正岡子規の句★平山郁夫の絵~美をもとめて
今日は難しいタイトルをつけ、芸術の秋でもあるし、いつもと違う文体で・・・・
桃栗三年、柿八年とは良く言ったものだ。我が家の庭に柿を植えて十数年。昨年までは、
虫に喰われ、風に落ち、今の時期は4,5個しか残らないのだが、どういうわけか、今年
は、食べ切れないように生って、知人に配る始末。八年以上かかったのは、主人である私
の奥手が影響したものか。
柿が好きな人間といえば、正岡子規の名前が浮かぶ。「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」。
この句のどこが良いか?俳人 長谷川櫂が「国民的俳句百選」で、第1位を「古池や蛙飛
びこむ水のおと」、第2位に「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」をあげている。
これについて、長谷川氏は「・・まずこの句が日本の風景そのままであること。柿、法隆
寺、鐘の音。これ聞いただけで、奈良斑鳩の田園風景や法隆寺参道の松並木や五重塔
が心に浮かぶ。法隆寺に行ったことがなくても行ったような気がしてくる。・・・・・」
さて、この柿を見ていると、数十年前、この鐘の音が法隆寺ではなく、東大寺の鐘の音だ
という説を何かの本で読んだことが・・・・・・どうにも何の本だか思い出せず、本棚をあせっ
てみても分からず、「昔神童、今ボケ爺」とは古人はよく言ったものだ。
ということで、インターネットで調べると、出るわ出るわ。この話は、昔は研究家しか知らな
かったのだが・・・・
これには、「くだもの」という随筆が根拠になっており、子規が明治二八年八月二十五日に
松山へ戻り、当時の松山中学校に赴任していた親友の夏目漱石の所に仮寓。その後、東
京へ帰る途中大阪、奈良等で遊ぶ。
この時、奈良での出来事を、「くだもの」という随筆に書き、(岩波文庫「飯待つあいだ」に
収録)旅館に泊まったとき、御所柿が食えないかと聞くと、あるという返事。
「さっそく沢山持って来いと命じた。やがて下女は直径一尺五寸もありそうな錦手の大丼鉢
に山の如く柿を盛ってきた。さすが柿好きの余も驚いた。・・・・・・柿も旨い、場所もいい、
余はうっとりとしているとボーンという釣鐘の音が一つ聞こえた。彼女はオヤ初夜が鳴ると
いうてなお柿をむきつづけている。余にはこの初夜というのが非常に珍しく面白かったの
ある。あれはどこの鐘かときくと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるという。東大寺
がこの頭の上にあるかと尋ねると、すぐ其処ですという。余が不思議そうにしていたので、
女は部屋の外の板間に出て、其処の中障子を開けて見せた。なるほど東大寺は自分の
頭の上に当たってある位である。・・・・・」(インターネット・「青空文庫」より)
「初夜」という言葉。あなたと奥様の初夜の事ではありません。辞書を引くと、「戌の刻。今
の午後七時ごろから午後九時頃まで。・・・・」。後はあなたがよくご存じの事が書いてあり
ます。(学研現代新国語辞典。金田一春彦編)
ここで、皆さんが見落としているのが、東大寺の鐘のこと。この鐘は、「日本の三名鐘」とい
われ、奈良県立図書情報によると、751年に鋳造と伝えられ、重さ26.364トン、直径
2.708m、高さは3.853m、音は長く響き「奈良太郎」と呼ばれているという。もちろん国
宝。
この事を考えると、この鐘の音は子規の耳と心の中に残っているはず。
もちろん、子規は法隆寺にも出かけている。
この俳句には、まえがきがあり
法隆寺の茶屋に憩ひて
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
垣ごしに渋柿垂るる隣かな
上の写真は、大正13年から昭和2年にかけて、「アルス」という出版社から「子規全集」と
して出版されたもの。(第四巻 寒山落木 明治28年 秋の部から)。
余談になるが、この他の随筆等は活字であるが、俳句だけは、子規が書いたものをその
まま印刷したらしく、訂正された部分見ることができる。
この全集、全巻に子規が書いた自筆の俳句等が色紙で(もちろん印刷)、一枚づつ付いて
おり、書簡集は
最後に「常規」となっているが、これが子規の本名。叔父宛の書簡も付いているという貴
重な本。
閑話休題、この句、「法隆寺の茶店で憩ひて」だから、本当に法隆寺で鐘の音を聞いたの
かも知れないが、もし法隆寺の鐘の音を聞いたとしても、その音の中には、前に聞いた東
大寺の鐘の音が混じっていたであろう。それでも、写生を主張した子規が「鐘が鳴るなり
東大寺」としなかった子規の句に対する考えは?
なお、「病牀六尺」中で、碧梧桐のこの句の評に対し、「『柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺』
と何故いはれなかつたであろうと書いてある。これは尤もの説である。しかしかうなるとや
や句法が弱くなるかと思ふ。」と書いている。さて、
柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
柿食へば鐘が鳴るなり東大寺
柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺
あなたはどれが良いと思いますか。
なお、NHKの「歴史ヒストリア」(2009年12月3日)でもこの話の放送があったとの事。
さて、話は平山郁夫画伯に移る。これは、私の記憶に残っているだけなので、多少怪し
いところもあるが、あまりに印象的であったので・・・
数十年前、福岡のデパートで、平山郁夫展があり、見に行ったところ、その中で、屏風絵
が展示してあり、屏風絵の一番右に普通のデッサン帳があり、夜のモスク(イスラム教の
礼拝堂)が書いてあり、空にはお月様。
その、デッサン帳の左側に、屏風があり、デッサン帳の絵で下絵のみだが、にいろんな線
が精密に書いてあり、全く設計図を思わせるもの。
その、左に色彩を塗った完成の屏風が置いてあり、絵を描いていく過程が分かるもの。多
分、芸大の教授であったので、学生に教える為に、教材として、デッサン、下絵、完成品と
見本にしているのかなと思いながら見てていたら、何か違和感が。
しばし、見ていると。あ~。デッサンと下絵では、モスクの上の月が空の右に、完成品では
月が左に。
デッサン帳では月は右だから、実際には右にあったのだろうが、画伯は月を右から左に
移している!
子規は東大寺を法隆寺にし、平山画伯は月を右から左に。芸術はつまるところ「美」を追
求していく事と考えると、この二人の事を思い出しながら、芸術の秋の一日を楽しく過ごし
たのであった。
柿もいで子規の俳句を想いたり sugikan おそまつさま m(_ _)m
(参考:「子規全集~発行所アルス 大正13年~昭和2年にかけて発行」「国民的俳句百
選~長谷川櫂著」「青空文庫・インターネットより」「日本の詩歌~中公文庫」 他インター
ネットを利用)
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