日野江城発掘調査★良く見て歩くこと~南島原市北有馬町
日野江城、二の丸跡です。
以前、日野江城については、何度か取り上げ、特に「階段遺構」、「有馬晴信」について
も、書いた所ですが、世界遺産の指定に向けて、再び発掘調査が始まりました。
数カ所に渡って、発掘をしているようですが、私が行ったときは、二の丸あたりを発掘中。
二の丸あたりの、石垣あたりを掘った所を見ると、
かなり深くまで、栗石が入っていることが分かると思います。
日野江城の城壁は乱積みで、大体このようになっています。このような城壁の後ろですか
ら、栗石にしては、あまり深く、広いのが分かると思います。ほかの遺構なのか?
ただ、松倉重政が、しばらくこの日野江城に入城しますが、その後、島原城を築城し、そ
の折、日野江城、原城の石垣を運んで、利用したということですから、本来どのような城だ
ったのか、構造、変遷、終焉については不明な所が多く、今度の調査でどれくらい解明さ
れるか、期待がもてるところです。
さて、いろいろブログを見ると、日野江城に行ったけれど、何にも無かった、という事が良く
書かれますが、前に調査した時の、石があちらこちら積んであります。良く見てください。
五輪の塔碑、宝篋印塔等に使われたものが、あちらこちらに見うけられます。
梵語がはっきり読み取れるものもあり、(梵語読めないので、どちらが上か分かりません)
いたずら書きか?本来のものか?風化してよく分かりませんが、卍のような感じもするし。
この石には、上に丸が一つ、上は、多分梵語でしょう。下の方に、丸が二つその中に、文
字が刻まれています。墓石か?
上部の文字
下部、左側。何となく「四」という字・・・
下部右側。ほとんど風化して、読めません。拓本を取ると、読めるような感じなのですが。
原城に隠れて、日の目を、なかなか浴びない、日野江城ですが、説明版によれば、次のよ
うに書かれています。「完成したばかりの屋敷に案内されたときの様子がイエスズ会年報
で次のように報告されている。『大小の部屋はすべての黄金の品や典雅で華麗な絵画で
飾られていた。この屋敷は、有馬殿の手で建てられ見事なできばえとなった城郭の中にあ
る』」。金箔瓦も発見されていますから、かなりの城だったのでしょう。
調査の説明会が多分あると思いますが、楽しみです。なお、発掘調査は、11月頃まであ
るということですが、見学は邪魔にならないように。
行かれたら、良く見て歩いて下さい。思わぬものがあるかも・・・・・
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