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2013年10月

2013年10月31日 (木)

一行詩・父よ母よ~吉村英夫(撰著)

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本箱を整理していたら、出て来た本です。高校生が国語の授業で作った一行詩。TVで紹 

介され、出版された本で、1994年7月25日に初版、この本は9月22日出版の15刷です

から、随分売れた本です。


1994年というと、平成6年。この年に生まれた子どもは、来年成人式を迎えます。この

間、子どもを取り巻く環境も随分変わりましたが、子どもの心はどうなのか。


今、シルバー川柳、遺言川柳など流行っていますが、その先がけともいえる本でしょう。中

学生、高校生の子どもは、扱いにくいところがありますが、この本の子どもたちは、意外

と家のことを考えているところがあります。あれから19年。今の、子どもと比べて見てくだ

さい。


一番変わったのは、子どもの生活に、携帯電話が入ったこと。こんな風景は見られませ

ん。

★父よ母よ!15分の電話は長電話とは言わんよ。

★母よ!私が電話しているときに、/横に来て、真似をするのをやめてください。

★お母さん!男の子から電話がかかってきたぐらいで、大騒ぎせんといて。

  クラブの用事やんか。

★私は、父と母がいたら、何も望みません。だけど、電話とテレビとステレオとクーラーを

 部屋につけてください。ああ、ついでにビデオも・・・・(今では当たり前になりましたが)


テレビも、一人に一台の時代になりました。

★母よ!いやらしい場面で、テレビのチャンネル、変えるな。


良く見てますね。

★父よ母よ!私の小さいころの貯金を、家のローンに使いましたね。


倍返しって、この頃にあったんですね。

★父よ母よ!私の貯金から十万円なくなっているのに気づき、「私のお金どうしたの?」と

 尋ねたら、「後で倍にして返してあげるから」と言って、はや七年。早く倍にして返すよう

 に。


歳取ったら、段々だらしなくなって・・・・

★父よ!最近、センスが落ちてきた。/ただの田舎のおじさんになりたくないと言っていた

 のに。

★お父さん!昔はギャグもさえたけど、年をとるとギャグもつまんなくなるんやなぁ。


女の子は難しいもので

★父よ!胸が小さいとずばり言わないで。

★母よ!見えないからといって、/そんなハデな下着を着けないでください。

★TVでキスシーンを見て、「こんなことしたことあんの?」と母。/TVでキスシーンを見て、

 「お前こんなことしたらあかんぞ」と父。/私はドキッの連続。

★母よ!私が下痢で苦しんでいるのに、「そうか、ピチピチか、ピチピチチャプチャプ、ラン

 ランラン」と言ってふざけないで。


こんな家もあるんですね。お宅もですか、スイマセン。

★母よ!お風呂までパジャマを持ってってください。/もう見たくありません、あなたの三段

 腹を。

★父よ母よ!そのトシになって二人で風呂にはいるのはやめて。/そしてその後、そのま

 まあるくのはやめて。


今は、逆になりました

★父よ!もっと家にいて。母よ!もっと外出して。


すごいお母さんもいるもんで

★母ちゃん!俺が「くっさい寄るな」と言ったとき、「くっさいてあんた、母さんのどこから生 

 まれてきたのか知っってんの」と言い返すのやめてくれ。


すごくない父もいるもんで

★父よ!私や弟の後に並んで、お小遣い貰うのやめて。

★お父さん!もっと派手に。お母さん!もっと地味に。


私のことです

★お父さん、やめておくれよ!健康法だといってノーパンで寝て熱を出すのは。


まだまだあるんですが、キリがないのでシンミリしたのを

★お父さん!僕が腕相撲でかってしまったとき、なんか淋しかった。

★お母さん!小さいころよく叩かれた覚えのあるあの手、/あんなに小さかったかなぁ。

★母よ!お弁当まいにちありがとう。冷たいけど、あったかい。

★私はお母さんに言いたい。「いい人と結婚したな、ちょっとスケベやけど」、

★父よ母よ!いつまでもお風呂にいっしょに入る仲でいてください。/いまどき夫婦でお風

 呂に入るって希少価値やに。(さっきの家とは逆ですが、こんな子どももいるんですね。)

★父よ!いつも冷たくしてごめんなさい。でも私はあなたの優しさを充分わかっています。


この本、Amazonあたりで、まだ手に入るようですから、思春期の子どもさんをお持ちの方

は、是非お読みください。

確か、続編で、「息子よ娘よ」というのが出版されたのですが、本箱から見つかったら、ま

た、ご紹介を。








2013年10月30日 (水)

秋永代経法座~思わぬ話★「ひとつの言葉で・・・・・」

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故あって、お寺を長崎から、地元に移したのですが、父が亡くなるまでは、全部任せてお

いたので、お寺のことは、全然分からず。


春に、永代経法座があり、初めてのこととて、出かけてみたら、みんなで読経して、その

後、正式名称は何というのか知りませんが、布教師?説教師?、要するに講師が出てき

て、お話し。


やれやれ、2時間もの話かと思っていたら、意外に面白く、笑わせたり、泣かせたり、その

中に、仏の教えを取り入れるといった事で、あっという間の2時間。お経は素人では、なに

がなにか分かりませんが、こういう風に話をされるとよく分かります。


まさに、井上ひさし言うところの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいこ

とをおもしろく(バリエーションがいろいろありますが)」でしょう。


先日、秋永代経法座の案内が来ていたので、また出かけて見ました。

今回の講師は、熊本県から来ておられましたが、TVで「浪花節 説教師」ということで出演

されたことがあるとか。会う人、会う人に、「TV見た。」、「見た。」、「見た。」と言われたそう

ですが、「俺は家政婦か!(テレビドラマの「家政婦のミタ」の洒落)と言ったそうです。


話は、相変わらず上手で、お経、仏の教えが分かりました。時々節を付けながら、話をし

ていくのですが、この節回しが、まったくの浪花節。うまいこと。


「辻説法」という言葉があります。いまは、選挙中に道端に立って、自分の考えを訴えるこ

とを言いますが、本来は、往来で、通りがかりの人に対する布教活動で、これくらいの、話

術、声量なければ、通行人は、立ち止まって聞いてはくれないでしょう。


今、雲仙市は選挙中ですが、相も変わらず、車か徒歩で、名前を連呼するばかり。これく

らいの辻説法ができる候補者がいれば、すぐに一票入れるのでが・・・・


さて、この話の途中に、皆さんご存じの「ひとつの言葉で けんかして ひとつの言葉で な

かなおり・・・」という言葉。これを作ったのが、谷川俊太郎とか北原白秋が作ったとか、

種々の説があり、詠み人知らずの状態ですが、この話の事が出て、以下、メモを取りなが

らだったので、多少違うところがあると思いますが・・・・思わぬ話でした。


ある集まりに、講師が出席したところ、某上人から

「一つの言葉で けんかして 一つの言葉で 仲直り と言う言葉は知っとるか?」と聞か

れ、

「はい大好きな言葉です」と答えると

「誰が詠んだか知っとるか?」

「知りません、詠み人しらず・・・・」

「バカモン、○○○○が作ったったい」

「○○○○は死んどりますばい」

「下宿で死んどった、俺は一番に行ったんだ、あれは事実ぞ、自殺だよ。人間の言葉のも

つれで、感情をもつれさせ、最後には、彼は自分で死んだんだ・・・この詩(うた)を軽々しく

使ってくれるなよ。」・・・・・「○○○○が命がけで訴えて、日記に書いていったぞ」と言われ

ビックリしたそうです。講師は、「言葉は人を生かしもするが、殺めもする」と、言っておられ

ました。


今、この言葉に、いろいろ付け加えている方がいるようですが、本来の言葉を大事にした

いものです。この日、紹介された言葉で書きます。


ひとつの言葉でけんかして

ひとつの言葉で仲直り

ひとつの言葉におじぎして

ひとつの言葉に泣かされた

ひとつの言葉はそれぞれに

ひとつの心をもっている




2013年10月29日 (火)

ちゃポリタン食べました 其の2 ~ナポリタンスタジアム出場へ

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「ちゃポリタン」については、以前書いたところですが→「ちゃポリタン食べました

あの時は、某コンビニで期間限定で発売したもの。


スパゲティの麺の代わりに、長崎名物チャンポンの麺を使い、具を長崎の、かまぼこ等を

入れケチャップで味付けをし、ナポリタン風に仕上したものでした。


ところが、今日の新聞

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要するに、横浜で開催される、「ナポリタンスタジアム」に、リンガーハットの県内限定「ちゃ

ポリタン」が出場するということ。出場は、全国と中国・上海から16のナポリタンが出場す

るとの様子。


これ読んで、え~、リンガーハットのメニューに「ちゃポリタン」があったかな?新メニューだ

と、あのお店なら、外に登り旗を立て、メニューにも大きくだしているはず。


と言うことで、買い物に行って、帰りがけ寄って見たら、メニューの中になかなか見当たら

ず。やっと見つけたのが、最後の頁

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何となく、邪魔者扱い。

しかも、3時からのメニューますます、邪魔者扱い。昼は食えない。

「え~3時から」、「はい」。飛ぶ鳥を落とすという、私の色目を使って、「作ってよ」と言って

も無理でした。仕方なく、皿うどんを注文

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チャンポンドレッシング(皿うどんドレッシングではない)を付けて、「お好みならどうぞ」。し

ょうが味と、柚(ゆず)胡椒味。試してみましたが、「皿うどんと金蝶ソースの密接な関係」

書いたように、皿うどんにはソースが良く似合う。「富士には月見草がよく似合う」のと一

緒。


ここのソースも研究して、自家製でしょうが、金蝶ソースのように、もう少し味が立っている

方が、私の好み。


こうなったら意地でもということで、カミサンの美味しい夕飯を断って、再度リンガーハット

へ。


この店、野菜を炒めたり、餃子を焼くのも、できるだけ人の手がかからないように、機械化

していますが、「ちゃポリタン」を作るのを見ていると、少し、手間がかかる感じ。昼時のお

客さんの多いときには、注文を受けるのは、ちょっと無理かな。

注文が多くなるようだったら、機械化を考えるでしょうが・・・・


具材は、キャベツ、人参、エビ、コーン、青豆、地元の蒲鉾等でしたが、食べて見て、そん

なに違和感がありませんが、少し彩りにかける感じ。ここは、チャンポンにつかう、長崎独

特の、色はんぺんを使った方が良いのでは?


