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2013年8月14日 (水)

諫早家第八代茂行(しげゆき)公の墓所~諫早市天祐寺

P4010312

この話、数十年前、聞いていたのですが、最近思い出したので・・・・


諫早家の墓所、天祐寺に行って見られると、分かると思いますが、墓碑を始め、

立派な石造物があります。諫早の石工さんの腕前が感じられる所です。


こちらは、初代領主家晴公の墓所で、全部、初代から十八代家興(いえおき)公

で、全部同じ形式で、中には、奥方、側室、子女まで同じ領主の墓地に祀られ

ているのを見ると、諫早家の家風が感じられます。

P4010302

墓所に入って左に向かい一番奥が、初代、続いて二代、三代と並んでいます

が、墓所に入って右に向かい、一番奥まったところに、一番上の八代目茂行公

の墓所があります。


見れば分かると思いますが、右側が、茂行公の墓碑で、他の領主の墓と違っ

て、一般の四角の形の墓です。


さて、佐賀鍋島藩には、世継ぎの問題があり、これに荷担したということで、茂

行公が巻き込まれ、隠居の上、蟄居させられ、領地四千石を没収。


事件の首謀者、鍋島藩支藩の蓮池藩はおとがめ無し。これに反撥した領民が、

諫早一揆を起こす原因になります(ここらあたりは、いろいろあり、現在勉強

中)。


十一後年、蟄居は解けますが、墓は自分の意思だったのかどうか分かりません

が、普通の墓石です。なお、左の立派な墓は、茂行の正室の墓碑、鍋島藩主の

姫君であったために、五輪塔を建ててあるそうです。諫早領民は、本藩佐賀の

鍋島藩の圧政を受けたと言う文章が、あちらこちらに見られるところです。

(参考・引用:「諫早史談~田中為市著」「諫早郷土館解説シート」「諫早を歩く~

山口八郎著」)       



盆に入って、千々石でもあちらこちら、ポチと爆竹の音が聞こえます。盆には長

崎と爆竹はつきものです。

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