2013 「第3回島原半島伝承芸能まつり」~島原市・雲仙市・南島原市
以前、この「三市合同 島原半島伝承芸能まつり」に触れたことがありますが、今回が3回
目。島原半島1市16町だったのが、町村合併で三市に。それを機会に生まれたイベント
です。
三市回り持ちで、三市に残る伝承芸能が披露されます。歳取ると、J-POPより、こちらに
引かれる気持ちが強くなって・・・・
上の写真は、少し前紹介した、千々石町の「温泉神社秋季例大祭」で、北船津名が奉納
する、「トントンレッツン」。
島原こども狂言。オリジナルの「釣ろうよ」。島原の薪能でも出演して活躍しています。子ど
もたちが、背にタコ、フグ、タイを背負ってユーモアを誘います。
和道・深江太鼓。さすが、腹にしみ通る音。
西有家長尾崎自治会の「浦安の舞」、通称「神楽舞」とよび、天満神社秋の例大祭でで奉
納されているそうです。
北有馬町浮流、島原の乱後、住民がほとんど滅亡したため、佐賀県川副から、北有馬折
木地区に移住した、宮田利兵衛から伝えられとされる面浮流が改良され、6地区に代々
受け継がれているそうです。衣装もこれだけ揃えば、見事なもの。
瑞穂町尾崎自治会の「栗林荒踊り」。150年ほど前から伝えられているそうで、運動会、
八幡神社で八年に1度奉納されるそうです。
南有馬町の白木野少年先踊り、島原の乱で、荒廃した田畑の復興を祝って踊ったのが始
まりだそうです。350年以上踊り継がれているそうです。
加津佐町の「棒踊り」。棒を、お互い打ちつけて踊りますが、間違うと、痛い目に・・・・気合
いが入って、見ごたえがありました。
日露戦争の凱旋祝いとして明治38年より伝承されているそうです。棒踊りの発祥は鹿児
島で、明治に各地に流布していったそうです。千々石にも、伝わっています。
島原と言えば、「島原の子守歌」。島原の民謡会「島原うがわ会」による、歌と踊り。
深江町文化協会による、「釜蓋かぶせ」。昔は、結婚式場なんかなく、個人の家でやってい
ました。「嫁御どーい、嫁御どーい」の声で、一同歩いて婚家へ向かいますが、家の入り口
の敷居をまたぐとき、釜の蓋とか、写真のような、しょうけを頭にかぶせ、「ちょいとお待ち
よ、嫁御どん・・・・・・・・・・」と、嫁としての心構えを語ります。これ以前書いたな?詳しくは
「釜蓋かぶせ」をご覧下さい。
真面目なのもあり、少しHなのも有り、今日は後者で会場の笑いを誘っていました。これ、
後継者が、なかなかいないんですよね。
私の結婚式も、やってもらいましたが、あの頃のカミサンが、今のカミサンになるなんて。
古人曰く「女は豹変する」。
島原面浮流。佐賀県の龍造寺公を祭っている、二本木神社(島原市北門)に奉納されて
いたもので、佐賀県竜王崎方面の御祭礼に奉納されていたものを基にしているそうです。
島原七万石を踊る会(三市合同)。「七万石」は、島原に京都福知山より松平忠房公を迎
え、大分豊後高田三万石を合わせて(アバウト)七万石の島原藩が誕生したものに由来。
有家町、相撲甚句。昔は相撲が盛んで、神社などに行ってみると、土俵の跡が残っている
ところもあり。有家では過去二回、地方巡業で、千代の山、若乃花(先代)の一行を迎え、
有家場所と銘うって興業相撲をおこなったそうですが、その頃の節で、有家町の名所、名
物などを織り込んでの甚句、甚句はあまり聞いたことがなかったのですが、なかなか面白
いものでした。
最後に、布津無双太鼓。郷土芸能の高揚と、町の活性化を目的に、昭和61年に、青年
団5名で発足、ご覧の通り、大きく育っています。
伝承芸能は、大人から子どもへ、伝えられていくものですが、今や少子化。子どもは、ゲー
ムに、サッカー、野球。大きくなると、県外へ。
今回、見に行って、子どもたちの参加が、意外と多いことは嬉しい事でした。いつまでも残
していって、欲しいものばかりでした。 (参考・文引用:パンフレット説明より)
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