「ナポリタンスタジアム」では、浜勝(長崎のトンカツ屋さん。)の「オランダかつ(チーズを豚

肉で包んで、油で揚げカツにしたもの)」をトッピングするそうですが、そうなると、何となく

長崎名物の「トルコライス」に似てきますね。ピラフが付いていないだけで・・・・





2013年10月28日 (月)

2013 よらんね(寄樂音)祭り~諫早市森山町

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秋はあちらこちらで、イベント、祭りが多く、少し関係があったので、「よらんね祭り」に行っ

てみました。どうせ、小さなイベントだろうと思ったら、思わぬ大きなイベント。


各種団体、業者、ボランティア等の方が作り上げたイベントのようでした。今年で14回目

だとか。


イベントと言えば、食べ物がつきもの。

森山は「米」と、唐比地区の「れんこん」が有名で、れんこんは重労働のため、作る農家が

段々少なくなって来ていたのですが、近年、復活し始めて来ています。


「幻の唐比れんこん」として、売り出していまが、今日の、NHK「あさイチ」でも、れんこんに

ついて、放送していました。素晴らしい食材だそうです。

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郷土料理の、「びょうたれ」に「ぬっぺ汁」。びょうたれは、病人の食べ物ではありません。

さつも芋を茹で、ゆであがったら、餅を入れ、水を入れ、柔らかくなったら、潰して食しま

す。


「ぬっぺ汁」は、鶏肉、ゴボウ、人参、コンニャク、じゃがいも等を材料とし、だし汁、醤油、

砂糖等で味を付け、最後に水溶き片栗粉でとろみをつけます。


今日の長崎新聞に載っていましたが、諫早の商工会で、炊き込みご飯に、このぬっぺ汁

をかけて、「ぬっぺ飯」として考案。7カ所の食堂等で売りだす予定だそうです。

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何かと思ったら、建設組合。サービスで、包丁を研いでいましたが、結構頼む方がいまし

た。

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これも建設組合で、私も体験したかったのですが、お子様限定で残念。

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ウサギと羊とヤギと人間の、ミニ動物園。実際に手で触れるので、子どもたちも喜んでい

ました。

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白バイ。私も何回かお世話になりました。運転席の方はかなり、改造しています。私もバイ

クが好きなので、乗り逃げしたかったのですが・・・・

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フライングディスクに、フリーマーケット、

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タヌキの絵で有名な、堤けんじさんのブーツ。「くんち」の手ぬぐいを求めたら、タヌキを一

匹サービスしてもらいました。

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ほかに、野点、足湯、等もありましたが、イベント会場もご覧の通り一杯で

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保育園の龍踊り、よく練習してました。花丸です。

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最初は、大村自衛隊の音楽隊。オープニングはもちろん、「あまちゃん」のテーマソング。

あと、小学校の演し物、歌謡ショー等があり、唐比の浮流もあったのですが、残念ながら、

この日は、兄弟会のお食事会があり、ここで会場を後にし、この浮流が見られなかったの

は残念でした。


この歳になると、AKB48とか、なんとかかんとかより、浮流の方が好きになって、あれは、

日本人の音楽の原点ですね。聞いているとつくづく日本人である事を感じます。


あと、夕方6時の花火の打ち上げまであったようで、にかく賑わったイベントでした。

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2013年10月26日 (土)

結城城(金山城)一族の墓再び★八斗木の名前について~雲仙市国見町

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以前出した写真で申し訳ありませんが、以前「結城城」の事と、「その一族の墓(キリシタン

墓碑)」に使った写真です。


結城一族の墓と言われていますが、以前は「姫の墓」と言われ、お姫様が水に溺れ、その

墓だと言い伝えられているお墓です。


さて、先日、コメント欄で国見町の、「八斗木」の地名について、分からないかと問い合わ

せがあり、どこかで読んだなと。ここらあたりは、まだ呆けてない証拠。


思い出したのが、

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この本の事、前にも書きましたが(書いたかな?)、昭和58年に、当時の「国見町立八斗

木小学校」で出版した本です。「ふるさとの学習資料」と書いてありますから、郷土学習の

副読本として使ったのでしょう。


制作者の名簿を見ると、学校の先生方、八斗木小学校のみなさん(昭和五八年度・一一

四名)、八斗木小学校育友会のみなさん(昭和五八年度・七四世帯)、八斗木・魚洗川・小

ヶ倉・百花台老人クラブのみなさん、その他、行政関係、国見高校郷土社会部・大学等の

専門の方。地域ごとまとまって、作った本でしょう。


現在の学校の「ゆとりの時間」などを利用して作れば、本当の有効な時間になるのでしょ

うが。小学校で英語を教えるより、自分たちの郷土を知るということで、よほど有効だと思

うのですが・・・


閑話休題、この本に、「八斗木」の名前の由来と、「姫の墓」について、書いてあったのでご

紹介を。


地名については、峰の所にあるから「峰地区」、など、分かりやすいものもありますが、私

の住んでいる所の近くに、「大操子」というところがあり、どういうわけか、「うぐるす」と読み

ます。


古い本を読むと、ウグイスが来て、美しく鳴いていたからだとか、「ぐるす」は「くるす」であり

潜伏キリシタン(隠れキリシタン)がいたのではないかとの話もあり、今、調べているところ

ですが、まったく分かりません。地元の人も、知る方は一人もおりませんでした。


さて、「八斗木」です。「八斗木の地名」の所に書いてあります。まとめて書くと・・・・


昔この地方のあちらこちらに、シイの大木があって多くの実がなったといわれています。

この地方ではシイの実を非常食、また、子どものお菓子として大事にしてきたそうです。


シイの大木からは、シイの実が、八斗もとれたと言いますが、「八」という数字は、四方八

方、八達の「八」で、いろいろとか、すべて等の意味があり、八斗とは「たくさんと」という事

で、「たくさんの実をつけたシイの木」と言うことだそうです。


また、「八」は末広がりという、めでたい数字でもあり、これらのことを合わせて「八斗木」と

いう地名を付けたのでしょう。


なお、地名については、柳田国夫の「地名考」という面白い本もあります(全部読んでいま

せんが)。


次ぎに、姫(結城城の城主の娘)の墓については、このように書いてあります。


姫様がある朝、下の道を眺めていると、私みたいな、男性的で、イケメンの男が通り、姫

は毎日この男の事ばかり・・・・


この男を捜させたところ、西河内に住んでいる松え門という人。名前は分かっても、侍の娘

と、百姓ではどうすることもできず、思いはつのるばかり。


ある日、車井戸の綱をにぎって、水をくみ上げているところに、松え門が、下の道を歩いて

来る。


姫は、うれしさに、井戸の綱を握ったまま、ボーッとなって、「ガラガラ、ドボーン」と井戸へ

落ちて亡くなったそうです。これ以来、しばらくは、「車井戸は使ってはいけない」という、お

ふれが出たそうです。


この、「八斗木むかしむかし」、学習資料と言うには、もったいない本です。今では手に入り

ませんが・・・・


2013年10月25日 (金)

2013 しまばら「芝桜公園」秋桜まつり~島原市芝桜公園

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島原の「芝桜公園」については、何回か取り上げましたが、芝桜公園に新名所として、秋 

桜を植えたと言うことを聞き、ちょうど病院に用事もあるし出かけました。


今日は、肌寒く、台風の影響か小雨は降るし、美女の連れでもいれば、と思いつつ行くと。


なんと・・・・・・・

「お客様へ 本日は雨の為 閉園いたしました」のお知らせ。もちろん受付には誰もいませ

ん。

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そぼ降る雨の中、老爺がひとりウロウロと。景色は良いのですが、寒さに震えながら、例

の歌を。



うす紅の秋桜が秋の日の

何気ない日溜まりに揺れている(小雨で日溜まりはありません。寒い!)

この頃 涙脆くなった母が(本当、歳取ると涙脆くなりますネ。ご同輩。) 

庭先でひとつ咳をする(一つどころではなく、ぶっ続けでしますが)・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

明日嫁ぐ私に苦労はしても(愚娘もはやく嫁げば良いのに、行き遅れが!)・・・・・・



と、まあ、美声で歌いながら見て回ると、思ったよりも良く咲いていました。


実は、芝桜公園だと聞いたので、こちらの方だと思っていたのですが、来てみると、何もな

い。場所を間違ったのかと思ったら、右手に林がありますが、このすぐ右手の方。

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確か眉山だと思います。青空の日、山をバックにして写真を撮ると絵になります。

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こちらが、平成新山方面。天気が良かったら・・・・

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「NPO法人芝桜公園をつくる会」がお世話をしているようですが、2.4ヘクタールに、65

万本のコスモスを移植しての「秋桜まつり」です。


近ごろ、あちらこちら、コスモス園が生まれていますが、雄大な山をバックにコスモスが見

られるのは、県内ではここだけでしょう。


土、日曜日は出店もあり、賑わうと言うことですから、彼女、もしくは彼氏と一緒にどうぞ。

くれぐれも、雨の中、一人では行かないように。侘びし過ぎました。




2013年10月24日 (木)

久しぶりの「う・な・ぎ」~諫早市

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お~、久しぶりの「う・な・ぎ」ですね。家でも、時々はでますが、ほんの二切ればかり、おま

けに、私、タレをジャブジャブかけて、お茶漬けみたいにして食べるのが、好きなんです

が、塩気があるということで、ほんの少ししか、かけてくれません。


今日は、カミサンが、ぬりえ絵教室、自称、油絵教室に行って一日留守。こちらも、諫早へ

少し買い物へ。時間を見たら、ちょうどお昼。弁当を買っていっても遅くなるし・・・・・


最近、夏の疲れが、今頃出て来たのか、パワーをつけようと、うなぎ屋へ。今年のニュース

ではウナギが激減し、値段も上がっているとか。


思えば、数十年前まで千々石でも、千々石川の河口で、カンテラをつけて、うなぎの稚魚

を取っていたのですが、今や、あの風景は見られません。私の義兄弟も小さいときは、川

でうなぎを取っていたそうです。本物の天然うなぎです。


長崎といえばチャンポン。同じように諫早と言えば「うなぎ」。うなぎ専門の店が何軒もあり

ますが、老舗の「福田屋」さんへ。


諫早のアーケード街ですが、郊外の大型店舗にお客を取られて、だんだんさびれて来てい

ます。このビルの間に、いまだに昔の姿で頑張っています。

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左の写真は、昔の福田屋です。暖簾には「文久3年」の文字。今年で150年の歴史をもち

ます。電話「百一番」というのが泣かせますね。携帯しか知らない若い方には、昔の電話

の事は分からないでしょうが、交換手に番号を言って、向こうに繋いでもらっていたもので

した。

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初代、福田小一は、森山村(現諫早市森山町)で百姓をしていたそうですが、どういうわけ

か、諫早へ来て、うなぎ屋と魚屋をしたそうです。


昭和36年、時の昭和天皇が長崎に来られたとき、雲仙の宿所で召し上がれられたそう

で、この時、膳を下げた女将が、「ひと汁ものこっとらんばい」と言ったそうです。


昭和51年、時の皇太子殿下ご夫妻が来られたときも、ここのうなぎを召し上がっておられ

ます。


店の中は、少し新しくなった所もありますが、基本的には、数十年前初めて来たときと一

緒。

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うなぎ料理にはいろいろありますが、この店はいわゆる蒲焼きです。継承者に、割三、刺

し五、焼き一生と教えているそうです。


うなぎ定食には、特上うなぎ定食(うなぎ六切)、上うなぎ定食(うなぎ六切)、うなぎ定食(う

なぎ四切)、三切れうなぎ定食とありますが、値段を見て、気の弱い私、一番安い、「三切

れうなぎ」を注文しました。この気の弱さで、人生どれだけ損をしてきたことか・・・・(ρ_;)

気が強かったら今のカミサンとは・・・・

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右側のお椀は、肝吸いです。別料金ではありません。うなぎの器は、楽焼きで下が二重に

なっており、お湯を入れ蒸すので、身が柔らかくなり、いつまでも暖かく食べられます。諫

早のうなぎ料理の特徴です。


普通に焼いただけのものとは、食感が違います。どちらが良いかは、人それぞれでしょう。

肝が入ったお吸い物。うなぎの器を割ったものです。

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さて、本当は2人分持ち帰って、夕食にカミサンと仲良く食べようと思っていたのです

