私的・センチメンタル浜ぶら
浜町と書いて、「はまのまち」、地元では「はまンまち」といい、長崎市内では一番の繁華
街。
私、生まれは、遊郭があった丸山の隣町、油屋町。いわゆる、「色で育ったこの体」といい
たいのですが、借家住まいだったので、幼稚園の時、諏訪神社のそばに引っ越し。
小学校に入学の時、まだ畑ばかりだった、その真ん中に建った、浦上の県営アパートに引
っ越し。だんだんと、繁華街からは離れいくばかり。、
学校は東京で、就職をし、会社が銀座にあり、銀座のクラブで、夜の貴公子とまで呼ばれ
たのですが・・・・・
戻ってみれば、仕事で島原半島へ。そこで、結婚詐欺(注:カミサンにだまされて結婚の
事)に出会い、田舎住まい。浜町にはなかなか行く機会が無く、まして、歳取ると面倒くさく
て・・・・・
先日、書類を整理していたら、古い貯金通帳が出てきて、ひょっとしたら、亡くなったおじさ
んが、大金を振り込んでいないかと、浜町の銀行へ記帳に。結局は利子が付いて、1,06
7円でした。残念。
ついでに、久しぶりに、「浜ぶら」をしてみました。「浜ぶら」は「銀ぶら」と同じ意味です。
浜町をブラブラ歩いて見ると、変わっていますね。特に、ドラッグストアが増えたこと。商売
成り立つんですかね。
昔、長崎市内でデパートというと、浜屋と岡政。岡政は安政元年(1854)に長崎古町に創
業。あと、いろいろあって、1988年に「博多大丸・長崎店」になりましたが、2011年閉
店。跡地は、博多大丸が商業ビルを建てるという事らしいのですが・・・
横の所に、「1000マイル離れた長崎から1000人分の笑顔の笑顔の贈り物」「浜んまち」
は東北の未来を応援します」のパネル。上の写真が拡大したものです。
石丸文行堂。昔、夏休みには「ラジオ体操」をしていましたが、全日出席した子どもは、ノ
ートを貰っていましたが、この、石丸文行堂の提供だと言うことを、どこかで聞いた覚えが
あります。
ドラッグストアになりました。名前は忘れましたが、大きな玩具屋さんだった覚えが・・・
好文堂。長崎で、一番大きな本屋さんだったんですが、紀伊國屋さんあたりもできて・・・・・
好文堂の隣。確か「金文堂」と言う名前だったか、古本屋さんがあり、良く出入りしました。
ここで買った本を読んだら売って、そのお金で、また他の本を買って、中学、高校にはお
世話になりました。無くなっているのを見ると淋しい・・・・ 。
赤い矢印の、「カメラのタケダ」。もっと大きなカメラ屋さんだったのですが、今や、写真の
プリントは自分でできるし、カメラは家電屋さんで売っているし、本当に小さくなりました。
左の写真、まっすぐ行くと、浜屋デパートの裏口に行きます。いま、新館ができています
が、昔は空き地で、確か、街頭テレビが置いてあった記憶があります。プロレスを見た事
があったかな?
写真の左側に「BUN BUN」というジャズ喫茶店があり、何時間いても、なにも言われない
ので、あの頃はお金を持ってなかったので、一日中、暇つぶしに居ました。
右は、思案橋電停付近、ジャズ喫茶「マイルス」があった所かな?入れば普通の喫茶店。
中にもう一つ扉があって、そこがジャズコーナー。一般の人はあまり知ることが無く、学校
サボって、制服、制帽で、煙草を吸いながら受験勉強をしていました。スピーカーがJBL
の、でっかいやつで、すごい迫力でした。
思案橋ラーメン。おやじさんが面白い人でした。ここの、おでんが好きで、京風でもなく、関
東風でもなく、汁を煮込んであって、良く食べに行きました。
工事中のところ「ステラビル」があったところ。一番上が映画館でした。以前は、「東宝富士
館」があって、「アラビアのロレンス」だったか、学校をサボって見に行きましたが、当時は
映画を見るのは父兄同伴。もちろん一人で見ましたが・・・・走っている車、フィアットの50
0かな?
左の写真の所にも、映画館があった記憶が・・・「フランケンシュタイン」を見た覚えがある
のですが。たしか、このあたりに、前川清が入っていた、内山田洋とクール・ファイブが出
演していた、キャバレー「銀馬車」もこのあたりだったかな。入ったことがないので良く知り
ませんが。
右の写真、確か、一階がアトムレコード、二階が映画館。当時は、「町を歩けば映画館に
当たる」の時代でした。
「マツヤ万年筆病院」。全国的に有名で、某作家の万年筆もここで調整しているとか。昔
は、高校の入学祝いには万年筆が定番だったのですが。ちょっと寄って、フィシャーのボ
ーペン「スペースシャトル」を買ってきました。
宇宙飛行士のために作られたボールペン。芯の中に、窒素ガスが封入され、その圧力
で、インクをペン先に供給するもので、無重力でも、寝っ転がって、ペンを上向きにしても
書ける便利なボールペンです。
さて、浜ぶらをしながら考えると、町の名前に「浜」がついています。確かに海からは、そう
遠くは無いものの、調べると、青い線が17世紀まで海だったそうで、赤い所が「浜町」のア
ーケード街です。こうして見ると、今よりも、海に近いことが分かります。
「長崎県辞典~長崎文献社刊」によれば、「浜町」のところに、「海岸の町として賑わってい
た」、「浜に面した便利な町として濱町は発展し」等の文が見られます。
(「復元!江戸時代の長崎」~布袋厚著・長崎文献社刊)
明治中期の、浜町のアーケードの風景。橋が見えますが、後に、この水路は暗渠化され、
両側の道と合わさって、道となり、現在の観光通りになったそうです。
撮した場所は、多分最初の方に紹介した、大丸あたりでしょう。
(「長崎古写真紀行」~柴多一雄著・長崎文献社刊)
東浜町を油屋町の方に向かって撮しているそうですが、一番高い山、どなたかご存じあり
ませんか?
久しぶりに、「浜ぶら」したら、変わっていく様子に、何となくセンチメンタルになり、「センチ
メンタル・ジャーニ」ならぬ、私的な「センチメンタル浜ぶら」になりました。
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