天満神社秋祭★神迎えの神事~雲仙市千々石町
千々石天満神社については、以前書、釜蓋城の所で書いたので、詳しくは省略します
が・・・・・→こちらをクリック
天正5年佐賀の龍造寺隆信に釜蓋城(この神社があるところです)が攻め落とされ、自刃
した城主の千々石大和大和守直員が切腹するとき、この国の世の平和を希求し、天満宮
菅原道真公をこの地に祀ることを遺命し25歳の生涯を終えたそうです。
時代は、それどころではなく、これより半世紀後の寬永二十年に島原藩主・高力忠房が、
この天満神社を創建されたそうです。直員と、一緒に戦った家老町田兵七郎、木戸萬九
郎が合祀されています。
なお、高力忠房は、将軍家綱から「島原は治難の所であるからお前の人柄を見込んで人
選した」と激励されたそうです(みなみくしやま~南串山町誌)。
そこで、まず人心を安定策をたて、綱紀を粛正すると共に、キリシタンによって破壊され
た、神社仏閣の復興にも力を注いでいます。(南有馬町郷土誌)
たしか、島原半島内に天満宮を、数カ所だったか、忠房氏が建立したという記録を見たこ
とがあるのですが、いつものボケで、資料を思い出せません。
さて、旧暦10月は神無月。各神社の神々が出雲神社へ集合し、どんちゃん騒ぎ、ではな
く、真面目に会議。
20日にお帰りになられると言うことで、秋祭り(神迎えの神事)。最初に、祝詞奏上、お祓
い、参加者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)。
この奥に本殿があり、3体の武者姿の木彫りの御神体が祭られていました。真ん中が、祭
神の菅原道眞公。言わずと知れた、学問の神様。受験の時、お参りされたことがあると思
います。私もお参りしたのですが、見事落第。
左右の御神体は、神社の神様で、狛犬に相当するものだと言うことでした。
長崎県の神社庁のホームページで見ると、千々石町では、橘神社が県社、温泉神社と天
満神社が村社、その他が無格社。社格については、説明するのが面倒くさいので、それぞ
れ自習して下さい。ネットで「社格」で検索すると分かります。
神事の後は、神様が戻られるまで、御神酒をいただきながら、雑談。
いろりが良いですね。みんなで囲んで、「神さんは今頃どこじゃろ。」「諫早のキャバクラで
遊んどっとじゃない」。御神酒をいただくのは、コップではなくちゃんとした、神事用の盃。
前住んでいたところでも参加した事がありましたが、12時頃になると、外の立旗が突如バ
タバタと鳴り、「あ、神様が帰ってこらした」。
話を聞くと、毎年、どんな無風状態の時でも、神送り、神迎えの時は12時頃になると、旗
が鳴るそうです。という話をしていると、神主さんが、はやり他の所でも、同じ事が起こるこ
とがあるとか。神様は、本当にいるんですネ。
神主さんが、太鼓を叩くところがありますが
山の中の深閑とした夜、太鼓の音が森の中に響き、太鼓のコンサートは何回となく行った
ことがありますが、素朴な音ながら、一番感動した太鼓の響きでした。
(参考・資料:「千々石町天満宮由緒記」・作成 太宰府天満宮 味酒(うまさけ)安則氏~
提供・杉武侯氏:「千々石町郷土誌」「みなみくしやま~南串山町誌」等)
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