が・・・・思っただけです。何年ぶりか、タレをジャブジャブかけて食べたら、おいしかった。

(古写真:「写真集 明治・大正・昭和 諫早」より)








2013年10月23日 (水)

西田平キリシタン墓碑&潜伏キリシタン(隠れキリシタン)墓碑?~南島原市北有馬町

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先日、日野江城の発掘調査を見学した折、日野江城から、1㎞ばかり行ったところの、西

田平キリシタン墓碑を訪れてみました。長崎県の文化財指定になっています。


きれいに成形された墓碑で、

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回りには、前面、上部、背面に縁取りがしてあり、この形式はこの墓碑だけだそうです。


前面には、見事な花十字

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背面には、文字が陰刻で刻んであり、

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写真では、分かりにくいと思いますが、「慶長拾伍年 流しや 生年 二十才 拾一月十七

日」と掘ってあるそうです。


「日本キリシタン墓碑総覧」には

「伝承として『ジョロウの墓』とされており・・・・・墓碑が「寝ているので昔から女郎の墓」と言

われたそうだが、発見に関わった北有馬村尋常高等小学校校長八木次朗氏は『身分の

高い女官『女﨟』のことだろう」と解釈されている・・・・・同じく新村出氏も「上﨟様」と解釈さ

れたことを受け、松田毅一氏は『場所柄、日野江城の有馬家に由緒のある人の墓であろ

う』としている」と書かれています。


また、同書によると、この地は、中世石塔など近世以前の墓碑形成を示す遺品・遺蹟など

が確認されないことから、当初はキリシタン専用墓碑として形成された可能性があるという

ことです。


なお、ここは、北有馬町西田平(中屋敷)という所ですが、現場の説明版には、「天正15年

はキリシタン大名有馬晴信の代で11月はその子、直純が先婦人を別離、徳川家康の曽

孫女、国姫を妻に迎えた月であることに思いを馳せたい。

なお、中屋敷は有馬家の中屋敷跡を指し、流しやの流は「る」の替字である。」と記されて

います。


さて、帰ろうかと思い、この上の段を見ると、

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いわゆる、塚墓、あるいは、この形のものとして、斗升墓、トーマス墓と云われるものがあ

りますが、ここで見るとは、おまけに、見るのは初めてで、ビックリしました。なお前面に

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上部は分かりませんでしたが、「辰」と書いてあるようですから、年号を表す文字でしょう

が、その後に「年」の代わりに「天」の文字。いわゆる。「天年号」といわれるものです。


塚墓、また、年号に「天」と言う文字が使われていると、潜伏キリシタン(現在は、江戸時代

の禁教時代、信仰を守った方を、潜伏キリシタン、キリシタン禁教がとかれても、密かに

自分たちで信仰した方を、隠れキリシタンと区別して研究されています)を研究されている

郷土史家の方は、潜伏キリシタンと結びつけて考えておられます。


潜伏キリシタンの遺跡については、識別が非常に難しく、明らかに、キリシタンと分かって

ては処罰があるし、まったくキリシタンの物と分からなくては意味が無いし、いろんな議論

があるところです。私も、これには悩み多き青年というところです。

(参考・文引用:「日本キリシタン墓碑総覧~企画・南島原市教育委員会 監修・大石一久

「有明の歴史と風土」・現場説明版より)




2013年10月22日 (火)

日野江城発掘調査★良く見て歩くこと~南島原市北有馬町

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日野江城、二の丸跡です。


以前、日野江城については、何度か取り上げ、特に「階段遺構」、「有馬晴信」について

も、書いた所ですが、世界遺産の指定に向けて、再び発掘調査が始まりました。


数カ所に渡って、発掘をしているようですが、私が行ったときは、二の丸あたりを発掘中。

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二の丸あたりの、石垣あたりを掘った所を見ると、

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かなり深くまで、栗石が入っていることが分かると思います。

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日野江城の城壁は乱積みで、大体このようになっています。このような城壁の後ろですか

ら、栗石にしては、あまり深く、広いのが分かると思います。ほかの遺構なのか?


ただ、松倉重政が、しばらくこの日野江城に入城しますが、その後、島原城を築城し、そ

の折、日野江城、原城の石垣を運んで、利用したということですから、本来どのような城だ

ったのか、構造、変遷、終焉については不明な所が多く、今度の調査でどれくらい解明さ

れるか、期待がもてるところです。


さて、いろいろブログを見ると、日野江城に行ったけれど、何にも無かった、という事が良く

書かれますが、前に調査した時の、石があちらこちら積んであります。良く見てください。


五輪の塔碑、宝篋印塔等に使われたものが、あちらこちらに見うけられます。

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梵語がはっきり読み取れるものもあり、(梵語読めないので、どちらが上か分かりません)

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いたずら書きか?本来のものか?風化してよく分かりませんが、卍のような感じもするし。

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この石には、上に丸が一つ、上は、多分梵語でしょう。下の方に、丸が二つその中に、文

字が刻まれています。墓石か?

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上部の文字

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下部、左側。何となく「四」という字・・・

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下部右側。ほとんど風化して、読めません。拓本を取ると、読めるような感じなのですが。

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原城に隠れて、日の目を、なかなか浴びない、日野江城ですが、説明版によれば、次のよ

うに書かれています。「完成したばかりの屋敷に案内されたときの様子がイエスズ会年報

で次のように報告されている。『大小の部屋はすべての黄金の品や典雅で華麗な絵画で

飾られていた。この屋敷は、有馬殿の手で建てられ見事なできばえとなった城郭の中にあ

る』」。金箔瓦も発見されていますから、かなりの城だったのでしょう。

調査の説明会が多分あると思いますが、楽しみです。なお、発掘調査は、11月頃まであ

るということですが、見学は邪魔にならないように。


行かれたら、良く見て歩いて下さい。思わぬものがあるかも・・・・・


2013年10月21日 (月)

備えあれば・・・・

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島原市愛野町交差点の所に、何気なく目をやると、変なものが貼り付けてあって、よせば

良いのに、好奇心の塊の私。見に行ったら

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諫早まで行くのに、気をつけて見ると、あるある・・・

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諫早方面だけかいなと思って、千々石の国道沿いを見て行ったら、ありました。

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多分、東北地方太平洋地震後、津波に備えて取り付けられたものと、思われますが・・・


千々石の上り坂を行ってみたら、この標識があるのは、国道沿い、大体5mまでくらい。

しつっこく、商店街を見て行ったら、一つもありません。


この標識、大体、誰が貼り付けたものか、責任所在が全然分かりません。まして、何のた

めに張ってあるのか。


この間の津波は、5~6m程度どころではなかったことは、分かっていることで、住民として

知りたいのは、どこらあたりまで逃げれば、安全なのかであって、そのための標識なら、理

解できるのですが・・・・どうも、災害に対する手は打ちましたという、行政の免罪符的な考

えが、見えるのですが。


という事を考えながら、コンビニに買い物に行ったら。こんなものがありました。

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左は普通のキャラメル。右は缶入りのキャラメルです。缶詰には「保存用」と書いてありま

す。

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なんと、5年間も保存できるもの。なお、横には親切にも

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非常持ち出し用の品目が書いてあります。よく読んで見てください。なるほど、ですね。

さっきの標識より、役に立つようですが、皆さんの家にも防災に備えて一つどうぞ。


なお、この缶詰、本当に5年もつかどうか、金庫の中に保管をしました。5年後が楽しみ

です。箱のキャラメルは、食べましたが。


災害があってからは、遅いので、皆さん方も日々の準備を。なお、来週は自治会で、市役

所による、防災講習会をおこなうようで、この標識、何のためか、しつっこく聞いて見ようか

な?






2013年10月20日 (日)

温泉神社・お上り風景~雲仙市千々石町

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昨日は、温泉神社お下りの様子を書きましたが、今日はお上りです。

昔は、三日間だったので、神様も一日ゆっくりできたのでしょうが、一泊二日とは、少しせ

わしいご旅行でした。


お下りは、商店街を通って、数キロ歩き、8カ所で道踊りをするのですが、お上りは、千々

石川沿いを、ショートカット。もとっも、皆さん疲れ気味で、昨日と同じ道を帰るのは無理。

朝、10時頃から神事、道踊りは3カ所です。

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下峰地区の下の方での、「トントンロッツン踊り」、と婦人部の踊り。


はやり皆さん足元が、とぼとぼと。

一番右の高い山、「九千部岳」です。左の方、「吾妻岳」。真ん中のくぼんだところが田代

原。現在、牧場ですが、昔は、街道があり、島原の殿様が長崎に行くとき、ここを通ってい

ます。勝海舟、坂本龍馬一行も、ここを通って長崎目指して、急ぎ旅。

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以前、書きましたが、鯛引き。前の鯛は80年ばかり使って、今年新調しましたが、祭りが

終わると厳重に保管され、再び姿をあらわすのは、7年後です。

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稲刈りが終わった、田の脇を神社に向かって・・・・最後に御神輿が行きます。

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神社に戻ると、最後の奉納踊り。

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婦人部の皆さん、お若くて美人ばかりで・・・・・遠くから見ると・・・・(*_ _)人ゴメンナサイ

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最後の巫女さんの舞。このあと、神事があって、無事、温泉神社の秋祭りが終わりまし

た。


春祭り、夏祭りは終わっても、何ともないのですが、秋祭りが終わると、毎年ですが、何か

郷愁を感じるものがあります。


秋祭り済めば老後の事ばかり   水野範子

秋祭り地縁血縁結束し   久保田幸枝


秋祭り終わり最後の笛響く    sugikan

秋祭り終わりて猫の大あくび   sugikan

お粗末さまでした、ヾ(_ _*)ハンセイ・・・ 。












2013年10月19日 (土)

平成25年度 温泉神社秋季例大祭~雲仙市千々石町

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稲刈りもほとんど終わり、夏が異常に暑かったのですが、台風も来なかったために、例年

通りの出来みたいでした。


昨年も書きましたが(来年も書く予定ですが)、今日は千々石町の氏神様、温泉神社の秋

のお祭りです。


千々石には、木場名、野田名、小倉名、上峰名、下峰名、南船津名、北船津名の7名が

ありますが、祭りは順番に回って、7年に一回の当番になり、今年は北船津名が当番で

す。「船津」と言うくらいですから、昔は北船津名くらいまで、海だったことが伺えます。な

お、頼山陽が泊まったという、「天川屋」があります。


最初に、奉納踊り、踊りが2~3,

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後は、神事が続きます。拝殿では、御輿の担ぎ手、役員さん、地元の偉い方がお祓いを

受けますが、私は偉くないので、ここには入っていません。

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やっと出発。右は、このあいだ書いた、鯛引きです。子どもが引いていきます。

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下の写真、単なる天狗さんだと思っていたら、これは、古事記、日本書紀に登場する、「猿

田彦」だという情報をいただきました。


御神輿は以前は、担いでいたのでしょうが。若い者が少なくなり、車を付けた台車の上に

乗せ、引っ張って行きます。まあ、この人数では、担ぐのは無理。いつの日か、トラックに

乗せていくのでは・・・・

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途中、8カ所での道踊り。北船津名独特の「トントンロッツン」。太鼓の音に合わせて踊り、

そして三味線を弾くことから、「トントンロッツン」と呼ばれているそうです。

右の女性、三味線を持って、歌っています。カミサンの同級生ですが、8カ所で道踊りをす

るので、「もう、くたばった」と言ってました。

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「浜の音頭」と「南中ソーラン」

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途中、老人センターがあるので、見物ですが、今日は寒くて、毛布を被っていました。

