宇都(うず)墓地の雪山の碑~諫早市
この話は、諫早の歴史関係の本を読んでも、あまり書かれてなく、「諫早を歩く~山口八郎
著」に載っており、現場に行くと、諫早市教育委員会の説明版があったので、合わせてご紹
介を。
宇都墓地の階段を少し登って行くと、左手に小さな広場があります。ここは、諫江(かんこ
う)八十八カ所の第一番札所でもあります。
二つのお堂の間に、碑が建っています。これが、「雪山の碑」です。
碑正面には、「雪山和尚品位」と書かれています。向かって左手には、雪山に関する碑文
が彫られています。
分かりにくいと思いますが、最初の行。「當(?)有天祐寺安吾僧雪山有」から始まります。
「天祐寺」は、いつか紹介したように、諫早家の墓所。「安吾僧」は、個々に修行していた僧
侶が、一定期間、一カ所に集まって、修行する事ですから、雪山は天祐寺の僧ではなく、
天祐寺での修行僧ということになります。
さて、この雪山が、まさにイケメン。雪山見たさに、若い女性が、参拝に押しかけた言うこと
です。
某日、領主の側室が、領主に変わり、参詣に行った折、雪山を見て一目惚れ。色々手を打
ちますが、雪山はシカト。側室の恋心はいつしか憎しみに。領主に、「雪山が私に狼藉をは
たらいた」、と嘘を。もちろん、領主は雪山に打ち首を命じます。
刑場に据えられた雪山は、「私は無罪だ、御仏よ、私の潔白を示すため、私の赤い血を、
白く変え、ここに逆さまに挿す、松の小枝を、根付かせたまえ」と言い、打ち首になりま
す。
雪山の血は白く、松の枝にふりかかり、その後、松は大樹となり、人々は雪山の無罪を証
明するものとして、「雪山の逆さ松」と言い、大事に育てたそうです。碑文に「果白血滴滴」と
言う,文字も見えました。
残念ながら、この松は、大正二年に枯死したそうですが、この松に変わるものとして、、追
善供養塔を建て、碑文を諫早家に依頼したそうです。碑文の最後には、「大正二年二月
諫早家」と刻んでありました。
場所が少し分かりにくく、宇都町の交差点付近。「魚荘」、「ホテルグランドパレス諫早」の
向かい側に、階段があります。しばらく登って、右の写真の木立のなかですから、私みたい
に見落として、上の方までいかないように。
まあ、お互いに、イケメンに生まれなかったことを、幸いとしましょう。
(参考・文引用:「諫早を歩く~山口八郎著」・現場の説明版より)
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