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2013年10月24日 (木)

久しぶりの「う・な・ぎ」~諫早市

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お~、久しぶりの「う・な・ぎ」ですね。家でも、時々はでますが、ほんの二切ればかり、おま

けに、私、タレをジャブジャブかけて、お茶漬けみたいにして食べるのが、好きなんです

が、塩気があるということで、ほんの少ししか、かけてくれません。


今日は、カミサンが、ぬりえ絵教室、自称、油絵教室に行って一日留守。こちらも、諫早へ

少し買い物へ。時間を見たら、ちょうどお昼。弁当を買っていっても遅くなるし・・・・・


最近、夏の疲れが、今頃出て来たのか、パワーをつけようと、うなぎ屋へ。今年のニュース

ではウナギが激減し、値段も上がっているとか。


思えば、数十年前まで千々石でも、千々石川の河口で、カンテラをつけて、うなぎの稚魚

を取っていたのですが、今や、あの風景は見られません。私の義兄弟も小さいときは、川

でうなぎを取っていたそうです。本物の天然うなぎです。


長崎といえばチャンポン。同じように諫早と言えば「うなぎ」。うなぎ専門の店が何軒もあり

ますが、老舗の「福田屋」さんへ。


諫早のアーケード街ですが、郊外の大型店舗にお客を取られて、だんだんさびれて来てい

ます。このビルの間に、いまだに昔の姿で頑張っています。

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左の写真は、昔の福田屋です。暖簾には「文久3年」の文字。今年で150年の歴史をもち

ます。電話「百一番」というのが泣かせますね。携帯しか知らない若い方には、昔の電話

の事は分からないでしょうが、交換手に番号を言って、向こうに繋いでもらっていたもので

した。

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初代、福田小一は、森山村(現諫早市森山町)で百姓をしていたそうですが、どういうわけ

か、諫早へ来て、うなぎ屋と魚屋をしたそうです。


昭和36年、時の昭和天皇が長崎に来られたとき、雲仙の宿所で召し上がれられたそう

で、この時、膳を下げた女将が、「ひと汁ものこっとらんばい」と言ったそうです。


昭和51年、時の皇太子殿下ご夫妻が来られたときも、ここのうなぎを召し上がっておられ

ます。


店の中は、少し新しくなった所もありますが、基本的には、数十年前初めて来たときと一

緒。

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うなぎ料理にはいろいろありますが、この店はいわゆる蒲焼きです。継承者に、割三、刺

し五、焼き一生と教えているそうです。


うなぎ定食には、特上うなぎ定食(うなぎ六切)、上うなぎ定食(うなぎ六切)、うなぎ定食(う

なぎ四切)、三切れうなぎ定食とありますが、値段を見て、気の弱い私、一番安い、「三切

れうなぎ」を注文しました。この気の弱さで、人生どれだけ損をしてきたことか・・・・(ρ_;)

気が強かったら今のカミサンとは・・・・

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右側のお椀は、肝吸いです。別料金ではありません。うなぎの器は、楽焼きで下が二重に

なっており、お湯を入れ蒸すので、身が柔らかくなり、いつまでも暖かく食べられます。諫

早のうなぎ料理の特徴です。


普通に焼いただけのものとは、食感が違います。どちらが良いかは、人それぞれでしょう。

肝が入ったお吸い物。うなぎの器を割ったものです。

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さて、本当は2人分持ち帰って、夕食にカミサンと仲良く食べようと思っていたのです

が・・・・思っただけです。何年ぶりか、タレをジャブジャブかけて食べたら、おいしかった。

(古写真:「写真集 明治・大正・昭和 諫早」より)








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