右の写真。子どもが、紐で引っ張られて、便利と言えば便利ですけれど、何か、犬っころを

引っ張っているみたいで・・・・せめて、お手々つないで・・・

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さて、御旅所へ到着が、13時近く。15時からは、「中日の演芸会」です。


昔は、祭りは3日で、一日目がお下り、二日目が中日、三日目がお上りだったのですが、

皆さん忙しく、祭りを二日にし、中日の演芸会は、お下りの後、一日目のお昼からになりま

した。


北船津名には、上石田、下石田、瀬々尾(ぜぜお)、中島、上町、中町、北元江、八が島と

各自治会がありますが、その自治会ごとの演し物です。

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歌あり、踊りあり

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右の方は、カラオケ好きが高じて、カラオケ屋さんのオーナーになった方。

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餅まきならぬ、サービスの飴まき。

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さて、こうして一日が終わったわけですが、いろいろ話をすると、どこも同じ事。

若者が少なくなっており、次回の当番の時に、自分の所で、できるかということ。何とか続

けて欲しいものですが・・・・


6月頃から準備に入りますが、御輿担ぎ、旗持ち、会場準備、交通係、踊りの練習、等々

があり、見ている分には楽しいのですが、当番町の大変さは、やってみなければ分からな

いところです(ウチも三年前、当番町でした)。


長崎の、くんちも素晴らしいものですが、田舎の祭りも、素朴な味があって面白いものです

よ。機会があったら、どこかの祭りを見に行ってください。




2013年10月17日 (木)

一汁一菜★一汁三菜★一汁五菜

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「一汁一菜」

一汁と一品の菜との食事。粗食のたとえ。

「一汁三菜」

膳立てで、飯と汁のほかに鱠(なます)・平皿・焼き物を添えたもの。

「一汁五菜」

膳立てで、飯と汁のほかに鱠(なます)・坪(香物)・平皿・猪口(ちょく)・焼物の五菜を添え

たもの。

「猪口」は本膳料理につく小丼、また、刺身や酢の物などを盛る小さい器。 (広辞苑より)


一汁一菜、一汁三菜、この言葉、久しく聞いたことがなく、もう死語に近いのかな?一汁五

菜といえば、かなりのご馳走になります。


諫早市内~髙来町・小長井町に行く207号線に、「一汁三菜屋」さんという、食堂(夜は、

居酒屋もしているみたいな感じでしたが・・・・)があり、時々通りかかるときがあり、気には

なっていたのですが、ご覧のように、なかなか車が停められなく、いつか入ろうと思ってい

たのですが、道を隔てたところにも駐車場があったので、入って見ました。


入ったら、威勢の良いお姉さんが、テーブルに着く前に、「今日の定食は唐揚げです」、と

言われ、こちらも、気が弱いので、「はい、はい」。

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ウチでは、唐揚げなんて、カロリーが高いということで、2切れくらいしか食べさせてくれま

せんから、5,6切れも食べると、罪悪感が起こり、今日は何か悪い事があるのでは、と思

いながらも完食。


後でテーブルの上を見ると、メニューがあり、一汁三菜定食、ヘルシー定食、日替わり定

食の3種類がある事が分かりました。


一汁三菜定食は、メインの14種類の中から一品、小鉢の14種類から2品を選びます。

これに、ご飯と汁物がつきます。一汁三菜というわけです。

ヘルシー定食は、小鉢の中から5種類選びます。日替定食は、日替わりです。

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メニューとは別に、品目別に、カロリー、脂質、塩分が書いてありますから、メタボが気に

なる方、血圧が気になる方はこれを参考にすれば、バッチリ。

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お味ですか?味は、薄味を好む方、濃い味を好む方、スパイシーなのを好む方、苦手な

方、甘いの好む方、辛いのを好む方、様々ですから、いつも書くように、自己責任で行って

食して確かめてください。


さて、昭和39年度に長崎県教育委員会が、長崎県内の各所で民俗調査をし、民俗資料

調査報告書を出していますが、その中で、食事のことも書いてあり、千々石に近い南串山

町が載っていましたので、ご紹介を。農村地区で、島原半島は大体同じ感じです。


「ちゃのこ」

午前6~7時頃。いも或いはいもめし、いもだんごを沢庵、塩からでたべる。

「朝めし」

午前10時頃。麦飯、こっぱめし(切干芋を炊いたもの)を味噌汁、沢庵漬、菜漬でたべ

る。

「昼めし」

午後2時頃。麦めし、芋めしを魚の煮付け、野菜の煮染めでたべる。

「晩めし」

午後7~9時頃。麦飯を主とし、ろくべ(芋の切干しの粉を水でねり、板状にのばし、それを

千切りにして沸騰する湯で茹で上げ、魚のだし汁をかけて食べるもの。)、そうめんの煮染

め、塩から、沢庵で食べる。


塩気が多いですね。それから、芋が多いこと。今の食事と比べると、いかに貧しかったか

が分かると思います。ウチのカミサンも、小さいときから芋ばかり食って、芋嫌い。


ここまで書いて、少し思い出したことが・・・何年も前の話で、おぼろげながらしか覚えてい

ないのですが・・・


指揮者の大町陽一郎氏の奥様、大町インゲボルグさん(ドイツの方だったかな?)がラジ

オで話していたことです。


ドイツでは、大人と子どもの世界をはっきり分けていて、レストランには子どもは連れて行

かないとのこと。ある日、インゲボルグさんが、子どもに聞いたそうです。


「レストランに行きたくない?」

「行きたくない。」

「どうして?」

「だって、お母さんの料理の方が、おいしいから。」

さて、皆さんの子どもは如何ですか?


附録

帰りがけ、お礼になった方へ、お菓子でもと思い、いつもの、千々石のピュアリッツさんに

寄ったら、「おやじケーキ」というのがあって、禿げている以外は、私そっくり。買いたかった

のですが、唐揚げを5,6個食べた後なので、良い子にして、我慢しました。

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2013年10月16日 (水)

世界で一番強い酒などのこと

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現在、世界で一番強い酒です。ポーランド産のウォッカ。現在と書いたのは、以前、これよ

り、少し強い酒があったと言うことを聞いたことがあるのですが、今は作られていない、と

いうことで、現在、世界で一番強い酒です。96度あります。


「スピリタス」と読むのか、裏にはこう書いてあります。

「蒸留を繰り返すこと70数回、純度を極めたポーランド産ウオッカの雄です。

アルコール度数が高いため、火気に注意して下さい。ポーランドではチェリー等の果実

酒を作るのに良く使用されています。」

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ちゃんと、96%と書いてあります。「アルコール度数が高いため、火気に注意して下さ

。」、の所は、太文字で、下線がいてあります。


燃やしてみたら、本当に燃えます。最後の最後まで。「私のハートに火を付けて」、なん

て文句を思い出しましたが・・・・


晩酌に飲むと、酒代が安上がりになります。生で飲むと、喉が焼けついて、血が滲む事も

ありますから注意すること。我が身をもって、実験済みです(酒が飲めたときの話)。お値

段も、1,500円くらいで、お安いもんです。ネットの通販で手に入ります。


この次ぎに、強いのが、ブルガリアの「バルカン176」という、88度のウオッカがあるみた

いですが、これは持っていませんが、3,000円程度。これもネットで手に入ります。


さて、古谷三敏さんの、酒の薀蓄漫画「レモンハート」の題名になった、レモンハート。ラム

酒で、甘さがあります。

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確か、漫画によると、「スピリタス」が出るまで、これが、一番強い酒だった、と書いてあっ

た覚えがありますが、上記の「バルカン176」は新しく作られたか、輸入され酒なのかな?


レモンハートは、75.5度と40度の2種類がありますが、買うなら、もちろん、75,5度の

方でしょう。

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レモンハートはラム酒ですが、少し悲しい話を聞いたことがあります。ネットでも確認すると

やはり私が聞いた話と一緒で、以下の通りです。


ヨーロッパで喫茶が流行し、これに伴い砂糖の需要が増大。砂糖の生産地西インド諸島、

ブラジルで労働力が必要になったそうです。こうしたことから、ラム酒、繊維、武器を積ん

だ船がヨーロッパからアフリカへ。


アフリカでは積んだ品と、アフリカの部族同士の争いでの捕虜(奴隷)と交換。次ぎに、砂

糖の生産地へ行って、アフリカでの奴隷と砂糖を交換。その砂糖を持って、本国に戻り、

砂糖を供給したそうです。要するに三角貿易です。


さて、これはフランスのものらしく、品名は「ブランディー」となっていました。

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ビンの中は、洋なし(私は用なし:「踊る大捜査線」からのパクリ)みたいですが、マジックで

入れたのではなく、多分果実が小さい時に、ビンにに入れ込んで育てたのでしょう。ビンを

割って、食べて見たかったのですが、もったいないので観賞用にしています。


あと、中国製のヤモリに似た、大きいのが入った酒(多分、あの方面に効くのか?)も持っ

ていたのですが、他人に取られてしまいました。まあ、持っていても、何となく気持ちが悪く

て・・・・


そういえば、年配の方が、マムシ酒を作っていて、飲ませてもらい、次の日に、「効いた

か?」、と聞かれましたが、あの頃は、毎朝テントを張っていましたから(意味が分からない

方は、ご主人又は恋人に聞いてください)、飲んでも、飲まなくても同じ事。


この酒は全く不明。

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「アフターショック」。説明には、

「(シナモン系リキュール)ホットな刺激のあとに、超クールな刺激を楽しむことができるユ

ニークなリキュールです。・・・・・・ボトルの中の『クリスタル』はアフターショックの製法によ

ってよってできる天然の結晶。・・・・・『クリスタル』は、ひとつひとつが成長し、変化している

もので・・・・」

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矢印の所、ビンの底に白い結晶が、積もっています。 これが、「クリトリス」 失礼、

「クリスタル」です。


ドクターストップで禁酒。人生って悲しいもんですね。皆さんにも、この悲しみを分かっても

らうために、「禁酒法」でも作りますか。



   



2013年10月15日 (火)

縁結びの神社?~長崎市「諏訪神社」

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長崎の氏神様、諏訪神社です。長崎では「お諏訪さん」と言いますが、今日は修学旅行の

生徒さんが、見学にたくさん来ていました。


女子学生の写真を撮ろうと思ったのですが、髭をはやして、アロハシャツ着たおじさんが、

写真撮っていたら、盗撮と間違われるので止めました。


さて、小さいときですが、諏訪神社横の諏訪幼稚園に通い、近所にしばらく住んでいたの

に、この話知りませんでした(最も5才のときですから)。


「くんち」の事を調べようと、諏訪神社のホームページを読んでいると、「縁結びの陰陽石」

と書いてあり、神社参道の敷石に、男石と女石が埋め込まれており、男性は女石、女性は

男石を踏んだ後、拝殿前の両性が合体した石を踏んで参拝すると、縁結びの願い事が叶

うとか。神社ができたのは慶安元年(1648)。今も昔も男女の仲は、変わらなかったのか

な?でも、神社の参道に作るとは、長崎の人間は・・・・・


この神社、縁結びとは関係あるのかと調べて見ると、この神社は3つの神社が合祀したも

のですが、諏訪大神(武神・厄除けの神)、森崎大神(万物創成。縁結びの神)、住吉大神

(海上安全、大漁の神)とありますから、まあ、何でもありの神社でしょう。

私、離婚をかなえてくれる神社があったら、すぐに飛んで行くんですけど・・・・


さて、神社の案内図によれば(ネットに出ています)、「①男石この下↓一の鳥居付近」、と

書いてあります。最初の鳥居は一番上の写真ですから、ここらを探したんですけど、無い

んです。


さても、神様も嘘をつく時代になったかと思って、まあ、一番上まで登って、社務所にでも

行って聞こうかと思っていたら、次の鳥居

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この下にありました。男石。

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あとで、可愛い巫女さんを捕まえて、聞いてみたら、この鳥居が一の鳥居だそうです。。外

