急いでポチしてね。

 

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2013年3月20日 (水)

2013 春うらら茶会~日米親善人形交流展 附録:島原芝桜公園(3月20日)

Photo

さて、「幻の肥前鳥居」。少しばかり、新しい情報が入ったので、又、後日。今日は、春うらら

茶会があったので、そちらの方を。


昨年も、この、春うらら茶会~日米親善交流展(正式名称:~青い目の人形~リトル・メリ

ーと仲間たち ’日米親善人形交流と島原’展)のことを書きましたが、このような歴史があ

ったこと、忘れてはならないと思いますので、再度取り上げます。来年も取り上げるつもり

ですが・・


この人形は、戦前、親日家のギューリックさんが、日米友好のため、12,700体を日本の

子どもたちに送りました。

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各学校では、町内の小学生、幼稚園の生徒などを集め、写真の様な盛大な歓迎会を開い

たそうです。


残念な事に、戦争が始まり、敵の人形だということで、廃棄され、現在全国で300体、長崎

県ではわずか2体しか残っていません。


一番上の写真の人形は、島原第一小学校のリトル・メリーちゃん。戦後、小学校に残され

ていた箱を開けたら、雛人形と一緒にリトル・メリーちゃんが眠っていたそうです。

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この雛人形と一緒に、入れてあったそうですが、誰かが隠したのか?


アメリカから送られた人形に対し、日本からも、子どもたちから募金し、47体を送ったそう

ですが、その一体が「長崎瓊子(たまこ)」。長崎代表です。

Photo_5

ニューヨーク州ロチェスター市科学博物館に、どういうわけか、「ミス青森」という名で保管さ

れていたそうですが、これが長崎から代表して送られた答礼人形、「長崎瓊子」ということ

が73年ぶりに確認できたそうです。


この、日米親善人形交流展、全部「島原親善人形の会」の会員の手で運営されています。

(私も、事務局長の美貌にひかれ入っていますが・・・・)。10年目を迎えましたが、今度、

島原の小学校の郷土関係の、副読本に取り上げられるそうです。素晴らしい、歩みです。


イベントも少し組まれていて。

天気が良ければ、外の御馬見所で開催されたのですが、雨が降り、天気が悪かったので、

島原城内の復興記念館の中で。お客さんも結構多く、「森岳婦人会茶道教室&モリモリ広

場茶道教室の子どもたち」のお茶の接待。第一小学校生徒による紙芝居、、「リトルメリー

ものがたり」。ひかわ学童おひさまクラブによる合唱。島原半島国際交流クラブによる、み

んなで歌おう。

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雨を吹き飛ばす楽しさでした。


帰りに、島原城のお堀を見たら桜が満開。お城に桜、良いですね。

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さて、島原の芝桜公園。昨年より、根が張ってきたみたいです。花は、少し咲き始めている

ところで、まだまだ時間がかかりそうです。

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暖かくなったと思ったら、明日からはまたポチ寒くなりそう。老いの身には辛いですね。

皆さんも今晩はポチ暖かくして、お休みを。

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2013年3月19日 (火)

幻の肥前鳥居 その2 ~長崎県南島原市有家町・島原市

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昨日の続きです。

肥前鳥居については、ネットで調べるといろいろ出ていますが、諫早の説明版は、笠木と

島木が二本一体化したように書かれていますが、島木が省略されているものもあるそうで

す。

Img

              (「有家町郷土誌」より)


有家町のも、多分このこの形ではなかったでしょうか。有家町郷土誌、有家町報176号の

「史跡巡り~「温泉神社『一の鳥居』」によれば、昨日書いたように、地震で倒壊後、大正

11年に再建されましたが、「台石を残し倒壊、その年に鳥居の改修は、おこなったものの

鳥居上部の鰹節型(別名舟底型とも云う)は、取り除かれ、新たな物と、作り替えたもので

ある。」という事だそうです。


「尚古い、舟形上部右半分は、大地震の時、池の中に落ちたままで後になり、後に池の中

から発見され、神社に保存されている。

また、左半分は、時の世話人により、猿田彦天神ときざまれ、現在久保田名、隈田俗に云

う石橋四つ角の、道祖神として、崇拝されている。」(有家町郷土誌)

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一番上の写真が、「猿田彦天神」になった、鳥居の一部です。場所がよく分からず、若い男

の子がいたので、聞いたのですが知らないということ。年寄りの方も見当たらず。ウロウロ

していたら、こんな所にありました。後からみれば、鳥居の端の方だった、ということが分か

ると思います。


さて、有家町誌に載っている、池の中から見つかった部分です。これが、神社の中に保管

されているとか。

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神社の中を見ても、それらしき物は見当たらず、丁度、宮司さんがお祓いをしていたので

