島原城(森岳城)跡石垣復旧工事に伴う発掘調査 現地説明会
昨年、島原城の石垣が崩れ、現在復旧中ですが、それに伴い、発掘調査で、石垣の背後
に自然石を並べた「石列状遺構」が発見されたそうです。石垣の奥5m、堀底からの高さ6
m、南北に9.5m。写真の赤で四角で囲んだところ。
長崎新聞によると、城郭史・土木工事に詳しい石川県金沢城調査研究所の北垣氏によれ
ば、似たような設備は15世紀後半の京都の寺院などにあるが、こうした伝統的技術を城
に用いた最初の検出例だと言うことだそうです。
説明資料です。正面図ですが、空白の所が、崩落したところ。崩落したところの左右の石
垣にも、膨らみが見られ、赤の矢印の部分に赤い線が見れると思いますが、この部分ま
で石垣を外し、組み直すそうです。
横断図になります。赤の四角で囲んだところが、発見されたところです。
(両図とも、当日の説明資料による。~島原市教育委員会)
石の下は、固くしまった層(硬化面)で、水を通さないようにしてあるそうです。雨の日に担
当者が見に行ったところ、この部分から水が流れ落ちていたそうです。
地表からの水をくいとめ、水を石垣の外へ排出するためのものだと思われるそうです。多
分、外の所にもあるのでは?
この、部分の1m程下、中世の遺物(輸入磁器など、景徳鎮?)、中国産の15,6世紀の
陶磁器が多く見つかり、多分、ここらに、かなりの豪族がいたことが考えられます。
なお、城の周りには犬走りがありますが、崩落した所を掘ったところ、犬走りのある、地表
下2mばかり石垣があったそうですから、目で見る石垣より、2mばかり高い石垣だと言
えるでしょう。その下に、基礎にした木材等があるらしいのですが、危険性があるので、そ
こまでは掘らなかったそうです。
石垣の裏は、あまり見ることができないので・・・
大きな石が石垣、後に栗石が詰められているのが分かるともいます。
出土品。瓦ですが、表土近くで見つかったため、時代的には新しいものだそうですが、瓦
に付けられた印は何でしょう、壺形に「吉」という文字。
先ほど書いた、中世遺物(輸入陶器)と、栗石の中から発見された、五輪の塔。空輪あた
りかな?
施行は地元の業者さんですが、城の石垣は素人では組めないということで、各地で城郭
等の工事をした、大村市の石工さんが責任者。
石工さんが、楔を打ち込む穴を掘りますが、石屑がたまるためか、火吹き竹の様な物で、
フー。
このあと、見学者の石割実習がありましたが、楔をしばらく叩くと、簡単に割れました。これ
子どもが割りました。
おばちゃま方も挑戦をしましたが、5分もしないうちに、ご覧の通り。
さて、この工事、来年の3月までに完成させるそうですが、とにかく大変な作業でしょう。
工事場現場には立ち入れませんが、お堀の道からはよく見えます。工事が完成しない間
に、一度は是非ご覧下さい。
忘れました、石垣には刻印等がしてあるそうですが、島原城でもはっきりしたものは見つ
かっていないそうですが・・・・
多分、墨書きでしょうが、古文書の専門家によると、「封」と書いてあるそうです。島原城の
石垣は何回か崩れたことがあるそうで、、これを「封」じるためではないかとの意見もあり
ました。はっきりは分かりません。
(参考・引用:当日説明資料・長崎新聞)
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