の鳥居と比べると、確かに古いものです。


足が、二本継ぎ、笠木と島木が一体のようで、これは三本継ぎ、ほかの鳥居と比べれば、

全然違う事が分かります。

年代は、文字が風化したものか分かりませんが、この鳥居が最初に建てられたものでしょ

う。

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これが、女石、ちゃんと、割れ目ちゃんまでついていて、中の方も少しリアル。でも、なぜ、

六角形なのか?私なら、二重丸を書いて、真ん中に線を入れて、回りに飾りの射線を、チ

ョンチョンチョンと入れるのですが、六角形では、男性は痛いでしょう。


さて、ここで不思議が。神社の説明には、「女石(四の鳥居付近)」と書いてあるのですが、

確か三の鳥居の下にあったですが・・・神社の間違えか?この間にもう一本あって、壊れ

るか何かして、昔は、四の鳥居と言われ、それをそのまま継承したものか?私が呆けて、

数え間違いしたものか?・・・一番最後が正解みたいな気がするのですが・・・まあ、とにか

く行けば分かります。

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この階段、見ただけで、いつもグッタリしますね。

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拝殿ですが、この下に、神馬像があります。

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横道それますが、この神馬像、千々石とは少し関係があって、明治12年の「千々石村村

誌」に、次ぎのように書いてあります。


千々石出身で、荒飛甚太夫という怪力の者がいて、江戸に上がって力士になった人物が

いますが、そこの部分に、「荒飛嘗テ長崎諏訪神社ニ詣デ銅製ノ馬ヲ高クサシ揚ゲテ以テ

人ヲ驚カセリトカ・・・・」。この、神馬象には、謂われが書いてあったようですが、読み忘れ

ました、年代が分かれば、本当かどうか分かるのですが、ちょっと眉唾な話。


本殿の前には、両性合体石。良く見れば、本当に丸いものが挿入してある感じ。

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なお、この、祝殿横に、「恵比須・大黒縁結び『恋占い』」というのがあって、

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男性は大黒様、女性は恵比寿様に寸志(お賽銭)をいれ、恋する人の事を念じ、男性は大

黒様から 恵比寿様へ、女性は恵比寿様から大黒様へ、目を閉じて歩き、たどり着いたら

祈願が成就するのだそうです。


私も、カミサンの顔を頭に思いながら、目をつむって歩いたら、明後日の方へ行ってしまい

ました。


皆さんも、陰陽石をしっかり踏みしめ(男石と、女石を間違わないように。でも、はるな愛ち

ゃんとか、イッコちゃんは、どちらを踏むのかな?)、拝殿前の前の両性合体石をしっかり

踏んで、その夜は、しっかりと合体して下さい。少子化予防にご協力を。



2013年10月14日 (月)

島原城(森岳城)跡石垣復旧工事に伴う発掘調査 現地説明会

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昨年、島原城の石垣が崩れ、現在復旧中ですが、それに伴い、発掘調査で、石垣の背後

に自然石を並べた「石列状遺構」が発見されたそうです。石垣の奥5m、堀底からの高さ6

m、南北に9.5m。写真の赤で四角で囲んだところ。


長崎新聞によると、城郭史・土木工事に詳しい石川県金沢城調査研究所の北垣氏によれ

ば、似たような設備は15世紀後半の京都の寺院などにあるが、こうした伝統的技術を城

に用いた最初の検出例だと言うことだそうです。

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説明資料です。正面図ですが、空白の所が、崩落したところ。崩落したところの左右の石

垣にも、膨らみが見られ、赤の矢印の部分に赤い線が見れると思いますが、この部分ま

で石垣を外し、組み直すそうです。

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横断図になります。赤の四角で囲んだところが、発見されたところです。

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    (両図とも、当日の説明資料による。~島原市教育委員会)

石の下は、固くしまった層(硬化面)で、水を通さないようにしてあるそうです。雨の日に担

当者が見に行ったところ、この部分から水が流れ落ちていたそうです。

地表からの水をくいとめ、水を石垣の外へ排出するためのものだと思われるそうです。多

分、外の所にもあるのでは?


この、部分の1m程下、中世の遺物(輸入磁器など、景徳鎮?)、中国産の15,6世紀の

陶磁器が多く見つかり、多分、ここらに、かなりの豪族がいたことが考えられます。


なお、城の周りには犬走りがありますが、崩落した所を掘ったところ、犬走りのある、地表

下2mばかり石垣があったそうですから、目で見る石垣より、2mばかり高い石垣だと言

えるでしょう。その下に、基礎にした木材等があるらしいのですが、危険性があるので、そ

こまでは掘らなかったそうです。


石垣の裏は、あまり見ることができないので・・・

大きな石が石垣、後に栗石が詰められているのが分かるともいます。

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出土品。瓦ですが、表土近くで見つかったため、時代的には新しいものだそうですが、瓦

に付けられた印は何でしょう、壺形に「吉」という文字。

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先ほど書いた、中世遺物(輸入陶器)と、栗石の中から発見された、五輪の塔。空輪あた

りかな?

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施行は地元の業者さんですが、城の石垣は素人では組めないということで、各地で城郭

等の工事をした、大村市の石工さんが責任者。

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石工さんが、楔を打ち込む穴を掘りますが、石屑がたまるためか、火吹き竹の様な物で、

フー。

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このあと、見学者の石割実習がありましたが、楔をしばらく叩くと、簡単に割れました。これ

子どもが割りました。

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おばちゃま方も挑戦をしましたが、5分もしないうちに、ご覧の通り。

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さて、この工事、来年の3月までに完成させるそうですが、とにかく大変な作業でしょう。

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工事場現場には立ち入れませんが、お堀の道からはよく見えます。工事が完成しない間

に、一度は是非ご覧下さい。


忘れました、石垣には刻印等がしてあるそうですが、島原城でもはっきりしたものは見つ

かっていないそうですが・・・・

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多分、墨書きでしょうが、古文書の専門家によると、「封」と書いてあるそうです。島原城の

石垣は何回か崩れたことがあるそうで、、これを「封」じるためではないかとの意見もあり

ました。はっきりは分かりません。

(参考・引用:当日説明資料・長崎新聞)







2013年10月13日 (日)

皿うどんと金蝶ソースの密接な関係

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全国チェーンのお店の皿うどんです。


長崎と言えば、「チャンポン」が有名ですが、この皿うどんも、美味しいものです。

最近、チャンポンの元祖、「四海樓」の4代目、陳優継(ちんまさつぐ)氏が下記の本を出さ

れ、読んで見ると、長崎に生まれた私も、初めて知ることがあり、勉強になりました。

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チャンポンは最初は「支那饂飩」として売られています。


チャンポンは、肉から野菜、海のもの、何でも入っていることから、ごちゃ混ぜにする事を、

長崎では「チャンポンにする」といい、何気なく使っていたのですが、中国語の福建語で「吃

飯(ご飯を食べる)」を「シャポン」「セッポン」と言い、これが「ちゃんぽん」に聞こえ、美味し

そうに食べている「支那饂飩」と同義語になり、「ちゃんぽん」という料理名になったのでは

ないかと言うことです。


さて、この四海樓は、斎藤茂吉も長崎時代(1917~1921年まで長崎医学専門学校の教

授)の時、かなり通ったみたいです。


吉井勇、増田廉吉、渡辺与茂平、和田魚風、吉屋信子も来店、斎藤茂吉は芥川龍之介、

菊池寛が長崎に来たおり、四海樓を訪れ、玉姫、(四海樓創始者、陳平順氏の娘)と麻雀

をしていったそうです。


1956年には、常陸宮様も訪れ、中華のフルコースの皿うどんを、お代わりされたそうで

す。また、1977年、浩宮様(皇太子殿下)が来られたときも、皿うどんを、お代わりされ

たと言うことです。


この皿うどん、「細麺にしますか、太麺にしますか」と聞かれる事があります。私ともあろう

者が、皿うどんは、最初から細麺が本来の姿だろうと思っていたのですが、この本によれ

ば、皿うどんの誕生は以下の通りでした。


ルーツは「炒肉絲麺」。要するに焼きそばのようなもの。

初期の皿うどんは、チャンポン麺を軽く炒め、次に、具材を炒め、チャンポンのスープを少

量注ぎ、麺を戻し水分が無くなるまで炒めるもの。要するに「焼きチャンポン」。ですから、

皿うどんの麺は、チャンポン麺を炒めた太麺で、これが本来のもの。


平順氏は、これに考案を加え、炒めたり、煮詰めたりで手間がかかるため、麺を細くし、あ

らかじめ油で揚げておき、炒めた具材にとろみを付け、かけることで、迅速にできるようにし

たそうです。


さて、長崎の黒田醤油の初代黒田氏が、中華料理に合うソースはないか、平順氏に相談

しながら、研究していたそうすが、考えれば、中華料理に西洋料理のソースとは。今まで、

不思議に思わなかったのですが・・・・

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外のソースと違うのかどうか、金蝶ソースを交えて3本ばかり買って来て比べてみました。

一番右は以前紹介した、醤油とソースをブレンドした「しょース」ですから、これは除外。


3つのソースを比べて見ましたが、ソースは、トンカツとか、フライにかけるもんですね。そ

のまま舐めてみると、刺激が強い、間違っても、ジュースとかビールの代わりに飲まないよ

うに。


さて、この3種類比べて見ると、カゴメソースと、イカリソースは大体のところ似ていました

が、金蝶ソースは、この二つより、味が濃いと言うか、尖っているという感じ。


考えれば、皿うどんは、味付けに砂糖が入って甘めに作ってありますから、これくらい味が

濃いと合わないのでしょう。黒田氏の研究のたまものです。

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ちゃんと、「長崎生まれ」、用途は「皿うどん」と書いてあります。皿うどんと、金蝶ソースは

かくの如く、密接な関係です。このソース、Amazonの通販でも買えます。

長崎県民ご当地ソース 金蝶ウスターソース」と書いてありました。

(参考・文引用:「ちゃんぽんと長崎華僑~陳優継著)


 

2013年10月12日 (土)

iPhone5S~衣替え

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先日、iPhone5Sを買ったことを書きましたが、どなたも始めに心配するのが、本体の保護

と液晶画面の保護。


ケースはいろいろ持っているのですが(3SG~5)、5Sは5と寸法が合いますから、この中

で4個ほどは使えるのですが、まあ、秋でもあるし、人間で言えば衣替えの季節。


iPhoneも衣替えをしようと、今回は、アルミバンパーにする事に。種類が多く、どれにしよう

かと思ったのですが、購入された方のカスタムレビューを参考に選ぶこと3日。


色は、赤にするか、ラグジュアリーシルバーに迷ったすえ、私も、シルバーエイジだから、ラ

グジュアリーシルバーをチョイス。


液晶保護は、フィルムタイプではなく、今回は、はやりのガラスタイプを。0,4ミリと、0,2ミ

リがありましたが、初めてだから、0,4ミリの方を。近ごろ物忘れが多いので、ストラップは

目立つ赤色。

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全部開けたところ。ホームボタンがおまけに付いていましたが、カミサンに、こっそりメール

