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2013年12月13日 (金)

私的・センチメンタル浜ぶら

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浜町と書いて、「はまのまち」、地元では「はまンまち」といい、長崎市内では一番の繁華

街。


私、生まれは、遊郭があった丸山の隣町、油屋町。いわゆる、「色で育ったこの体」といい

たいのですが、借家住まいだったので、幼稚園の時、諏訪神社のそばに引っ越し。


小学校に入学の時、まだ畑ばかりだった、その真ん中に建った、浦上の県営アパートに引

っ越し。だんだんと、繁華街からは離れいくばかり。、


学校は東京で、就職をし、会社が銀座にあり、銀座のクラブで、夜の貴公子とまで呼ばれ

たのですが・・・・・


戻ってみれば、仕事で島原半島へ。そこで、結婚詐欺(注:カミサンにだまされて結婚の

事)に出会い、田舎住まい。浜町にはなかなか行く機会が無く、まして、歳取ると面倒くさく

て・・・・・


先日、書類を整理していたら、古い貯金通帳が出てきて、ひょっとしたら、亡くなったおじさ

んが、大金を振り込んでいないかと、浜町の銀行へ記帳に。結局は利子が付いて、1,06

7円でした。残念。


ついでに、久しぶりに、「浜ぶら」をしてみました。「浜ぶら」は「銀ぶら」と同じ意味です。

浜町をブラブラ歩いて見ると、変わっていますね。特に、ドラッグストアが増えたこと。商売

成り立つんですかね。


昔、長崎市内でデパートというと、浜屋と岡政。岡政は安政元年(1854)に長崎古町に創

業。あと、いろいろあって、1988年に「博多大丸・長崎店」になりましたが、2011年閉

店。跡地は、博多大丸が商業ビルを建てるという事らしいのですが・・・


横の所に、「1000マイル離れた長崎から1000人分の笑顔の笑顔の贈り物」「浜んまち」

は東北の未来を応援します」のパネル。上の写真が拡大したものです。

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石丸文行堂。昔、夏休みには「ラジオ体操」をしていましたが、全日出席した子どもは、ノ

ートを貰っていましたが、この、石丸文行堂の提供だと言うことを、どこかで聞いた覚えが

あります。

ドラッグストアになりました。名前は忘れましたが、大きな玩具屋さんだった覚えが・・・

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好文堂。長崎で、一番大きな本屋さんだったんですが、紀伊國屋さんあたりもできて・・・・・

好文堂の隣。確か「金文堂」と言う名前だったか、古本屋さんがあり、良く出入りしました。

ここで買った本を読んだら売って、そのお金で、また他の本を買って、中学、高校にはお

世話になりました。無くなっているのを見ると淋しい・・・・  。


赤い矢印の、「カメラのタケダ」。もっと大きなカメラ屋さんだったのですが、今や、写真の

プリントは自分でできるし、カメラは家電屋さんで売っているし、本当に小さくなりました。

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左の写真、まっすぐ行くと、浜屋デパートの裏口に行きます。いま、新館ができています

が、昔は空き地で、確か、街頭テレビが置いてあった記憶があります。プロレスを見た事

があったかな?


写真の左側に「BUN BUN」というジャズ喫茶店があり、何時間いても、なにも言われない

ので、あの頃はお金を持ってなかったので、一日中、暇つぶしに居ました。


右は、思案橋電停付近、ジャズ喫茶「マイルス」があった所かな?入れば普通の喫茶店。

中にもう一つ扉があって、そこがジャズコーナー。一般の人はあまり知ることが無く、学校

サボって、制服、制帽で、煙草を吸いながら受験勉強をしていました。スピーカーがJBL

の、でっかいやつで、すごい迫力でした。

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思案橋ラーメン。おやじさんが面白い人でした。ここの、おでんが好きで、京風でもなく、関

東風でもなく、汁を煮込んであって、良く食べに行きました。


工事中のところ「ステラビル」があったところ。一番上が映画館でした。以前は、「東宝富士

館」があって、「アラビアのロレンス」だったか、学校をサボって見に行きましたが、当時は

映画を見るのは父兄同伴。もちろん一人で見ましたが・・・・走っている車、フィアットの50

0かな?

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左の写真の所にも、映画館があった記憶が・・・「フランケンシュタイン」を見た覚えがある

のですが。たしか、このあたりに、前川清が入っていた、内山田洋とクール・ファイブが出

演していた、キャバレー「銀馬車」もこのあたりだったかな。入ったことがないので良く知り

ませんが。


右の写真、確か、一階がアトムレコード、二階が映画館。当時は、「町を歩けば映画館に

当たる」の時代でした。

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「マツヤ万年筆病院」。全国的に有名で、某作家の万年筆もここで調整しているとか。昔

は、高校の入学祝いには万年筆が定番だったのですが。ちょっと寄って、フィシャーのボ

ーペン「スペースシャトル」を買ってきました。


宇宙飛行士のために作られたボールペン。芯の中に、窒素ガスが封入され、その圧力

で、インクをペン先に供給するもので、無重力でも、寝っ転がって、ペンを上向きにしても

書ける便利なボールペンです。

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さて、浜ぶらをしながら考えると、町の名前に「浜」がついています。確かに海からは、そう

遠くは無いものの、調べると、青い線が17世紀まで海だったそうで、赤い所が「浜町」のア

ーケード街です。こうして見ると、今よりも、海に近いことが分かります。


「長崎県辞典~長崎文献社刊」によれば、「浜町」のところに、「海岸の町として賑わってい

た」、「浜に面した便利な町として濱町は発展し」等の文が見られます。

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    (「復元!江戸時代の長崎」~布袋厚著・長崎文献社刊)

明治中期の、浜町のアーケードの風景。橋が見えますが、後に、この水路は暗渠化され、

両側の道と合わさって、道となり、現在の観光通りになったそうです。

撮した場所は、多分最初の方に紹介した、大丸あたりでしょう。

Img_0005_2

      (「長崎古写真紀行」~柴多一雄著・長崎文献社刊)

東浜町を油屋町の方に向かって撮しているそうですが、一番高い山、どなたかご存じあり

ませんか?


久しぶりに、「浜ぶら」したら、変わっていく様子に、何となくセンチメンタルになり、「センチ

メンタル・ジャーニ」ならぬ、私的な「センチメンタル浜ぶら」になりました。





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