日吉(ひえ)神社★山王(さんのん)さん~雲仙市愛野町
雲仙鉄道の事をずっと書いていますが、ここらあたり、いつもウロウロするのですが、山王
さんの事を書いてなかったので、今日はそのことを。
日吉(ひえ)神社、郷土誌には、山王神社となっていますが、鳥居には「日吉」となっていま
す。地元では、「サンノンさん」の名前で親しまれています。
ご覧のとおり、巨石に囲まれた所に、祠が2つと、左側、石の柵の外にもう一つあります。
こちらは、何かの本で読んだ事があるのですが・・・・呆けてしもうた・・・・
階段下の灯籠には、享保二年丁酉五月の文字。享保と言えば、ご存じ享保の改革が、あ
ったとき。もっとも、後世に寄進する事がありますから、どうでしょう。
この、小高い山の中腹にあります。現在、山王自然公園として、道路が設けられ、頂上に
は小公園、展望台が設けられています。
ここに、行くには、三通りの道があり、左側の写真の方が古い参道でしょう。
この前の道が島原街道で、左の写真の左の小屋の中は、水が湧いており(現在はあまり
きれいな水ではありませんが)島原藩の松平公が参勤交代の折、必ずこの神社に参拝さ
れたそうですが、その時の休息所だそうです。
残念ながら、この参道には、途中イノシシ除けの柵がしてあり、通れません。鳥居の柱は
二段継ぎ、笠木、鳥木は三段継ぎです。
右側の写真、駐車場の所の階段を登りますが、まあ、見ただけでゲンナリ。
もう一つの、道は、頂上の公園まで車道が通っており、その途中から神社まで行けるよう
にしてあります。車で中までは入れませんが、道脇に車を停め、徒歩3分程度。
こちらは、拝殿になりますが、中には何もありません。ただ、大人向けのコミック雑誌が一
冊。なんでしょう?
岩に囲まれたところに、二つの石祠。左には箱に入った、御神体。箱が少し外れていたの
で、覗いたら、「大山咋神(おおやまくいのかみ)」と書かれた札。ここの、「祭神」になりま
す。
スサノオの子、大年神(おおとしのかみ)と、天地釈流美豆比売(あめのちかるみづひめ)
との間の子です。大山作神の別名は山王だそうです。
比叡山の山の神で日吉大社・松尾大社の祭神。松尾大社といえば、お酒の神様ですが、
隣町の森山町の金比羅神社の入り口の所にも、松尾神社が建立されており、酒造の関係
者が作った神社だと言われています。
ここのところ、古事記、日本書紀など、とにかく分かりにくく、あちらこちらを読みながら書
いていますが、神話に現れる神様の関係は、芸能界に於ける相関図より複雑で、本当に
難しいですね。
さて、右側の石祠の中
この神社は、明治時代、天神様と左様姫が合祀されたと言いますから、その関係?
郷土誌には、「サンノンさんは山の監督、山の主と考えられている神様で、猿を使いとし、
・・・・・」と書いてありますから、良く見れば、後の石造物(石仏)は、お猿さんなのかかな?
島原半島は修験道の修行の場として有名で、大きな岩があるところ、山岳信仰の場として
考えられますから、ここも多分そうだと考えられます。
さて、車で山頂まで行かれますが、道が一車線のため、離合車が来るときは、ご注意を。
駐車場は5~6台停められます。
左から、吾妻岳、九千部、間のくぼみが田代原。右にかすかに見えるのが、国見岳~妙
見岳になります。
ただ、例によってイノシシが荒らした跡があり、まあ、イノシシは夜間性の動物ですから、
昼間は大丈夫でしょう。保証はしませんが・・・・
(参考・引用:「愛野町郷土誌・改定増補版「島原半島の神社を訪ねて~林田秀晴著」)
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