を見られないように、指紋認証にしましたから5Sでは不要。


保護フィルムは、裏面はガラスタイプではなく、普通のフィルムタイプ。3つの部分に別れて

いますが、iPhoneの裏面は、3カ所に別れ、気持ち、段差があり、フィルムを貼ったとき、少

し浮き上がるので、フィルムもそれに合わせ、3つに別れていました。

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バンパーの内側には、シリコンシートが4カ所に。

準備品は、ゴムシート。作業中動かないように。あと、裏面作業の時、液晶画面を下にしま

すから、その保護。エアースプレー。もちろんゴミを吹き飛ばすため。カメラのブロアーでも

かまいません。粘着力の弱いメンディングテープ。ルーペ。液晶画面に、ゴミが入っていた

ら、空気が入りますから、これで良く見て、テープで除去します。

Dscf3935 Dscf3927


最初にすることは、お手々を良く洗うこと、手の脂が付くことがあります。

ここからは、両手の作業になりますから、写真は撮れません。


フィルム面を、本体に合わせ、大きさの確認。おまけに付いていた、アルコールの紙で良く

拭いて、クリーナークロスで良く拭いてゴミを除去、再度ルーペでゴミが付いてないか確認

してテープで除去。


あとは、保護フィルムを貼りますが、フィルムタイプは数回貼った事はありましたが、ガラス

タイプは初めて。0.4ミリといっても、結構厚い。張り替えは、あまりしない方が良いと言う

ことで、ドキドキ。一発勝負。高校の時、秋の公園で、彼女の手を初めて握ったときより、ド

キドキ


何とか、張り終え、裏の三枚のフィルムを貼りましたが、こちらは、まあ、慣れたもの。で

も、何となく、頼りないので、現在、別のものを注文しており、貼り替える予定。


ワンポイントは、イヤホーンジャックカバーの赤。もちろん、アルミの削りだしです。

電源、ボリュームボタン等は、カバーが付けてあって、これは、思いの外というより、そのま

まのボタンより使いやすく、思わぬ拾いもの。

Pa120002 Pa120003

とは言っても欠点はあるもので、私、いつも胸ポケットに入れ、下を向いたとたん、落とす事

何回か。それ以来、首からストラップで吊っていますが、本体がアルミのため。ご覧のよう

に、2~3日で、ストラップと本体を繋ぐところが、すり切れる状態。紐の部分だけ買ってき

て2重にしました。これなら、1本が切れても、落ちるということはないはず。

Pa120015_2 Pa120017

あと、0,2~0.3ミリ程度のワイヤーがありますから、これで補強する事も考えています。


液晶の保護フィルムを貼るとき気づいたのですが、レシーバー/マイクの上、黄色い所は

FacaTimeのカメラ。


前面が白色のは左の所に、はっきりと黒丸が分かるのですが、全面が黒色はルーペで見

て黒丸のようなものがかすかに見えるだけ。近接センサーで、通話などで顔が近づくと画

面をオフにするものだそうです。上の方にも、黒丸があるのですが、これは何か分かりませ

んでした。


この、二つの部分の所、穴も何も開いてなく、フイルムが覆っていて、干渉していないか心

配なのですが、いずれ、フイルムの交換を考えています。

Pa120018_2 Pa120020

ついでに、ロック状態の時の壁紙は、中が見えるような、シースルー画面を入手したので、

カトリーヌ・ドヌーブさんとは、交替してもらいました。


でも、ガラスタイプのフィルムは、気持ち良いくらい、ツルツルしますね。若い時のカミサン

の肌みたい



2013年10月10日 (木)

「長崎くんち」・知ったかぶり

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今年の、「くんち」(長崎では「おくにち」と言わず、単に「くんち」と言います。)は台風のた

め、日程がずれ、本日終了しました。


上の写真は、「コッコデショ」(太鼓山)、これは、今年はありませんでした。私が、数年前に

撮った写真です。台を上へ放り上げ、また、受けとります。豪快なものです。


さて、本日の題は、「長崎くんち・知ったかぶり」と書きましたが、本日の以下のブログは、

長崎の人なら、知らない人は無い、丹羽漢吉氏が、長崎の「くんち博士」と言われる、山下

誠氏の話を聞きながらまとめた本、「長崎くんちの栞」(初版昭和五十九年、私が手に入れ

たのは、平成十二年の再改訂版三版)を読みながら、いかにも「知ったかぶり」で書いたの

で、標題のようにしました。


長崎と言えば、ある郷土史家によれば、100%近くキリスト教の時代がありました。もちろ

んこの頃は、神社等荒廃していたことでしょう。


この中に、長崎村小島郷の住吉神社、長崎村森崎の森崎大神(現県庁所在地)が、あった

そうですが、肥前唐津の金重院青木賢清という修験道が、長崎に来、里民の隠し祭ってい

た諏訪大社のため、西山郷円山(現、松の森天満宮)に社殿を作るようにしたそうですが、

何しろ、キリシタンの地。用材、工人もすべて他地方に求めたそうです。この時、諏訪、森

崎、住吉の三社が合祀されます。


なお、この造営には、長崎代官の初代末次平蔵の援助があったそうです。末次平蔵もキリ

シタンでしたが、、後棄教し仏教に転宗し、長崎奉行長谷川権六のキリシタン弾圧に手を

貸します。


その後、キリシタンの禁教令が出ますが、(禁教令は一つでなく、秀吉の禁教令から、江

戸時代まで数回出されていますが、これ書くときりが無いので、また)今度は、神仏崇拝に

転向する人が増え、手狭になったため、玉園山(現在の諏訪神社)に社寺を開いて、慶安

四年(1651)に正遷宮が挙行されたそうです。拝殿については、長崎奉行の3代目末次

平蔵が寄進をしています。


長崎奉行が、諏訪神社と関係をしているのを見ると、キリシタン弾圧との関係が分かると

思います。


さて、寛永三年、初めて神楽を奏し、湯立神事(釜で湯をたぎらせ、その湯で神事を行うこ

と、「湯立神事」、又は「湯神楽」)を行います。


諏訪神社大祭の最初は、寛永十一年ですが、この年、「出島」の埋築が着工され、「眼鏡

橋」が架けられています。


この時の社地は玉園山に移る前の、円山であったそうですが、九月七日、太夫町(現丸山

町)の虎屋の遊女であったという、高尾、音羽の両人が神前に、謡曲小舞を奉納。


のち、長崎の遊郭は分散していたものを、集結命令がでて、丸山町と寄合町が誕生します

が、この両町は高尾・音羽の故事により、くんち踊り奉納に、先頭を務める特権を与えられ

ています。


くんちは六月一日の「小屋入り」から始まりますが、昔は実際に小屋を建て、身を清め練習

をしたそうです。


十月三日が庭見世。各踊町で、表格子、木戸を開放し、衣装、小道具等を誰にでも見れる

ようにしますが、説によれば、「当家には十字架やマリア像を、ひそかに祭ったりなぞして

いません」ということを示しているそうです。


十月四日が、人揃い(にいぞろい)。早くいえばリハーサルになります。


十月七,八,九日が、くんちの本番。七日が、奉納。戦前は、最初に大波止御旅所、次に

諏訪神社、伊勢宮、八坂神社だったそうですが、昭和60年から都合により、伊勢宮奉納

は中止。


この本が書かれた時は、諏訪神社、公会堂前、御旅所等で奉納をしています。なお、この

奉納場所は、単に「場所」と呼んでいるそうです。


奉納が終わると、庭先回り。踊町の家、市内の主だった家、公官庁等に踊りを呈上して行

きます。

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各踊町の方、子どもさん等を連れ、お母さん方と一緒に回りますが、お母さんの衣装が立

派で、お金がかかっていますね。


天狗さん。どこの祭りでも、多分先頭を歩いて行くと思います。でも、何故、天狗さんなの

か?役小角(えんのおづの・おづぬ・おつの)→修験道→神社、繋がりか?

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何とも言えない、格好ですね。とくに、頭のシャッポがカッコ良い。

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これも、以前撮った写真で、今年は出演していません。上に乗った子が、丸眼鏡をかけて、

可愛らしかった。

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さて、先ほど書いた「庭先回り」。私が小学校の時は、大体、駅前→知事公舎→新大工町

→寺町→正覚寺下→丸山花月→湊公園の範囲ですが、実を言うと、最後に回る、湊公園

の目の前が、私の母の実家でお店屋さん。


有名なお店屋さんでしたから、傘鉾、蛇踊り、阿蘭陀陀漫才、コッコデショ等、全部回ってき

て店先で演じてくれ、また、湊公園でも演じるので、特等席の2階からゆっくり眺めたもので

した。


良く、長崎では、くんちに限らず、すぐれた演し物等の時に、「モッテコーイ」と言いますが、

奉納の時、囃子の音などが聞こえてくると、「首を長うして待っとるぞ。早く来い」との気持ち

の、「モッテコーイ」。演技のアンコールの時は、「ショモーヤレ」、「所望するからもう一つや

れ」の意味。


一度退場したものを呼び戻すときは、「ショモーヤレ」ではなく、再度「モッテコーイ」。使い

分けがあります。なんでもかでも、「モッテコーイ」では、ありません。


小さいときの、くんちの楽しみは、出店とサーカス。昔は、今どころではなく、大変な出店で

した。サーカスは、「木下大サーカス」、「キグレサーカス」だったかな?毎年、代わり替わり

に来ていた記憶があります。


がまの油売りも来ていて、本物の真剣で、「一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚、八枚

が十六枚、十六枚が三十二枚、三十二枚が六十四枚、六十四枚が百と二十八枚、上へ吹

き上げれば、比良の暮雪か嵐山は落花の舞。」「前のお嬢ちゃん、スカートは下ろしてね。

パンツが見えてるよ。」なんて、こちらの方が、くんちより覚えてますね。フーテンの寅さんも

来ていました


くんちのもう一つの楽しみ。小屋入り後、各町で練習をしますが、踊りは室内でできます

が、川船等は各町の路地の広いところなど練習します。この練習風景が、桟敷席見るの

とは違い、汗が飛び散ってくるような、目の前で見られるので、大迫力。練習は各自仕事を

持っていますから、夕方から始まります。来年は是非ご覧を。


忘れていました。諏訪神社には、諏訪幼稚園がありますが、私はこの幼稚園の中退です。

暴力、酒、煙草ではありません。女関係です。あの頃は、可愛くて、もてまくっていましたか

ら・・・・・

(参考・文引用:「長崎くんちの栞~長崎伝統芸能振興会」から)






2013年10月 9日 (水)

センゴク一統記 第5巻~宮下英樹著

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つい最近、「信長伝~VOL3・長篠の合戦」が出たと思ったら、こんどは「センゴク一統記 

第5巻」がでていました。


第4巻で信長が死去したので、おしまいかと思ったら、第5巻です。考えて見ると、主人公

は仙石秀久ですから、まだまだ、続くわけです。


信長が亡くなって、秀吉は、速やかに毛利と和解し、「中国大返し」を行います。


「世に謂う 秀吉の大返し 行軍距離の限界は 一日40㎞と考えられる しかし この時の

秀吉軍の場合は 最も強行軍の隊では 一日半で100㎞のペース 通常の行軍速度は時

速2~3㎞ 神歩と呼ばれる 織田軍でも時速4㎞ つまり この梅雨の中 時速4キロとし

て 25時間進み続けねば ならないのである」、と説明してあります。


さて、大返しを始め二日後、淡路海賊 菅平右衛門尉(かんへいえもんのじょう)が、明智

光秀と同心・・・淡路洲本城を占拠、秀吉軍の背後を脅かします。

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こうして見れば、淡路島が「中国大返」しを妨害する、要所だということが解ります。


ここで、出てくるのが、主人公、仙石秀久。わずかの手勢で、淡路島の討伐を命じられます

が、これは、第6巻。


本能寺の変を起こした、明智光秀については諸説ありますが、この第5巻にも、光秀の考

えが描いてありますが、少し近代的かな?


