諫早家第八代茂行(しげゆき)公の墓所~諫早市天祐寺
この話、数十年前、聞いていたのですが、最近思い出したので・・・・
諫早家の墓所、天祐寺に行って見られると、分かると思いますが、墓碑を始め、
立派な石造物があります。諫早の石工さんの腕前が感じられる所です。
こちらは、初代領主家晴公の墓所で、全部、初代から十八代家興(いえおき)公
まで、全部同じ形式で、中には、奥方、側室、子女まで同じ領主の墓地に祀られ
ているのを見ると、諫早家の家風が感じられます。
墓所に入って左に向かい一番奥が、初代、続いて二代、三代と並んでいます
が、墓所に入って右に向かい、一番奥まったところに、一番上の八代目茂行公
の墓所があります。
見れば分かると思いますが、右側が、茂行公の墓碑で、他の領主の墓と違っ
て、一般の四角の形の墓です。
さて、佐賀鍋島藩には、世継ぎの問題があり、これに荷担したということで、茂
行公が巻き込まれ、隠居の上、蟄居させられ、領地四千石を没収。
事件の首謀者、鍋島藩支藩の蓮池藩はおとがめ無し。これに反撥した領民が、
諫早一揆を起こす原因になります(ここらあたりは、いろいろあり、現在勉強
中)。
十一後年、蟄居は解けますが、墓は自分の意思だったのかどうか分かりません
が、普通の墓石です。なお、左の立派な墓は、茂行の正室の墓碑、鍋島藩主の
姫君であったために、五輪塔を建ててあるそうです。諫早領民は、本藩佐賀の
鍋島藩の圧政を受けたと言う文章が、あちらこちらに見られるところです。
(参考・引用:「諫早史談~田中為市著」「諫早郷土館解説シート」「諫早を歩く~
山口八郎著」)
盆に入って、千々石でもあちらこちら、ポチと爆竹の音が聞こえます。盆には長
崎と爆竹はつきものです。
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