尋ねると、猿田彦大神の方はご存じだったのですが、神社内にあるという、上の写真を見

せても、よくわ分からず、神社の横の方のお店の方で、生まれて、ここで育ったという方に

尋ねても、分からす、しばし、神社の中を見つけていたら、ありました。

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神社本殿の裏側。多分横にしたままでは、ということで下部を埋めて、立てたのでしょう。


こうして見ていくと、一の鳥居は、島木を省略した笠木だけのものだと分かるとおもいます。

なお、鳥居の柱の部分は以前の残った物を使ったのでしょうが、三本継ぎになっておりま

す。年代は彫ってありませんが、温泉神社の歴史を考えると、かなり古いものだと思われ

ます。地震がなかったら貴重なものとして、残っていたと思うと、島原半島に於ける「幻の肥

前鳥居」です。


余談です。

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温泉神社に行くには、大きな鳥居が参道にあり、神社の入り口に、今まで書いた鳥居があ

りますが、その間にもうひとつ、この写真の鳥居(年代的には明治6年のもの)があったそ

うですが、バスが運行を始め、通れないということで、温泉神社内に移したそうです。


貫の部分、新しいのが分かると思いますが、台風のとき落ちたそうです。その時、「四面

社」と書いた、額束も落ちたそうですが、まったく無事だったそうです。神社横のお店屋さん

から聞いた話です。「やっぱり、神様の魂が入っととやろな。」と言われていました。


地震に、台風。やはりおっかないですね。古人曰く、「世に恐ろしきもの、地震、雷、火事、

カミサン。」


東北の、地震、津波大変でしたが、こちらの島原半島も、昔から、地震、噴火、山の崩壊な

ど、何回か襲われております。自然の脅威の前には、人間の非力をつくづく感じますね。

(参考:「有家町郷土誌」「有家町広報誌~史跡巡り㉑)」)


今年の桜は、一斉に咲き始めたみたいですが、本当は、ポチポチ咲いていくのが情緒があ

って、良いのですが・・・・「お酒飲む人 花なら蕾 今日もポチ咲け(酒) 明日もポチ咲

け(酒)」。

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2013年3月18日 (月)

幻の肥前鳥居 その1 ~長崎県南島原市有家町・島原市

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以前、諫早の愛宕社の鳥居のことで、「肥前鳥居」のことを書きましたが、この鳥居、佐賀

長崎で、鎌倉時代から、江戸期に作られたそうです。諫早は諫早神社の前にもあったそう

ですが、水害の時流されて、これ一本しか残っていないそうです。


復習です。下の左の写真が「愛宕社」の肥前鳥居です。イラストは、説明版から。

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これを見て、以前から心にひっかかるものがあり、島原半島の神社を通りかかるとき、よく

鳥居を見て行ったのですが、全部、「明神鳥居」ばかりでした。


先日、有家町郷土誌を読んでいて、やっと思い出しました。一番上の写真、有家の「温泉

神社」ですが、元来は「四面宮」。地元では「お四面さん」と呼んでいますが、大宝7年

(701)に、雲仙の「温泉神社(当時はうんぜんじんじゃと呼んでいました)」の末社として、

吾妻町、千々石町、伊佐早(諫早市)に作られ、雲仙満明寺一乗院を併置し、神仏混淆の

社(やしろ)であったそうです。


また、神社明細帳(明治8年編)には「寛永14年、キリスト教の乱に社殿旧帳ことごとく焼

失」(島原の乱は寛永14年~15年・1637年)と書かれているそうです、それ以前にも、天

正8年(1580)に領主、キリシタン大名有馬晴信による、仏教破壊の命で破壊投棄がおこ

なわれれ、修験道の歴史が一時断絶したそうです。


島原の乱後、寛永15年に再建、四面大明神として修験道も復活し、金剛院の併置となっ

たそうですが、明治の神仏分離令により、「温泉神社」と改称されたそうです。実に、多彩な

歴史を持つ神社です。


この神社の横のお店屋さんと話をしていると、ここらあたりの畑、宅地のため地面を掘る

と、五輪の塔碑、宝篋印塔などが数多く出てくるそうで、現在神社本殿裏に、整備されてい

ます。


さて、話を元に戻して、一番上の写真が、現在の温泉神社の鳥居ですが、「有家町郷土

誌」、また、以前、有家町史談会の会長をされておられた、松本小四郎氏によると、この鳥

居は、大正11年の地震で倒壊し、現在の様な明神鳥居に再建されたそうですが、以前

は、「肥前鳥居」だったに違いないと思われますが、話が長くなるので、又明日。

(参考:「有家町郷土誌」「温泉神社説明版」「有家町広報誌・史跡巡り(昭和60年9月号」)


年取ると、夜、眠くなるのが早くて、ポチ困りますね。数年前までは1時、2時まで起きてい

たのですが・・・・・それでは、ポチ、ポチお休みなさい。まだ、9時だけど。

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