いま、三谷幸吉の「清須会議」、と言う本を読んでいますが、信長亡き後の、清須城を舞台

に5日間を描いているみたいですが、面白かったらご紹介します。


この、「清須会議」は11月9日に映画で公開されるみたいですから、公開されたら見に行こ

うかな?ご一緒にいかがですか?役者は役所広司、大泉洋、小日向浩市、妻夫木聡、で

んでん、松山ケンイチ等々ですから、面白いでしょう。(もっとも、私、映画、ドラマは見ない

ので、役所広司さん以外知らないのですが・・役所広司さんは、諫早出身だから知ってます

が・・・・)


なお、来年のNHKの大河ドラマは、「黒田官兵衛」だと言うことで、これまた、来年は楽しみ

ですね。黒田官兵衛も、なかなか、その考えが、つかめない人ですから・・・・





2013年10月 8日 (火)

有明町フラワー公園&ケバブ食べました

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昨日の続きです。三十路苑で青モミジを見て、奧雲仙から下って来る途中、有明フラワー

公園にも、コスモスがあると言う話を聞いていたので、寄って見ました。


ここも、まだ蕾が上がって来ている最中、もうしばらくのところか。

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といっても、ここは全面コスモスではなく、花壇によって、花が違っています。一番多いのが

サルビア。これ、全面に咲くときれいなんですが、ちょうど上を刈ったところで、来月の10日

くらいが、見ごろになるという事でした。


ラベンダーも植え付けてありましたが、少し疲れ気味か?

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さて、昨日の新聞に、ここらあたりに、新しいレストランができたと載っていたので、昼時で

もあり、行って見たら、お休み。


どこで飯くおうかと考えていたら、先日できたばかりの、地産品等を売っている「ベジドリー

 」。確か、食事もやっていて、トルコの料理が売り物だとか。例の「トルコライス」ではあり

ません。「ケバブ」という料理です。と言うことで、寄って、ケバブ丼を頼んでみました。

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鶏を焼いたか、油で揚げたかの感触の細切れの鶏肉と、野菜がたっぷりと混ぜてあって、

多分オーロラソースをアレンジしたものかが、かかって、鶏肉の食感が何とも言えない良い

感じ・・・場所は、愛野から島原に行く、グリーンロードにあります。


どうして、鶏肉を料理しているか聞いたら、写真が貼ってあって、

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鶏肉を塊にして、回しながら焼き、焼けたところを削っていくそうです。油が抜け、ヘルシー

だそうで、昨日、実際やっていたんですが、と言う返事。これ、実際のを見てみたいです

ね。写真だけでは、イメージが湧きません。また、機会を見て・・・・


途中見た風景。

左側、これだけ書かれると、ゴミを捨てられませんね。

右は、「コキア」、「ほうきぎ」とも言います。もう少したてば、もっと真っ赤になります。

小さな果実がなりますが、秋田の特産品「とんぶり」は、この果実です。枯れた茎は、途中

を、くくって、ほうきにします。私も、2,3回挑戦しましたが、上手くできませんでしたが。

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だんだん、台風らしい感じになってきました。無事なら、又明日。



2013年10月 7日 (月)

2013 三十路苑(10月7日)~雲仙市小浜町

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昨日、本州の方で、紅葉の情報がTVで流れていたので、近ごろ、もみじで有名になってき

ている、三十路苑(小浜~島原に至る、雲仙登山道路の途中)に出かけてみました。


ここ、2~3年、ブログで三十路苑の情報を流しているので、今年もボチボチ書いてみたい

と思います。まだ早いかなと思ったら、予想どおりまだ、青もみじでした。色づくのは、11月

頃からです。


もみじが色づくのは、いって見れば、女性の方が歳取って、色気がでるのと一緒でしょう。

近ごろは、「熟女」なんて言っていますが、昔は「年増」と言っていました。紅葉(こうよう)し

たもみじは、いわば、年増。(失礼言ってすみません。)


青もみじは、まだまだ、若々しい少女と言ったところか?年増が良いか、少女が良いか、個

人によって違うでしょうが、私は、若い方が・・・・・


太陽を透かしてみる、青もみじは、心が洗われる思いがします。11月20日から、もみじ祭

りが始まるようですが、今は人は来なくて静かだし、駐車料金は取られないし、行くなら、

「今でしょう」。

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今年も、情報を時々流しますから、要チックしておいてください。


帰りは、奧雲仙(雲仙~国見線)から行ってみました。

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妙見岳から、国見岳の風景です。矢印の所はロープウエーの駅です。山の色も、先日よ

り、少しばかり変わってきたようです。

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少し分かりにくいですが、橘湾方向。山の色も、変わって来ているのが分かると思います。


さて、三十路苑の近くの、ニガウリ畠に面白いものがあったので。ニガウリ畠の中に、右の

ように、ニガウリが筒の中に。何だろうと考えたら、ニガウリを、まっすぐ育てるために、ニガ

ウリを入れているようです。そのまま育てると、少し曲がっていきますから・・・

でも、日本人は、なんと勤勉なのでしょう。感動を覚えました。

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「もみじ」は、「紅葉(黄葉)」と書き、本来は、「晩秋に紅、黄に色づくこと。またその葉」(角

川新国語辞典)、となっているので、「青もみじ」の表現は、少しおかしいのですが、、同辞

典には「かえで」とも書いてあり、「かえで」は「楓」であり、「(同)もみじ」とも書いてあり、ま

た「もみじ」に戻ってしまうのですが・・・・・まあ、適当に解釈してください。


台風が近づいて、今度は少し巻き込まれそうなので、今から台風に備えて準備です。皆さ

んもご注意を。


2013年10月 6日 (日)

十二支公園★申の公園&天狗と太蔵の里~諫早市

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旧飯盛町役場から、諫早へ抜ける道の途中、土師野尾(はじのお)付近に、いきなり大きな

鳥居が現れます。額束には「八天狗」と書いてあります。


八天狗とは、愛宕、比良、大山、大峰、鞍馬(時代劇の鞍馬天狗、ではありません)、飯

縄、英彦山、白峰、の八山に住む天狗だそうです。


この、鳥居の足元になんと、左の写真が、これまで、十二支公園として、牛、巳、未の公園

と見てきましたが、さっそく、鳥居をくぐってしばらく行くと、土師野尾のバス停あたり、同じよ

うな鳥居があり、同じような標識が建っていました。
 

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道が狭いのですが、しばらくいくと、左手に標識と階段が、標識は朽ちかけていましたが、

多分、「公園 申 天狗と太蔵の里」と書いてあるようでした。

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道の少し広いところに車を停め、階段を少し登ると

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鳥居があり、はやり額束には、「八天狗」と書いてあります。真ん中の階段の上がったとこ

ろには、記念碑でしょう。正面には「八天祭基會(?) 一金 百圓也 施主 浮(?)田徳之

助、左側に「大正五年十月建立 土師ノ尾在郷軍人」、右側に「昭和十四年一月 一金 百

四拾圓也 原太良組中」と書いてあり、多分、ここを整備したときの記念碑か?


この、鳥居が面白く、向かって左の後には、「昭和三十一年四月再建」と書いてあり、横に

以前の額束でしょう「八天狗」と書いた額束が置いてありました。右の柱には、一番下の方

に三行並んで、「庄屋 納(?)吉」、「横目 歳吉」、「乙名 多十」と書いてありましたから、

江戸時代になるでしょう、上の方がほとんど見えなく、年代を表すのでしょう、何とか、

「永」、「申」、「寅」、とは読めました。「四月吉祥日」こちらは、はっきりと読めます。


読んだのに間違いが無ければ、「甲寅」の年で、「永」がつく年号というと、1854年の嘉永

(1848~1854)、あたりなのかな?


この、鳥居は以前のものを利用したのか、片方だけ、昔のものを使ったものなのか?良く

見ると左右の古さが若干違うみたい。


さて、この鳥居を右側に行くと、広場があり、ここが、十二支公園のひとつ、「申の公園」

になります。

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なんと、真ん中に土俵があるだけ、土俵はしっかり、おおってあったので、今も祭りの時な

どに使われているのでしょう。矢印の所に看板。字がかすれて読みにくいところがありま

す。


「申の公園 天狗と大蔵の里

 その昔、江戸相撲の名力士であった、稲妻太蔵が、幼少の頃にここで天狗と相撲をと

 ったという民話がのこされています。」これで、土俵がある理由が分かります。


もう少し、詳しく説明すると、子どもができなかった夫婦がおり、八天神社に願をかけ、丑の

刻参りを毎晩行い、満願の時、天狗が自分の懐に入った夢を見て、子どもを授かったそう

です。名前を天狗の申し子と言うことで、太蔵と名付けたそうです。


その子が、小さいときから力持ちで、毎日八天岳に草刈りに行っていたところ、天狗が現

れ、相撲を教え、しこ名を、「稲妻」と名乗って江戸に上り、日本一の力士と肩を並べ、その

うち日本一の力士も、太蔵には及ばなくなったそうです。


その力士が、「一度で良いから、白星を譲ってくれ」と懇願し、太蔵も哀れに思い、負けてや

ったそうです。


しかし、天狗が怒って、太蔵の体から離れてしまい、それ以来、勝てなくなり、晩年は故郷

に帰って農業をいとなみ、寛延三年七月十九日に他界します。


さて、この八天岳の山頂に、「ごっとん石」というのがあり、行って見たかったのですが、

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足元は丸太で階段を組んであり、歩きやすいのですが、急階段で、距離があり、心臓病が

心配なので、途中から引き返して来ました。本に写真が載っていたので

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この石は、上の石を押すと、「ゴットンゴットン」と音を立てるそうです。

あるとき地震が来て、上の石が深い谷間に落ちたとき、太蔵が肩に担いで、軽々と持って

登ってきて、もとあったように、上に乗せたということです。見てみたかったのですが、残念

でした。


なお、ゴットン石と呼ばれるものは多良見にもあるそうで、小浜町の富津にも、「ガックリ石」

というのもあります。

(参考・文引用・写真:「諫早史談~田中為市著」「諫早を歩く~山口八郎著」より)




2013年10月 5日 (土)

新・長崎弁かるた

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昨日、島原半島の方言について、書いたばかりでしたが、今日、本屋に行って見ると、

「新・長崎弁かるた」がでていました。


作製は、長崎の放送局、「KTN」。主旨は、方言が共通語の浸透で消えゆく運命にある現

代、方言の記録と、古典的な知育玩具の新しい形として、CD付のかるたを作ったと言うこ

とです。


「古典的な知育玩具」と言われれば、私たちも小さいとき、かるたで文字を覚えた思い出が

あります。


かるたの絵は、「のざわ のりこ」さん。栃木県出身で長崎に移住。長崎でのカルチャーショ

ックを描いた、「長崎に来ちゃった」は、かえって長崎とはこんな所だったのかと、長崎人の

私が、感じさせられるものでした。CDの朗読は、KTNの4名のアナウンサー。


左が、取り札、右が読み札。この、「てまぜ」、又は「てまんぜ」、同じ長崎でも、微妙に違う

ところがありますが・・・・学校でよく言われたものです。授業中に、机の下で手遊びをしてい

ると、チョークとともに、「てまぜをするな!」の言葉が飛んで来ました。

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皆さんもやっているでしょうが、「ゆーたくれて」。「酔っぱらって」の事です。

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「おめかんで」は「大声を出すな」。と言うことで「イガ」は子どもの事。奥様と、なにをしてい

るとき、奥様が、思わず大きな声を出しているときも、「あんまり、おめくな、イガが起きっや

っか」などとも使います。なに、とは、なにの事です。

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「なえたー」は「疲れた」。長崎では、良く「きゃー」等の接頭語を良く使います。「へいふり

坂」は実際にある坂の名前です。「おなら」をしながら登るから、「へいふり坂」ではありませ

ん。

諏訪神社の鳥居を作るとき、石材が重くどうしようかと思っているとき、一人の宰領が石の

上に立って御幣を振って励まし、石を運んだ坂にちなんで、「弊(へい)振り坂」だそうです。

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「ちんぐ」はよく使います。韓国語で、「友だち」の事だそうです。はやり、長崎は国際都市で

すね。「ちんぐやろが、酒代は出しとけ。」

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千々石では、「みどい」、「みどか」等と使います。「かわいい」と言うことです。転じて、「かわ

いそう」にも使います。「旦那さんが、亡くならしたげな、みどかねー」。「こん子(このこ)は、

みどかね」。などと、使います。

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ちょっと、きつい言い方です。「下品」なと言うことです。おとなでも、「げさっかことは、すん

なよ」、などと使います。

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「がまだせ」は「頑張れ」のこと。来年の長崎で開催される国体は、「長崎がんばらんば国

体・がんばらんば大会」です。「がまだせ」も「がんばらんば」も、ほぼ同じ感じで使われま

す。

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もっとたくさんあるんですが、あとは買って楽しんでください。


読み札の下に、主に話されている地域として、「県南」、「県北」、「県央」、「島原」、「五島」、

「壱岐対馬」と標記が有り、○印が付けてあります。


CDの読み手は、アナウンサーのためか、流ちょうに読んでいますが、じいさんやばあさん

に読ませた方が、情緒があったのではないかな。


千々石でも、昔、一回ほど老人クラブが方言の劇とか、語りをやりましたが、最後は農作業

の劇。農作業が終わったあと、車座になって、慰労会の風景がありましたが、出してきたの

が本物の酒、最後は出演者全員、「ゆーたくれて」、劇もなにもあったものではなく、町長も

舞台に上がって、一緒に飲んでいました。でも、あれは楽しかった。


さて、小さい子どもをお持ちの方、この「かるた」買いませんか?「古典的な知育玩具」で

す。一緒に遊んで、心をふれ合わせ、文字を覚えさせ・・・変なゲームをさせるより良いと思

いますが。








2013年10月 4日 (金)

宇都(うず)墓地の雪山の碑~諫早市

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この話は、諫早の歴史関係の本を読んでも、あまり書かれてなく、「諫早を歩く~山口八郎

著」に載っており、現場に行くと、諫早市教育委員会の説明版があったので、合わせてご紹

介を。


宇都墓地の階段を少し登って行くと、左手に小さな広場があります。ここは、諫江(かんこ

う)八十八カ所の第一番札所でもあります。


二つのお堂の間に、碑が建っています。これが、「雪山の碑」です。

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碑正面には、「雪山和尚品位」と書かれています。向かって左手には、雪山に関する碑文

が彫られています。

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分かりにくいと思いますが、最初の行。「當(?)有天祐寺安吾僧雪山有」から始まります。


「天祐寺」は、いつか紹介したように、諫早家の墓所。「安吾僧」は、個々に修行していた僧

侶が、一定期間、一カ所に集まって、修行する事ですから、雪山は天祐寺の僧ではなく、

天祐寺での修行僧ということになります。


さて、この雪山が、まさにイケメン。雪山見たさに、若い女性が、参拝に押しかけた言うこと

です。


某日、領主の側室が、領主に変わり、参詣に行った折、雪山を見て一目惚れ。色々手を打

ちますが、雪山はシカト。側室の恋心はいつしか憎しみに。領主に、「雪山が私に狼藉をは

たらいた」、と嘘を。もちろん、領主は雪山に打ち首を命じます。


刑場に据えられた雪山は、「私は無罪だ、御仏よ、私の潔白を示すため、私の赤い血を、

白く変え、ここに逆さまに挿す、松の小枝を、根付かせたまえ」と言い、打ち首になりま

す。


雪山の血は白く、松の枝にふりかかり、その後、松は大樹となり、人々は雪山の無罪を証

明するものとして、「雪山の逆さ松」と言い、大事に育てたそうです。碑文に「果白血滴滴」と

言う,文字も見えました。


残念ながら、この松は、大正二年に枯死したそうですが、この松に変わるものとして、、追

善供養塔を建て、碑文を諫早家に依頼したそうです。碑文の最後には、「大正二年二月 

諫早家」と刻んでありました。


場所が少し分かりにくく、宇都町の交差点付近。「魚荘」、「ホテルグランドパレス諫早」の

向かい側に、階段があります。しばらく登って、右の写真の木立のなかですから、私みたい

に見落として、上の方までいかないように。

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まあ、お互いに、イケメンに生まれなかったことを、幸いとしましょう。

(参考・文引用:「諫早を歩く~山口八郎著」・現場の説明版より)




2013年10月 3日 (木)

2013 白木峰のコスモス(10月11日)&五家原岳~諫早市

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昨年、10月11日に、諫早市「白木峰のコスモス」を紹介しましたが、今年もボチボチかな

と思って行って見ると、結構、見がいがありました。


昨年より、少し早く行ったためか、まだまだ蕾があがってきているところで、多分、来週には

満開になるでしょう。


平日に行ったため、人出はそう多くはなく、ゆっくり鑑賞できました。この土、日曜日あたり

から、満員状態になるでしょう。とくかく、行くなら、平日の午前中がベスト。仕事がある?年

休とって行ってください。

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ここまで育てるには、苦労があったみたいで、トイレの横に、少しばかり写真が貼ってあり、

種まきに雑草取り、あと、水かけなど大変だったでしょう。

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さて、せっかく来たので、時間は早いし、帰って、カミサンの顔はあまり見たくないし、という

ことで、五家原岳(ごかはらだけ)まで、足を伸ばすことに・・・


五家原岳は、標高1057.3mの山。大村市と諫早市の境にある山ですが、歩けば、コスモ

ス園がある白木峰から半日以上。


でも、心配無用、広いとはいえないまでも、舗装道路があります。右は、頂上の駐車場。

季節には車が混みますから、ご注意を。繰り返しますが、行くなら平日。白木峰から30分

程度。ただし、道が狭い所があるのでご注意を。

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駐車場から、20~30段くらいの階段を上がると、山頂。

Photo_10

晴れた日は景色が良いのですが、曇っていて残念。

左が、大村、佐賀方面。右が諫早方面ですが・・・・

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そのうち、赤い車に乗った、妙齢の美人の女性がやって来て、

「よく見えませんね。」から、はじまり、白木峰のコスモスのこと、多良岳は以前良く登ってい

たので、多良岳の山岳ルートなどの説明から、世間話まで。


「あなたって、コスモスみたいですね」、「?」、「コスモスの花言葉は、乙女の純情で、色に

よって、ピンクは、少女の純潔、赤は、調和、白は美麗とか純潔ですよ」、と少し大人の話

などもして、メルアドの交換をして別れましたが、今年の後半は、良いことあるかな。


ところで、どうして、ここまで舗装道路があるかというと、ここは電波を広範囲にカバーでき

るため、ラジオ、テレビ、警視庁、九州電力等の固定局があり、これを作るための資材を運

ぶための道路が必要だったのでしょう。


「NHK」、地元の「KTN」。「NCC」と「NBC」は同じ建物を使っていました。

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Nbcncc Photo_14

何も書いて無い、建物もあり、ひょっとしたら、某国の通信施設では?


ところで、ウチのテレビの写りが悪いので、鉄塔に登って、アンテナを少しばかり、私の家

の方向に向けてきました 。


あ!昼間の女性からメールが来たので、今日の所はこれにて失礼




2013年10月 1日 (火)

10月1日は秋のはじまり~雲仙市千々石町

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この、ところてん屋さん、ブログで、何回取り上げたことか。営業が7月1日から9月31日ま

で。


昨日、9月31日、今年最後かと思って、ちゃんと買って来ました。最後だから、一つおまけ

をして貰いましたが。


今日、10月1日、通りかかったら、ちゃんと閉めてありました。ここが開店すると、夏が来た

なと思い、閉店すると秋が来たなと思います。私にとって、10月1日が秋のはじまりです。


店のおばちゃんは、元気で、来年も開店するでしょうが、何となく、閉じてあるのを見ると、

「さよならだけが人生だ」の詩を思い出します。



「勧 酒」

 勧君金屈巵

 満酒不須辞

 花発多風雨

 人生足別離


 コノサカズキヲ受ケテクレ

 ドウゾナミナミツガシテオクレ

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ

 「サヨナラ」ダケガ人生ダ         (于武陵作・井伏鱒二訳:「厄除け詩集」より)


ついでにもう一つ、「さよならのうた」を



「さよならうた」

 じゃね またね はなめがね

 やねのきつねは ひるねかね

 ぶつけていたい むこうずね

 じゃあね あのね まるきぶね     (谷川俊太郎作:「わらべうた」より


ついでに秋めいてきたので、秋の俳句、川柳でも・・・・



 女百態 そのひと色の 曼珠沙華
  早良葉

 十月は お祭り好きの 青い空    水野亜希子

 乳房とは かくもつめたき 今日の朝  江隈順子~あれって、冷たいもんですか?今度

                                  触ってみようかな?            

 すざまじや 肉体枯れて なほ男  能村登四郎 ~私も、だったら良いんですが・・・

 秋めくや ところてん屋の 店じまい  sugikan


そういえば、秋といえば紅葉、、紅葉で有名になってきている、「三十路苑」に、そろそろ見

に行って、情報提供しようと思いますが、紅葉といえば、梁塵秘抄に、こんなのもありまし

た。


女の盛りなるは 一四五六歳二十三四とか 三十四五になりぬれば 紅葉の下葉に異な

らず

まあ、ひどいこと言いますね、34,5歳は、下葉と同じですって。今では、40歳、50歳で

も、「美魔女」と言っている時代。もっとも、ウチのカミサンは、「美魔女」から、「美」の字を抜

きますが・・・・


さて、秋の句で、私の一番好きな俳句



妻が居て夜長を言へりさう思ふ 
 森澄夫


夫婦とは、かくありたいものですが・・・


話が、随分横道にそれましたが、この、ところてん店屋さん、来年の、7月1日、開店の時

にまたブログに登場してもらう予定です。




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